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由緒 |
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元慶(がんきょう)元年(877年)天台宗智證(ちしょう)大師が勧請(かんじょう)したと伝えられている。天保年間に寺院焼失して旧社伝記類がなく創立年月は定かでないが、金幣(きんぺい)に元慶元年十一月二十七日と彫刻がある。よって春日祭は毎年十一月二十七日に行われる。当社は、元は神仏習合で斎祀が行われて、伝えによれば天王山慶楽寺不動院と一体であったが、明治維新より分離して今日至っており、明治十二年十二月に神社創立一千年祭を斎行している。平成17年で創立1128年となる由緒ある神社である。
現在、例大祭には練太鼓二台と子供御輿三基が出御練太鼓は「あばれ太鼓」とよばて近隣で有名である。また氏子の奉幣、相撲、豊栄(とよさか)の舞、餅投げなど催される。現社殿は昭和十一年に焼失し、昭和十四年五月に再建され現在に至っている。再建にあたり、再築委員長に富原賀喜知氏が、再築委員には三町より九名、周施人には同じく三町より十九名の方々により立派な社殿が再築された。棟梁は和田町の村上亀治氏である。
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例祭日
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十月十日 |
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境内 |
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本 殿=流造銅版葺 五坪八合余
幣 殿= 〃 三坪
拝 殿= 〃 十三坪
随神門=銅 版 葺 三坪七合 |
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施設 |
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社務所=四間×二.五間 |
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古宮には木製の千手観音菩薩坐像(江戸時代)、他に四体の仏像が安置されている。また、江戸幕府二代将軍徳川秀忠(台徳院)三代将軍徳川家光(大猷院)の位牌がまつられています。 |
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宝物
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鳥居額=江戸時代
千手観音菩薩坐像=江戸時代ほかに仏像四体 |
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摂社・
末社
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三柱神社= |
(北側) |
罔像女命(池や川を守る水神様)
宇迦御魂命(商売繁盛の神様)
高神(雨水を司る神様) |
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(南側) |
天照大神(日本の祖神様そしてあらゆるご神徳)
国常立命(土地を守る神様)
誉田別命(厄払い、受験合格の神様) |
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狛犬
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右側子連れの狛犬さんは全国でも珍しく良い子授け安産のご利益があるといわれている。 |
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社紋
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下り藤(中につるあり) |
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神職
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宮司 津田忠良 |
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氏子
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和田町 高田井町 谷町 |
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太鼓
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素朴で勇壮な太鼓で、乗り手四人の背中にはそれぞれ紺地の着物の背に天下・泰平・五穀・成就の二文字が赤く染め抜かれ、文字通り平和と豊穣を奉祝する氏子たちの喜びと感謝の気持ちが表れている。戦前には徴兵適齢期の若者が乗っていたが、現在は青年、大学生、高校生等に変わって来ている。
練太鼓は二台あり、担ぎ手全員腰巻きに足袋姿にで十月の本宮の打ち出しより、午後一時ごろの宮入、下向まで担ぎ通しであり、特に宮入り、馬場先における練り合わせは太鼓を左右に繰り返し横転させ、暴れ太鼓のなの通り暴れぶりを参詣人に披露する。近在でも有名でありテレビにも放映された勇壮なお祭りである。
氏子の皆さんと共にいつまでもこのようなお祭りを残し伝えたいものである。又若い人たちもこれを受け継いで代々伝えてほしいことを願ってやまない。
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平成16年 現在1127年
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