ボケとツッコミ考 〜笑いの東西問題

 昔からそうなのだが、私は関西系の漫才やコントが全然面白くない。笑わないでどれだけ長くガマンできるか、というのをやったら、優勝する自信がある。一方、関東系のコントの中にはどうしようもなく面白いものが一部にある。例えば、いとうせいこうや大竹まことらを輩出したラジカルガジベリビンバシステムのステージは本当に面白かった。この違いについて考察を行う。

 考察の前提として、簡単に関西系と関東系のコントの違いを整理しておこう。関西はボケたらすかさずツッコミを入れる。それに対して関東では、まずボケる。すると相手方は何喰わぬ顔をして一度やりすごし、しばらくしてさらに強烈なボケをボサッとつぶやく。つまりツッコミが無い。

 次に、この差が鑑賞者の感性に与える影響について考察する。

 まず、「常識」という主軸を設定する。ボケは前記主軸からのズレである。そしてツッコミはそのズレを指摘し、主軸に戻す作業と位置付けられる。

主軸と虚軸
 関西方式では、ボテてツッコみ、ボケてツッコむ。つまり、主軸からのズレはただちに修正されながら会話は常に主軸上を進行する。そして関西コント愛好者は、修正作業であるツッコミ部分でドッと笑う。(これが私には理解できない。ツッコミは当然の指摘をしているだけだのに。)

 対して関東方式では、ボケによる主軸からのズレは、修正されないどころか、しばらくすると先のズレをさらに助長する方向、あるいは全く別のズレのベクトルに沿って移動する。つまり、主軸は一向に省みられない。そうするとどうなるか。元あった主軸は無意識のうちにその場所を見失わされ、本来とはズレた場所に「常識」であるかのような虚像の主軸(=「虚軸」)が蜃気楼のように出現し、あるいはさらにその虚軸がゆらゆらと揺れ動くのではあるまいか。その結果、常識でないものが常識であるかのような錯覚を生み出す。関東コント愛好者はそこに面白さを見いだすのではないだろうか。以上を簡単にまとめると、「ボケをツッコんでしもたら面んないやんけ。」これが私の感覚を分析した結論である。

 上図において、図1は関西系コントの進行パターンを示し、赤の斜線はボケによる主軸からのずれ、赤の点線はツッコミによりずれが修正される過程を表す。一方、図2は関東系コントの進行パターンを示し、a, b, c は出現する虚軸の位置を示している。

 ところで、これは重要なことなのだが、関東方式のコントをやる当人らは絶対に笑ってはいけない。当人らが笑う、ということは自らのズレをズレとして認める行為だからである。ズレをズレでないかのように振る舞わなければ、虚軸の出現が大いに妨げられるからである。


 さて、このように分析すると、ロックとジャズを対比しても同様のことが言えそうだ。

 ジャズはまず現実的な主軸が設定され、アドリブという主軸からのズレを楽しんだ後、主軸に戻る、という繰り返しであり、常に不動の主軸が意識されつつ演奏が進行する。

 対してロックは、中心軸は初めから現実世界にはなく、虚軸のみが存在し最後まで維持される。場合によっては虚軸が揺れ動く。決して現実世界にある主軸は意識されることすらない。

 文芸作品でも、ジャズ的作品とかロック的作品と表現されることがある。即ち、日常感覚をつなげていったものがジャズ的作品で、非日常あるいは無脈絡な場面設定をポップに色づけしたものがロック的作品といえる。例えば、安部公房、寺山修司、などがロック的作家と言えるのではないだろうか。つげ義春氏においてはジャズ的作品を多く描く傾向にあるが、代表作「ねじ式」は完全にロック的であると感じる。

(初出;2002/10/06私信メール、2004/05/04図を追加すると共に一部改変)