HPリニューアルのための追加あとがき



今こうして振り返ると非常に懐かしいです。
ここまで読んで下さった方本当にありがとうございます。
ここからは蛇足ですので読む必要はありませんので無理して読まないでください。

死ぬまでにもう一度でいいからまたひとりでインド行きたいです。
かつて自分が歩いて呼吸したところを、その場所の空気に触れたいです。

ぼくはカシミールにいた時、「自分はかつてここで暮らしていた」という感覚をずっと持ってました。
ここでオカルトめいた話に持っていきたくはないんですが、それはもう確信めいたものでしてとにかく
懐かしい、はじめて来た場所なのに何故こんなにも懐かしくて切ないのかと思うほどでした。

そこで何をしていたのか、どんな人間だったのか、いやひょっとすると人間ではなく全然まったく違う動物だったのか、
そんなことすら全く思い出せませんでしたが、とにかくただひたすら懐かしい。
その懐かしさをただ意識のどこかで覚えている。そんな感じでした。
なんとなく覚えていたことと言えば、その時も「ここを出よう」と思っていたということでした。


この旅行で出会った人たちと宿をシェアしてるといつも夜はインド人の悪口ばかりしてました。
ただそれが非常に楽しそうに悪口言ってるのですが、それは、悪口言いながら結局インドという国に
魅了されてるんだ、という結論になってました。
それぞれの旅人たちがそれぞれの個々の理由でインドに来ており、やはり心の奥の共通している部分
はみんなだいたい同じであり、ぼくはそんな旅人が大好きでした。

ただ、帰国してからの一年間くらいは生活を立て直すのに本当に苦労しました。
まず思いっきりインドに染められてしまっているので日本のシステムになかなか馴染めない。
とにかくお金がない。まったくない。仕事もない。毎日ごはんと納豆だけ。そして禁煙の決意もしたからイライラする。
当時は音楽をやっていたのでスタジオ代もライブ代も捻出できない。もう最悪でした。
毎日死にたいと思ってました。毎日、神がいるなら殺してくれと文句言ってました。毎日。
生きてるのが馬鹿らしくてしょうがない、何てくだらないんだと。

そしておそらくエセベジタリアンの偏食も作用したせいか精神的にもヤバイことが作用したせいか
ぼくはある日突然寝てるときに身体を抜け出してしまったのです。

それはビックリしたというよりは、こんな歓喜に包まれた世界があったのかと感動したものです。
実際それほど喜びで包まれた状態をぼくは他に知りません。
それからもう何十回と身体を抜け出しました。もう現実の世界に全く興味もてず、その世界にどっぷりと
はまりました。今でもその体験をできるのならば今すぐにでもしたいです。ただ、残念なことに結婚してからは
プツリと抜け出せなくなりました。もうまったく。

ただ、あんなに死にたかったぼくは身体を抜け出したことで逆に生きることが楽しみになりました。
人間が抱えている問題はある視点からは確かに深刻極まりなく修復不可能なくらい大変なものですが、
気が狂ったある視点から見ると、実はどーでもいいことであり、本当はすべてALLRIGHTなんだと。

これを読んで変に感化されないようにそれだけは注意しておきます。
これは単なる気が狂っているぼくが言ってる戯言なんだと思って軽く流してください。
こんな話題は虫唾が走る、聞きたくないという人はもうここでSTOPしてくださいね。

話を続けますと、そしてもし死んだ状態があの状態だとするのならば死は決して悲惨な悲しい物語などではなく
人生でかつてないほどの喜びと祝福の物語なんじゃないかと密かに思っております。

そしてすべての人が必死で反対するであろう真実、「意味などない」ということ。

ぼくはよく、じゅんやはインドに行って何かが変わったんだね、と言われますが、インド行ったくらいでは何も変わりません。
何も変わらなかったし、何も見つけてはいませんし、そして何もわかりませんでした。
ただ広い視野で遙か上空から眺めた時、ぼくにとってインド行きはいろんな意味の引き金となっていたと思います。
ここではもうこれ以上の蛇足は必要ないと思いますのでここらでやめときます。



最後に、インドに行って自分自身何が変わったかと聞かれたらこのエピソードを使います。
本当はこのエピソードで旅行記を締める予定だったのです。


  初日に真夜中に到着した時のインディラガンジー空港の印象は、暗くて汚くて怖い、だった。

  だけど長いあいだ旅をして最後にインディラガンジー空港に戻ってきた時、それはものすごく綺麗で
  立派で清潔で安全な場所だと本気で心底思った。


                                      2006 3月28日