06年01月17日

yo-sanの日記を読んだ、今日で11年だがあの時私は何をしただろう? 子供の部屋に行き、棚を押さえた事ぐらいだろうか。
当時は尼崎の会社に勤めていたので、さすがに当日は鶴橋までしか行けなかったが 次の日には出勤した記憶がある。尼崎の会社だから神戸方面からも通勤している仲間がいたが、 幸い人的被害は無かった。しかし会社にはダメージが大きく、もともと良くない業績の悪化に 拍車をかけ、その年の6月末に倒産した。
被害を自分の目で見たのは1ヶ月後、JRが芦屋まで開通してからであった。 yo-sanのような生々しい体験はないものの、色々な報道で知った、あのときの人々のやさしさを 今でも思い出す。
それに引き換え、今日のヒューザーの小島とか言う社長の証人喚問の答え!耐震強度偽装疑惑。 目立ちたがり屋の守銭奴、生扉の堀江に証券取引法違反での強制捜査。
どちらも誠意が感じられない。他人を犠牲にして自分のみが生きる、あの時の神戸の人達との対極 を見るようだ。これも歴史の皮肉か?
さらに幼児誘拐殺人事件の宮崎勉、元祖ロリコンの青年も中年親父になり、ほとんど事実の解明に資する ことなく死刑が確定した。神戸の震災を思う時、人の命に軽重は無いと言うのは本当なのだろうか?いつも 疑問に思う。