「私たちはなぜ狂わずにいるのか」春日武彦 著 新潮OH!文庫

私は、自分がなぜ今まで狂わずに日常を生きているのか、ということをいつも不思議に思いながら生きているので、心斎橋ヴィレッジ・ヴァンガードで上記の本のタイトルを目にした瞬間、この本の購入を決めた。

読み終わったのは先月だが、自分がこういうタイトルの本を読んでいるということを人に触れて回りたいという気持ちがずっとあった。ここでは、本の内容ではなく、そのような自分について考察してみたい。

中学3年の時、Pink Floyd の「狂気」という邦題をレコード・マンスリーの広告で目にしたのが私にとっての全ての始まりであった。この「狂気」という二文字が与えたこの上ない魅力、優しさ、安心感に私は虜になってしまった。そして、他に何の知識もなく、Pink Floydというグループ、そして「狂気」という作品はこの上なく素晴らしいに違いないという(正しい)思い込みにより、高校受験を終えると同時に生まれて初めて買ったレコードが「狂気」であり、私のプログレ聴人生のスタートであり、同時に講談社現代新書の異常心理学関係の本を読みあさり、一時は大学で心理学を専攻することも考えた私の心理学への関心の扉を開けた瞬間であった。

それはそれとして、当時そのような本を読みあさった動機は、「なぜ自分はこんなに変わっているのか」を解明するためであったが、いつしか私は、「自分はいかに変わった人間であるか」を自己アピールの手段に用いるようになっていった。つまり、私は「変わっていること」を売り物にして生きてきたのである。

さて、上記で「狂気」という言葉から受ける「安心感」「優しさ」とは何か、という疑問が皆さんにはありはしないだろうか。よくわからないが、それは管理社会の息苦しさに対する一種の解答であったと考えられるのかも知れない。即ち、私(たち)にとってクラブ・サークルの部室というものが、教室という息苦しい管理社会の空間、あるいは厳格な父を家長とする家庭から心底解き放たれる場であったように、レコード・マンスリーに記載された「狂気」という二文字は、常軌を逸脱することを公然と認めてくれたに等しいものとして感じられたようにも思われる。いや、きっとそうだ。何を聴いても満足できなかった高校2年の時、ヤング・ジョッキーで今泉洋氏が紹介した “Velvet Underground / I Heard Her Call My Name” における逸脱に心陶したことがひとつの証明かも知れない。そして、上記の解答が導いたものが、私にとっての、グローバル資本主義への疑問、人間としての本質が横と繋がるなかに見いだされること、に繋がっているようにも思う。

(2006年4月9日)