敏満寺 清涼山不動院

1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。

お知らせ

いよいよ7月になり、「おみがきもの」の月となりました。
8月はお盆やら何やらで先祖供養などの行事が多く、それに備えて、
祈祷道具などをきれいに磨いていただくご奉仕作業があります。
人数が多いと大変短い時間で済むので助かります。
祈祷道具を磨いていただくと、ご利益もいただけるのでおすすめです。
また、今月と来月の夜8時からは、夜間ライトアップも行われます。
ライトアップで明かりを灯すと、いかにも夏という風物詩です。



過去の「ともしび」は​ ​

不動院機関誌「ともしび」

とグーグル検索などの打ち込んでみてください。 ​すべてのページが読めます。

 

 

 

ともしび                

第百四五十五号

精神の統一


旺文社の初代社長、赤尾氏の著作を紹介しています。今月は、次のような内容です。

精神の統一
 いなかで、アユ、ヤマメなどをやりでついている男に会った。
 相当な急流であるが、ふたのない箱の下をガラスにして、それを水面につけて、波があっても水中が見えるようにして、そこから下をのぞきながら、魚が通ると、右手にもった細いやりを一瞬、突き出して実にたくみに魚を突きさすのである。三度に二度は突きささって、それも、背から腹にかけてまん中を真一文字に通っているのである。あまりあざゃかにゃるので、ぼくもやりをかりてやってみたが、ぼくには一尾も突けない。第一に流れの速い中を上下する魚が、波にまぎれて良く見えない。見えたと思うとすぐにどこかに行ってしまう。うまく手ごたえがあったと思うと、草の葉を突いたりしている。
 それでこの男の突いているのを注意深く観察すると、われわれがおもしろ半分にやるのとはまるで違っている。その水の中を見ている時は、眼光は人を射るがごとく、やりをもった右手には全身の力がはいって、やや赤味をおびてかすかにふるえている。「なるほど、このくらい力がはいらなければだめだな」と、感じたのである。
 この男が話したことだが、
 「精神を統一することが第一ですね。私も今から四、五年前、三十五六のころは、まったく精神統一ができて、ほとんど百発百中でしたよ。そのころは水の中をのぞきんでいても、水や草は全然見えなくて、魚だけが日の前に見えました。その後、からだが弱るとともに次第に腕もおとろえて、今では、水の流れや草など日にはいって思うように突けません」と、述懐した。
結局われわれが、仕事中や勉強中、外の音などが耳にはいる間は、精神が統一されていないのである。
われわれが勉強する時は、ほんとうに精神を統一すれば、その本以外のことは何も頭にはいらないようにならなければいけない。当然そうなるものとぼくは考える。
 この尊い教訓を与えてくれた男とも、その後は会わないが、あいかわらず山の中で精神統一に余念のないことであろう。
昭一一・八

以上です。七十年近く前の内容ですが、精神統一という点では今も昔も変わるものはありません。この名人の、魚しか見えなくて、もりを突きだしたら百発百中というのはすごい話ですが、目で魚を追うとかそのようなレベルではなく、多分自然や魚と一体化してしまって、無心にもりをついているのだと思います。
スポーツや武道の世界ではこのような話はたくさんあり、世界のホームラン王、巨人の王選手が「ピッチャーの投げるボールが止まって見える」と言ったのは有名ですし、弓の名人が弟子たちに「お前たちは心で矢を射ないからだめだ」と言って、真っ暗な中で数十発矢を射て、弟子が明かりをつけて的(まと)を見に行ったら、全てど真ん中に的中していて腰を抜かしたとか、いろいろあります。
精神統一という場合、一般的には、無心になって対象に集中するというイメージを持たれている傾向がありますが、実際には、何も考えず無の境地になるということは、非常に難しいものです。よく行われているのは、何かに意識を集中させ、それによって余計なことを考えなくするという方法です。禅宗の座禅や、真言宗の阿字観(あじかん)などの瞑想法では、呼吸を数えることによって精神統一をはかります。禅宗はこの点が徹底していて、食事の時は一生懸命飯を食い、寝るときは一生懸命寝ろと言います。一番すごいと思うのが、死ぬのも修行の一つとされていることです。つまり、「死ぬ時には一生懸命に死ぬ」、当然こうなります。
さすがにここまでいくとなかなか真似ができませんが、前にも書いたのですが、なんといっても一番のおすすめは掃除です。どの宗派でも掃除は僧侶の大切な修行とされており、掃除に集中することは、仏の悟りそのものであるとされています。時々、仏の悟りについて教えて欲しいという人が来ますが、まっとうな勉強ならよいのですが、中には、屁理屈をこねたいだけというケースもあります。こういうタイプの人に対しては、「どうでもいい屁理屈こねている時間があったら、掃除してあなたの心をみがくほうがいい。」と言うのですが、これが一番正しいやり方なのではないかと思います。屁理屈こねても時間が無駄になるだけですが、掃除してもらうと周囲がきれいになりますから、本人にも周囲にもいいことばかり、ということになります。          


 

合掌



                          合掌
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高野山真言宗清涼山不動院