連載第17回 東洋の魔女
  日紡の女子バレーボールチームが初めて「東洋の魔女」と称賛されたのは、1961年秋のことである。その年の8月に日本を発った日紡チームは2ヶ月の欧州遠征を22戦全勝で勝ち進み、10月、大阪に凱旋した。ソ連を破った時には地元の新聞に「東洋の台風」「魔法使いの娘たち」と感嘆された。

 日紡貝塚は単独チームとしては世界一強いと言われた。これもひとえに、一切の観光をキャンセルして遠征中も1日5時間の練習をこなした”根性”の賜物である。

 翌1962年10月、モスクワで開かれた世界選手権でみごと7戦全勝した全日本チーム(12人中10人が日紡貝塚)は「東洋の魔女」の名を不動のものとした。取得セット21、失ったセットはわずか1という、圧倒的な勝利であった。

 ”回転レシーブ”や”時間差攻撃”変化球サーブ”など今では当たり前になっている様々な戦術を駆使したバレーは、当時の人々には魔法のように見えたことだろう。2年後、東京オリンピックでニチボー(昭和39年4月社名変更)貝塚の名が世界に轟き、一億人を狂喜乱舞させたのは周知の通り。魔女に魅入られた人々は視聴率85%(NHK)というウルトラCまでひねり出したのであった。
(1990年1月)


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