ア ウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所


戻る

これまで、いろいろと海外旅行に行きましたが、「もっとも印象に残った場所」は、第二次世界大戦時にナチスドイツによって建設・運営されたアウシュビッツ 強制収容所です。現在は、博物館として保存され、一般にも公開されています。

決して、楽しい場所ではありません。しかし、一度訪れれば、心に深く刻み込まれる場所となります。収容所の歴史や当時の様子などを伝えるWebサイトも数 多く存在しますので、ここでは、実際に博物館で見たものを中心に記載しています。

1
2
3
a a
a
ベルリンから夜行列車にのり、ポーランド南部のオシフィエンチムという 町に到着した。写真は到着前に車窓から撮ったもの。東欧の美しい田園風景が広がっていた。 オシフィエンチム駅からバスで数分でした。通勤時間と重なっていたた め、バスは満員でしたが、外国人がこの田舎町に来る目的は皆同じらしく、周りのお客さんが降りるバス停を教えてくれた。
少し歩くと収容所の正門が見えてきた。
門の上には、ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)とある。
正門を反対側、すなわち収容所の中から見た写真。門の右側に監視塔が残っているのが見える。

4
5
6
a
a
a
赤レンガ造りの収容棟が二十数棟が残されている。それぞれの建物は装飾 は全くない。しかし、レンガづくりのため、非常に頑丈そうに見え、牢獄としての威圧感を感じた。
建物は二列に並んで建てられており、中央の通りにあたる部分。右側が第 一棟~第十一棟となっている。各建物の中が展示室となっている。
義足、義手
収容された犠牲者が身に着けていたもの
展示室の壁一面が展示棚となっており、所狭しと並べられている。

7
8
9
a
a
a
毒ガスの入っていたカン。全て使用積みで所謂空き缶である。これも壁一 面に山積みされている。おそらく、これでも一部なのだろう。 毛織物の一部から毛髪が出ている。実際には、人毛で織物を製造していた 証拠品。
布地自体は麻袋のようにも見える。実際にこんなものを使っていたことも驚きであった。
原料となった毛髪。絶滅収容所の犠牲者のものと思われる。これも壁一面 に山積みされており、写真は極々一部である。
このほかにも、靴・鞄・メガネなどが山積みされていた。


10
11
12
a a a
第十号棟と十一号棟の間のスペースへの入口。この中は処刑場になってい た。


正面が死の壁。
右側が十一号棟で、収容所の中の「刑務所」となっている。ここから死を宣告された収容者が引きづり出され、正面の壁で銃殺が行われた場所。
第十一号棟内の地下の廊下。右側に独房があり、ここで死んでいった犠牲 者も多かったらしい。強制収容所の中の「刑務所」となっている。実際に犯罪行為を行ったのは囚人ではなく、看守側なのは言うまでもない。

13
14
15
a
a
a
立ち牢。レンガで囲まれたスペースに数名を立たせ、周りををさらにレン ガでおおって壁を作ったらしい。座ることもできず、立ったまま数日間放置された。
集団絞首台。上にあるのはレールのような形状をした金属棒。ここに紐を かけるだけで絞首台が出来上がる。

こちらも絞首台。収容棟の間にある広場に設置されており、見せしめ的な 要素があったのかもしれない。


16
17
18
a
a
a
収容所の外壁。鉄条網が二重に張り巡らされており、脱走ができない絶望 的な状況を作り出している。
焼却炉跡。人間を大量に殺害し、その遺体を組織的・効率的に処理してい くための工夫がなされており、人間の持つ残酷性が感じられる。 ガス室跡。焼却炉のすぐ近くにあり、ここで殺害した人の遺体をすぐに処 理できるように配置されている。

19
20
21
a
a
a
焼却場の外観。中央に見える煙突が焼却炉につながっている

外側から見た収容所。不気味な建物である。 アウシュヴィッツからビルケナウへ移動。交通機関はなく、徒歩で30分 程度の道のりであった。田園の向こうにビルケナウの入口の建物が見える。

22
23
24
a a
a
ビルケナウの門をくぐって内部を見渡したところ。アウシュヴィッツより も広い 収容所の入口から外をみた風景。ここでは、収容所内部まで鉄道が通じて いたようだ。現在では廃線になっている。 収容所内の収容棟。こちらはレンガ造りではなく、外壁は木造であった。 実際には当時のものを再現した建物らしい。

25
26
27
a
a
a
収容棟の内部。木造で隙間も多く、雨風が十分に防げるのか甚だ疑わし い。下は地面むき出し。
建物の間のスペース。 寝床の再現。単なる戸棚に見えるが、三段になった木造の粗末なベッド。

28
29
30
a
a
a
収容棟は一部のみが再現されおり、大半はこの状況。残っているのは、レ ンガ造りの煙 突。冬季には一応暖がとれる仕組みはあったようだ。アウシュヴィッツの展示でもあったが、これらの強制収容所は人間を殺すことだけが目的ではなく、労働力 としても利用していた。厳しい労働と劣悪な生活環境で弱った者から順にガス室に送っていたようだ。 焼却場の跡
ナチスドイツ軍が撤退する際に、爆破していった。屋根が崩れ落ちており、内部は見れなくなっている。

こちらも破壊された建物
やはり、証拠隠滅を図ったのだろうか。だとしたら、少しくらいは悪いことをしているという意識があったのか?
人間がここまで残酷になれるのか、という疑問が沸々と湧き上がってくる


31
32
33
a
a
a
ガス室の跡地。ここも爆破されている。
実際には、ここから地下に降り、脱衣所・ガス室・焼却場という順に「合理的」に並んでいる。人間を効率的に処理していくための施設であった。
収容所内に引き込まれた線路
ここで列車から降ろされた収容者は、労働力として利用できるものとすぐにガス室送りとなるものに選別された。映画「シンドラーのリスト」でもシャワー室に 送られて歓声を上げる姿が描かれていた。
敷地内から正面入り口を望む。中央の塔の増したが入口。
テレビドラマの白い巨塔では、この塔からの展望が使われていた。


34
35
36
a
a
a
正面入り口の塔の上から敷地内を見下ろしている。収容所内に引き込まれ た線路。
こちらも塔の上から再現された収容棟を望む。敷地はものすごく広大であった


37
38
39
a
a
a
収容所を出て、駅に戻る途中の風景。普通の平和な田園風景が続いてい る。 オシフィエンチムの駅舎。フラットホーム側からの写真。小学生らしい集 団も来ており、遠足(社会見学?)として収容所を訪れているようであった。
近くの大きな町まで行く列車。ローカル線のみの駅。列車を待っている間 に小学生か時間を聞かれた。東洋人が珍しく、話をしてみたかったという感じがした

この日は、朝、最寄駅に到着し、ほぼ一日を二つの収容所跡の博物館で過ごした。昼食時以外は、ほぼ歩き通しだったので、肉体的にも疲れたが、それ以上に精 神的な疲労感を強く感じた。これでもか、といわんばかりに、あまりにも凄惨な状況を示す物品に溢れていた。
犠牲になった人々の苦しみ・絶望感が、展示物から、建物から、あるいは大地や木々からさえ、伝わってくるような気になり、簡単に受け止めることはできな い。
一方、加害者側の人々の中でも、実際の現場で指揮官の命令に従っていた人々は、戦争が始まるまでは普通の市民出会った人が大半のはずである。その人たち が、これほどまでに残酷な行為を組織的・計画的に実施したという事実は、人間の持つ残酷性を示しているようにも思える。


戻る