第4回支援活動

ヤンゴンから車で6時間、舟に乗り換えて3時間の村に行きました。サイクロンが過ぎ去って一ヶ月が過ぎていましたが、この村には、どこからも何も届いていませんでした。この村の人口は1250人(280世帯)。うちサイクロンによる死者170名、行方不明者17名でした 今回は皆様からお寄せいただきました義援金で、米、塩、じゃがいも、食用油、豆、鍋、防水シート、服などおよそ1,5トンを準備し、間違いなくしっかりと届けてまいりました。 


  イラワジ河の支流をさかのぼり、奥地へ奥地へ。 川幅はほんの数メートル、船底が川底をこすり始めました。
  やっと到着。 村人の出迎え。
 
 荷降ろしは村人の力も借りて行いました。
  集まった村人達ですが、“こんな奥地にまでわざわざ助けに来てくれるはずがない”と思っている村人達は、最初、我々「懐」支援部隊を見て、“本当にもらえるのか?”と怪訝な表情を浮かべていました。 
  到着してまず思案したのが、支援物資の配給方法です。 村長と住職に相談をし、物資によって数の差もあることから、私達の持ってきた物資を三種類に分け、くじをひいてもらって配給することにしました。
  くじの1番から100番までが鍋セット(食用油、食塩、ラーメン、ポテトチップス、豆、じゃかいも)、101番から150番までが防水テント、150番以降は米3升と服2着です。 もし、不都合な場合は、その後の村人同士の物々交換に任せることにしました。
 
   長の作った名簿に従って、メガホンで名前が呼ばれます。呼ばれた村人が前に出てくじを引きます。 その番号によって、物資をもらっていきます。 
  防水シートが当たって喜ぶお兄さん(おじさん?) 
   浜坂高校の女子夏制服もプレゼント。
  配給作業も終わり、笑顔でお別れ。 
  村の人たちが桟橋まで見送りに来てくれました。
  同じ水路を戻っていくのですが、ここにはサイクロンの犠牲者が“水葬”されています。サイクロンが過ぎ去った数日後、ここの水路におよそ百体の遺体が浮かび、この水路をせき止めていたといいます。どしゃぶりの雨、膨れた遺体。 一体一体を引き上げての火葬も土葬もできず、やむなく、網状に組んだ竹を遺体の上にかぶせ、その竹網を上から竹杭で水底に打ち込み、すべての遺体を水底に沈めたということです。 
悲しい話です。しかし、こうして葬送された人々よりも、それさえなく、川に、海に、消えていった犠牲者の方がはるかに多いことでしょう。
漁師の男性が言います。
「川で漁をする気になれないです。でも、やらなければ生きていけない。でも、、、網に人間がかかってくるなんて・・・」