● 寝取らせ探訪


四十路を、半ば超えた熟年夫婦です。

他人の勃起が、愛する妻の体内で荒々しい動きを始めると・・・体を噴き上げる悦びを堪えきれず、よがりの声を洩らす妻・・・

妻を、私以外の男に抱いてもらう回数も、そろそろ二桁に及ぼうとしています。

この機会に、私の異常な性癖について考えてみたいと思います。



「妻を、他人に抱いて欲しい・・」 世間には、私と同じような思いを抱く方もいらっしゃると思います。

少しでもご参考になればと願い、随想という形で、思っていることをお話しします。


本編の構成は、以下のようになっています。

1・「寝取らせ」とは、どのような情愛なのか?

2・妻の性意識の変化

3・妻の「貸出」について

4・「寝取らせ」と破局の因果関係

5・今後のこと





初めに、このように妻を愛していながら、それでいて他の男に抱いてもらうことに喜びを覚えるという私の異常な性癖について、自己分析してみます。


私が、まるで何かに取り憑かれたように行っている「寝取らせ」とはどのような類の情愛なのでしょうか。



このような世界に呑めり込んだきっかけは、Webサイトに掲載されている体験談を読みながら、

その片隅に添えられている、うっとりとして官能の世界に身を浸している女性の姿を見ていて、堪らなくなったのです。


そして、その女性が、旦那様の求めに応えて、他の男性と交わっていると知った時の衝撃と興奮は、計り知れないものがありました。



(世の中には、このような女性の愛し方もあるのか? 私も、妻が、私以外の男と性交している場面を見てみたい・・


あられもなく開き切った妻の両脚の中で、男が射精する瞬間を見てみたい・・)


という欲望が、抑えきれなくなってきます。



このように、妻が私以外の男とベッドの上で深く抱き合って・・交わりの中で悦びに喘ぐ姿を想像することが、

女性の艶めかしい写真や映像を見るより格段に興奮してしまうことに気づき、そこから抜け出せなくなってしまったのです。


寝室での営みにおいても、白い太腿の間に開いた女陰を見ると・・私のものがみすぼらしいからでしょうか、



「あぁ〜 ここに・・ 私のものとは遺伝子が違った、見知らぬ男の張り裂けそうなほどの怒張を入れさせてみたい・・・・」


と、妖しい興奮を覚えます。



こんな動機で深みに嵌った私ですが、妻を愛おしく思っているのは事実なのです。 


いつも身ぎれいにしていて、時折ジョークやウイットで軽やかに応じてくれる妻・・


家事の他に、手料理や手芸も得意で、およそ妻としての素養の殆どを備えており、私にとっては申し分のない伴侶です。


なのに、その妻に対して、ちょうど愛情表現の術を知らない小学生が好きな女の子をいじめるように、歪んだ情愛を噴走らせてしまう私・・



私と同じようなことを経験された方は、覚えがあると思いますが、

妻が他人のものを受け入れて、苦悶とも喜悦ともつかない表情で悶える姿を想像しながらも、平静になると・・



「何て、事を考えるのか。こんな妄想を描くなんて、本当に妻を愛しているのか?」



と、自己嫌悪に陥り、その妄想を懸命に打ち消そうとしたことはありませんか?



脳裏に妖しく浮かぶこの妄想は、「恋愛」や「慈愛」とは違った・・また、別物の感情なのです。


今の生活で、妻に対して、胸がせつなくなるようなときめきを覚えるようなことはありませんし、

二人過ごす日々には満足していますが、かと言って、眼を細めて優しさに満ちた眼差しを日々注いでいる訳でもありません。


でも、以前は、そのようなひと時を過ごしたことがあるので、この疼きがそれらの感情とまた違ったものであることがわかるのです。


妻に対して抱く、この歪んだ愛情を、何と表現すればよいのでしょうか。


表現する適切な言葉が見つからなくても、妻を他人に抱いてもらうことが、私の妻に対する「愛」であることだけは、間違いないのです。




色々考えてみると、「この歪んだ情愛」をすっきりさせるには、「信頼」という言葉がキーワードになりそうです。


哲学的に考えると、『愛とは、信頼している状態』らしいのですが・・

「信頼」と言うのは、片方だけがひどい目に遭って、損をするのでは成り立ちません。


妻にしても、自分だけが辛い目に遭わされて、都合よく扱われていると感じたならば、私についてきてくれないでしょう。


淫らなことを繰り返しながらも破局を迎えず、此処まで歩んでこられた理由は、些か自惚れ気味ですが・・

妻の自己犠牲に捧げる私の慈しみや償いがあったからかも知れません。


ギブアンドテークで、夫から“温かみ”や“見返り”を実感できるからこそ、妻も私を信頼して、

本来、耐えられないようなことでも「二人の約束」という形で了承したのだと思います。


こう、考えれば、『寝取らせ』とは、「信頼」を拠り所にした「アブノーマルな性愛」と言えるのかも知れません。




それから、この常軌を逸した性愛が成立するには、一つの必須条件があるように思います。


見ず知らずの男のものを受け入れ、悶えながら嗚咽を放つ妻ですが、これが常套となり、相手がどんな男でも構わないとなれば・・

私が思い描いている願望は萎んでしまうのです。


清楚な外見の内に、淫蕩が宿っている。

こんな姿の妻だからこそ、そのはじらいのベールを取り去って、羞恥心を思いっきり嬲ってみたいという気持ちが起きるのです。


ですから、甚だ身勝手なことはわかっているのですが・・

妻には、淫らな姿を期待しながらも、この先ずっと、慎ましく気品に満ちた連れ沿いであってほしいと願います。



このように考えると当然、相手の男性も「条件付き」ということになってしまいます。


「妻は、夫という唯一無二の男性とだけ睦み合える」・・この絶対的な倫理を打ち破って、夫婦間のタブーを行う訳ですから・・

相手の男性には、妻を、すべての羞恥をかなぐり捨てて、官能の世界に身を溶かすような状態にしてもらわなければなりません。


色々と体験を繰り返すうちに・・

妻がその男に対して、次のような感情を抱くとき、妻が愛欲に溺れる状態になるということがわかってきました。


・男に、性的興味と関心がある。

・男に、自分(妻)の魅力と同等、またはそれ以上の魅力や資質がある。

・男に、未知の部分がある。

・男に、身を預けきっても大丈夫と安心できる。


このような相手なればこそ、妻も、男に身を委ね、快感に身を焦がすような状態になってもいいという気になれるのだと思います。


そして、私にしても、普段 清楚な妻が、心を決めてそのような男を迎え入れようとしていることを思うと・・

セックスが一層艶めかしく感じられ、彼女が凌辱された時、例えようの無い興奮、憤怒、嫉妬を覚えることができるのです。





二番目に、このような人前では語れない忌まわしい行為を重ねるにつれ、徐々に変わってきた妻の性意識の変化について、お話しします。


妻が、初めて私から打ち明けられた時、頑なに拒絶していたことを、不承不承ながらも受け入れ、

結果的に、ここまで数回、経験を重ねてきた事実を見れば、



「彼女の中に、生来、淫蕩な性が潜んでいたのかも知れない。」



と、疑ってしまいます。



しかし、そう決めつけてしまったら、妻がかわいそうです。


元来、不倫という行為は、雌雄の本能と言うか、男女の習性を呼び起こす行為なのです。



機会があったら・・夫にはない魅力を持った・・そして、相手と自分を計ってみて、自分の魅力よりレベルが高い・・

未知の部分をいっぱい秘めた男性と付き合ってみたい。



男性のみならず女性にとっても、不倫は本能をくすぐる欲望で、もしかして、男女の誰もが意識下で、このようなことを望んでいるのかも知れません。


ただ、自分の体にそのような潜在的欲望が宿っていることに気が付かずに通り過ぎていくか、または、理性でそのような願望を抑えているか、

表に現れないだけのことなのです。


このように考えると、「おまえは、生来、淫蕩な性質なのか?」と、妻を責めることはできません。



目下のところ、妻の姿の中に、化粧が濃くなったり、色濃い服を着飾って出かけたりすることは見えませんし、

無断で、外泊したりすることはありません。



でも、男との交わりの場において、段々と変わってきたことがあります。

そのいくつかを挙げてみると・・


・自ら進んで、腰を振る動作が多くなってきた。


・私に対する背徳の意識が薄くなってきた。

(その最中に洩らす言葉の中に・・これまで、私が聞いたことがない言葉が、スラスラと出てくるようになった。)


・男の顔を見つめたり、深く抱き締めたり・・精神的にも一つになりたいと願う意識が感じられるようになった。



「朱に交われば・・」の例え通り、2つの性器を通じて、男女が互いに思いの程を交わらせば、そのような姿になってきても自然なのでしょう。


女体は、ペニスに擦りあげられると、否応なしに快感が湧いてくるものですが・・

自ら腰を振る動作を見ていると、同時にその動きは、


「その男のことを、もっと知りたい。」


「あなたが望むように、私を変えて。」


と、精神的なものまで求めているように思えてきます。



人間は本来、興味・関心や考え方のみならず、行動、話し方のリズムに至るまで、自分とよく似ている人を好きになると言われていますが、

体の相性、馴染具合がぴったりの男に抱かれると・・

相手のことをもっと知ろう、好きになろうとする意識が働く余り、相手の精神までも自分の中に取り込もうとするのかも知れません。


ですから、魅力ある男に抱かれると、二人を隔てていた壁が取り除かれ、その時の仕草や素振りが、男によって感化されてしまいます。


従って、それまで私とのセックスの最中に見られなかったような動作が多くなってきても、仕方がないことなのでしょう。



もう一つ、私にとっても変わってきたことは、以前のように、妻に回りくどい事前許可を求めなくてもよくなったということです。


最初のうちは、理不尽なことを彼女に説明し、納得させるのに大変な苦労をしましたが、

一度、二度と経験を重ねていくうちに段々と、拒絶しないようになりました。



想像するに・・一度、他人に体を開いてしまったということが、心の重荷になり、

決して、消すことができない咎を背負ったことが、彼女の抵抗感を弱めてしまったに違いありません。


見知らぬ男との営みが終わって、私たちは、寝室でそのことについて会話をしますが、

気恥ずかしい話を平気でしているうちに、私たちの関係は細やかなものになり、いつも通りの生活へと戻っていきます。


妻も、一度通った道だからなのでしょうか? これから先、私が求めさえすれば・・ 他人に抱かれることを厭うような風は見えません。





三つ目に、私は、妻を他の男が待つ所へ送り出して、デリヘル風の「貸出」をしようかどうか迷ったことがあります。


結果的に、現在に至るまでこのことは思い止まり、まだ実行していませんが、このようなことを体験すると、妻はどのように変わってしまうのか、

一度、その道を経験された方にお聞きしたいと思っています。


妻の「貸出」・・ 私の目の前で妻が交わる臨場感に乏しくても・・二人の間に漂う雰囲気を窺い知ることはできなくても・・

妻が私の知らない場所で男に抱かれている姿を想像すると、胸がせつなくなってきます。


私にとって、重苦しい、耐え難い時間が過ぎて・・

他人と朝を迎えた妻の顔には、きっと一線を越えてしまった男女の雰囲気が漂い、

私との距離が、何だか遠くなっていることを感じるに違いありません。


私が、ためらいがちに声をかけた時、

妻は、気恥ずかしそうに、私の元へ寄ってくるのだろうか?

それとも、二人だけの一夜を過ごしたことを忘れたかのように、平然としているのだろうか?



この胸苦しい気持ちは、愛する妻を他人へ差し出すことでしか得られない魔性の興奮なのです。



昨夜、密室の中で、妻と男の間に繰り広げられた淫らな姿を想像すると、段々と空想の世界が広がり・・

あられもない姿で男の前に肢体を晒し、見も世もない風情で喘いであろう妻の姿が思い浮かんできて、

それが、私の手の届きそうで届かないところで行われていたことを思うと、余計に苦しくなってきます。



でも、私はそんな催淫剤のような誘惑に駆られても、妻を男の下に差し出す気にはなれません。


多分、夫が傍にいないという意味で、私に対する妻の背徳の意識も随分と薄くなり、男から受ける悦びの度合いも格段に増すのかも知れませんが・・

私が傍におればこそ、私の目で見守ってあげることができるのです。


夫の目を離れて、二人以外知る術がない密室で行われるセックスは、夫婦関係に陰を落とすとても暗いこと・・何だか、破局の前兆のように思えます。



私たちは「信頼」を根底にして互いの了承に基づき、覚悟して禁断の行為を行っているのであって・・

男と妻との営みが行われている空間は、全てが自由な別世界であり、

自分が好きなように振る舞い、後から辻褄を合わせて、如何様にでも私に報告できるのです。


このような条件下では、私の妻に対する信頼が崩れそうで、困難を乗り越えてここまで歩んできたことを思うと、割に合いません。


決して、妻を信頼していない訳ではないのですが、ギブアンドテークの原則が成り立たないような気がして・・

やはり、妻の傍に居て、我が目で男との交わりの様子を見ていてこそ、妻を愛していることを確かめられるのだし、

それまでお互いに思い悩んできたことも報われるように思うのです。



必然的に、妻の相手をする男にとっては目障りなセックスになるわけですが、このようなプレーを私が望む理由は・・

妻に猜疑心を抱くと言うよりは、自分自身が臆病であり、妻を「貸出」した後に起きることに不安を覚えるからです。


・妻が、私の影響が及ばない程に、人格が変わってしまったら・・


・その変わってきたものが、私にとって我慢できないものであったら・・


・男に感化されて、私の存在が薄くなってしまったら・・


こんなことを考えると、例え「貸出」が、私に、これまで味わったことがない、より強い興奮とときめきをもたらすものであっても、

後から、二人の間の距離や歪みを修正し、変わったものを一度消し去ってそれを穴埋めすることを思うと、その気になれません。


大きく変わってしまう可能性が高い妻を、一度放り出して、再び私のもとに繋ぎ留めておく深甚の努力を傾けることに自信がないのです。


もしかして、妻のお相手をしていただく男が、魅力的で、私が全幅の信頼を寄せる男、嫉妬を覚えない程に親密な間柄の男であったなら・・

妻に対する私の信頼も揺らぐことはないので、「貸出」も可能なのかも知れません。


こんな訳で、現在のところ、妻を独りにして男のもとへ通わせる気はありません。





四つ目に、「愛する妻を他人に抱いてもらう」経験をされた方の誰もが遭遇する可能性があることですが、

別居や離婚など、妻が夫の元を去っていく原因について考えてみます。


夫婦間がどのような状態になると、破局が訪れ易いのか?


先ず、思うのは、これには、定説とか通念とかいった規範的な概念は通用しないように思います。


何故かと言うと、夫から耐えらない程のひどいバイオレンスを受けているにも拘わらず、傍を離れたがらない妻もいますし、

たった一度だけの夫の浮気が許せず、離婚を決意する妻もいるからです。


あくまでも、私にそんなことが起きた場合と仮定して・・

離婚に至ったとすると、どのようなことが原因になっているでしょうか?



思いつくだけの要因を、洗いざらい拾ってみると・・


・繰り返し、このようなことを行っているうちに、妻の我慢の糸が切れる。


・これまで積み上げてきたものを失ってもいいほどの愛おしい男が現れる。


・妻が、私から、これっぽっちも愛されていないように感じる。


それから、以下のことは、主要因ではありませんが、上記のようなことを誘発し易い要因であると言えるでしょう。


・近隣(職場や地域)に噂が立って、夫婦ともに社会的に追い詰められる。


・妻に、痛手を受けても、リカバーできる若さや生活力がある。



妻を他人に抱かせた結果、必然的に破局が訪れるという訳ではありませんが、これらの要因を総じて思うことは、

喫煙者が肺がんになる確率が高いのと同様、そう、なり易いと言えるでしょう。


また、ひとつのことだけが原因となって、離婚に至るケースは稀で、大概の場合は、いくつかの要因が複合的に絡んでいるケースが多いように思います。



「我慢の糸が切れる」・・ このことについては、このようなことを行っている以上、

当然覚悟すべきことで、避けて通れないリスクであると言えるでしょう。


夫婦の倫理を打ち破って、淫らなことをするのですから・・多かれ少なかれ、良識のある女性なら誰でも、背徳の意識や罪悪感をもちます。


ただ、女性にも個人差があり、そのことをどの位深く受け止めるか、どのくらい我慢できるか、人それぞれ異なるのです。


早い話、そんなことを想像するだけで体に虫唾が走る潔癖な女性、夫からの申し出を頭から拒む身持ちが固い女性、

そして、機会があればそんな経験をしてみたいと願う、内に淫蕩を秘めた女性・・まさに、十人十色なのです。


従って、忌まわしいことを妻に強いる夫の側からすれば、妻が繊細で脆弱な神経の持ち主なのか? 性に対して大らかで、遊び心があるのか?

将又、少々のことでは動じない、図太く打たれ強いいタイプなのか? というところまで深く考えて、事を始めるべきではないでしょうか。


禁断の行為に踏み込む初期の段階で手違いがあれば、破局の遠因になり得ると思います。




「愛おしい男が現れる。」についてですが・・ そのことが始まる前に、妻がよく口にする言葉があります。

「あなたが、望むように・・」


「あなたが、求める通り・・」


でも、これは妻にとって都合がいい理屈であって・・

一旦、私の申し出を受け入れた以上、男と一緒になって狂おしいひと時を過ごすようになることはわかっているはずです。


これは私の経験ですが、以前、男との交わりの前に、自分の心を定めて、私から離れていこうとする妻がとても愛おしく思え、

抱きすくめようとしたことがあります。


その時、両手のひらで私を押し返すようにして妻が言った言葉は、



「だめぇ! お願い、あなたらしくしてっ・・!」でした。



このように、随分と心の準備を整えて、男を迎え入れる訳ですから・・

例え、つかの間の契りであっても、この時ばかりはすべて忘れて女の悦びに身を浸そうとします。


例え、その男が妻にとって見知らぬ男であっても、魅力的な男であるならば、男の愛に夢中になって・・


「その男のことをもっと知りたい。」


「あなたのことをもっと教えて。」


と、より深い一体感を求めたくなるのが当たり前でしょう。



そして、そのことが一度ならず、二度、三度と続いていくと・・

肉体だけじゃなく精神的にも一緒になりたいという心持ちが強く作用して、所謂“上せあがった状態”になります。


妻が、そうなってしまった訳ではありませんが、夫や家庭のことを顧みる精神的余裕がなくなって、損得の打算すら考えられない程に判断が狂い、

魔がさしたとしか言いようがない状態に陥ってしまう女性もいるでしょう。


男の元へ走ろうとする妻の心を繋ぎ留めておくには・・

妻だけに責任を転嫁しないで、そのような事態が起きないよう、どのように愛情表現や工夫をして歯止めをかけるか、その方法を考えるべきだと思います。




「愛されていないように感じる。」・・ このことは、妻を寝取らせた結果にだけ付いて回ることではなく、

夫婦関係に倦怠を覚える頃や仕事が転機を迎えて忙しい時、家族構成が変わったりする時にも起こりやすいことです。


自分が夫に、幸便に扱われるだけで、温かみや思いやりを一片とも感じないとなれば、

妻も、よくよく考え、打算を働かせた上で、離婚を決意するかもしれません。



決して、得意気に話す訳ではありませんが、

私は、そうならないように、平生の家庭生活においてゆとりと安らぎを覚える時間を共有したり、自分から進んで家事を行ったり・・

たまには、食事や旅行に出かけたりすることをこころがけています。


そんな風にすると、「いいとこ、あるね。」とか、「昔を思いだすわ。」とか言って、嬉しそうにしてくれます。


おぞましい行為も、アフターケアーやフォローなど、夫の愛で包んであげると、妻も救われたような気になるのかもしれません。



「社会的に追い詰められる。」・・

都会や新興住宅地では、このようなことが起きる可能性は低いのですが、私たちの住んでいる所は、片田舎の狭い地域です。


近所に、あらぬ噂が立って、職場の同僚や道行く人たちから後ろ指を指されるような状況になったとすると、

これはもう、完全に社会的破滅を意味していて・・転居したり、職を変えたりするしかなく、離婚せざるを得なくなっても文句は言えません。


隠していたつもりが大っぴらになって、「あれが、遊びが過ぎて、奥さんに愛想をつかれた噂の男よ。」と後ろ指を指されたくありません。


そのような不幸な事態に至らないようにするには、誰しもそうだと思いまいますが、細心の注意を払って、“密か事”を行わなければならず・・

どんなに魅力があっても、近隣の方や度々顔を合わせそうな方は、妻を抱かせる対象にしていません。


私が、専ら遠出して「寝取らせ」を行ったり、妻を「貸出」する気になれなかったり・・臆病なのは、このことと深い関係があります。





最後に、愛する妻を他人に抱いてもらうというおよそ常識では考えられないことについて、今後どうするのか考えてみます。


妻が他人と褥を共にし、徐々に体を開いていく様を見ているときは、「嫉妬なんて・・何を今さら・・望んでいたことが叶って本望じゃないか?」と、

後悔はないのですが、燃え滾っていたものが鎮まると・・妻にと言うより、自分の良心に対して呵責を覚えるのです。


自己満足して、何の差しさわりもなく、その後すぐに平生の生活に戻っていける訳ではありません。



生々しいことが行われているその当場こそは、


「この姿こそ、私が追い求めてきたものなんだ・・」


「妻に対して、“焼く”なんて・・夫として、見っともない・・」


と、その行為を自分に納得させ、自制しながら・・同時に、妻のことをたまらなく愛おしく思えてきますが、

やがて、男の姿が消えてしまうと、嫉妬の燃えカスは、吐き出すことができない鬱となって心の中に沈んでしまうのです。



そして、この心の奥底に沈んだ拭い去ることができない暗い陰は、パートナーに打ち明けるべき質のものではなく、

自分で努力して、掻き消さなければいけないものなのです。


直情的な興奮や嫉妬は妻に語ることはできますが、私が望んだことに妻が応えてくれて・・

それでいて、何て言えばいいのか、心にぽっかりと穴が開いたようなうすら淋しさや、灰汁のように心に淀む恨めしささなんて、妻に語ることはできません。



同様に妻にしても、夫への背徳、不貞を詫びる心情が、鬱となって心底に積もっているに違いないのですが、

それを、夫への非難、詰責と言う形で表したりはしません。


いくら夫婦間と言っても、口にするのをためらわれるような思いというものはあるのです。


互いに、このように自分の心の中だけに秘めておこうとするのは、双方の信頼関係をずっと保っていたいと思うからなのでしょう。


そうすると、相手を労わる思いやり、気遣いや配慮が大切になってきて・・

口にしていいことといけないことを、意識的に使い分ける必要が出てくるのです。



「こんなこと、いつまで続けるの?」



よく、妻が口にする言葉です。


それは、人倫を外れた行為を行っているという後ろめたさ、体を通り過ぎていったおぞましい行為への辟易感・・

もちろん、それらの感情もあると思いますが、私の心に潜む得体が知れない陰に気づいているのかもしれません。


それで、「もう少し続けようか、それともこの辺りで・・」の答えですが、しばらくの間は、このまま続けようと思っています。



今後、私たちの夫婦関係が、どのように進展していくのかは全く不透明で、

最悪の場合、度を過ぎて、「別居」「離婚」という結果が待っているかもしれません。


しかし、仮にそうなっても、喜悦に喘ぐ妻の姿を見たがったのは私の勝手であって、「身から出た錆」なのです。


次第に変わっていく妻の姿に怯えながらも、自分が切り出したことに責任を持たなければなりません。


例え、破局が待っていようとも、心を定めて、現実を受け止めていくしかないのです。




話が変わりますが、ある女性の告白の中で、「愛のない自由より、愛のある束縛の方がずっと幸せ・・」という件を目にしたことがあります。


絶えず妻の傍に居て、悦びに悶える姿に目を凝らしている私・・

妻を男の元へ送り出さず、いつも傍に繋ぎ留めておきたい私・・

こんな私を、妻は「愛されているが故の束縛」と、思ってくれるでしょうか?



究極的に考えると、私たちが行っているアブノーマルな性愛も含めて、愛とは信頼であり、打算であると言えると思います。


信頼が崩れないようにするためには、夫婦間の関係をイーブンな状態にしておかねばならず、

その手段として、双方とも打算を働かせる必要があるのです。


振り返ってみると、互いに誓った「二人の約束」、そして、私が妻に対して行う「束縛」は、信頼を構築するための打算的な方法なのでしょう。


のみならず、もしかして、妻が私の求めに応える「了承」や体を開く前の「開き直り」といった心情までも、その範疇に含まれるのかも知れません。



性交しているときの女性は、精神的なもの・・つまり、相手のその人らしさに自分を同化させようと懸命になりますが、

短時間ではそれは無理なことであって、誠意、信頼、人間性といった深いところまでは確かめ得ないのです。


男とのセックスで舞い上がり、夢中になればなるほど・・

そのことが終わった後に、求めていたものが遠いものであることに気づくはずです。



妻にしても、一時的に男の愛撫に身を焦がしていても、どっちみち男の誠意や信頼といった精神性までは確かめられないということを、

段々と、わかってきているのではないかと思います。


一度、肌を許してもすぐに去っていく見知らぬ男と、これから先も家庭生活を共有していくはずの男

妻が、打算を働かせない訳がありません。



従って、夫の求めに応じて他の男に抱かれることを受け入れてしまったり、

「わたし、どうなっても知らないよ。」と、開き直ったりすることも、私の愛を繋ぎ留めておくための、彼女の打算であるような気がします。




「寝取らせ」とは、どういう類の情愛なのか?


以前、私は過去作の中で、

「妻が手にする“振り子の錘”が、夫への貞淑の方へ揺れるのか、それとも他人による官能の世界の方へ揺れるのか、見て楽しむ危険なゲーム」

と推考したことがあります。


今回、自分が行ってきたことを見つめてみて、

「信頼と打算に裏付けされたアブノーマルな性愛」という新たな推察を付け加え、終わりたいと思います。


濡れ場がない、独善的な問答に、長々とおつきあいくださり、ありがとうございました。