夜勤の多かった私は、会社帰りの車のなかで、行く手の闇のなかにいつか死をみつめるようになっていました。
まだ明け切るには早い星のない東の空に、一つだけ輝く星がいつも輝いていました。それはどれくらいの彼方にあるのか知りませんが、その背後の闇は私には無限と変わらぬものでした。行けども行けども涯のない闇の深さを想像するうちに、狂気に近い恐怖に脅え永遠と無限を混同し、無限に長生きしても退屈ではないか、そんな思いしかなかった苦しい頃の私が今頃魂の救いを求めている自分を見出したのです。
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
マタイ10章28節
血肉のからだがあるのですから、御霊のからだもあるのです。
第一コリント15章44節
こうした、聖書のみ言葉に打たれた私は永遠のいのちを切に求めるようになったのです。
日々、友人や肉親が空しく亡くなって逝きます。争いや貧困から世界でも多くの人たちが倒れて逝っています。それでも弱い罪人である私には祈ることしか出来ません。しかし、祈ることができるようになっただけでも、すばらしいことではありませんか。まして祈りに耳を傾けみことばを語ってくださるお方があるのですから。
青い星の光は神の叡智の輝きのように、また時には懐かしい家族や友人との団欒の灯りのように見えてきます。少年の頃、戦争の時代を過ごした私は、せめて家族や親友と天国で再会したいという気持ちが以前から強くありました。
たとえ永遠のいのちを得ても、平和が訪れても、愛がなければ空しいではありませんか。きょうも夜空の星は神の愛の証しのように輝いています。
栗東キリスト教会会員 松村隆雄兄の証
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