若狭33観音霊場

三十三番 中山寺





第三十三番札所 青葉山 中山寺 なかやまでら 2008−03
所在地 福井県高浜町中山27‐2
電話 0770‐72‐0753
宗派 真言宗(御室仁和寺派)
ご本尊 木造馬頭観世音菩薩坐像 (重文)
御詠歌 み仏の 浮木(うきき)は蓮のうてなにて 駒にみ法の中山の寺
若狭観音霊場三十三番・中山寺 若狭富士とも詠まれる青葉山は、

高浜方面から望めば

緩やかで秀麗な姿をしている。

その中腹(海抜100m)に、

西国霊場の29番・松尾寺と並び

若狭霊場の中山寺がある。
集落を過ぎ 山道に差し掛かれば、

青葉山登山口と青葉神社入り口に至る。

そこに、中山寺の仁王門がある。
工事中の仁王門をくぐれば、

正面と左に石段が見える。
左側の石段の上には

古い山門がある。
山門をくぐれば、

持仏堂の正面に出る。

ここで拝観料300円を払えば

本堂に案内される。
入母屋作り、桧皮葺の堂々たる本堂は

鎌倉時代(1250頃)に覚阿上人によって

再建、再興されたものである。

爾来600年間多くの人々の信仰を集め、

現在は国の重要文化財に指定されている。
現在は改修工事中で、

大きなテントで覆われていた。

5間四面の本堂内部は厚い格子で囲われており、

一部に補修の手は入るものの

柱などは昔のままのものである。

天平8年(736)に

聖武天皇の勅願により

越智の大徳・泰澄大師が創建したとされる。

創建当時は

釈迦如来を本尊としていたと伝えられている。







本堂正面のお厨子の中に安置されている、ご本尊の木造馬頭観世音菩薩坐像は高さ79.3cmで、

ほぼ等身大、白い馬頭を頂き、右ひざを少し上げ大型の円光を背に蓮華台に座る3面8臂の憤怒相である。

馬頭明王とも呼ばれ、人の世の煩悩を草のように食い尽くしてくれることから、

交通の安全と、農耕の守り本尊としてその信仰を集めてきた。

中山寺、馬居寺、松尾寺といずれのお寺も馬頭観音像を御本尊とすることから

当地方が交通の要所であったことを物語るともされている。

御本尊は33年に一度の開帳とされる秘仏である。(次回開帳は平成20年の予定)

現在おまつりされている前仏様は、室町後期のものである。

その右には不動明王、左には毘沙門天でいずれも鎌倉後期の作で、県指定の文化財となっている。

この祀り方は、天台密教系の様式であり、再建時には天台宗であったことと、

その後に真言宗に改宗されたことがうかがえる。









仁王門には運慶の長子・湛慶の作とされる金剛力士像2体(いずれも鎌倉時代・重文)がある。

鎌倉時代(13世紀)の作、寄木造、彩色、玉眼、阿形282.0cm・吽形267.2cm。

迫力ある筋骨隆々たる姿は,入山するものを圧倒する。

血走った水晶の眼球、力溢れる足部など、物凄い迫力でせまってくる。

ここも工事中であったが、隙間から見えた踵にまで入念な彫刻が施されていることがわかる。





持仏堂には平安時代後期(12世紀)に制作された、

桧寄せ木造、作者不明の阿弥陀如来座像(県指定文化財)が安置されている。

先年亡くなられた先代ご住職は、当寺本山・仁和寺の副管長をされた方でもある。

その昔、上海に真言宗のお寺を開こうとされたことがあり、当時より魯迅や孫文との親交が厚かったそうである。

隣室の書院には魯迅の扇面の書2点と孫文の書き物が残されている。

その内の1点は、「なんでも鑑定団」においてウン百万の鑑定がなされたが、いまやウン千万とされている。

昭和58年に皇太子殿下が来られた際の写真が掲示されている。

その折にふすまも整理されたそうである。

そのふすまには、一面には、若狭湾にある岩と打ち寄せる波の絵、

もう一面には、老僧ご自身が四国88か所をご遍路中の姿と、それを描く画家・崎山木芳自身の自画像である。

いずれも見事なものであるが、その割に無造作加減が気にかかるものである。







境内には老古木が点在する。

これらの木々は、

鎌倉時代より600年にも及び、

何世代にも亘る多くの人々の想いと

信仰の力を見守ってきたと偲ばれる。
前ご住職により釣鐘は、

「よびたまふ み佛のこゑと あさはきき    

     ゆふべはいのち このかねの音」

と詠まれている。











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