2006 6/2

2006年5月31日でこれ(HP)を終了する予定だったのですが、二日ものびてしまいました。すみません。

何においてもそれにつけてもおやつはカールなぼくは、何事も期日を守るのが下手くそで苦手で、いつも色んな人に迷惑をかけてきました。

例えばレンタルCDなどはいつも延滞料金を取られたりしますし、まあそれはお金で解決する事柄ですのでいいのですが、無料の図書館なんかで返却が遅れたりする場合は毎回嫌味を言われたりしていつも返却時はブルーなものです。

そういえば、小学生の頃の夏休みの宿題なんかは必ず8月の31日に始めて、歯磨き帳とか日記なんかも誰が見たって一日でやろうとした跡がびっしりと残っているのに『絶対わかるわけない、だって先生ってバカだもん。』なんて思って信じてたし、そんなこんなを今書きながら思い出してみましたが、「ああ、人間とは本質的には何も変わらないんだな」と再確認しながらこの最後の日記を書いているのです。

2006年5月31日でHPを終了することはもうずっと昔に、それはそれは平賀源内がエレキテルを発明するよりもずっと前から決めていたことですのでこれはもう本当にその割には二日も遅れてしまいなさけないやらこっぱずかしいやらで父ちゃん涙が出てくらあ、なゴーダです。

それにしても家に帰れば、家中のスイッチというスイッチがすべて電源ONの状態にされてしまっているのは、そうです、こいつです。
                        ↓
               

スイッチを押すのが趣味だということはわかりましたが、お父さんの乳首はスイッチではありませんので風呂場で何回も何回もしつこく押すのはもうやめてください。もうすぐ一歳になるんですからね、あなたも。


でも、本当にこんなHPを見てくれてた皆様ありがとうございました。

そーいえば、女房のHPの隅っこに顔を出したのが2002年でしたからもう5年になるんですね。
あの頃は、、もう、、(ムシャムシャ、、)右も左もわからず(、、ムシャムシャ、、)ちょっと待ってください
、、。
『 おーい、おかあちゃーん、板チョコの割り具合がちょっと「やっつけ仕事」になってるよー。』

すみません、えっと、どこまで話してたんでしたっけ。

ああ、板チョコでしたね、いやあ、うちの女房が、板チョコは食べやすい大きさに割ってタッパに入れとくのが我が家の主流なんですがもうでっかいでっかいイビツな三角形に割れてたり、とにかくあの企業側が用意してくれてる線どおりに切ってるのは一枚もないんですわ。そうですね、例えでいうならガラスをばりんて割った感じが一番近いですね。

何でそんなことをするかというとですね、銀紙から割って食べると僕がぼろぼろこぼすからなんですね。

だから女房が、買ってきたチョコを割ってタッパーに入れてくれてるんです。
どうですか?ぼくダメ人間まい進中でしょ。

これがね、ぼくはだいたい娘の相手もほとんどほったらかしで1人で本読んでたりするんですが、何か静かだなあ、なんて思ってたら娘の口のまわりがドロドロチョコでまっくろだったりするんです。

だいたい幼児が静かにひとりで遊んでいる時は十中八九ろくなことしてません。


あいつまだ0才児やのにチョコ食べとる。勝手に。
しかもきっついのを。

ていうかタッパーのふた開けっ放しにしてる俺が悪いんやけど。

こんな時のコツは『大声を出さないこと、速やかに対応』です。
これが女房にバレたらぼくはこっぴどく怒られます。声を出さずにまずはタッパのふたを閉めます。
その時に娘をそのタッパから引き離してはいけません。

泣くから。
泣いたら口のまわりがチョコだらけなのが女房にバレてしまいますさかい。

そしてタッパで遊ばせておいて、そのあいだに「ささっ」とティッシュを取りにいきます。これ間違ってもハンカチやタオルはいけません。そんなので拭いたらバレバレですから。

ティッシュを濡らして、それでまずは絨毯や机などについたドロドロに溶けたチョコを拭きます。
顔よりもこちらが先。(←最重要事項)

顔なんか拭いたらすぐ泣かれてバレますから。 まわりをきれいにしといてゆっくりとまずは手を拭く。

手は泣きませんから。しかしゆっくりと。
そして最後に一気に顔を濡れティッシュで拭く。ここで大泣き。めちゃ大泣き。
ティッシュは自分のポケットに速攻IN。女房駆けつけてくる。「どうしたん!そらちん!」

僕、「あれれ。どうしたんかなあ。ほーれほれ。(抱き上げる、あくまで冷静を)」

そしてティッシュはトイレでポイ。

これで娘も女房も笑顔で安心。一家円満。

ね。 夏休みの宿題と一緒で「バレてない」って信じてるぼく。何も変わってないでしょ。




 長い間HP見てくれてありがとうございました。 
           
                       ゴーダ











2006 5/14

           

この画像(携帯)を撮って、わかったことが一つだけあるのです。
それは、くれよんしんちゃんを描いた人は物凄く自分の子供(しんちゃん)を愛していたということ。それはもう本当にたまらないほど。

        ★
今日もあいかわらず女房が買い物をしている間に、そ〜っと、カール(うすあじ)を買い物かごに忍ばせているゴーダです。それはともかく文字がデカイのはあまり気にしないでください大した意味はありませんから、っていうかぼくの書く文章に深い意味なんぞありませんから本当にこれ参りました、って何か食わず嫌いなセリフですがぼくは相変わらず胡瓜がどうしても食べられないのですが、娘に目の前でパクパクと食べられた日にゃ、0才にして早や父親をまたいで軽々と踏み越えて行き、親父立つ瀬無しでまたもや暗い部屋の隅っこで膝を抱えて座っている毎日なのです。

ここ一週間以上もうまともにTVも見ていない状況ですから一体世間では何が行なわれているのか、何か地球上における生命としての重大な発展があったのかどうかさえ知らないという非国民な、いや、非人類なぼくですが、おそらくまだ自動車は石油で走ってるのだろうし、結局その資源の取り合いで世界もキュウキュウしてるのだろうから、例えば今日だってこんなにいい天気の日曜日に窓を開放させてウクレレでプレスリーのBLUE HAWAIIなんぞを娘に歌って弾いて聴かせてたら、何だかとても深刻そうな顔をしたおっさんが憲法9条を守ろう会の署名を頼みます、なんて我が家にやってきて、自衛隊が戦争することになってもいいんですかって言われて、ぼくはただ愛する娘に天気がいいからプレスリーを歌ってやってただけなのに困ったなあ、という表情で「9条を変えるとか変えないとかはわかりませんが、たとえば自衛隊が戦争に行くことを偉い人たちが勝手に決めたとして、若い人たち自身がそれでも戦争にいく、行かなければならない(たとえば金のために)んだという人がいることのほうがずっと問題だと思いますが。そんな人はいないと願ってますが。」なんて言ってみたものの、『こいつは阿呆だな』っていう変な笑顔で去っていったのでどうやら僕は見当違いな返答をしてしまったみたいで申し訳ないものです。
それにしてもこんなだらだら長くなるんだったら小さい文字にすればよかったなあと少し後悔してます。

久しぶりに買ったCDは、Bill Evans trioの「Waltz for Debby」で、「Portrait in jazz」と迷ったんですがタイトル曲のtake1がボーナストラックで収録されてたので前者に決めました。えっ?今さら何言ってるんですか、こんな名盤中の名盤を持ってないわけないでしょう?って言われても持ってないんですっ。CDでは。

最近我が家はまるで保育園のような「おかあさんといっしょ」状態になっているのでここらでストップかけておこうという僕の密かな策略を女房は知らない。






2006 5/6

ここに、ある一人の住所と名前が書かれたメモがある。


そのメモを僕に渡した彼は、いわゆる物凄く変わった人間でありながらおそらく誰の印象にも残らなかった、そんな風な印象をぼくは持っている。
彼は確かにそのメモを渡す時にこう言った。

「ぼくはこうやって住所と名前のメモをみんなに渡して年賀状をお願いしてるのです。それがぼくがこの世に生きている証だと信じられる証拠になるのです。馬鹿馬鹿しいことなど承知の上なんです。必ずお返事しますのでお願いします。」

ぼくは基本的に年賀状は一枚も書かないと随分昔に決めた人間である。
その趣旨、理由などはいちいち言わないがとにかく書かないことに決めたのだ、と断った。
 それでもいい、とにかくこのメモを受け取ってください、もしかしたら気分が変わって書きたくなることもあるかもしれませんし、と言って彼にしては珍しく強引にそのメモを渡してきた。


彼は自分でも言っていたようにかなりの哲学文学少年であり、特にカミュの信奉者だった。
そんな彼がある日ぼくに読んでほしいといって持ってきたのがカミュの「シーシュポスの神話」だった。
その本は厚さ5〜7mmくらいの薄い本だけど、その中は付箋やらアンダーラインやら色ペンなどで彼の読んだ手垢がびっしりと詰まっているシロモノで、厚さも1cm以上に分厚くなっていた。

『 キモっ 』

これはその時の僕の正直な感想だ。

おそらくぼくが普段、哲学的なしゃべり方をしたりするから興味を持ったのだろうが、ぼくはカントやニーチェをかるくかじった程度で正直言って哲学者や文学者よりは絵描きや音楽家のほうの思考や人生に惹かれていたので、別に本を借りるのはいいけど少し困惑していた。

そしていつまで経っても読む気のないぼくに痺れを切らしたのか、その手垢まみれの本ではなくまっさらの本をわざわざ購入して取り替えてくれた。

ぼくは今は読む気はないんだ、と伝えると、いつでもいいです、読みたくなったときでいいですから、ただ、ゴーダさんには読んでもらいたいんです、ゴーダさんならわかってくれると思うんです、と言って今すぐ読むことにはとくに気にはしていない様子だった。

彼と一緒にいる時は必ず哲学的論争のようなものをやりあった。

彼はいつも、「ゴーダさんは実存主義者なんですね」と言っていた。はたしてぼくがいわゆるサルトルの言う実存主義者なのかどうか今でもわからないし別にそれ(実存主義)でも一向に構わないと思うし、その時も同じように答えていた。

ぼくは哲学的思考や論争など二のそのまた次でいい、それよりも今この自分のなかに沸き起こる感情や状態を外に向けて表現することが今のぼくにとって大事なんだよ、というといつも「それを実存主義というんですよ」と言っていた。
ぼくは、彼と話していると楽しいのだけれど何かがひっかかる、何かが気になる、と思っていた。
それは彼が人生の中で一番大切にしてるのが、出会った人から年賀状をもらうというただそれだけの、本人にとっては物凄く大事なことだろうが、それに終始こだわっていることにも関係していると思ってた。

結局、彼は何らかの理由でその同じ職場を突然辞めることになった。
そしてその年の正月、彼からの年賀状は結局届かなかった。

それからぼくは何度も引越ししたし、実際その彼のことなどすっかり忘れてしまっていた。

それを思い出したのはそれから何年も経った後、ぼくがインドのバラナシにいた時だった。
ガンジス川沿いをぶらぶらとしていた時に葉書を売っている小さな子供たちを見つけて、突然そこから日本に年賀状を出そうと思い立ったのだった。もちろん年賀状を出すのは10何年ぶりだった。

たまたま財布の中に彼のあのメモが入っていたといえば確かにそのとおりなんだけど、なぜかそのバラナシというシチュエーションで文章を書くには彼はピッタリの相手だった。

ぼくは子供たちから買ったぼろぼろのハガキに、彼に宛てて年賀状を書いた。


   おひさしぶりです。ゴーダです。
   今はインドのバラナシです。
   約束守ります。
  
                Goda



短い文章だけど、ぼくのすべてを表していた。彼ならわかってくれるだろう。きっと。
しかし、日本に帰ってからも彼からの年賀状は届かなかった。


そしてある日、風のたよりで彼はずいぶん前に自殺したことを知った。


               ★

ぼくは今日、久しぶりに天気のいい太陽のもとでカミュを読んだ。
青空は高かった。あの青色はどうやったら出せるのかな、なんて考えていた。
はるか上空をまるで止まっているみたいに飛行機がゆっくりと飛んでいた。
ああ、あの飛行機はどこへいくのかな・・・。



そしてぼくは今日、そのメモを破り捨てた。






うわああーーーっ

ま、間違えてました。


RABQの曲。あれ?NARQだったかな?ていうかバンド名すら知らないし。 この前の日記。

13ではなくて12曲目のBonanzaという曲です。

は、恥ずかしいったらありゃしない。

だってそれ以外は、ふっつーの曲ですもん。
それだけなんす。それ一曲だけ!

こちら↓
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000IFWX/qid=1145449332/sr=1-47/ref=sr_1_2_47/249-4196933-8355542




2006 4/19

先日、PC(ノートPC)を横にして本を立てるような状態にして、自分も横に寝そべって両手でキーを打つという画期的なぼくのスタイルを紹介して、自分は天才なんだろうなだってこんな事思いつくんだもん、と鼻が5mくらい伸びて僕の前を行く人はみんな僕の鼻をよけるためにしゃがみこんだり平伏したりしている気持ちで生活していたのです。

ぼくは友人宅で、友人のノートPCを横に立てて横に寝そべってグリコのメンズポッキー(ビターチョコ)を食べながらアマゾンの視聴を聞いていました。




「・・・・・。いや。じゅんさん素晴らしいスわ。いや、まったくほんとに・・。
 ・・・ただ、・・・人間とはここまで堕落できるものなんですね。・・。
 いや・・ほんとに。それは何か越えてはいけない線を飛び越えてしまってると・・。」

(関係ないですがアマゾンの視聴で、NRBQというバンドの「RIDING IN MY CAR」というアルバムの12曲めは最高の演奏です。ああこれがぼくの求めていた音楽です。そしてこれこそが音楽です。)


「ていうか家でもそのスタイルなんすか?」 「うん。」 「奥さんとか何も・・?」 「うん。あ、でも『かしこいね』って言ってもらったよ。」 「・・それは微妙な表現・・ですね。」


そして、この場で全国1億何千人のみなさんに、このぼくのスタイルを実践しておられるみなさんにお詫びをしなければなりません。

この方法だとパソコンが固まってしまいます。(万歳まんせー)

どうも最近PCが固まるなあ、新品のノートPCなのにおかしいなあ、と首を傾げていたところ女房が、

「あのな。そのスタイルや。精密機械をそんな風に立てる奴がどこにおるんよ。」
いや、ここに・・しかもみんな真似してるでたぶん。
「誰もせーへん。」




NRBQの12曲目の視聴は↓をクリック
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B00000IFWX/qid=1145449332/sr=1-47/ref=sr_1_2_47/249-4196933-8355542






2006 4/11


つかまり立ちをしながら何やら聞いた事もない言語をあやつる娘に多少困惑気味のゴーダです。


         

毎回洗いたての湯船に娘がかならず放尿することは、別段気にはしていないのですが、ピカピカにワックス掛けした洗いたての車が翌日黄砂まみれの大雨に晒されてしまうことは僕にとって耐えがたいものがあり、こんなにストレスを感じてるんだから大好きなモスチキンを2個食ってやるぞと誕生日プレゼントにモスチキン2個をたいらげてプレゼント終了で御満足、という非常に安上がりな父親を演じてます。
 
演じてます・・?


誕生日で思い出したのですが、
はるか昔、紀元前の時代に現在のネパールで生まれたゴータマ・シッダールタ(後の釈迦)は世の無常を嘆き、29才で妻子を捨てて家出し、それから6年後の35才の時にインドのガヤと呼ばれる地の大樹の下で悟りを得て、その教えは現在も悩める衆生に光をあてているという。

ぼくは釈迦が35才で悟ったと言われるその年齢の誕生日をワックスかけした車を汚した天気に腹を立て、その代償に鳥の肉を必要以上食べることで怒りを沈静化するというまさに釈迦が薦めるであろう教えとは180度違う行為をすることで一日を過ごしたことに、実は逆に変な誇りを感じてます。

誇り? 


誇りといえば最近父親の威厳を損ないつつあるぼくですが、早くも『父親?そんなのいましたっけ病』にかかっている娘に一生懸命父親の存在をアピールするものの、どうしても彼女には僕の存在が目の前のコップやスプーン以上の価値がないと認識されており、なかなか流石に自分の子供だなあと思わざるをえない娘ですが、彼女をホフク前進でこちらに猛進させる最後の手段がウクレレ演奏という反則技なのです。

それはもう「はなこさんチューニング」を奏でるだけで宗教団体ジャニーズ教に傾倒している婦女子のように奇声をあげ『なんやあんたそこにおったんかいな』という顔で父親の存在に気付き突進してくるのです。
そしてその娘の突進に、『勝った・・』と思う35才。

でも2〜3曲ふにゃふにゃと好きな曲歌って横を見たら 
もうおらへんがな。



絵は毎日夜に集中して描いてる。毎日。
その毎日の躍動的で規則正しい循環は回転を生み、僕自身をしっかりと円心に向かわせ、その回転で生じた遠心力は外側に飛び出す力を生み、その内側と外側のバランスを保つのに精神と肉体と魂との三位一体となるべき三つの融合の必要性を強く感じずにはいられない。

それは結局自分自身の問題であり、それぞれ個人がそれぞれの航海に舟を出したのであり、そここそが人類が希求したサンクチュアリであり誰も介在出来ない聖域であり、そしてそこには社会性や家族、大きく人類といった物事とは別の次元の大切な生命の息吹きが存在しておりそれこそがかつて釈迦が言い残したサイの角のようにひとりで歩まなければならない道であり、使命を探す迷走の旅を今も続けている迷える子羊たちにとっての岩陰から射し込む一条の光なのである。

その一条の光とは神でもなけりゃ仏でもない、探し求めた答えが書面に記されているわけでもなく、何もない、
その光の先にはただの鏡が置いてあり、そこに写るのは当然、自分。
要するにそこは自分で歩む以外他に方法はなく、従者もいない、従者は自分。
この世界に他の住者はなく見えるものはすべて幻想でありその営みも全部しかり。すべて自分。
釈迦が伝えたかったことは言葉にするとcheepで誤解を招いてしまうもので、下手すると混乱をまねくだけの表現になりかねない場合もじゅうぶん有り得るものでして、言葉は絶対ではないし、そもそも絶対などというものはこの世に存在しませんし、言葉はロゴス、肉体、そしてツール。


娘は今日も相変わらず風呂の中で放尿をしている。 湯船につからせて4.2秒後にいつも。
風呂に入れる時は必ず娘の股をおさえて尿が放たれてきたらすぐさま湯船の外へ、放たれたら外へ、ということをやってたんですが、最近は『 知らん。垂れ流せ 』とばかりに無視して湯船はほんのり箱根温泉のような硫黄臭。
後で入る女房が湯船のお湯で髪を洗ってるのはもちろん承知の確信犯。

「最近風呂のお湯が変な感じやなァ」 
「えっ、そーか?あれちゃうか、雨が多いしーなんや水道のちょーしおかしいんとちゃうかな」
「ふーん、なるほどなあ、そうやな!ほんならしゃーないな!」と納得する34才おんな。

・・・納得してはる・・。


いや、この人と一緒になってよかったな。





4/3

先日雨がざあざあと降りだしたので会社には気分が悪いとかいつものように適当に理由をつけてさっさと早退して、雨降りの中を洗車したての水色のekワゴンで久しぶりに古本屋に寄ってみたら、ずっと気になってた村上春樹の「風の歌を聴け」が文庫本のコーナーでぎゅうぎゅう詰めでとても窮屈そうな状態で置いてあり、ああよかった、今日はなんかイイ事がありそうだぞ、早引けして正解だったなあ と思ったのはいいけど、イイ事ってその文庫を見つけたことなんじゃないかなって今これを書きながら気がついたのです。

それにしても、窮屈そうな状態だったその本を本棚から抜いてあげても依然として窮屈さは変わらないほど薄っぺらなぺんぺけぺんの本だったのですが、中古で250円とはちょとびっくりな値段の高さでして、まあ本の状態がほとんどサラ同然だから仕方ないか と思いましたし、もともと352円の本だからもうちょっと下げられないのかと横で暇そうに本の整理などをしてる
フリをしてる店員に聞いてみたのですが、どうもそこのコーナーはそれ以上下げられないらしく、状態もいい本ですのでねえすみません。と謝られた。

何も謝らなくてもいいのに、と思いながら じゃこれください と伝えたら、お会計はレジのほうで とまったく心こもらないマニュアルどおりの対応でさっとかわされて、ああここもしっかりと職業分担の教えが広まってるんだなあ、日本国万歳まんせーと心の中で両手を挙げながら涙ぶわっな顔を思い浮かべた。

そうやって今目の前にあるこの「風の歌を聴け」ですが、実はまだ10ページしか読んでません。
村上春樹の本は独特の世界観があるのでその中にしっかり没入しないとぼくは楽しめないのです。
ちょと読んで娘あやして、ちょと読んで娘あやして で10ページ。そしてもう読む気なし。
またいつか読み終わったら感想を書きたいな って読み終わってからこの日記書けよとも言えますが。

というわけでだらだらと意味もなく長い日記になったようなので( 注:すみません編集で三分の二ほどカットしました)、ああごうだくんは今もんのすごくひまなんだなとわかってもらえたらぼくもこの星にやってきたことに意義を見出せますし、エンパイアステータスビルから自分が神であることを証明するために飛び降りることもなくなるわけでして、たとえ洗ったばかりの浴槽に娘が中ですぐ放尿しても笑顔でいられますし、栗原さんちのデザートシリーズの新製品が出たと大騒ぎすることもありませんし、甲子園でぐーちょこらんたんが見られないと血なまこになってNHKに怒りの電話をすることもありませんし、野菜生活のベリーバージョンが出たと皆にしつこいと言われるくらい教えてまわることもありませんし、1円安いからとわざわざ遠い給油所まで行っても20円しか安くならず、そこまでのガソリン代の方が遥かに高いこともすぐ気づけますし、、、いやほんとに。

☆☆☆☆☆

折角、楽しみで買った村上春樹の「風の歌を聴け」もあっさり2時間で読み終えてしまい、物語の内容も同じようにあっさりテイストで、その期待してた分、何もかもがあっけなくあっさりで流石に352円だ、中古で250円ならまあいいか、と開き直ってますが正直言ってしまうとぼくはこの手のものは結構好きなのです実は。あっさり感も。
でももんのすごく練って書いてますし、あっさり感を出すために読みやすい文章にするっていうことは物凄く難しいことですし。

そういえばぼくがおそらく自分の人生の中でもかなり上位を占めるほどの大好きな文章があったんだけど、なぜか今思い出そうとしても全然思い出せない。どんな内容だったのかもさっぱり。今ぺらぺらとめくって探そうとしたけどみつからない。
普段のぼくならば、そんなお気に入りの文章は何が何でも探し出して暗記するくらいのことはやるのですが、そんな行為じたい意味のないもので、別に何も啓蒙してる本ではないし、例えどんなに心に響いた文章があったとしても別にいいじゃないか、その時はまたもう一度読めばいいんだから、短い小説なんだし って感じで、

そんな風に思わせる力を持っている、そんな本だった。






2006 3/31

世界がガラッと変わる

そんな出来事を現在地球に住む誰もが潜在意識で願っているのです。
だけどそれは実は決して自分が始めるのではなく、出来るだけ傍観者の立場でという意味で。
誰かが変えてくれるだろう、もしくはいづれ変わっていく変えてくれるだろう。
しかし残念ながら実は今回の人類が誕生してからずっと今まで同じようにずっとそう願ってきたのです。
そしてその痺れを切らした勇気あるものだけが歴史を前に進めることを決意したのです。
勇気あるものはその決意のために人生を賭け、死に、そしてもう地球には戻ってこなかったのです。

それゆえに地球にはもう痺れを切らすような狂った勇気のあるものは段々いなくなり傍観者の巣窟にめでたくなったのです。

そしてやっと混沌とした星が、あるひとつの目的意識のなかで永遠に生きることとなったのです。

                                         − ヤン・ジェイ・ダグォ −



娘がつうっと涙を右目から流している。

それは不思議なほど美しい光景であり、その無垢な精神にだけ宿ることの出来る生きた瑞々しい肌はその流れ落ちる涙を弾き飛ばすことなく逆にしっかりと捉えていた。
その涙はまだ妬み恨み無理解などの毒を受けていない純粋な肌を通ったため、流れ落ちた後もその体内から生み出された時と同じ状態のままのこれまでに見たこともないほど綺麗で透き通った水だった。
そしてぼくを見つめる上目づかいな瞳は漆黒ではなく光を捉えることの出来る輝く黒であり、そこには心配しながらもそのつうっと流れ落ちる涙の光景に感動している瑞々しくないいろんな影響を受けた肌を持ったぼくが写っていた。

娘は口を開けて何やら言葉をだそうとぱくぱくしたけれどそれは声にはならず、その音だけがこの静まった部屋の中に響いた。
そして、また娘は一粒の涙を流した。

本来人間とはわざわざ音を発しなくとも会話が出来るのものであり、かつて遥かなる昔にはそれがごくごく当たり前のこととして用いられていた。要するに人間は退化したのだ。

娘はぼくに寄り掛かるように倒れてきた。
ぼくはその小さな身体をしっかりと受け止めた、とその瞬間、ぼくは湖のボートの上にいた。

それは頂きに雪を被った高い高い山のふもとの湖だった。
ぼたぼたとピンボール位の大きさの雪が音も立てずに静かに降っていた。
真横では煙草をくわえながらシカラと呼ばれる手漕ぎ舟で荷物を運んでいる髭づらの男が舟を漕いでいた。
ぼくは自分の舟から一生懸命その髭づら男に何か叫んで訴えていた。
ぼくの腕の中には今にも息絶えそうな娘がぜえぜえと荒い呼吸を繰り返していた。

『 娘を助けてください、病院に連れて行ってやってください 』

ぼくは長い髪をチャドルと呼ばれる布で覆って隠している少しやせた女だった。
ぼくは自分の足元にある火鉢のようなものを売って生活の糧としていた。
それは男たちの間では『winter wife』と呼ばれ冗談の種になっていたが、それでもそこそこ売れていて、食って生活する分くらいは何とかなっていた。

髭づらの男は憐れな者を見る目つきでぼくを見てこう言った。
「おねえさんよ、もうその子はだめだ。ひどい病に冒されてる。もう助からないんだよ。」
ぼくはとにかく叫び続けた。誰でもいい、娘を助けてくださいと。
そして神に祈った。
娘を助けてください、娘を助けてください、どうか娘の代わりに私を殺してください と。

抱えている娘の右目からつうっと涙がながれた。



寄り掛かってきた娘のおでこを触ると物凄く熱かった。
やたらと涙をぽろぽろ流すのでおかしいと思った。体温38.6度。
ぼくならふらふらで何にも出来ないただの女房のお荷物になる温度だ。
すぐに車で飛ばして近くの病院に連れて行ってやった。
お医者さんは大丈夫、ただの熱だよと言ってくれた。
ああよかった。そうかただの熱か。父ちゃん心配したぞ、そら。

そらはまた口をぱくぱくとして何か言ったようだったけどそれは声にはならなかった。







3/27



ちゃんとハイハイが出来るようになったので、呼んでやるとホフク前進でこちらに向かって突進してくるのですが残念かな、ぐーちょこらんたんの引力には手も足も出ず、この一所懸命手拍子してる自分の両手の空(くう)を切るやり場のなさといい、その上、娘の可愛さにだらしなく鼻の下の伸びた自分の今までかつて誰も見たことのない表情といい、ああ、もうかつてのごうだじゅんやは死にましたみなさん、もうあの頃のぼくではありません、魂を売ってしまったのかも知れません、今までお世話になりました有難うございました。




あの頃のぼくは生まれた頃、こんな眼光でした。
それにしても今もまったく変わってないです。ぼくはこの頃から何にも成長してないんですかね。

 



3/19

  
 立つんだジョー!


じいちゃんが亡くなってまだ日が浅いので喪に服するためにしばらくはHPを休業だなんて一体どの口が言い出したのか、本当にサボタージュ大好きなぼくはついさっき『あれ?じいちゃんの命日っていつだったっけ』なんて栗原さんちの抹茶レモンぷりんを食べながら寝そべって片手でネット検索なんぞをしているものですからこれ、自分に厳しい喝を入れなきゃならんと本気で思い今このようにHPを更新させようとがんばっているのです、、、って、何それ。

せっかく頑張ってPCにむかっているというのに今、真横で流石の我が娘、突然あほ泣きを始めやがったのでちょっとうつ伏せにして上下も反対にして南枕にしてやったらおやまあ、お静かになられたじゃないですか。

それにしてもどうしてこうネットでこれだけ調べたというのに本気で絵を描いてる人って少ないというかまだいない、見つけられてない、のは本当に残念でありやつぱり本気で絵を描いているような人はこんなPCなんぞましてやネットなんぞやっておられないのかなあ、とも思っている次第であります。実際、こんな時間あるならば絵を描けよとも思いますし。

でもそれはもう本当に悲しいことでして美大などの学校を出ていないぼくは絵を描いている知り合いなんぞ一人もいないものですからとにかくもう本当に「張り合いがない」状態でして、こういったものは音楽にしても何にしてもライバルというか張り合いのある友がいてはじめていい作品も生まれるのでして、ああやつぱりおれはそんな境遇に恵まれてない、要するにそこまでの絵を描くような人間じゃないんかなとどこまでもマイナス思考を満喫しており、そういえば最近、プラス思考とかいう言葉も聞かなくなったなあ一時何につけてもそれにつけてもおやつはカールっていうくらいやたらとプラス思考プラス思考と麻原のショーコー歌のように世間は騒ぎ立てていたけどもうそろそろ飽きてくれたのかななんて世の中の本当の発展にちょびっとばかり思いを馳せつつ、毎日画面(絵の)にむかって油絵の具を塗りたくっては削ってをぐちゃぐちゃとやっているのでございます。

ちょいとばかしエンジンがかかってきたようですが、このHPもどれも中途半端なのでせめて旅行記ぐらいは完成させたいななんて思っているのですがなにぶんもう五年も六年も前の旅行に意識を変換させることが難しく、インド料理屋さんでかかっているBGM なんてCDを聞きまくってまるでマリファナを吸ったときのように意識をトリップさせてるのですが今度はそのトリップ感が気持ちよくてただの現実逃避になってしまい、文章にするという行動に移らないんですよね、って文章はもう出来てるんだけど。

それにしても今、横に寝そべりながらノートPCも横にして本をたてるような形にしてPCを立てて、両手でタイプしてるのですが、これいいですね。 いやほんとうにこれいいですよ。寝そべりながら楽々と両手で出来ますし。うつ伏せだとしんどいですがこの横の形は楽です。ま、女房は呆れてますが。

ちなみに今日3月19日は女房の誕生日なのであります。


3/12



祖父が亡くなったため帰郷。
96歳だった。
ぼくがじいちゃんの安らかな死に顔と対面して出てきた言葉は 「じいちゃんごめん」 。
さんざん迷惑かけたので。
じいちゃんが助けてくれなかったならば、ぼくはとっくに自殺でもして死んでいただろう。
今こうして恥さらしながら人生を無駄遣いしながらも生きていられるのは祖父のおかげである。
その祖父が亡くなった。


実家にはぼくの絵が飾られている。
上の絵はぼくが初めて描いた油絵で、実家にもう10年以上住み続けている猫のシェリーを描いた。
シェリーという名前は当時母親がハマっていた尾崎豊の歌からだと思う。
母親は息子が家を去っていく寂しさを紛らわすためにシェリーを買った。

そんな母親の心の支えになっているペルシャ猫シェリーを描いた絵。

 





何たる御粗末。ちなみにコッケイ議員(あっコッカイか)のみなさんの茶番劇のこととは違いますよ。
ぼくはコッカイ議員の皆さんにはメールとかそんなことよりももっと年金やら税金やら税金の無駄遣いやらいっぱいやること山ほどあるでしょうにと言いたいだけです。ま、期待などしてませんが、あれぼくが毎日労働して得た金からふんだくった金でやってるんだと思うと無視できませんがな。税金でなけりゃ汚職しようが何しようが好き勝手やってもらってもぼくは全然構いません。

んじゃ何が御粗末かというとそれとは全く関係のない「お弁当」のことなんです。
ぼくは仕事がお外の仕事なのでどうしても昼は外食になりがちなので現在育児で忙しさの極みをつっ走っている女房に無理を言って朝に弁当を作ってもらうことにしたのであります。って←この1行で子育て奮闘中の主婦のみなさんの反感を買うでしょうが。

また、お弁当箱も「誰がそんなに食べるねん」ていうくらいのドカチン弁当で、ご飯をいれる容器には「よゆうのお茶碗三杯分」とさも楽しそうに書いてありますが、いや、あのーぼくそんなに食べれないんで・・・炭水化物なんかちょびっとでいいんで、ぼくは。御飯の容器に三分の一以下のすかすか状態でぜんぜんいい。
それならば、なぜそんなオベント箱にしたのかというと「味噌汁」を入れられる弁当箱でして、ずっと暖かい保温機能満載であり、この世知辛い世の中で生きる僕にささやかなHAPPYを提供してくれるからなのです。
御飯もあたたか。おかずもあたたか。味噌汁もあたたか。そして、ぼくの心もあたたか。

それがこの前、ぼくが昼飯時にふふふん♪とおべんと箱をあけて味噌汁の容器を開けたとき(この味噌汁があることがぼくの楽しみですから)にUN HAPPYな出来事が起こりました。
「・・・お湯?」 
まあ、お湯でもいつもお湯のときはインスタントの生味噌なんかが入ってるんですが、リュックの中をもうくまなく本当にくまなく探したのですが見つかりません。
お湯?
どうしても自分の目の前に起こっている出来事が信じられないので、いつもせっかちなぼくは慌てるとロクなことがないと悟っているのでしばらく考えてみることにしたのですが、いやこれはいくら考えてみても答えはひとつしかないと思い、確認の電話をしたのであります。女房に。

女房は電話に出るなり「あのな、今日そらちん(娘)がな、○○でな、ほんでな××でな、ほんでな・・」と飛ばしモードでまくしたててる。
ふんふん、あっそー、ふんふん、へー、そりゃあすごいやー、あのな、え、あっそう、ほんでな・・

そらちんはこの際もうええねん。ぼくは出来損ないと言われてる悪型のB型なんだから言いたい事は今すぐしっかりと伝えないと気が済まないの。もうとにかく自分しか見えないの。ここではたった今そらちんがどーしようが全く関係ないの。たった今現在たいせつなことはこの世知辛い世の中にぼくに少しばかりのHAPPYを提供してくれる味噌汁を忘れたのかそれともどこかに入れたのかということなの。

あ、あ、あのさー。うんうん、もうええねんそらは。 あのさー。今日はお湯か?味噌汁か?

「何?お湯・・?・・・!あー!忘れてた!ぶはははっ!ごめーんお湯でラーメンでも買っといてー」

お、お、おーい。






2/20−23

GyaO(ギャオ)でフジ子ヘミングのドキュメント番組をやってたので無料ならしょうがない見てやろうとこれまたお前何様?的な態度で右手側にはポテトチップスのうす塩と明治のチョコレート(ブラック)を並べ、左手には最近凝りだした女房が煎れてくれたチャイを持ちながらだらだらと昼メロなどを見てる主婦のようなスタイルでPCを眺めることにしたのです。
ちなみに明治のチョコはブラックでも砂糖が入っているので『なぜ?』と思うのですが、ウマイので特に文句はいいませんがあれはブラックではないと思います。

フジ子ヘミングじたい全然興味がなかったわけではないのですが、どうもオバハン連中から人気が出てきたモノにぼくは拒否反応を大きく示す傾向があり、ま、9割9分ロクなものはないといって間違いありませんが、よく考えてみるとフジ子ヘミングは何もオバハン連中から持ち上げられたのでもなかったな、と反省しています。僕的には韓国の「ぺ」とか言う人とか氷川きよしとかと同じ箱に入れて脳にしまっていたので今となっては後の祭りですが。

何よりも一番の収穫だったのは、ぼくがいつも行く図書館で「はよ帰れよおまえら」という合図の閉館の時に流れているドビュッシーの「月の光」が大好きで、まさにそれを聞くために図書館に行っているといっても全く過言ではないくらい(そんならその音源を借りたらいいじゃん、と思うかもしれないけどこれはあの・・しーん・・と静まった図書館の雰囲気でないとダメなんです。本に夢中になってるときにフッと月の光が静かに流れるあの瞬間が最高に好きなんですよね。)その演奏が大好きなんですが、まさにその音はフジ子ヘミングのドキュメントでかかっていた「月の光」そのものだったのであります。ま、でも演奏してる場面ではなくて挿入歌だったので本当に彼女の演奏かどうかわかりませんが、まさか他人の演奏をわざわざ流さないと思いますが、わかりません。なんせそのことだけでぼくはフジ子ヘミングを「ぺ」と同じ箱に入れていてはいけないと思ったのですし。

ドビュッシーの月の光は、ぼくも楽譜を持っているのに弾いてません。これは説明するのが難しいんだけど曲って、聴いてるあいだの感じ方と弾けるようになってからの感じ方は全く別ものに変わってしまうからなのです。どんなに好きだった曲でも楽譜や音階、理論があたまに入ってしまうとぼくはもう以前のようには聞けないのです。それゆえに弾いてない、弾かないというのが僕の中にはあります。
でも「亜麻色の髪の乙女」( あの誰かが歌ってたしょーもない曲と違いますよ笑、ドビュッシーのですもちろん)なんかは弾きます。月の光だけは特別なんです。自分で弾くよりも聴いていたい。他人の演奏を。
それにしてもあの図書館の音源は本当にフジ子ヘミングなんだろうか?

今、亜麻色の髪〜で思い出したのですが、それはそれはぼくがまだ介護の施設で働いていた頃によく「亜麻色の〜」を弾いてました。あの雰囲気の中でフッと流れると良さそうなのは亜麻色〜だと思います。
トロイメライなんかも合いますね。戦メリやショパンは『いかにもっ』って感じでリクエストがない限り弾くことはしませんでした。でも雨の日にはショパンの「雨だれ」なんか弾きました、誰もわかってくれませんでしたが。

ただ、調律がだんだん狂ってきてぜんぜん的外れな音が鳴りだしたので調律をしてもらうように偉い人にお願いしたのですが全然取り合ってくれませんでした。音が出たらええやろ?のノリでしたね。
音や和音ってその響きで人を癒すことも出来るのに「音が出たらええやろ」や「じゃ、狂ってない部分で弾いて」とか、あまりもの音楽の無知さに言葉が出ませんでした。
高音になるにつれて半音ずつずれていく凄いピアノで何も弾けませんがな。しかも変な不協和音なってるし。パンクやグランジならいいけど。
まず両手は無理、左手と右手でキーが違いますから。しだいにバカらしくなって弾くのもやめました。
ピアノを弾き出すとお年寄りはもちろん職員も喜びますし明るくなります。ま、もう済んだことですが。
そのくせ何か催しがあるとピアノを弾いてくれという。鳴ってたらいいんで、誰もわかりませんし、だってさ。
アホちゃうか? 弾きませんでしたが。

確かに調律は高い。5万くらいは取られる。あれだけヒドかったら10万くらいかも。
「ならば、15万出せば一生モノの調律のいらない電子ピアノが買えますよ 」ともエライサンに言いましたねそーいや。
ピアノの音が鳴れば、部屋に引き篭もりがちな老人たちがピアノに集まってくるんですがねえ。お金じゃ買えないものですが。
そんなことよりも、金でしょうね。世の中「 金 」ですから。
そのお金で新しい服も買えますし、イベントなどのもっと有意義なことに使えますものね。
ぼくが辞める頃にはピアノはただの荷物置き場になっていて鍵盤の蓋を開けることすら出来ませんでした。


ピアノ演奏会などの撮影をカメラマンの頃やっていたので、いろんなピアノの先生がいていろいろと思うことがありました。
先生によってその生徒たちもずいぶんと「色」が違うものでした。
ある先生は、はっきり言ってぼくが弾いた方が断然マシな演奏で、明らかに下手でしたが、父母さんたちには絶大の人気で生徒も明るく、わいわいとうるさいくらいで、色んな趣向を凝らして歌の発表会みたいなコーナーも作って「世界にひとつだけの花」なんてみんなで歌って楽しそうで、けど先生の伴奏も聞いてられないくらい下手で、実際生徒たちの演奏もヒドかったのに対し、ある先生は、プロ顔負けの演奏でラフマニノフなんかを弾きまくり、ちょっと冷たい感じの印象でしたが、演奏は素晴らしく、実際生徒さんもウマイですし、申し分ないと。でもみんなどよんとした暗さがありますし〔緊張ですかね)明るくわいわいというにはほど遠い教室であることは言うまでもなく、しかし、身に付くものは本物だと。

ピアノって習ったことがないのでどんな雰囲気なのかわかりませんが、独学でショパンの別れの曲(ミドルのdimの部分以外)くらい弾けるようになったころ、J字屋の体験レッスンに3千円も払って基礎を習いに行った事が実はあるのです。
そこでぼくはいい年こいて習い事なんてと思いながらも、でもわくわくしながらもちゃんと趣旨を理解してもらいたくて、真剣に自分が習いに来たワケを説明したのです。
「 自分は独学でやってきたので基礎とかそもそも運指すら知りません。普通の曲を弾きながら歌うくらいのことは出来ますが(と言いながら、パラパラと弾きながら歌う )クラシックなどの曲もしっかり弾けるようになりたいのです。(別れの曲をちらっと弾く) 要するに基礎がないとしっかりとした音もでないのです。
ちなみに楽譜は初見で読めません、時間がかかるのです。耳で聞いて覚えたほうが早いのです。曲はその場で耳で読みとって弾きます。」

先生は(若いお姉さん)かなり困った顔でクラシック専門のピアノの先生を紹介しましょうか?と言ってくれ、とりあえず3回分のお金ですのでその3回分はここで教えることが出来ます。何か不都合があったら言ってください。と。
ぼくはその日、そのお姉さんに一日中ドレミファソラシドを弾かされた。
そして二度とJ字屋に行くことはなかった。

女房が楽譜を見ながら初見でポロポロと弾きだすのを見て凄いと思う。あれだけ出来るのならもっと弾いたらいいのに!と悔しく思う。
女房は、ぼくが宣伝などでかかっている曲をその場であっさりと弾き出したり、ささっと転調したり曲を変えたりすることのほうが凄いと思うらしい。

ぼくがピアノを習いに行くなら冷たくても厳しくてもしっかりと上手な先生に教えてもらいたい。
音楽に本気で取り組んでいる先生がいい。人気とかどーでもいい。自分勝手な先生でもいい。
本物の演奏をこの目の前で見たい。それが一番の上達方法だし、感性も養えるから。
楽しくわいわいやるのはぼくも大好きだと思うけど、やっぱり習うならちゃんとモノにしたい。
友達がみんな別の教室へいったとしても。ぼくは本物を身につけたいと思う。


とここまで書いて、ぼくの幼馴染の親友たーくんを思い出した。
たーくんはぼくらがみんなで野球をやっているあいだ、いつもピアノの練習に行かされてた。泣きながら。
ぼくは一番仲が良かったけど、いつも嫌々ピアノに行かされているたーくんを見ても別に可愛そうだとか何も思わなかった。

  ぼくもじゅんやくんと野球したい とよく言ってた。

たーくんはたしかにちょっとドン臭いところがあった。
今になればご両親がなぜピアノを習わせたかったかがなんとなくわかる気もするけどあの当時、あのド田舎ではピアノを男の子が習いに行くなんてあり得なかった。

そして、たーくんは小学生という幼い年齢で交通事故に遭い、この世を去った。


たーくんは自分のやりたいことがじゅうぶん出来たのだろうか?



2/18

娘にやっと自分が見知らぬオジサンではないということを思い出してもらえて、何とか父親の威厳とでも言ったらよいのかどうかは定かではないけれど、その様な尊厳の充実感みたいなものを取り戻したゴーダです。
とくに何を書くでもなくテーマを決めずに書くというのは非常に危険ですってテレンス・リーみたいになってしまったけれど無視して伊藤久右衛門の抹茶チョコ(しかも生チョコ)を夜中の12時に頬張りながらPCを頑張ってみたいと。

ここではじめに「ゴーダ」と書いたけど、このゴーダの「−」はやっぱり何よりも天皇が女系になろうが女帝になろうがそんなことよりもずっと大事なことであり、これはやっぱり「ゴウダ」と読むのは誰が考えてもおかしい。小学生の頃から「なんでなんでマン」だったぼくがずっと主張してきて未だに譲れないもののひとつなのがこの「ウ」なのであります。「ウ」なんて発音しませんから。ちなみにぼくは天皇制度はかなりの税金の無駄遣いであると思ってますし、天皇家の方々を人間らしく自由に解放して人生を生きさせてあげたい、などと誰も聞いちゃいないのに勝手に自分だけで考えてますが、もちろんそれも御本人が望めばの話ですが。

そういえば細菌、なんじゃこの変換は、最近あたたかくなってきたせいもあって、それに比例してアトリエにこもって絵を描く時間が増えてきました。やはりあれなんですかね、春に近づくというのは産めよ増やせよの号令が体内のDNAにセットされてるんですかね、あたたかくなってきた頃に近所の野良猫は盛りだすものですし、花粉たちもここぞとばかりにそこらじゅうにばらばらとバラ撒き散らします。それに便乗するわけではないのですが、ぼくもあたたかくなってくると絵の作品作りにせっせせっせと毎年打ち込んでいるのです。

今年の我が家の流行語大賞は間違いなく「 眠いんやったら寝たらええねん 」に決定するでしょうね、娘のおかげで。

そういえば今日、小学生くらいの男の子がジャスコの中の服屋のマネキンのズボンのベルトをはずしてごそごそとやっているのを見かけまして、大きな声で

「 ち、ちんこないで!ちんこないー!」と。



2/10

今日ものろりのろりと起きて、一週間前に女房が買ってくれてた我が家の裏にある障害者の施設で買ったという食パンをトーストする。
これが実に大きさは少し小さめなんだけれどウマイ。結構うまい。かなりウマイ。正直なところこれならばわざわざスーパーまでいって
やかましい人ごみの中で泣きやまない娘をあやしながら、焦って急いで大好きなお菓子やカレーのコーナーも見られずに買い物するよりも、家の裏のその施設で買ったほうがずっといいと思った。しかもヤマザキやらフジやらの値段の高いパンよりもウマイんだから。

しかし朝というのは女房や娘がいてもドタバタと慌しいものだけれど、これまたひとりでもドタバタと何も変わらないものであります。
さすがに朝からみのもんたはしんどいとか言い垂れてたわりには結局みのもんたの番組をつけてるというのも如何に?
そして今日は『 朝くらい優雅にゆったりとした時間で対応したいものだ、こんなにバタバタとして何が人生か 』などというヤバイもうひとりの自分が朝から顔をむくむく出しやがったので(普通は寝る前の夜中やPCや絵をしてる時ですけど)今日だけはいつも食パンにマーガリンをテレッと軽くぬるだけの朝食のところを、まんべんなくしかも厚みをのせてぬりたくった上にジャムなんぞもつけて、飲み物もいつもはコーヒーのブラックか紅茶のストレートティーでさっさと済ませるところをなぜかこってりとしたロイヤルミルクティーを作ったのであります。

そして暑苦しいみのもんたのしゃべりを
「うるさいっ!」と消してしーんとした部屋の中でゆったりとした朝食を取ろうととしたのですが、もう、これ、ほんとに、まったく落ち着かず、この時点で本来ならば出社のために家を出ていないといけない時間をとっくに過ぎており、それでももうひとりのヤバイ自分が「ええねん。ええ。お前そんなんで生きてて楽しいか?自分のペースで生きろ」などといってくるものなので『 そういう問題でもないと思うけど・・・・』とは思いながらロイヤルミルクティーをてれてれと飲んでいたのです。

どうせならせっかく神戸に店を構えているインド人がマンションの中でばら売りしている香辛料屋までわざわざ買出しに行った時のシナモンなどを入れてチャイを作ったらよかったなと思ったけどもうそれはまさに初めから遅刻前程の行為であり、そもそももともとは遅刻などというも・・・・・・・・・・・・・・・ま、いっか。もう遅刻なんだし。

娘が今日帰ってくるんだと思いながら寝たら、夢の中に娘が出てきた。
いつもなんだけど、夢に出てくる娘は必ず成長しててデカクなっている。そこで「これは夢だ、オカシイ、」と気付けばぼくの経験上そこから幽体離脱のような不思議な経験ができるのだけれど最近はまったくもってそうはならない。
幽体離脱なんていう話をしたけど、どうもその筋では対外離脱と呼んでいるらしい。ま、ぼくにとっちゃどうでもいいが。
友人とのあいだでは「out of body experience」の略でOBEと言って笑いの対象にしている。笑いの対象にはしているがこれ自分はまさにその経験をもう何十回としているので決してバカにしているわけではない。要するにこういうことは笑って済ませてるくらいが健康にもいいし、この今現在の地球上で生きていくにはとても大切な、必要な手段だということをぼくは地球に34年滞在してて学んだ。それにしてもほんとにこの地球という星はなんとも不思議な星でありまして、犬が服を着て歩い・・・・

とかなんとか言っているうちに娘が帰ってきた。
OBEなどの話はまたのちに譲っていずれ書くとして(書くかなあ?)、とにかく娘が帰ってきた。
お父ちゃんそらに会いたかったよー。おーい、そら〜。とかけよる。

そらマジ大泣き。

おまえ完全に父親の顔忘れとるやんけ!





 2006 2/8

 

ラッパ飲みかよっ!




そらがおらんようになってもう一週間。
長い。長いわほんまに。
父ちゃんはそらに会いたい。確かに絵はすすむ。そらおったら悪いけどすすまん。
でもな、そういう問題じゃないねん。

昔読んだ漫画の「みゆき」というあだち充の恋愛モノ漫画を思い出した。
それは、大好きな血の繋がってない妹と暮らすというありがちな設定の内容だが
その主人公(お兄ちゃんね)が受験だというんで妹のみゆきは気をつかって
自分の色気が勉強に差し支えないように変装したり顔を隠したり服もごっついの
着込んだりして対応していた。
だけどお兄ちゃんは逆にだんだんと体調など崩して悪くなっていく。

妹みゆきがすごく心配してその体調悪化の原因をほかの男友達に聞いたところ
そんなことならおまかせください、原因は簡単です と。

そしてその日お兄ちゃんが家に帰ってくると、みゆきは以前のように
顔も隠さず、服装もタンクトップにショートパンツといったスタイルで対応した。

そしてお兄ちゃんはみるみるうちに治っていった と。


いや、俺多分今まさにそのなさけないお兄ちゃん状態ちゃうかな。
ここ3日ほど体の調子がめちゃ悪い。
熱もないし、咳もないんやけどずっと偏頭痛がしてて元気ない。
もうええねん、死んでも・・とかつぶやいてる。世界なんか死ねとか。

そらよ。
お父ちゃんがアホな犯罪おかす前に早く帰ってきてくれ。




 2006 2/3

 うちの隣が家の解体中なので、女房子供を実家に帰し久しぶりの独身生活を満喫している。
 家に帰る時間を全く気にしなくていいなんて。もちろん外食するから家に帰るのは夜遅いけどかなり。
 独身時代はほとんど家にいなかった。何をするでもなく夜、外を一人でぶらぶらしていた。
 
だって家に帰る必要なんかなかったから。

 それが今は真っ直ぐ直行。ストレート。
 晩御飯は作ってくれてるし、それに娘を風呂に入れなくてはならない。 遊んでやってオムツも替えてやらなければならない。
 第一今度は
外をうろつく必要なんかなくなったから。
 外なんかうろつかなくても一番オモロイ退屈しない生命体がいるから。

 そらが本当に隅々まで可愛くてしょうがない。

 もう、
 「 そら様がお目覚めになられてます。」
 「 そら様が非常にお高い声を(奇声を)お発しになられてます。」
 「 そら様がおウンコをお出しになられてます。」状態。

 大丈夫ですかぼく。
 ぼくが一番嫌いなのは『パパ〜』なんて言われて鼻の下伸ばしてるその辺のジャスコなどにいそうな屁たれチンチクリン野郎なのですが。
 そういったスカした「デレデレ親父」にはなりたくないのです。
 いつだってクールに「あっそう。むすめ?なんていうのも居りましたなあ。」って
 そんな風にやっていくはずだったのです。

 んが、

 子供はかわいいのですめちゃくちゃ。たしかに子供には神様が宿っているのです。
 そらを見てると「絵」なんかどーでもいいんです。芸術なんか
糞食らえです。
 インターネットやパソコン、ぶログなんてくだらないのです。 
 テレビなどにいたっては肥溜めですわ。
 政治とかスポーツとか経済とか学者とかアーティストなんて「ままごと」同然。出産子育てに比べたら。
 子供は完璧なんです。完璧。一点の曇りもないんです。

 ぼくは自分でびっくりしてます。
 このクソッたれな世に自分がこれほど興味をもつものがあったのかと。
 どんなに大泣きされて「こいつ殴ってやろうか」なんて思ったとしても、それも全部そのくらいぼくが熱中している興味がある証拠なんです。
 そらに出会えてよかったっす。
 もちろん過保護に育てる気はさらさらないんですが、それとこれとは別なのです。

 クールぶったからって僕はもともとストイックな人間ではないし、どちらかと聞かれれば間違いなく明るい部類の人間だろうと思うし、深刻な考えよりもいつも馬鹿げた考えばかりが頭に浮かぶし、真面目なんだけど周りが真面目だと不真面目を演じるし、それに冗談大好きだし、人をからかうのも悪口たたくのも得意だし、たとえクールぶったってなんだかんだ言いながらこの世界を愛してるし。
 可愛いものは可愛い。
 でも屁たれチンチクリン野郎のキモい父親にはなりたくない。

 う、う、う〜〜む・・・。


 う、う、う〜〜む。

 



 2006 1/26

  

 ホステスのあいだでも有名な格言のようなものらしいのですが

「 とがるからカドがたつ 」

 という言葉を思い出して、『よく出来ているセリフだなあ。』と思ったものです。

 確かに尖っているものは角がたって痛いです。
 それは鋭角になればなるほど鋭く刺さり危険であります。
 丸みをおびればおびるほどやわらかく優しい感じになります。
 これはあくまで物質面での話であるのですが、冒頭に述べたホステスの話でも
 同じようなことがいえるのです。

 とがるから角がたつ、これは何もただ「優しくなれ」と言っているのではないのです。

 『 三角関係や四角、五角と、角がたつから痛いのであって、10角、何なら100角になると
  みんな仲良し、円になって痛くもなくもちろんカドもたたない。』

 とまあ、精神的な面からも物理的な面からも上手に表現してるのです。
 不思議なことに「固執」するから角がたつのであって、その一歩を超えると案外すんなり
 いくものなのです。本当なのです。
 別に一夫多妻制を宣言してるわけでも、自分がそうなりたいわけでもありません。
 ただ、物事がごく自然にうまく機能するようになるには実は少しばかり大事なことなのです。

 ここで世界情勢の話題にもっていきたくはないんですが、世界情勢の観点からみても同じこと
 なのです。鋭角は痛いのです。痛いでしょ? イタイことばっかり。 
 角をたたせないように卑屈になれ と言っているわけじゃないですよ。
 ぼくはただ、尖るから角がたつ んだと言ってるのです。

ぼくは円や、丸が好きなのです。
直線とか鋭角とかよりも。
線も直線よりはフリーハンドな手作りの線が好きです。
自由な線が。

 やっぱり何事も直線を引いてパッパッとと言うのはしんどいです。
 ものさしで直線を引くのは人間だけですし、物事に「線引き」をしたがるのもしかり。


 もともと自然界には直線は存在してないんです




 2006 1/21
 

 『 今だけ良ければいいなんて言ってないよ。 今しか存在していない と言ったんだ。 』


 ぼくは空に昇っていき、大気圏を飛び越していた。
 そこは暗黒の宇宙と呼ばれてはいたが、決して暗黒などではなく、暗くは感じたもののどちらかというとどこか「あたたかい」印象が強く、そのあたたかさ故か暗いという表現よりは「やさしい」といった表現が近いような気もした。
 暗いというとどこか分断された孤独なイメージが先行してしまうが、分断ではなく結合、たしかに明るさでいうと「暗い」という表現になるが、すべてが結びつき繋がっているという安心感が感じられるものだった。 
 
 そこは上も下もなかった。右や左もなかった。なぜなら、ぼくは「上がってきた」と思っていたが途中で自分がどの方向を向いているのかさえ分からなくなり、正確に言うとそんなことは全く意味を成さないということがわかったからだ。
 上や下、右や左などの判断の目印になるものがなかった。
 強いていうなれば、「自分」から見て上か下かを判断するしかなかった。
 「上がってきた」はずのぼくは方向感覚を見失い、下にあると思っていた地球が「左ななめ上の後ろ」というわけのわからない位置に存在していた。 
 そしてその天体は本当になまなましい生命の息吹きに満ち満ちて呼吸している天体であり、しかもリアルに浮かんでいた。

  本当に美しかった。

 ぼく自身はぶらんとただ浮かんでいる状態だったので、寝そべりながら眺めようと思って寝そべってみたがどうもしっくりこなくて結局また、ぶらんと浮かびながら青と白の輝く天体を眺めていた。
 その天体は浮かびながらゆっくりと回転していた。その速さは一定でありとても規則正しいものだった。
 そこから見た天体「地球」は、宇宙空間をただゆっくりゆっくりとひたすら回転してるだけのものであり、「昨日」や「明日」なんていうものは実際には存在してなかった。
 永遠の「今」があるだけだった。

 そしてもちろん、天体から離れたぼくのいる宇宙空間は上も下もなく右も左もない昨日も明日もない、回転すらしない永遠の空間だった。
 しかし、そこは孤独な暗黒などではなく、全てが結びつき繋がっているという安心感が感じられる場所であった。



 今だけ良ければいいなんて言ってないよ。 今しか存在していない と言ったんだ。




 2006 1/11
 
 特に仏像に興味があるわけではないんだけれど、強いて言うならば広隆寺の「半跏思惟像」が一番好きなのです。
 ついでに言うならば二番目は空也上人像です。(あの口から何か出てるやつ)

 先日、友人からこの半跏思惟像には意味なるものが存在するらしくてその意味なるものを教えてもらった。
 ぼくはただ単純に、「まあ、釈迦のひとつのポーズ、表現方法くらいのものだろう」って思っていたのだがどうやら違うようだ。

 ぼくが好きなあの艶めかしいあの形の意味とは

 『 今から56億7千年後の未来に生きている人間(衆生)をどうやって救済しようかを思索している弥勒菩薩の図 』

 だそうだ。

 ぶったまげた。そしてそのぶっ飛び具合の発想にここ何年かのうちでもトップクラスの感動を得た。
 56億7千年後というとんでもない数字も興味あるが、何よりもいわゆる未来の弥勒菩薩を表現しただけではなく、その未来に生きてる人間をどのように救済しようかを考えている図なのだ。これは凄い。

 ただ友人は
 「 56億7千年経っても人類は救済せなあかんほど進歩してないんですね。」と。 ・・・たしかに。
 


 2006 1/4

 明けましておめでとう御座います。
 
 何だか胸騒ぎがする。胸がどきどきする。毎日が落ち着かない。大丈夫なのかどうかも解らない。
 まいっか、お正月だし。って何にも解決してないが。とりあえず何がめでたいのか別にぼくは何も目出度くはないが正月のせいにしてしまおう。

 アトリエがあまりにも寒すぎて風邪をひいてしまった。
 といってもそれが胸騒ぎの原因ではない。
 おそらくこれから訪れるであろう未来に対する漠然とした胸騒ぎだ。
 これに似た感じは前にもあった。インド旅行へ行く前やその道中で今とよく似た感情が続いて毎日が落ち着かなかった。
 不安かな。いや、違う。期待や嬉しさとも違う。何と表現したらよいかわからないが、

 
 生まれてくる前にある程度決めていた大まかな一大イベントが待ち構えている

 といった何の証拠もないがそんな不確かなものに対する漠然とした胸騒ぎだ。
 例えば、今日、髭を剃るためにシェイビングクリームを塗ったのだが、心まったくここにあらずで途中からそれは洗顔クリームと化して髭も剃らずにそのまま洗顔してしまった。いや、そんなことはよくあることですよと言われるかもしれないが、こんなことがずうっとなのだ。
 要するに自分が今やっていることに集中できてないのだ。痴呆とはまた違う。

 でも本当にそんなイベントなんぞを計画して生まれてくるのだろうか。確証はない。
 もしそうなら娘が生まれたことなんてもの凄いイベントじゃないか。その前にまず女房に出会わなければいけない。
 そして恋に落ち、この結婚興味無し男のぼくが結婚して子供を生む。奇跡以外の何ものでもない。

 だけどもしそんな計画をしててそんなぼくを導いたのならそれは神業以外に考えられない。
 正月に神様にお参りにいくのはそんな色々な物事に対する感謝を伝えにいくのかもしれない。
 ぼくは今日そうやって神社に祈りを捧げてきたし、こうやって今、ここでこの日記で、前もってこれから起こるであろう出来事に対しての感謝を捧げている。
 ぼくの人生がぼくの計画どおりにいくように導いてくれることに感謝します、 と。


 2005 12/31

 最近本を読むことがなくなった。あんなに毎週図書館に通っていたのに。
 もちろん乳児を抱えて本など読める状況ではないが。・・・ととりあえず娘のせいにする。
 最後に買った本はなんだったっけ?ああ、村上春樹の「海辺のカフカ」だ。夏だったな、今年の。
 ということは半年以上本を買ってないのだ。あれが娘が生まれてから買った最後の本だ。

 本を読まなくなったら人生終わりだとぼくは思っている。
 言い過ぎ? 全然。
 いろんな批判はあるかもしれないが、本というメディアは絶対なくならない。
 本には「呪術」が宿るからだ。残念ながらネットには宿らない。手軽で便利かもしれないが呪術は宿らない。
 呪術の宿らないところに本物はない。
 呪術が宿るところに宇宙のシステムがはたらく。宇宙が動き出す。それが人生に彩りを与える。
 ま、最近は呪術の宿らない本が増えているのも事実だが。

 閉塞状態とは本物のない世界に起こる浄化作用の前ぶれである。
 
 本来、本とは真摯な姿勢で貫かれた言葉の宝石箱だったのだ。
 だから本物という言葉には「本」という漢字が使われているのだと思っている。
 
 もし自分が本を作る機会に巡り会えるならばそんな本を作るだろう。

 
 





 12/23

 雪で路面が凍ってしまってツルツルである。
 歩いて15分足らずのコンビニエンスストアまで30分くらいかかった。
 どこかのおばはんがガニ股でトロトロとすべって転ばないように足を踏ん張って必死だった。
 『お前そんならせめて底のしっかりした運動靴履けや』と、心から思った。

 そういう自分も転ばないように必死だった。
 そしてそんな自分に嫌気がさした。
 そんな時、誰かが心の中でぼくに呼びかけた。

 『 抵抗すればするほど疲れる 』


 ・・・ほう。なるほど。確かに氷の上を滑らないように歩くこと自体不自然で疲れるな。
 それからぼくはトロトロと歩くのをやめて滑っていくことにした。スケートのように。
 それはものすごく早いし楽だし何よりも楽しかった。そしてそのほうが安全だった。
 
 そういえばぼくはいつもなにかしら反抗ばかりしてかえって疲れていた。
 でも時には身をゆだねることで物事がスムーズに動くなら賢明ではないか。
 逆らえば逆らうほど相手は強くなる。

 なるほどな。
 そしてぼくはみんなトロトロと踏ん張って歩いている横をスイスイと滑って帰った。
 ぼくと同じようなスタイルの人もいた。
 それはみんな子供だったが。

 

 


12/22

雪降っとる。
さぶいなー。さぶいっちゅうかイタイ。
こんな寒いのに「すんすんマン」元気やなあ。

注:「すんすんマン」・・・泣く前に「すんすん」言い出してうだうだする娘。
ちなみに一日のうち8割はこの状態。


田舎の母親から「電話のおもちゃ」届く。
すんすんマンに目の前で電話かけてやる。
よ、よ、喜んどる。

っちゅーか電話の意味ないし。






「 お父ちゃんにもお母ちゃんがいるの?」

 2歳くらいだろうか。3歳くらいだろうか。成長したむすめが聞いてきた。
 「 そうや。父ちゃんにもお母ちゃんにもお父ちゃんもお母ちゃんもおるよ。みんなおる。
 誰だってお父ちゃんとお母ちゃんから生まれるんや。」

 「 ふーん 」

 あそこに歩いてるお爺さんだって父ちゃんと母ちゃんから生まれたんや。みんなそうや。
 そうやってずーっと続いてきてるんやで。
 そしてな、ものすごく大事なことはな、ずうっとさかのぼっていったらもともとは同じひとつの家族やねん。
 それが続いただけなんや。

 「 ふーん、、でもせんそうとかしてるよ。なんで?」

 それはな、みんなその大事なことを忘れてるからや。思い出したらええだけやで。そしてな、
 そのシンプルで一番大事なことを思い出した人から、それをみんなに教えてあげたらええんや。

 しんぷる?

 そうや。ものすごく簡単で単純なことや。美しいものはみんなシンプルなんや。

 でも先生もおしえてくれへんよ。

 それならそらが先生に教えてあげたらええ。先生喜ぶぞ。


 そしてな、この世のものはみんな同じモノから出来てるんや。みんな同じひとつのものやねん。
 あの猫も草も花も空も水も空気も人も石も木も牛も魚も川も山もうんこも
 全部ひとつのものから分かれただけやねん。
 あのお月さまもお日さまもそらと同じもんや。だから、みんな大切にしてあげような。



 なるほどね。じゃあ、シンプルになるように物事を進めていけばいいのかしら。

 そらは大きく成長していた。


 俺はそうは言ってないよ。
 俺は、「 美しいものはみんなシンプルだ 」と言ったんだよ。

 あなたの言うことは確かに素晴らしい考え方だと思うけど、実際問題として現実にそのメルヘンな台詞がはたしてこの大問題を抱えている混沌とした世の中に光をあてて、世界の再編に役立つかしら?

 もちろん役立つさ。
 確かにあなたの世界では四方八方塞がりでにっちもさっちもいかないのが現状だろう。
 その上人々は盲目な状態で無知をいいことにやりたい放題だ。そして進むべきベクトルすらみつかっていない。
 だけど、それが大事なんだよ。
 今のその社会のすべての問題は、今までの全ての結果なんだよ。
 もう今あなたがたが考えている妄信している些細なことも含めてすべての物事は上手に機能していないんだ。
 それに気づくために、そして大きく変換させるために今は必要なんだ。

 そんな大きな変換させることなんかできるのかしら?

 出来るよ。現に気づいている人は多いよ。潜在意識で。
 自分に正直になって勇気をもって心を裸にして誰かに話してみてごらん。
 もう今の社会形態では機能してないことをみんな知ってるよ。何の意味もないことを。

 意味ないの?

 意味なんかないよ。もともと生命に意味はないんだよ。
 意味をつけるのはあなたであり私たちなんだ。
 そして私たちはみんな大きな家族なんだから仲良く生きることは出来るんだよ。
 あなたの家族が誰か困っていたら何とかしてでも助けてやろうと思うだろう。
 家族には無償で何でも与えられるし貸すことも出来るだろう。
 座るイスが足りないなら奪い合わずにイスをひとつ作ってやるだろう。それだけのことだよ。


 シンプルなのね。

 美しいものはみんなシンプルなんだよ。