1400年の伝統を持つ寺院です
宗旨宗派を全く問わない、どなたでもお参りしていただけるお寺です。
1400年の伝統を持つ寺院ですが、葬儀・法事は言うに及ばず、人々のお悩みにお応えするため、様々な宗教活動を行っております。
お知らせ
今月28日は花祭りを行います。子どもさんの参拝にはお菓子のおみやげがあります。
また、5月5日の端午の節句向けとして、「鍾馗(しょうき)」さんにちなんだ話も行います。
鍾馗さんは病気よけの神様として信仰を集めていますので、コロナの時代にはぴったりです。
今月も午前10時と午後8時に法事・法話を行いますので、ぜひご参拝ください。
過去の「ともしび」は
不動院機関誌「ともしび」
とグーグル検索などの打ち込んでみてください。 すべてのページが読めます。
ともしび
第百四五十二号
四月二八日発行
自分のことになると
ここのところ、旺文社の初代社長、赤尾氏の文章を引用しています。文章はここからです。
自分の事になると
二月に家族をつれて伊豆に出かけた。子供たちを自動車に満載し自分で運転して出かけたのである。湘南の整備された道をドライブする気持ちはさすがにすてきで、アメリカあたりのドライブウェイとあまり変わりはなかったのであるが、さて一泊して翌日になると、ぐあいが悪くてどうしても動かないのである。私の自動車に対する知識をもってしてはいかんともしがたい。二十年以上も運転をしているのであるが、根が大体だんな芸で自動車で生活したわけではないので腕が甘いのである。油でまっ黒になって機関部を分解したことのない腕では、深部の故障は手がつけられない。やむなく会社の近くの本職が、気の毒に新年早々のトノを味わっているのを呼びよせて、修理させたのである。本職がくるとすぐにわかる。連結盤が摩滅していたのである。新しいのと取り替えればなんでもないのである。
新春の街頭で、あざやかな手つきで修理する専門家の技術をながめながら、しみじみと感じたのである。人間というものは自分の事になると、たわいもなくボロを出してしまうものであると。運転手をつけずに自分で運転して遠出するのであるから、当然徹底的に整備しておくべきなのである。自動車の整備なんてそんなにむずかしいものではない。専門家が入念に点検すれば、まずまちがいはないのである。途中で故障を起こしたり、動かなくなるのは九九%まで整備が不十分なのである。
若い青年が近よってきて、「赤尾先生ですネ」という。土地の商店の息子さんである。退屈まぎれにいろいろと話をしていたが、車のことになると、「先生の車でも故障するのですネ」「そのとおりですよ。他人には説教めいた事が言えても自分の事になるとまったく情けないもので……」ふたりとも大笑いした。真にみずから反省することの困難さを知った新年であった。
昭和三十年三月
原文はここまでです。旺文社は受験雑誌「蛍雪時代」を発行していることからわかるように、氏は青少年教育に情熱を注いだ人でした。私も高校教師なので身にしみてわかりますが、人には大層な説教をしていても、自分のことになるとさっぱりということが往々にしてあります。新聞部の顧問をしていたことがありますが、一番困るのが先生方への取材で、相当前から原稿の依頼をしておいても、まず期日に出してくれません。催促に行くと「忘れた」「用紙をなくした」ならまだましなほうで、「今忙しいのに何で来る」と文句言う人もおり、生徒たちは「期日守れとかさんざん言っておいて、自分が一番できてないじゃないか」と言って怒る怒る。なだめるのが大変で往生したのを思い出します。先生の子供にはめちゃくちゃ優秀か、すごくグレてしまうか、両極端な傾向が出やすいように思うのですが、先にあげた悪い側面が家庭内で出てしまうと、残念な結果になってしまうのではないかと思います。私は僧侶でもありますが、困ったことにこのことは僧侶や神主についても言えてしまうようで、「欲を捨てよ欲を捨てよ」と人には説く立場にありながら、一番欲深いのは実は当の本人だったりすることが結構あるものですから、始末が悪いです。困ったという声が多いのが、ご葬儀などで
「お布施はいくらくらい包めばいいのでしょうか。」
と質問すると、たいがいどこのお寺でも、
「お気持ちで結構です。」
とお答えになるのだから、困って適当な金額を包んでいくと、
「これでは少ないです。足りません。」
といって突き返されてしまうケースです。全然「お気持ちで結構」になっていません。私はかりにも宗教人が、「お気持ちで結構」と言った以上は、たとえお布施が100円であろうが喜んで葬式をするべきだと思うですが、宗教界ではこれは主流の考え方ではないようです。自分のことになると、全然欲が捨てられていません。
同様のことはどの職場でも言えるようで、「最近の若いやつは礼儀がなってない」などと文句を言う人が、実際には当の本人が一番礼儀がなってなかったりして、周囲は「よりによって、お前が言う?」と、あぜんとしてしまうことも結構あります。「自分の上の星は見えない」ということわざがあり、「他人の運命を占う星占い師でも、自分の運命はわからない」という意味ですが、誰にも当てはまることなのでしょう。大層なことを言う前に、まず自分を振り返って反省したいものです。
合掌
合掌
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高野山真言宗清涼山不動院