MURAKAMI整体


看護師が行うこころとストレスケアする整体です。


赤ちゃん〜子ども・学生、大人まで安心して受けてもらえる!」をモットーに行っています。




ブログだよ


安心整体近療連加入済み

MURAKAMI整体



11月の診療予約可能日





10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30


赤字は朝9時〜相談に応じます。

赤字以外は要相談。(施術出来ない事もあるので事前にご連絡下さい。

●飛び込み等緊急的な施術は受け付けていません。

●要予約。


 携帯:murakami-seitai@ezwweb.ne.jp


メール:murakami-seitai@ares.eonet.ne.jp




こころとからだ


私(MURAKAMI)整体を体験されたり、ホームページをご覧いただいている方、いつもありがとうございます。

「整体」として看板を揚げてから随分長い時間が経過しました。

たくさんの方を実際に診て常に感じる事は、からだの変調はからだや症状だけが原因ではないと言うことです。


私には師匠がいます。

芦屋カイロプラクティクス

幸道整体

長い時間をかけて師匠からカイロプラクティクスや多くの整体・施術を学び、また自分で勉強し実践してきました。

実際驚くほどにいろいろな手技・施術法があります。

毎日が勉強で、患者さん一人一人の出会いが私には勉強になるんです。

患者さんは、不快な症状や痛み・長年の持病や突然の不調など、いろいろな悩みや苦痛を訴えて訪れます。

施術により、快方に向かう方も多いですが、患者さんの多くは、またすぐに疲労し、再び体調不良を訴える方も多いのです。

私自身6回の手術(病気はいろいろですが・・・)を経験し、27歳で中途障害者となり、難病と特定疾患・持病を抱えるからだになってしまいました。

正直どん底まで堕ちました。

苦しみと絶え間なく続く痛み、体のあちこちの骨が壊死する病気なので、骨折を治療することなく、今も生活しているのです。

「どうすれば・・・楽になれるんだろう?」

「この苦しみは誰にも理解されない・・・」

そんなことばかり考える毎日です。

それでも、理解ある男性(当時既に障害者であり、闘病生活をしていました)と結婚し、当時は私の抱えている病気で、出産は不可能だと医師に断言されましたが、二人の子どもも授かり、元気に成長してくれています。

それはそれですばらしいことでした。

「まさか・・・私が結婚して我が子を持てるなんて!」

夢のようでした。

ところが病魔は消えません。

何度となく入院生活を繰り返し、救急車のお世話になり、手術をしなければいけない状況に陥ったのです。

我が子はまだ小さいのに、理解ない母に預けるか、旦那の実家にお世話になるしかありません。

おちおち入院生活も送れず・安静なんて言葉はとうてい無理な話しでした。

「何とか楽になりたい!!」

それしか考えることができなくなりました。

健康であり、五体満足が一番ですが、病気と長い年月闘うことで精神とこころも病んでしまうのです。

これは看護師として現場で働いていた頃に、患者さんやその家族をみて痛感していたことです。

まさか、自分が実際に経験する側になるとは思ってもいませんでしたけどね。

ある時ふとした出来ごとから「整体」へ行ってみることになったのです。

それは私の治療や施術目的ではなかったのです。

私は看護師なので、日本で医学として認められていない整体に対して偏見があり、

「整体や整骨院なんて・・・本当に効果が期待出来るのかなあ??」

と疑う部分が多かったのです。

ところが、その時先生が「奥さん大丈夫?」

と、何気に話しかけてくれたのです。

「・・・???」

何か顔に書いてあったのでしょうか?

「奥さんもからだ診ようか?」

そこで、今までの経験談を少し話しました。

話しを聴いてくれた先生が

今までよく頑張ったね

と言ってくれた言葉がものすごく嬉しく、始めてこころに響いたのです。



日本人は「お手あて」が大好きなんですね。

長時間さわられるこよにより、快感と満足感を得るんですね。

さて・・・それで根本的な治癒が可能なのか?

そこはまだまだ疑問の余地があるとこるですね。

私もいろいろな施術をうけてきました。

ところが・・・気持ち良いだけで、何か物足りない?

いろいろ試行錯誤しているうちに・・・止まらない病気と「気」の不足なのでしょうか?

「うつ病」になってしないました。

何となく前兆は何度もあったけれど、そのたびに

「何とかなるよ!」

と、あえて症状や苦しみを無視し続けました。

いつしか

「死にたい!」

と強く願望するようになり、しまいには、それしか考えられなくなったのです。