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2011年3月25日(金)
突然の訃報

週末村人の河野さんの突然の訃報を聞いて、あまりの突然に言葉が無い。
こんなことなら、もっと話をしたり交流をもっと深めておけばよかったと思い、悲しみが募る。
一緒に山に登ったり、一緒に風呂に入りに行ったり---共に過ごした日々が走馬灯のように懐かしく蘇る。
もう、あのにこやかな顔をおがめないかと思うとすごく淋しい。在りし日の河野さん(右から二人目)

2011年3月23日(水)
共に生きる意味

十数年前の阪神・淡路大震災の時もそうであったが、この度の大地震も同じように、被災された方々は、過酷な体験を通して生きることの意味を感じたり、問い直したりされているように思う。当然ではあるが、大きな災害を受けると価値観が変わる。例えば陶磁器などの美術品が趣味だった人が、震災に遭い大事にしていた宝物の壺が壊れてなくなっり、形ある物は壊れることを知り、足繁く通っていた窯元をおとずれることは二度と無かったということを聞いた。共に助け合い励まし合って生き伸びた体験から、共に生きることの意味を知り心豊かに余生をくらすことができたという話も聞いた。今回の震災も不幸ではあるが、被災者や応援する支援者らの胸打つ言葉を耳にすると、一筋の光明が感じられる。また、多くの学生などの若者がボランティアで働いているのは心強い。

2011年3月20日(日)
東日本大震災

死亡者・不明者の人数が2万人を越えようとしている。千年に一度あるかないかの大地震である。日本は太平洋から押してくるプレートとフィリピンの方向から押してくるプレートによって押し上げられた火山列島なので、地震や火山に常時さらされている。今回は想定外の大きい地震だった上に、それによって引き起こされた大津波、これに加えて原発事故。被災された人々の置かれている状況は想像を絶する厳しさである。のうのうとこのように暮らしていていいものだろうかと思ってしまう。住む家も仕事も家族や友人・隣人などほとんどをなくしてしまった人々が平安な生活に戻るには何年かかるのかと思うと気が遠くなる。今は被災しながらも、助け合い励まし合って健気に生きておられるが、いつまでも続けられるはずがない。我々もこのことを忘れないで末永くバックアップしていかなければならない。規模の大小はあるだろうけれど日本のどこにでも起こる可能性はある。他人事ではない。日本が一つになって、この災難を乗り越えていかなければならない。

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2011年3月19日(土)
昨日の雪

昨日降った雪は、今日は何もなかったように消えている。弥生の雪は淡雪。春が近いことがわかる。
遅咲きの山茶花に淡雪が美しい。

2011年3月18日(金)
よけいなお世話

私はプロ野球のファンである。だから、プロ野球の選手が今回の大震災へのコメントや態度がどうかというのが気になる。
その中でも特に気になるのが世界の「イチロー」のことが気になる。多くの選手が未曾有の大震災に亡くなった方々への哀悼の意を表したり、残された人々への励ましの言葉を言ったりしている。また、募金活動や寄付をしている選手たちも多い。そんな中で、世界のイチローは、「詳しいことがまだよくわからないので、コメントを差し控えたい。」と言っているようだ。
彼は、淡路・神戸大震災を経験している上に、これまたよけいなお世話であるが、一年で十数億円を下らないお金(年棒やCM料)を手にしている。だからどうしたのかと言われればそれまでだが、せめてコメントぐらいはしたっていいのではないか。
イチローが努力と才能で、世界に注目される名選手となり、その実力は誰もが疑わない。多くのファンが彼を応援している。だからこそ気になるのだ。寄付とまでは言わない、励ましの一言ぐらい言って欲しい。

追伸 今日この日記を書き終えて、調べてみると、イチローは今日18日に、コメントは無いようだが、
    1億円の義援金を贈ったようだ。イチローさん御免なさい。
私も1カ月分ぐらいの義援金送ろう
    かな? でも、生活が苦しくなるなあ。一般人の自分が何ができるのかなあ---

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2011年3月17日(木)
ひな人形

孫のために飾っていた雛人形。その時ついでに母が子どもの時に飾ってもらった大正雛(写真)も一緒に飾った。現在の雛人形はそれなりに可愛くていいのだが、大正雛はまたそれなりに格調が高くていい。

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2011年3月15日(火)
70kgあった体重が65kg台へ

メタボからの復活。いよいよ65kg台へさしかかった。できれば62kg台まで戻したい。
先日の徹夜(確定申告書の作成のため)の疲れは多少残っているが、以前のすぐに疲れる状態からは立ち直った。
今日は、朝早くから犬の散歩と畑にアスパラの苗を植え、昼からは日吉でWalking。そしてもうすぐ塾が始まる。  写真は今日歩いた日吉ダム。

2011年3月14日(月)
腹が立つ????

先々日の大地震が起きた翌日に、中学生が「どのチャンネルを回しても大地震の報道ばかりしているので、自分の見たい番組が見られないので腹が立つーーー」と言っているのを何回か耳にした。私にはこんなことを言う中学生の言動をにわかには信じられなかった。
今何が起きているのかよりも、見たいアニメのほうがその子等にとっては大事なんだろう。そして、これが日本の子どもたちにとっての現実なんだろうと暗澹たる気持ちになった。怒りをその子たちに向けても仕方ないと思いつつ、大自然の脅威の中で多くの尊い命が奪われていることを説いたが、残念ながらわかってくれなかった。
他人の苦しみを自分のことのように感じることができなくなってしまったのかと哀しかった。そんな子どもたちを我々大人がつくってきてしまったのだとーーーやりきれない思いになった。

2011年3月12日(土)
やっぱり怖い原子力発電所

電気を使っている我々は、原子力発電のお世話になっているが、このたびの大地震によっても安全でないことがはっきりした。
炉心を冷やす水が送りこめないと温度が上がり続けて、原子炉が崩壊する危険性をはらんでいる。水を送るポンプがいとも簡単に故障する場合があるということだ。
原子力発電所を造る時には、これ以上ない安全性というふうに強調されるが、実際には誠に危うい「安全性」と言わなければならない。
今回の福島第1発電所の放射能漏れが教えてくれた。

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2011年3月11日(金)
恐ろしい天変地異・宮城・茨城県沖の大地震

テレビを見ていた2時半頃、東京都知事選に石原知事が再び立候補をするということで、記者会見が始まろうとしていたまさにその時、突然地震が起きた。
日本で未曾有の地震となった。時間が経つごとに被害の詳細がだんだん明らかになりつつある。阪神・淡路大震災も大きかったが、それ以上の被害になるかもしれない。
自然の猛威には、先進国日本も、為すすべもない。都知事選のニュースは完全に吹っ飛んでしまった。

2011年3月7日(月)
貞(てい)さんの驚異的な回復ぶり

今日は、脳梗塞で半身不随になっていた元同僚の貞さんの見舞いに行ってきた。
口から食べられるようになってから、驚異的な回復がはじまったようだ。そういえばNHKの「ためしてガッテン」で口を動かして食べることは脳を刺激するといっていたなあーー。
前回のお見舞いでは、体を起こすことが苦痛であったが、今回は車いすにすわってであったが、2時間ぐらい談話室で話し込んだけれど支障はなかった。
また、食事も普通食が出ているようだ。冗談まじりの楽しい会話もできて私もうれしかった。これからリハビリが進めば、どんどんよくなるだろう。
その病棟の看護師長さんが、これまた私の妻の親友である。これもいいことだ。

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2011年3月6日(日)
孫との再会

息子夫婦が月に一度ぐらいの割で、孫を見せに返ってくれる。その度に、成長した姿が見られてうれしくそして楽しい。
言葉も少しずつ覚え、伝い歩きももう少し。

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2011年3月4日(金)
フキノトウ

忙しくしていたら、もう弥生の3月に入っていた。そして、フキノトウが我が家の庭の一角から顔を出した。天ぷらかフキノトウ味噌にして食べなければーー。

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2011年2月28日(月)
久々の雨、春を呼ぶ雨

昨日の畦焼きや田鋤きが終わるのを待っていたかのように、朝から本降りの雨。少し雨が小降りになったので、愛犬クロとの散歩。散歩から帰って来るなり強めの雨に。
久々の雨も心が落ち着く。

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2011年2月27日(日)
イノシシ・シカ等の防護柵の設置準備

ここ丹波篠山はイノシシやサルの本場。わざわざ動物園に行かなくても、日常的に野生の動物と隣り合わせで生活している。

各農家で自分の田畑に海苔網や簡易電柵等で防護しているが、防ぎきれない。そこで、市の補助金を利用して、山際に強力な柵を設置することとなった。これとても永遠に防護できるかといえば、3年ぐらいは大丈夫だが、それ以降はイノシシ等の動物と人間との知恵比べとなる。たいがいは動物のほうが勝つ。どこか抜け穴をつくって山から田畑に下りてくるのだ。強力な金網も猪突猛進の繰り返しで破られる場合も多々ある。

今日の午前中は設置のための整備に時間が費やされた。昼からは田畑の畦焼き。山や民家への延焼も考えられるので、消防団待機の上自治会単位で助け合いながら畦焼きをする。早目に終わったので、トラクターを借りてきて田の荒すきを行って、今日一日が終わった。土日はたいがいこのような行事が入る。

2011年2月24日(木)
自分の体力は復活したけれどーーー

老人ホームに入っている元同僚の高齢の女の人を訪ねた。ご主人を早く亡くされたり、その他いろいろと苦労をされてきたが、職場ではいつも明るく元気よく若手の私たちを指導していただいた。次々にやって来る家庭的な不運も、自分の運命と受け止めて頑張ってこられた。最終的には、老人ホームで生きる意欲を失って、元気なく死を待っているという感じであった。テレビを見たり、俳句を作ったり、人に出会ったりする意欲も無いということであった。
私は、その姿を見て辛く悲しかった。なんとかならないものかと考えていた。その他にも何とかならないものかと考えることが多い。祈るしかないのだろうか。

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2011年2月23日(水)
日本で唯一のパロディ木彫家

先日の竹馬の友からの電話の中味だ。駄洒落と彫刻とを結びつけた岩崎祐司と言う人のパロディー彫刻家について経済新聞の文化欄に載っていて、その人の作品が面白かったのだ。例えば「花咲かじじい」と題する作品は、お爺さんが犬の尻尾を持って振り回している木彫。これは犬が「放さんかジジイ―」叫んでいるのである。つい笑ってしまう。  岩崎祐司氏のHP

2011年2月22日(火)
体力の回復=復活

少し歩いたり動いたりすると全身がだるく息切れ状態で、オーバーに言うと先がそんなに遠くないのではと思ったこともあったけれど、70Kgあった体重も66Kgに落ち、あまり好きではなかった納豆も毎日食べーーして、ついにだるさも取れた。復活である。
犬の散歩も1時間余りのウォーキングも疲れなくなった。いよいよ山歩きも始めたい。私の食事や健康にいつも気を使ってくれている妻に感謝である。

2011年2月21日(月)
竹馬の友

今日、竹馬の友から携帯電話がかかってきた。竹馬の友というのは、同じ村で同級生で大の仲良しの「よっしゃん」のことである。

彼は出世していて、三菱商事系列のIT関連の会社の西日本支社長をしている。これがまた立派な奴で、えらそぶったところが微塵も無くて、忙しくても村の行事には帰って来て、昔のままの付き合いをしてくれる。互いに冗談を言い合ったり、世間話したりする。変わることの無い友情でつながっている。

彼からの電話の内容は「ほんまにしょうもないことで電話してごめん」という前置きして、出張先で経済新聞を読んでいたら、駄洒落の蘭があり、あまりにも面白かったので電話したということであった。

自社に戻ったらファックスで送るということだった。忙しい上に責任ある地位にいながら、面白い冗談を共有しようとしてくれる竹馬の友が自分にいることは誇りでありうれしい。

2011年2月20日(日)
義姉の四十九日の法要

今日は妻の兄嫁の法要で一日が暮れた。もうあれから一カ月半ほど経ったことになる。時の経つのは早いものだ。命のはかなさを再び思った。

妻の里のお寺も曹洞宗であるが、法要の最後の方で時間が余ったこともあり、始祖道元禅師の略歴について和尚さんよりお話があった。長老の話では、曹洞宗では近年ではめずらしいこと ということだった。

私の思いがどこかで通じたのかもーーー。

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2011年2月18日(金)
再び、映画「シンドラーのリスト」

ドイツによるユダヤ人大虐殺(ホロコースト)と人道的ドイツ実業家に光をあてた作品で、監督はあの有名なスピルバーグ監督。彼自身もユダヤ系アメリカ人。シンドラーによって助けられた人々の証言がDVDの2枚目に入っていたので、今日はそれを観た。
シンドラーは表も裏も知り尽くしていたので、表はナチスの党員で金もうけ主義者、戦争を食い物にする悪徳商人。その表の顔を利用しながら一人でも多くのユダヤ人を救おうとしたのだ。あの時代に単純な正義感だけでは一人の命だって救えなかっただろう。夕食を食べながら妻にこの話をしていると、その当時に私が生きていたら単純で直情型な私はいの一番に当局に殺されただろうと言われた。

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2011年2月16日(水)
日本のシンドラー杉浦千畝(ちうね)氏

杉浦千畝(ちうね)氏の功績

映画(DVD)「シンドラーのリスト」を観た。第2次世界大戦下で、ヒトラー率いるナチスがユダヤ人の大量虐殺にのりだしていたころの実在の人物シンドラーをモデルにした映画だ。オスカー・シンドラーはドイツの実業家だったが、ユダヤ人の窮状を見かねて、実業家であることを生かし、一人でも多くのユダヤ人を救おうとした人物だ。

このシンドラーにも勝るとも劣らない人物がいたことを初めて知った。その人は当時外交官だった杉浦千畝という人だ。すばらしい人だのに、そんなに知られていないのは不思議だ。さらに調べていくと、東条英機率いる軍事政権下の厳しい中で、杉浦氏と同様に自分の命をかえりみず人道的に働いた無名の人々も多くいたことを知った。私たちは歴史上の有名人しか知らないが、歴史には埋もれているが、立派な多くの人々がいたことをうれしく思う。
杉浦千畝のフラッシュ

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2011年2月15日(火)
雪の我が家

朝起きてみれば、雪は止み晴天。昨日のことが嘘のように穏やかな朝を迎えた。これを繰り返しながら次第に春に近づいていくのだ。奈良の東大寺二月堂のお水取りの行事が始まる頃には春がそこまで来ていることを毎年感じる。もう少しだ、春は。

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2011年2月14日(月)
また、雪積もる

昼過ぎから降り始めた雪は、夕方にはあたり一面をすっかり銀世界に変えていた。
湿った雪だし、、昼間に降っているし、積もらないはずだったんだけれどーー。3時ごろから見る見るうちに積もってしまった。

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2011年2月13日(日)
スタンド・バイ・ミイ(Stand by me)
今日は、特に用事も無かったので、映画(DVD)を観ることに決めた。家族や社会に疎外感を持ち心に傷を負っている4人の悪ガキ仲間の交流を描いた作品である。主人公のゴーディー(右)とクリス(左)が互いに心を通わせる友情が芽生える。この時期の少年たちの友情はおそらく生涯にわたり大切なものとして残っていくだろう。
この映画を観ながら、少年期を思い出した。ガキ大将がみんなを仕切っていた。昔のガキ大将は面倒見がよかった。配下にいる仲間を大事にした。私はひ弱な少年だったけれど、ガキ大将から泳ぎ方や釣りの仕方やその他諸々のことを教えてもらったが、いじめられることは無かった。そればかりか親しみと尊敬の念を抱いていた。その思いは大人になっても変わることは無かった。
2011年2月12日(土)
洗車したのにーーー

雪は降らないと予想してていねいに洗車したのに、雪が降って来た。用事で走って帰ってきたら、車は再び泥泥になった。
汚れた直後ならと思い、雪が降る中、ホースで水をかけて泥を落とした。そして車庫に入れて、後ろを見ると泥だらけだった。
後ろに水をかけるのを忘れていたようだ。残念無念。雪は5cmほど積もった。

2011年2月11日(金)
全幅の信頼・歯科医院
高校までは虫歯一つない立派な歯を持っていたが、学生時代の不養生がたたり、大学を卒業する頃には虫歯でボロボロになってしまっていた。あちこちの歯医者さんにかかってきたけれど(普段の生活習慣も悪かったのだろうけれど)よくならなかったが、やっと納得のいく歯医者さんにたどり着いた。それが、20年以上前のことだ。それ以来ずっとその歯科医院でお世話になっている。今ではもう我が家のように思える。今もケアーで月一回は行っている。その歯科医院は小嶋歯科医院だ。
2011年2月10日(木)
便利なものは、壊れたら大変

自動車のエンジンへの燃料供給は、基本的にはアクセルの踏み具合によるが、空気とガソリンの最も適切な混合でエンジン内に送り出すために制御しているのは自動車に取り付けられているコンピュータがしている。
昔と違って、このように多くのところでコンピュータ制御が使われている。便利になった。
しかし、一旦故障すると、制御盤を取り換えることになって、思わぬ高額の出費に見舞われる。

半月前ぐらいに寒波に襲われた時に、風呂場の混合栓(温度調節付き)が凍結により痛んでしまい、水も湯もでなくなった。取り換えである。この混合栓はコンピュータは関係していないが、実に高価なものである。
5万5千円也----+工事費。普段便利に使わせてもらっているので致し方ないかーーー。

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2011年2月7日(月)
職人魂

昨日、所用で三田市に行って、元教え子のお父さん(建具職人)から久々に格調高い日本文化についてのお話を聞くことができた。

襖(ふすま)一つをとっても、長い歴史があり、そこには高い技術や文化が息づいているものがある。しかし、明治維新の時の西洋かぶれの時もそうであるが、戦後の大量生産・大量消費の時代から、見た目だけの体裁がいい安直なものが幅をきかすようになってきたということである。

確かに、私も大いに納得できる。我が家は富裕層からほど遠い水飲み百姓の末裔なので致し方ないが、これといった代物が無い。職人さんが精魂傾けて作った作品は目に当たらない。

戦後の復興は凄まじく、血のにじむような先人の努力があたのだろうが、その半面で、長い歴史の中で築き上げてきた格調高い日本文化の技術や伝統を捨ててきたことも事実だ。

我が家も家は比較的新しく、家具や備品も現代的なものが置かれていて、一応文化的な感じは与えるが、歴史に耐えるものは一つとして無い。
私が死んだら、全てといっていいほどお払い箱となるものばかりである。

その点西洋は違う。家具や建物もいいものは何代にも渡り遺産として受け継がれる。良い物でも知らずに捨てて、新しい物を手に入れる成り上がりの日本とは違う。そろそろ日本も、経済の発展ばかりに目を向けないで、じっくりと本物を見分けて、本物を大事にしていかなければならない時期に来たのではないかと思われる。

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2011年2月5日(土)
老いてなお青春街道を走り続ける仲間たち

大学の同窓生(私の同期生と先輩)が、年1回集まる。もう恒例になった。殆どが大阪府在住である。
楽しい語らいの後、再会を約束して散会した。青春時代を鳥取で過ごしたということが一つの絆になっている。年商○○億円の社長から無冠の私まで様々。しかし、そこに壁は無い。
有り難いことだ。また、元気をもらった。 会場は私のお気に入りの「いわや」

2011年2月4日(金)
悲喜こもごも

能天気な私でも、人並みに苦しいことや哀しいことに出くわす。人並み以上かもしれない。迷路に迷った時は「人生は舐めてかかるほど易しいものではないが、考え過ぎるほど難しいものでもない」と思ったり、悲しみや怒りで狂いそうな時は「喜怒哀楽そのものが生きている証拠・喜怒哀楽の無いことは死に等しい」と自分を慰めたりする。解決不能と思うことに直面した時は「思考停止」して、そこから距離を置いたり「明けない夜が無いように、いつかは解決するだろう」と希望的に放置したりする。突き詰めて考えることも大事なことだが、程よく避けて通り過ぎたり開き直ったりしながら、できるだけ悲観的にならないように心がけて生きている。

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2011年2月1日(火)
畑の地上げ

周りより一段低かった畑が水はけが悪い上に、上がり降りしなければならず、使い勝手が悪かったので、地上げすることにした。表土(上土)をはがして、底土を入れ、再び表土を上に敷く作業をしてもらうのだ。
かなり低かったので、ダンプカー20台分ぐらいの土が必要になるだろう。土代も入れると軽く100万円は越えるが、土は残土を無料で提供してもらう。それでもかなりかかると思われる。
写真左の黒っぽい土が表土、赤っぽい土が底土になる。残土といってもどこかの訳のわからない土ではない。山の土だ。かなり良質の真さ土である。

2011年1月29日(土)
一昨日友が語った言葉

一昨日お見舞いに行った時、少し左半身が麻痺していている元同僚が言った言葉が耳に残る。「このようになってみれば、両足で立てて、歩けるということがどんなに凄いことかとわかった。」
私たちは、両足で立ち歩けることが当たり前のように思っているが、確かにすばらしいことなんだなと思えた。
このことに感謝して、日々健康の維持・増進に努めなければならないなあと思った。

2011年1月28日(金)
再発、持病の頭痛

首が冷えたり、同じ姿勢で根をつめる仕事をしたりすると、肩から首筋にかけてこり、頭痛になるというのが持病だ。ネックウォーマをするようになってから、この持病はしばらく起きなかったが、ついに今日起きてしまい、その大半を寝て過ごしてしまった。
午後3時ごろ、頭痛をこらえながら風呂に入り、夕方から小学生の指導をしていると、痛みも改善されて、今ではほとんど治った。
頭痛を知らない人には理解できないと思うが、頭痛が起きると食欲はもちろん何にもする気になれない。
癌になったら、痛みのコントロールだけはしてほしい。

2011年1月27日(木)
元同僚のお見舞いに

今日は神戸に元同僚のお見舞いに行ってきた。一人目は私よりかなり若いのに脳梗塞で倒れて入院している男性、二人目は足を骨折した私より年上の女性だ。二人目は日にち薬で治るのでいいのだが、ショックだったのは一人目の脳梗塞の方だ。
不幸ではあったが幸いにも発見が早くて、左半身が少しマヒ状態ではあるが、意識も明瞭で言葉もしゃべれてたので、案外早く回復するかもしれない。多忙の上にストレスがたまる仕事(学校の教頭職)が、この病気を引き起こしたように思う。早く元の身体に戻って欲しいといのるばかりである。

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2011年1月26日(水)
黒澤明監督の映画 「まあだだよ」

年末だったか年始だったかNHKのBSで黒澤作品の「まあだだよ」をしていた。
この作品は、内田百閧ニいう作家と門下生の交流を描いた作品だ。百閧ヘ、夏目漱石の門下生で、芥川龍之介が慕っていた人だ。黒澤明も百閧尊敬していて、この作品を作ったらしい。

なぜ、私がこのことを取り上げたかと言うというと、百閧フ孫娘に内田ミネという随筆家がいた。
このミネさんが当地篠山に取材でよく訪れていた。その時には、必ずと言っていいほど「いわや」に寄っていた。先代の社長と親しかった私は、よくミネさんの話相手をさせられた。お陰でミネさんとは親しくなった。そのミネさんは後にカナダ人と結婚してバンクーバーに移り住んだが、その後の消息についてはわからない。誰か知っている人がいれば、教えて欲しい。日本に帰国した時には是非篠山に呼びたいと思っている。

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2011年1月25日(火)
続・ふるさとの話をしよう

きょうも「ふるさとの話をしよう」を歌っていると、急にいわやの先代の社長が懐かしくなって「いわや」を訪れた。
自分と馬が合い教え子でもある三男坊のたかしが、店の世話と留守番をしていたので雑談に花を咲かせた。外は粉雪が舞っていた。妻に、「役に立たなくてもいいから邪魔にだけはならないように」と言われていたけれど、調理場で邪魔をしながら、懐かしい話や失敗談などして楽しい時を過ごした。やがて昼になり、調理場でぼたん鍋をふるまってもらった。やっぱりうまかった。体の中からぽかぽかして温まった。同時に心も温まった。

2011年1月24日(月)
ふるさとの話をしよう

浪花のモーツァルトことキダ・タローは作曲家兼タレント。多くのCMやドラマのテーマ音楽など2000曲以上をてがけている。
歌謡曲は一曲だけ作っている。北原謙二が歌い、後に山本譲二がカバーした。
曲名は「ふるさとの話をしよう」だ。
「いわや」の先代の社長が大好きだった。私も好きな曲だ。

いつまでも歌い継がれる歌謡曲の名曲だと思う。 ふるさとの話をしよう

2011年1月21日(金)
爽やかな斎藤佑樹  石川 遼  錦織圭など-------

高校野球でハンカチ王子で有名になり、早稲田大学を出て、ドラフトで今年日本ハムファイターズに入団した斎藤祐樹選手。プロゴルファーとして活躍している石川遼。エアー・ケイで知られているテニスプレイヤーの錦織圭選手など若いスポーツ選手の言動を見ていると、日本の未来にも希望が持てて明るい気持ちになる。
日本の若者が未来に希望を失い、努力することや感謝の気持ちをなくして、あげくの果てに無差別殺人に走るような暗い一面をわすれさせてくれる。相も変わらず繰り返されている低レベルのいじめ。精神の荒廃に起因すると思われる自己中心的で即物的な傾向にある子ども達。その結果の止まらない学力や体力の低下。いつまで経っても無くならない学級崩壊。でも、一方では初めに書いた爽やかで未来に希望を託せる若者たちも育っているのだ。
彼らがよく口にするのは、感謝という言葉である。あれだけの才能を持ちながらも、育ててくれた人々や応援してくれる人々に感謝している。しかも努力を厭わない。若者はもとより大人の我々も彼らから学ばなければならないと思う。

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2011年1月19日(水)
昨日の雪も一日で

一昨日まで降り続けた雪も、昨日と今日ですっかり溶けて、日陰に少し雪が残っているぐらいになった。
山陰地方は、大量の雪が降ったので、まだ雪の中に埋まっているんだろう。私が鳥取にいる時も何十年振りという大雪が降ったことがあった。全ての交通がマヒして、長い道のりを歩いたことを思い出した。
(写真は一昨日の雪の中の我が家)

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2011年1月17日(月)
愛犬「クロ」

日常で癒してくれる友の一人が愛犬「クロ」だ。雪が大好きなので、大雪が降っても、
寒さに負けることなく雪の中を跳びはねている。私の起きる頃には既にハウス(犬小屋)の周りを踏み固めている。

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2011年1月16日(日)
「あかり」

お正月に風邪をひいて来れなかったので、やってきたが、私には警戒心があったようで、私の顔を見るなり泣きだした。人見知りしかける時期に入りかけていたのに、顔を見るなり急接近して、ほっぺをさわったりしたので、びっくりしたのだろう。
別れる頃には、なつかせたが、一苦労した。
赤ちゃんは純真なんで、癒される。元気が出た。無条件でかわいい。

2011年1月14日(金)
お葬式に差し出すお布施

この週は、お葬式について考えることが多かった。

下世話な話になるがーーーーー
宗派によりお坊さんに差し出すお布施の額がだいぶ違うが、我が曹洞宗は他とは違い高額である。

お葬式に1時間ほどきてもらうと、導師さんでなくとも一人10万円近くかかる。浄土宗では約3分の1ぐらいだそうだ。
導師さんは軽く10万円を越える。従って5人来てもらうと、驚くほどのお金が要る。その他にも葬儀屋さんなどにかかったお金をいれると、合計○百万円はかかる。また、初盆には施我鬼料や切篭料といったまとまったお金が要る。時間は関係ないと言えばそれまでだが、順番待ちしながら十分前後のありがたいお経をあげてもらうだけである。ただし、お寺側から言うと、その額は寺が決めたものでない、寺総代の会で決めたことだと。確かにその通りである。寺側から言えば布施だから、任意と言うかお気持ちのままにということになる。檀家の代表が、つまり檀家側が勝手に決めているのだということになる。

しかし、個が確立していない島国の日本では、何でもそろえて横一列になってしまうのだ。村八分になりたくないから。

葬式が有ろうと無かろうと、毎年お寺に必要な経費を檀家数で割った寺割を、また特別出資のある場合には寺割にプラスして納めている。

お金持ちには関係の無いことかもしれないがこの暮しにくいこの時代に、家族に迷惑がかかるので簡単には死ねないなあと思う。
それと同時にこの宗派が始まった頃と今とでは月とスッポンほどの違いが生じてしまったなあと思う。

誰がそのことに気付き変革していくのかなあと思う。

働き手の大黒柱が亡くなった場合など、悲しみの上に、高額なお葬式代等がのしかかってきて辛さが一層つのるのではないかと思ってしまう。

このように書くと、お寺に反抗しているように思われるが、私は仏教が好きだし、仏教に関する本も結構多く読んだ。自分の考えの中に仏教の教えが少なからず反映されていると思う。また、私自身は寺割を滞納したこともないし、お寺に払うお金を納めなかったこともないし、お坊さんを尊敬しても貶したこともない。

それにしても衆生を救済するという草創期の高邁な理想はどこに行ってしまったのかと思うのだ。尊い仏陀の教えが、また始祖の思いが、時代の流れの中で埋没してしまうのではないかと心配する。日常では、仏陀の教えが聞かれることはほとんどない。多くの者は人が亡くなった時、お経をあげてもらうことと、お坊さんへのお布施のことがまず頭に浮かぶのではないだろうか。仏陀の教えはお経そのものだが、お経を理解して一緒に唱えている人は殆どいないように思う。神妙な顔をして聞いているが、実は中味がよくわからない読経が終わるのをじっと耐えて待っているだけのように思われる。

お坊さんには、わからないお経を唱えてもらうより、その一節をわかりやすく解説していただくほうがありがたい。できれば日常の中で。そのうえで、故人に近しいい者が、在りし日の故人を偲びご冥福を祈るような式になればうれしい。ささやかでいい。お金がかからなくていい。わかりやすく心のこもった式でありたいと思う。

また、まとまりの無い生意気なことを長々と書いてしまった。

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2011年1月10日(月)
雪の「いわや」

萱葺(かやぶき)の屋根に雪が残り、自然の演出で、益々田舎家の雰囲気が増す。
中は囲炉裏が切ってあり、炭火がいこり、ぐつぐつとぼたん鍋が煮えている。
夢のように思える風景が、実際にここにある。

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2011年1月9日(日)
わが村(自治会)の新年会

例年通り、ぼたん鍋とすき焼き鍋を囲んでの和気あいあいの新年会。
外は雪がちらつき相変わらず寒かったが、中は笑い声が絶えない暖かい雰囲気だった。
こんな地域で暮せることの幸せを感じた。
写真は恒例の集合写真。写真を撮ったのは田舎のカメラマン康べえでした。

2011年1月7日(金)
吹雪の中、黄泉への旅立ち

雪が降りしきる中、執り行われた告別式。青森出身だった義姉が故郷を偲んで降らせた雪だったのかもしれない。
参列者には申し訳なかったが、雪の中を黄泉の国に旅立って行った。少し早い旅立ちだった。

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2011年1月6日(木)
再び、雪が

年末年始に降った雪がほとんど溶けていたが、朝からちらほら降っていた雪が気温が下がって夕方から再び積もり始めた。
明日、義姉(妻の兄嫁)のお葬式だが雪の中でとなるかもしれない。振り返ってみれば、妻の父親のお葬式も早春だというのに吹雪の吹きすさぶなかで執り行われたのを思い出す。享年50歳だった。
あの時も、若くして逝くことへのくやしい父の思いが吹雪を呼んでいるのだなあと感じた。

2011年1月5日(水)
人の命のはかなさ

昨夜、塾が終わってから、伊丹市の病院にかけつけたが、既に遅かった。
私より2歳年下の義姉が亡くなった。信じられない。昨日妻の里へ行って出会った人が、その日のうちに亡くなるとはーーー言葉を失う。突然逝かれると、喪失感が大きすぎる。長患いも周囲が疲れを出すが、互いが覚悟するぐらいの時間は必要だ。

2011年1月4日(火)
仕事始め

まだ、松の内ではあるが、あっという間に過ぎてしまった年末年始。今日から私も仕事始めだ。
今からでは少しおそいけれど、何か目標をいくつか立てて、それをよく見えるところに掲げて、一つでも多くの目標を達成できるようにしていきたい。何をしても飽きっぽいので、一度決めたことは、最後までやり通したい。

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2011年1月2日(日)
昨日の午前0時

村の行事「年越し蕎麦を食べて・氏神様への初詣」
氏神さま「波々伯部(ほうかべ)神社」の拝殿にて新春のご祈祷を神妙な面持ちで受ける村人。
今年も平和で安らかな年となりますようにと祈った。

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2011年1月1日(土)
西国25番札所 清水寺へ

娘夫婦が帰省したので、一緒に雪が舞うなか清水さんへ初詣。お正月の雰囲気を十分味わうことができた。

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2011年1月1日(土)
積雪のなか新しい年が明ける
近年、雪の中でお正月を迎えることが少なくなっていたが、久々にぴっと張りつめた清新なお正月を迎えた。今年が明るいよい年になることを願わずにはいられない。
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2010年12月31日(金)
朝から雪

昨日、積もるほどではなかったが、初雪が降り、今日は朝から降っている。
雪が降ると景色は一変して、静かな墨絵の世界となる。明日は元旦、正月らしい日を迎えられそうだ。

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2010年12月30日(木)
三田の蓬莱牧場で育った

元気一杯の大根と赤かぶ。EM菌ともみ殻と牛糞を混ぜて発酵させた有機質堆肥で育てた元気のある野菜。
甘味・香りがありとてもおいしかった。

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2010年12月29日(水)
上海・蘇州の旅で一緒だった

藤本ご夫妻と「いわや」で再会。再会の喜びを分かち合った。これでツアー以来の再会は3度目だ。
旅の内容は今一ではあったが、一緒に行った一行が馬が合ったからだろう。ツアーの人数も小人数だったのでよかったのだろう。人間関係が希薄になっていると言われている今日、ツアーで一緒だったというだけで、再会を喜び合えるって、とてもうれしいことだ。

2010年12月28日(火)
ちょっと日記をさぼっていると

毎日いろんなことがあるが、あっという間に数日が過ぎている。我に返ると正月がもうそこにやってきている。驚き桃の木山椒の木である。少年老い易く学成り難しである。
自分はまだ少年のままなのに、肉体はどんどん老いさらばえていく。また、月日は風のように流れて、新しい年を迎えようとしている。

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2010年12月24日(金)
愛車プリウス

高い大人のおもちゃではあるが、お気に入りのプリウス。今度はできるだけていねいに乗りたい。人生のラストランをする車にしたい。来年の夏は、この車で東北の旅をしたいと思っている。往路か復路のどちらかを日本海フェリーを使って行きたい。子どものように夢はふくらむ。

2010年12月21日(火)
今年も後10日で終わり
妻が私に「この月は師走と呼ぶけれど意味がわかる?」と言ったので、「まあ、わかる。」と答えた。すると「まあ、あなたも一応師の付く人やからね。」と言ったので、私は「自分は師の付くほど偉い者ではない。」と言うと、妻は「じゃあ、師の端くれにしとこか。」と言ったので、私が「端くれ?−−まあいいか。」と言ってみんなで大笑いした。結局妻が言いたかったことは、「年末なので、あなたもぼーとしていないで、年末の片付けや掃除など先頭に立ってやってよ。」ということだった。
2010年12月19日(日)
認知症について
私の場合、もとからしっかりしていないというかぼーっとした性格なので認知症的な傾向は昔からあった。だから年齢的に多少その傾向が強まったからといって、悩んだりはしない。作家の芥川龍之介が健忘症だったのはよく知られている。私はこの事実を利用して、自分のもの忘れが多いことを、芥川龍之介に似ているのだと言ってきた。

冗談はさておき、自分と年齢の近い人が認知症にかかったという話を最近耳にすることが多くなった。自分が認知症になっても仕方ないというか、わからないからいいんだけれど家族は辛いだろうなあと思う。友人が認知症になったと聞くと、もう彼とは普段通りの会話はできないんだと哀しくなる。確かに家族でなくても辛い。
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2010年12月18日(土)
ついに新車が

妻の怒りもまだおさまっていないが、新車プリウスが昨日やってきた。
子どものようにうれしさを隠しきれなでいる。今日は、朝から説明書とにらめっこしながらナビの設定などをした。
車を買うときにも手助けしてくれた近所のヨシノリ君も助っ人に来てくれて、ああでもないこうでもないと言いながら一応の設定が終わった。
車は大人のこれ以上ない楽しいおもちゃだ。自動車も昔と違ってナビの設定は素人には少し難しくなっている。運転するだけなら簡単だが、ハンズフリーで携帯電話の応答ができるようにしたり、記憶媒体に音楽を入れたりするのは、コンピューターをさわるのと同じぐらい難しい。
あっという間に楽しい一日が過ぎた。

2010年12月17日(金)
精神的に健康かどうかではないだろうか

全国的な小中学生の運動能力テストの結果が出たことを昨日のニュースは伝えていた。
福井県・秋田県が上位にいて、大阪府が最下位だ言っていた。全く学力テストの結果と同じである。
大阪府知事が立腹して、大阪府の地域の首長や教育委員会や学校に責任があるというようなコメントをしていた。

学力を上げるために、どんどん詰め込めばいいという問題ではない。また同様に運動能力が低いから、どんどん運動やらせればいいという問題でもない。まして、責任を地域や学校に押しつけていいものではない。
心が育つ精神的な風土をみんなで作りだしていくしかない。そして未来に向かって頑張っていく子どもたちをつくっていくしかない。

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2010年12月15日(水)
小さな柚子が三個できた

育ててきた苗木は、なんとか枯れずにここまできた。できた実を食べたが、柚子の香りがあまりしないのはなぜだろうか。
やっぱり、もっと大きな木に成長しないと実も香りが良いものにはならないのだろうか。

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2010年12月13日(月)
「いわや」でぼたん鍋を囲んで忘年会

この夏に「上海旅行」をして親しくなった上海娘さんたちとぼたん鍋を囲んで忘年会をした。
上海での旅行のことを話のねたに楽しい語らいをしながら、ぼたん鍋をゆっくり味わった。

いつもならお酒と話が先行して、料理を味わうところまでいかなかったが、今回ゆっくり味わってみて、ぼたん鍋がこんなにもやわらかくて臭みも無くうまいものだと再認識させられた。


これは、「いわや」のぼたん鍋だからこそだと思われる。イノシシの肉であっても若いイノシシの肉だけを食材にしているからである。

東南アジアではタイのバンコクやベトナムがいいと、上海娘さんに教えてもらった。また、みんなで一緒に行ける機会があれば是非行ってみたい。

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2010年12月12日(日)
南天の赤い実

以前にも書いたが、ナンテンほど強い植物はないのではと思うほど強くたくましい。いくら刈り込んでも枯れることなく盛り返して赤い実をつける。
強くてめでたいナンテンである。

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2010年12月11日(土)
万両の赤い実

縁起物のマンリョウがあちこち植わっている。貧しいのでお金が増えますようにとの願いを込めて父や祖父が植えたのだろう。
赤い実と緑の葉のコントラストが美しい。

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2010年12月10日(金)
ヤツデの花

今日は、カメラを携えて、何にか被写体はないかと、庭を探した。隣家から顔を覗かせていたヤツデの花に目がとまった。我が家の庭にも昔あったが今は無い。
花が少ないこの時期に白いヤツデの花もなかなかいい。

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2010年12月7日(火)
蓬莱牧場のEM菌入り熟成堆肥

今年も、堆肥を田畑に投入。田畑は化学肥料だけでは、痩せていく。有機質を適度に入れて、土質を改善してやる必要がある。
今年も蓬莱牧場にお世話になって、我が集落の何軒かの田畑に散布してもらった。

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2010年12月5日(日)
お婆ちゃんに抱っこされて

会うたびに大きくなっていく「あかり」。癒される。元気がもらえた。ミュージカルはストーリーが思っていたほどよくなくて感動は少なかった。しかし、さすが劇団四季だけのことはあった。

夜は久びさの高校の同級生の集まりで楽しく会話が弾んだ。野菜や野草中心のフランス料理であったが、ウサギの気持ちになれた。


明日から、また、がんんばろう。

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2010年12月4日(土)
明日は過密スケジュール

朝早く家を出て大阪へ行き、孫のあかりを見て、昼から同じく大阪で劇団四季のミュージカルを鑑賞して、篠山に戻り夜は高校の同級生と忘年会だ。忙しい忙しい。写真は上演されるミュージカルのポスター。

2010年12月3日(金)
少し元気を取り戻した今日この頃

体重が少し減ってきて、体も少し楽になってきた。
70kg前後の体重が68・5kg前後になった。65kgが理想の重さである。
これ以上に減って行くとまた別の心配をしなくてはならないがーーーーー。

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2010年12月1日(水)
久々の塾風景

今日は、昔担任した教え子(男)が「うちの子を頼む。」と電話してくれた。教え子の子どもを教えるようになるとは、私も随分年令を重ねたものである。
 「勉強もやけど、人間を教えたって欲しいんや。」有り難いお言葉であるが、私が人間ができていないので要望にお応えできるか疑問であるが、やってみるしかない。

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2010年11月30日(火)
やっと見つけた レストラン(喫茶店)

山国に住んでいるためか、時々海を見たくなり、車を走らせることがある。
たいがい、日本海を見に行く。わかかりし頃にふと立ち寄った日本海が美しく見えて食事や喫茶がきもちよくできる店を見つけだしていたが、それが丹後半島にあったと勘違いして、何度丹後半島に行っても見つけられなかった。

しかし、今回やっと見つかった。それは、舞鶴と宮津の間にある奈具海岸にあった。

「双子岩」という名のレストラン兼喫茶店だ。さすが昔印象に残っただけあって、今も当時と同じように繁盛していた。やっぱりよい店はいつまでも残る。

2010年11月29日(月)
日本の小中学生の学力低下について

何年も前までは、日本は世界一が当たり前だった。しかし、現在はずっと順位が下がってしまった。子どもをずっと見続けてきたから、そうなった理由が何となくわかる。
子どもの心が幼稚化というか精神の低年齢化?というかしている。昔は塾生もまじめに辛抱強く勉強していたが、今は辛抱が無い子が多いし、自己中心的な子が増えてきた。つまり勉強に向かう姿勢の無い子が増えてきているのだ。勉強が全てでないので、点数にこだわることは無いが、人間として大切な、辛抱強く頑張る力や他人のことを思いやる優しさなどがだんだんに欠けてきているように思う。心が安定していない。こんなことが学力低下につながっているような気がする。学力が低いから、塾に行くとか、勉強時間を増やすとかいう問題ではないような気がする。

全国学力テストの結果を見ると、悪い府県の代表が大阪府で、比較的学力がよい県は秋田県や福井県である。秋田県や福井県が経済的に豊かな県とは言えないが、出生率が高かったり、三世帯の交流がうまくいっていたり、自然豊かだったりしているところをみると、子どもたちが安定した精神的土壌の中で、心豊かに育っているから、学力もついてくると言えるのではないだろうか。

がさがさした経済中心のしかも低俗な文化の渦巻く中で、また共稼ぎの核家族の中では、なかなか子どもの心は安定して豊かには育ちにくい気がする。つまり学力向上以前の問題がある。核家族の名誉のために言っておくと共稼ぎでも立派に子育てをされているところもある。あくまで傾向としてということだ。

子どもの
会話を聞いていると、「きもい」という言葉が飛び交っている。学校の先生や友達に向けられている言葉である。子どもの精神の幼稚化と荒廃が進んでいる。体は大人だが、精神は未熟な子どもたちが確実に昔より増えてきている。これは子どもが悪いのではない。我々大人がこういう子どもたちを作りだしてきたのだ。日本の将来が心配される。

また、えらそうなことを言ってしまった。

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2010年11月28日(日)
再び、裏庭の紅葉

そういえば、京都の紅葉も今が盛りだと昨日のニュースで言っていたような気がする。
人里が近いほど気温も高いからだろうか。紅葉は遅くなるようだ。

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2010年11月27日(土)
裏庭のモミジ

夏の暑い日に緑陰をつくってくれるモミジが野山の紅葉から少し遅れて紅葉を迎えた。
家のそばにあるからか、それとも品種のちがいからか、野山の紅葉がすっかり終わった頃から紅葉を始める。
この家の主人に似ているのだろうか。

2010年11月26日(金)
銀行は、お金を取り扱う商事会社

銀行は、ついつい金融商品を取り扱う商事会社であるということを忘れて、なんだかありがたい公的機関のように勘違いをしてしまうことがある。

大きな銀行が行き詰ると、国の金融の状態が不安定になり、国の信用にもかかわって来るということで、国民の血税である公的資金を注入したりするからであろう。


しかし、かつてのバブルを作りだしたのも銀行だし、それがはじけて大きな損失を出し、公的資金で助けてもらったのも銀行である。

金を持っている人や会社には優しく持たざる者にはすこぶる冷たい。


私がおつきあいしている信用金庫は小さな銀行であるが、今回そのことを再認識することとなった。

地域の銀行ということで、大事にしていたが、最も優しかったH信金に乗り換えてやろうかな。

2010年11月25日(木)
無為の一日

今日は、何の予定もなかった。しようと思えばいくらでもあっただろうが、敢えて探さないでぼーとして怠惰な一日をすごしてしまった。
したのは、愛犬クロとの散歩だけだった。まあ、こんな日もあっていいかもしれない。

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2010年11月24日(水)
NHKの朝ドラ「てっぱん」の主人公

主人公「あかり」を演じている俳優「瀧本美織」について調べていると鳥取市出身だということがわかった。
また、私の第2の故郷鳥取と繋がってしまった。鳥取とはよほど縁があるようだ。また、甲子園での阪神対ヤクルトの試合の始球式に投げて、その後のインタビューで「阪神ファンになります」と宣言したらしい。因みに私も阪神ファンである。

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2010年11月23日(火)
どこに行くにも一緒だった

この愛車プリウスとも後ひと月でお別れだ。遠くは東京・長野・和歌山・山口、近くは鳥取・石川・滋賀・大阪・神戸・京都へ何の文句も言わずに気持ちよく走ってくれた。
今まで乗って来た車のなかで最もいい車だった。だのに新しいのに乗り換えるとはーーー薄情な男だ。妻にまだ許可ももらっていないというのにーーーハンコをついてしまった。

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2010年11月22日(月)
つかの間の紅葉時期が過ぎる

ここしばらく日吉に行けていなかった。行ってみると、紅葉は既に終わり、冬枯れに入りつつあった。
今年は、秋の時期が短かかった。もう、冬がやってきたんだ。

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2010年11月20日(土)
悪い虫が騒ぎだした

実は、私は悪い虫を何匹か抱えていて、時折うごめき騒ぎ出す。そのうちの一つである車好きの虫が騒ぎだした。今のプリウスは5年乗った。
今までは贅沢ではあるが3年おきに乗り換えていたので、今回は最長だ。歳も歳なので乗りつぶすつもりでいたが、新しいプリウスに乗り換えたいという虫が騒ぎだしたのだ。
妻にはまだ言えないでいるが、騒ぎはおさまりそうにない。今乗っているプリウスに不満は無いのだが。

2010年11月19日(金)
NHK連ドラ「てっぱん」

「ゲゲゲの女房」もよかったけれど、「てっぱん」も負けず劣らずでなかなかいい。
主人公の純真さに周囲の人々が突き動かされながらドラマが展開していく。何の計算も無く純真さだけがとりえのような主人公が心情を吐露するとき、ついつい込み上げてくる。個性豊かな登場人物も、力のある俳優さんが多数出て周りを固めている。毎日朝見るのが日課になってしまった。期せずして主人公の名前が「あかり」で孫の名前と同じである。孫のあかりも、主人公のように勉強はできなくても心の美しい素直な子に育ってほしいと願っている。

2010年11月17日(水)
どうなる? これからの日本! 不透明な時代。

政治をはじめ全てのことに不透明で不確かな閉塞した状況が続いている。
この閉塞感を破ってくれるのは何なんだろう。やっぱり政治とともに経済の状況がよくなり、明るい未来が予想される時、明るい未来が見えてきた時、この閉塞感が破られるのだろうか。でも、それに困惑して待っているだけでは駄目だ。でも、我々庶民は今日一日を過ごしていかねばならない。明けない夜が無いように、必ず未来は開けると信じて毎日を過ごしていくしかない。

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2010年11月16日(火)
「あずさ2号」と「きりたんぽ鍋」

先日、教え子とフォークの名曲「あずさ2号」を歌っていて、学生の頃に失恋して着の身着のままで夜行列車「日本海」に乗って、秋田にいる友人のところに行ったことを強烈に思い出した。
その友人は当時大館にある銀行に勤めていて、あちこちの店をはしごしながら飲ませてくれた。12月の北国はさすがに寒かったが、服まで買ってくれて、翌日は彼の実家にまで連れて行ってくれた。そしてあたたかいきりたんぽ鍋をたべさせてもらった。片道切符しか持っていなかったので、帰りは切符と弁当を買って持たせてくれた。
その人こそこの夏に立ち寄ってくれた菅原君だ。きりたんぽ鍋の材料を先日送ってくれた。私は鍋をつつきながら、あの時のことを思い出した。
そして、また「あずさ2号」を歌いながら、その時の切ない青春時代を思い出した。

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2010年11月15日(月)
みんなでカラオケ

昨日の疲れと興奮が冷めやらぬ朝を迎えた。
そして、昨日のことや、若かったあの頃のことを思い返している。
F子ちゃんが「先生、あの時に○○さんちの接待受けたやろ、それでえこひいきしとるん違うかと噂になっとったんやで。今やったら首やわ」ほんとに有り難いお言葉だ。今は何の隠しだても無く話してくれる。反省することも一杯あった。今も至らない点が多々ある私だ。

 最もやんちゃで、私もよく手を上げたM君。その後もやんちゃを繰り返していたようだが今は介護施設で介護の仕事をしている。今はまじめに働き、まわりからの信頼も勝ち得ているようだ。そのM君が、「先生困ったことがあったら言ってや、僕が全力で助けるから。あの頃一生懸命しかってくれて有り難う。」といってくれた。涙腺が弱くなっている私は、今にも泣き出しそうになったが、なんとかこらえてM男の肩をぐっと引き寄せた。
昨日の2次会、大いに盛り上がっている一場面。)

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2010年11月14日(日)
天神の森で

三田小学校の教え子が、昼に焼肉パーティーをするのでと呼んでくれた。懐かしい三田小学校の近くにある天神さんまで行ってきた。
私が30歳ぐらいの時に教えた子どもだから、既に42歳になっている。この教え子たちの子どもがちょうど、今塾に来ている子の親たちの年齢である。
午前11時から始まった。この1次会で失礼しようと思ったが、盛り上がりすぎて、そのまま2次会にまで付き合った。

2次会は、またスナック借り切りで大いに盛り上がり、家に着いたのは夜中の12時だった。
体調も含めて少し弱り気味の今日この頃であったが、元気をもらった。

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2010年11月13日(土)
日置地区防災訓練

今年はハザードマップづくりがテーマ。早朝に三田まで行く用事があったので、遅れて参加した。
防災ヘリが神戸からやってきて、空からの消化する実演を見せてもらった。
神戸から篠山まで15分で飛んできた。さすがに速い。信号無しの空を真っすぐに時速300kmぐらいで飛んでくるのだから速いに決まっているが----

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2010年11月12日(金)
紅葉の穴場

明日か明後日には行きたいと思っている紅葉の穴場がある。それは極近くにある。
散歩がてらに行ける近さだ。モミジとサザンカの大木が何本か生えている。
ここは誰にも知られていないばかりか、自然のままの場所である。去年は見に行くのが少し遅くて損をした。
(写真は、一昨日行った洞光寺での一枚)

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2010年11月11日(木)
トチノキ 

「トチノキの近縁種のセイヨウトチノキをフランス語でマロニエと言うんだ。フランスでは街路樹になっていることが多い。」今は亡き樋口繁一先生に教えて頂いたのが昨日のことのように思い出される。
写真ではわかりにくいが、高さ23m・幹回り2..5mある大木である。横に止めた愛車の大きさと比較すれば、その大きさがわかるだろう。葉をもうすっかり落としていた。実は栃餅になったのだろうか。
籠坊温泉から北に入った行き止まりの後川新田(しつかわしんでん)へ行く途中に、その木は生えている。
同級生とドライブしながら、なつかしい場所を訪ねてみた。

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2010年11月10日(水)
同じく、洞光寺

もみじ・いちょうの黄色ともみじの赤色と紅葉しない木々の緑色のコラボレーション。

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2010年11月10日(水)
ささやま洞光寺の紅葉

少しだけ早いようだが、篠山市ナンバーワンの洞光寺の紅葉がクライマックスに近づいている。とても小さなもみじの葉の紅葉も、繊細さがあって美しい。

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2010年11月8日(月)
クロの散歩

雨の日は、自分が行きたくないので行かない。散歩の時刻や時間も今なら小学生が登校したあと、朝の8時ごろに約1時間程度。真夏の場合は子どもたちが登校する前の涼しい時間にする。
クロは賢いので、主人のきままをよくわかっており、無駄吠えはしない。雨の日は散歩をせがんだりはしない。
ただし、一旦散歩となれば、クロが主導権をとり、主客転倒して、私が引っ張られての散歩となる。全くしつけをしていないので、ひっぱりまわされて散歩から帰って来ると、犬も私も疲れ果てて一休みしないと、次の行動には写れない有り様である。
(写真は河野さんに頂いた。)

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2010年11月6日(土)
楓並木の紅葉

これは、昨日のフラワーセンターにある楓並木であるが、これにも勝る楓並木が「ユニトピアささやま」にある。
日本古来のモミジの紅葉も美しいが、楓の紅葉もまた美しい。

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2010年11月5日(金)
兵庫県立フラワーセンター

急に思い立って、フラワーセンターへ行ってきた。最も目に留った花はは、サルビア・菊・バラだ。昔からサルビアと聞くと朱色の花が目に浮かんだほど朱色が印象付けられていたが、色もさまざまなものがある。今回目にとまったサルビアの花の色は紫色。写真の紫に見える花はサルビアだ。黄色の花は多分ウインターコスモスだったと思う。連れてい行った老母も寿命が延びたと喜んでくれた。

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2010年11月4日(木)
道元禅師(どうげんぜんじ)

この夏に永平寺に行ってきたり、映画「ZEN」のDVDを見たりして、少し道元さんを身近に感じているこの頃だ。まあ、学生の頃から道元さんはもとより、親鸞さんや日蓮さんなどの宗教関係の本はよく読んだ。

我が家の旦那寺は曹洞宗である。曹洞宗を始めたのが道元という人だ。平安末期から鎌倉時代にかけて、次々新興宗教が生まれたうちの一つである。
道元は苦しんでいる人々をどうしたら救えるのかとあちこちの道をたずねた。日本では、その答えが得られなかったので、中国にわたって道を求め、やっと悟りを得ることができた。帰国後、京都で、これが正しく伝わっている仏陀の教えであると宗教活動を開始したのが曹洞宗の始まりだ。道元の教えは、ごく簡単に言えば、座禅などの修行により、欲深い自分を離れて無心になってみなさい、人間の悩みは欲望から来ているので、無心になれば悩みも消えるーーーということだろうか。こんな簡単に言ってしまえば薄っぺらに聞こえるので個々に学ぶしかない。道元さんの教えである「正法眼蔵(しょうぼうげんぞう)」をずっと後年に庶民向けに書かれた「修証義」というお経はわかりやすい。その気になれば、かなりわかる。
道元さんは、何かを信じなさいとか、極楽・地獄とか死後の世界についても何も言わないところがいい。やや高尚で哲学的なので素人受けはしないかもしれない。
しかし、道元さん自身は庶民の身になって共に涙を流して悲しむような優しい人だったらしい。曹洞宗ばかりではない、どの宗派も始祖と呼ばれている人は、どうすれば民衆の苦しみを救えるのかを命をかけて考えたように思う。今では形式的でお葬式のときだけ必要とされる仏教に変わって来た部分もあるので、人心が乱れている今こそ、本来の仏教の役割が果たせるといいのだが---。

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2010年11月3日(水)
昨日の日吉ダム管理事務所前

美しいナンキンハゼ。その一言。
あとは、篠山市の洞光寺のモミジとユニトピアの楓の紅葉が待たれる。

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2010年11月2日(火)
ナンキンハゼの紅葉

紅葉の中でも、好きな木の一つがナンキンハゼだ。ナンキンハゼの紅葉が始まると、まずその美しさに感動し、次にもう一年が過ぎたんだと、時の移ろいの早さに驚く。
今日は、久々に日吉ダムに行ってきた。写真は管理事務所の前に植わっているナンキンハゼ。

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2010年11月2日(火)
柚子(ユズ)

私も今育てている最中の柚子。大好きな柚子。写真は頂きもの立派な柚子。味噌汁に入れて良し、漬物に入れて良し。その香りが食欲を増してくれる。

2010年11月1日(月)
ベトナムという国と国民性
企業の海外進出先や取引先で、中国だけに偏るのは危険なら、どの国にということになり、国はインドやベトナム等模索しているところである。ベトナムの国民性は、昔の日本の国民性と似ていると言われている。
勤勉で辛抱強いところがにているらしい。そう言えば、ベトナム戦争で、多くの爆弾と猛毒の枯れ葉剤でも屈しなかった。ベトナムはソ連(ロシア)や中国・北朝鮮と同じ社会主義の国であったが、決定的な違いは、ベトナムの建国の父とされているホー・チミンは、「ホーおじさん」と国民から親しまれ敬愛されてきたことである。それに比べて他の国々の指導者は権力をにぎり、専制君主的で独裁的な力を発揮できる体制を作り、非民主的に国民を抑えつけてきた点がベトナムとは決定的に違った。これからのベトナムの発展を見守っていきたい。
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2010年10月31日(日)
どんぐり コロコロ

私の村の友だちツウちゃんが、「あんたなら学校関係にいろいろつながりがあるやろから何か利用でけへんけ?」と言ってクヌギの実を持ちこんで来た。
近くの山で拾って来たということである。今、熊やイノシシが食べ物が無くて里に下りてきて全国的に問題になっている。どんぐりなど実のなる雑木が少ない上に不作であったためとされている。
しかし、できるところにはできているのだ。日本の杉や松の針葉樹は利用されないばかりか山を荒らす原因にもなっている。椎・ブナ・ナラ・カシ・クヌギなどの実のなる紅葉落葉樹に切り替えれば、山の動物たちの食べ物が確保できて人間との共生も可能となる。また、自然のバランスも保たれる。だからどんぐりから苗木を育ててやってみては---というのがツウちゃんの発想だったのだと思う。

しかし、その実を誰が苗木にまで育てて、その苗をどこに植えるのか、そして誰がそれをするのかと考えると、とてもむずかしい。ネットで調べると、「どんぐり銀行」なるものがあり、ドングリの実と苗木を交換してくれるNPOがある。ここから最も近いのが川西市にある。苗木に交換して来ても、そこから先が難しい。
結局、あちこち電話して、三田市で校長をしている友達が引き取ってくれることになった。

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2010年10月30日(土)
終日、雨がしとしと

雨の日は、愛犬クロは特別つまらない。ハウスの中で手持ち無沙汰なのだ。写真のようなかっこうで、眠るか目だけ開けて周囲を見ている。
じっとしているのも辛いのか、時々起きてきて体を伸ばしたり震わしたりしている。

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2010年10月29日(金)
溝蕎麦(ミゾソバ) 金平糖の花

何日か前の日記に田圃の畔に群生している「イヌタデ」について書いたが、「ミゾソバ」は小川や溝の縁に生えていて、花は白と桃色で金平糖のような花をつけるといえばわかるだろうか。
写真は小さすぎてわからないが裏の川の中一面に生えている。今は少し時期遅れで、もっと早い時期が
元気がいい。調べてみると、ソバという名前がついているが、なんとイヌタデの仲間であるらしい。

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2010年10月27日(水)
昨日のコスモス畑

時期遅れのヒマワリがコスモスの向こうに咲いている。これもなかなかいい。

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2010年10月26日(火)
ほとんど葉を落とした桂の並木

国道372号線沿い(福住)の桂の並木は紅葉も済み、ほぼ半分以上葉を落としている。ところがこの桂は不思議な木で、もう少し東に行った西野々あたりの剪定された桂の木は、まだ青々しているのだ。
さらに仔細に見れば一本一本が微妙に紅葉の程度が異なるのだ。桂の木は面白い。

2010年10月25日(月)
九品寺(くほんじ)とコスモス畑

お隣の京都府南丹市園部に買い物に行った途中で、思わずシャッターを押してしまった。
九品寺太門は国の重要文化財に指定されているようだ。この九品寺の斜め前にコスモス畑が広がっている。

2010年10月24日(日)
体力回復へ向けて

突然の村山への松茸狩りの誘いを受けて、登って来たが、もう体力消耗疲労困憊で、帰って来た。やっぱり去年あたりから突然落ちてきた体力は未だに回復していない。
特に今年の春からである。登ったことは、たとえ疲れたとしても体力づくりの運動となったのでよかったが、----。  松茸は一本も手に入らなかった。
体力回復に向けて頑張らねばーーーー

2010年10月22日(金)
北朝鮮とよい勝負の中国・ロシアの外交

今回の尖閣諸島の問題でみせた中国の外交は、日本人には理解できない。
日本固有の領土を、力づくで奪おうとした上に、さらなる難くせをつけてくる。
盗人猛々しいとはこのことだ。これに乗じて日本の北方領土の返還を無効にしようというロシアもなかなかのもの。戦前不可侵条約を結んでいたのに、日本の敗色が濃くなり始めた頃、一方的に不可侵条約を破棄して連合軍側について、勝利をおさめ、多くの日本人を捕虜として捕えシベリアで働かせて尊い多くの命を失わせた。その上に日本固有の北方の領土を横取りし、ロシア領として返す気配も全く無い。
中国・ロシア・北朝鮮の3国が仲が良いのもうなづける。

私は日本がいつも正しかったとは思っていない。過去のこととはいえ、侵略戦争で大陸に進出していく過程で、多くの国々に多大なる迷惑をかけたことは忘れてはならない。
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2010年10月21日(木)
丹波松茸ゲット

つい先日、「いわや」で松茸を口にして、今年はこれが最初で最後だと思っていたのにーーー
再び、妻の元同僚からいただいた。傘が開いてはいるが、大きさは申し分ないほど立派である。
これは、やはり松茸ご飯かな。

2010年10月20日(水)
野の花

名も知れないような小さな野の花こそ、愛らしく美しい。右はゲンノショウコウです。

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2010年10月19日(火)
熊野古道大辺路の安居の渡し

昨日のことではあるが、熊野古道の安居(アゴ)の渡し場を見てきた。日置川が古道を横切って流れているので、ここを船で渡らねばならない。
この渡しは有名らしい。渡しと言えば「連れて逃げてよーーーついておいでよーーー」の歌詞で有名な「矢切りの渡し」を思い出してしまう。
これは、何日か前に書いた伊藤左千夫の「野菊の墓」の一場面を歌謡曲にしたものだと思う。

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2010年10月18日(月)
南紀の海岸にて

大学の同級生の3人  昔の3少年

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2010年10月17日(日)
白浜の岡田邸

ちょっとした別邸かと思いきや、ななんとしっかりした邸宅。一緒に行った同期の伊東と驚きの声を上げずにはおれなかった。
大阪の本来の自宅もリファオームを終えたという。2軒分も一気に新しくしたのだ。
特別の手料理で歓待してくれてうれしかった。(前のプリウスは、私の愛車)

2010年10月17日(日)
学生時代からの友人が白浜に別荘を建てた

ちょっと、お祝いに行ってきます。朝早くから出掛けます。マイカーで一っ走りで出かけます。日曜日は終日和歌山です。

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2010年10月16日(土)
カタバミ

雑草にまじって小さな5弁の黄色い草花が、春から夏にかけて咲いている。
これは多分カタバミである。小さい頃にバンソコウの葉と言って、ちょっとしたかすり傷をしたところにカタバミの葉っぱを貼って遊んだような記憶がある。

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2010年10月15日(金)
休耕田

休耕田は草が生い茂っている。セイダカアワダチソウにススキがびっしり生えている。
でも、これはこれで野鳥が巣を作っていたり、イナゴやコオロギなどの昆虫がいたりしてそれなりの役割を果たしているように思われる。
昔、お寺の和尚さんが「この世には何一つ無駄な物は無い。」と言われるのをよく耳にした。
ほんとうにその通りだと思う。

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2010年10月14日(木)
野菊

写真では真っ白に写ってしまったが、実際はうっすらと紫色である。野菊と言ったが、実際には何種類かのキク科の野草を総称した名前である。実際にはノコンギクかヨメナだと思う。

この野菊を見ると、昔読んだ伊藤左千夫の「野菊の墓」を思い出す。涙無しには読めない民子と政夫の淡い悲しい恋の物語。民子が亡くなっていたことを知った政夫は野菊の咲き乱れる民子の墓で泣き崩れる。

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2010年10月13日(水)
イヌタデで赤く染まった畔

犬蓼(イヌタデ)が畔全面を覆っている。イヌタデは田畑の雑草の代表格の一つであるが、これだけ集まればすごいというか美しくもある。

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2010年10月12日(火)
我が集落「宮ノ前」

篠山川の支流である辻川と国道372号線が並行して東西に走っている。その道路沿いに集落がある。近年集落の南側にバイパスができた。この写真は南側から写している。写真は小さすぎてわかりにくいが、集落の手前に国道のバイパスが走っていて、バイパスと集落の間に辻川が流れている。最も手前にある濃い緑や集落から手前までの間の薄緑に見えるものは黒豆畑である。他は稲が刈り取られた後の田圃である。

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2010年10月11日(月)
だんだん大きく育っていく「あかり」

息子夫婦が、生後7カ月を迎えた孫娘の顔を見せに昨日から帰って来てくれた。
表情も豊かになってきて、人間らしくなってきた。それがまた、一層可愛く感じさせてくれる。
息子夫婦の愛情をいっぱい受けて「あかり」も幸せ者だと思う。

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2010年10月10日(日)
丹波ささやま味祭り二日目

我が自治会の宮ノ前は、城東味祭り(丹波ささやま味祭りの周辺会場)に毎年食べ物の店を出して参加している。昨日は生憎終日雨降りで、お客さんの出足も少なくてさびしい思いでくれていった。今日は昨日と打って変って朝から天気がよく、お客さんの出足もまずまずであった。
そして、ほぼ計画通りの成果が上がった。金銭的に利潤があったというだけでない。このイベントを通じてまず我が村そして地域内・世代間・田舎人と都会人などの交流がはかれたことである。
わいわいがやがや言い合いながら二日間が暮れて行った。まずもって無事終えられてよかった。

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2010年10月9日(土)
小磯良平

小磯良平と聞くと相当有名な画家だとわかる人が多いと思う。確か中学か高校の美術の教科書に載っていたと思う。
後で調べてみると、兵庫県三田市の旧家の出で、昭和期に活躍した日本を代表する洋画家であることがわかった。この洋画科小磯良平氏が野草をたくさん描いていたことも知らなかったが、
友人の河野さんから小磯良平の描いた薬用植物画という本を頂いた。写真集より美術的にずっと値打ちのある画集である。鑑賞にたえる絵である。見ているだけで楽しい。

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2010年10月8日(金)
お墓にある六地蔵様

やがて草むらの中に埋もれてしまうけれどお盆〜彼岸の中日までは、仲良く並んで秋の佳き日を過ごしておられる。

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2010年10月7日(木)
柴栗

山際や山中を歩いていると、可愛い小さな栗のイガや実に出会う。これらはたいがい野生の動物(イノシシ・シカ・サル)に食べられている。ヒトが食べるには小さすぎる。柴栗や野葡萄などがそれである。
人間にとっては、秋らしい風情を感じさせてくれる一つである。

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2010年10月6日(水)
今年も咲いたコスモス

我が家の墓石の前にコスモスの種がどうして落ちたのか定かではないが、今年もコスモスが咲いて、祖先の鎮魂の役割を果たしてくれているような気がする。

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2010年10月5日(火)
今年も金木犀が

裏庭に出ると、風に乗って金木犀の香りが漂ってくる。この匂いをかぐと、もう1年が過ぎてしまったのかと、この香りとともに過ぎゆく時間の速さを思ってしまう。つい先日、同じ村の少し先輩のお葬式があった。一緒に参列していた同級生が、神妙に10年ぐらい先には我々も送り出されているかもしれないなと呟いた。私もそれにうなずいた。同時にその同級生をはじめとして愛おしく感じた。残された日々はそう長くはないのだ。明日から何かを変えていかなければ---。(手前の白い花をつけているのは萩の花。)

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2010年10月4日(月)
川ヨシ

川の中で繁茂しているヨシ。毎年6月末には根元から刈り取るのであるが、元気がよくてもう背丈ほどに伸びている。
ほんとはヨシが一本も無くて川面が見えている方がいいのだが、これもこれで秋の風情が感じられるのでいいかなとも思っている。

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2010年10月3日(日)
やっぱり コスモス

秋を代表する花はと問われれば、ヒガンバナと答えるかもしれないが、コスモスの咲き乱れる時期にはやっぱりコスモスかと思ってしまう。
それぞれの個性があるので、どれが一番とは言えない。順位など無いのだそれぞれの花が皆一番なのだ。

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2010年10月2日(土)
メジロも来ている

裏庭の柿の木の枯れ枝に、鳥の訪問客が次々と現れれて柿の実を食している。
カラス・ヒヨドリ・メジロ・モズ・セキレイなどの鳥である。
ヒヨドリやメジロは渡り鳥だと思うのだが、春先からずっといる。そういえば子どもの頃に冬でもヒヨドリはよく見かけた。
渡り鳥であっても、渡らないでずっととどまっている留鳥もいるってどこかに書いてあったな。

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2010年10月1日(金)
めでたい紅白のヒガンバナ

こうして見ると祝儀袋などの紅白の水引をイメージするのか、実にめでたく感じる。
用事で近くを通った時に再び写してしまった。

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2010年9月30日(木)
シュウカイドウ

今年は雨がほとんどなく気温が高かったので、日焼けして出来が悪かった。
でも、悪いなりに花をつけてくれた。いつ見ても可憐な花だ。

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2010年9月29日(水)
紅白の彼岸花

白いマンジュシャゲが家からそう遠くない所の田圃の畔に咲いているというので、行ってみると確かに咲いていた。
この白いヒガンバナは赤いヒガンバナの突然変異体のアルビノなのか、栽培種に白いのがあって植えてあるものかは定かではない。いずれにしても紅白のヒガンバナは美しかった。

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2010年9月28日(火)
マジックはついたけれど

期待をさせては裏切られ、あきらめていたら盛り返して再び期待させる。
今回もそうだ。長年タイガースファンだったので慣れた。最後にはがっかりが多かったので、応援はするけれど期待しすぎないようにしたい。

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2010年9月27日(月)
久々の雨

メタボを解消すべく、朝から犬の散歩と日吉でのウォーキングに行ってきた。
夕方から天気予報通り雨が降って来た。久々の雨である。

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2010年9月26日(日)
鳥取との不思議なご縁 その2

私たちの氏神様の祭られている神社の名前は「波々伯部神社」である。そしてこの神社の氏子がいる八つの集落を今も「波々伯部地区」と呼んでいる。その波々伯部地区には波部という苗字の家が多い。この波部は波々伯部の流れを継いでいるという説がある。
この波々伯部(ほうかべ)の由来であるが、平安時代から安土桃山時代にかけてこの地を治めていた波多野氏(八上城)の家臣であった波々伯部氏から来ているという説がある。
確かに波々伯部氏は現在のこの地区にある八上城の出城二つをまかされていたり、神社とのかかわりも深くて、疑問の余地もあまりない。
波多野氏が家臣の波々伯部氏を現在の鳥取県西伯郡大山町から連れてきたと言われている。
現在も鳥取にも同じ姓が残っているということである。不思議ですね。我々の先祖は鳥取につながっているのですから。
写真は、毎年8月に行われる波々伯部神社のお祭りの一シーン。

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2010年9月25日(土)
「ゲゲゲの女房」最終回

NHK朝の連ドラである「ゲゲゲの女房」は久々に最後まで熱を入れて見てしまった。
鳥取は、私の第2の故郷でもあるし、名峰「大山」はその当時ワンゲルで活動の場であったし、大好きな島根半島や隠岐の島へ行く拠点が境港だった。
だから、境港が水木しげる氏の故郷であることは40年以上前からよく知っていた。
奥様の出身の安来は島根と鳥取の境にあり島根県であるが、当時同じ学生アパートに住んでいたことがある長谷川君が安来弁丸出しだったので、「だんだん」(ありがとう)の言葉とともに忘れることのできないところである。
また、大学で同期の山本光範君は、当時鳥取県知事で改革派の旗手であった片山善博氏(現総務大臣)の下で出世し、鳥取の顔といえばちょっといいすぎかもしれないが、−−−である。
また、下宿させていただいた愛する安藤家があり、誰よりも尊敬し慕っている兄貴のような尾谷浩教授が鳥取にはいらっしゃる。
そして、最後になるが、私の姉の夫が鳥取出身である。不思議なご縁である。
鳥取との繋がりはまだまだある。
(写真は、今水木ロードで賑わっている境港市から無断で借りてきました。)

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2010年9月24日(金)
彼岸花満開

鮮やかな赤い花。まるで燃えているようにも見える。小さい時は焼け花とよんでいたなあ。

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2010年9月23日(木)
大きく育ちつつあるユズの実

ユズの実が勝つか、アゲハの幼虫が勝つかーーーーーーー

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2010年9月22日(水)
柚子の苗木にアゲハの幼虫

小さな苗木に3個の実を付けているが、少し観察しないうちに葉が少し食い荒らされている。よく見ればアゲハ蝶の幼虫がいた。
この幼虫をどう処理すればいいか迷った。確かアゲハ蝶はユズとかカラタチなどの特別な木にしか卵を産まないので、その幼虫をそこらの草むらに移しても死んでしまう。
でも、このまま放っておくとユズの葉が食い荒らされてなくなってしまう。実も落ちるかもしれない。どうしたものか。

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2010年9月21日(火)
彼岸花(ヒガンバナ)

彼岸花が川の堤防に咲き始めた。これがどこかで咲き始めると一気に田の畦やあちこちで花開き、この朱色で里の景色を染め上げる。そして半月ほどで何もなかったかのように消えてしまう。

2010年9月20日(月)
ヒヨドリ

ヒヨドリをアップで写した。

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2010年9月19日(日)
秋空を眺めていたら

昨日の稲刈りを終えて、天高く馬肥える秋空を眺めていたら、ヒヨが飛んできて何やら話をしている。
何の話をしているのだろうか。

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2010年9月18日(土)
稲刈りを終え、阪神タイガースは巨人に完封

先発は能見。7回アラフォーの金本と桧山のヒットで1点とって、1−0で巨人を完封したらしい。
稲刈りで疲れていたが、このニュースを聞いて少し疲れがとれた。
さあ、夜は本業の塾での指導だ。

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2010年9月18日(土)
稲刈り

今は亡き親父が使っていた今にも壊れそうなコンバインに乗っての稲刈り。
大阪枚方に住んでいる息子も帰って来て手伝ってくれた。水を抜くのが少し遅かったので、田の一部がぬかるんでいて
後少しというところで、コンバインがぬかるみに沈んでしまった。結局最後の方は自力でできずにプロに来てもらって稲刈りは終わった。
夕日が美しかった。

写真は稲刈り中の私の雄姿。

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2010年9月16日(木)
クズの花か?

もう散り始めている。クズの花だと思う。濃い赤紫の花だ。

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2010年9月15日(水)
花が少ない秋

昨日、朝早く日吉ダムに行って、ウォーキングしてきた。目につく花の種類がめっきり減って、白い花が3種類、赤紫のクズとハギの花2種類ぐらいしか見つけることが出来なかった。
この白い花の名前は忘れた。

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2010年9月14日(火)
我が家の今年のイチジク

雨がほとんど降らなくて、日焼けのために早く色づいた。実は小振りで甘さも今一つ。
今年はイチジクジャムにするしかない。

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2010年9月13日(月)
今度は、日本の中国地方、私の第2の故郷鳥取から

大学時代に下宿でお世話になった安藤さん宅より二十世紀梨が届く。私は全く恐縮している。大学を卒業してから三〇有余年というか四〇年近く暮れる。
その間ずっと鳥取の特産品である梨を送っていただいている。うれしいことはこのうえないが、ありがたすぎて恐縮する。
さっそくいただいた。二十世紀はジューシーで爽やかな甘さが特色である。口いっぱいにほおばると、口からあふれだすほど豊かな果汁があった。
そして、「ああ、うまい。」と感歎の声が出た。

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2010年9月12日(日)
朝夕がだいぶ涼しくなってきた

昼間は相変わらず暑くて、日差しの中で作業するのはつらいが、朝夕の気温は少し低めになってきた。
1か月遅れで植えた稲も、いつでも刈り取りできるぐらいになっている。

写真は今週初めに中国に行った時のもの。運河中心にとってもらいたかったのだがーーーー私をアップでとっているので、背景の運河が台無しになってしまった。それにしても太りすぎました。

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2010年9月10日(金)
発展し続ける上海

この写真は、蘇州市での一枚であるが、中国と聞けば自転車とイメージされるぐらい自転車が多かった。20年ほど前に行った時は、北京でも上海でも、朝夕の通勤時間帯には自転車での大移動が見られた。
しかし、今回はあまり見掛けなかった。上の写真が唯一見かけた自転車とバイクの一群である。

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2010年9月9日(木)
上海の夜景

上海は多くの場所がライトアップされているので、夜景は美しかった。
ビル全体が画像のようになっていたり、並木が美しい色に次々変化したりして、上海をアピールしていた。

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2010年9月8日(水)
再び上海へ

アニメ「千と千尋」の世界かと思われる建物が印象に残った。

連日35度を越す炎熱地獄は日本も中国もおなじであった。汗だくの毎日であったが、だからこそ日陰や喉を越す水分にありがたさを感じることができた。また、篠山からの同行者はもちろんのこと稲美町の方々と共に楽しく旅できたことが何よりうれしかった。

旅は無事終了した。感謝・感謝である。

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2010年9月7日(火)
東洋のベニス、水の都蘇州へ

北京より少し西に位置する蘇州。寒山寺・虎丘などの有名観光スポットを抱える蘇州市は運河がはりめぐらされた水郷の都でもある。映画「北京バイオリン」を思い出した。
この蘇州を一日見学した。また、汗だくになった。

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2010年9月6日(月)
上海万博

今、開催されている上海万博をまず表敬訪問。平日であったが、すごい人が押し寄せていた。中国館を見るのがやっとのことであtった。汗だくで押し合いへしあい、大阪万博を思い出した。
写真は中国館で入場を待つ人の列。

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2010年9月5日(日)
突然の旅立ち、上海(中国)へ

突然の3泊4日の中国上海旅行に行くことになり、ジャンボ機で関西航空を飛び立つ直前。寝不足気味。

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2010年9月4日(土)
再び、オシロイバナ

調べてみると、オシロイバナは南アメリカ原産の1年生草本で、夕方から朝にかけて咲いているらしい。つまり夜の間咲いている花なのだ。私は朝早く咲いて日が昇る頃に花がしぼむ。同じように夕方咲いて暗くなった頃にしぼむと勝手に思っていた。

こんなに可愛い花が、誰にも見られない暗闇の中で咲いているのだ。なんだか考えさせられる。

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2010年9月3日(金)
オシロイバナ

この時期の辻川の中は、赤・白・黄・桃・橙色のオシロイバナが咲き乱れて、美しい。
ただ、欠点は朝夕だけ花が開くので、朝早く起きられる人や夕暮れにゆっくりできる人しか楽しむことができないのだ。

2010年8月30日(月)
国際的な

過日のフランスから帰省しているKさんは、ジェトロのスタッフとして働いている。南フランスのリヨンで暮している。
一方、クラス会には出られないが沖縄タイムスの記者として飛び回っている沖縄在住のW君、(写真は4チャンネルニュース23より)は、性別は違うが小柄で控え目だったが、自分をしっかり持っていた二人だった。期せずしてその二人が世界を舞台に活躍してくれている。

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2010年8月28日(土)
いかがわしいところでの写真ではありません

夕方から、三田のスナック借り切りで、少し前の三田小学校のある年度の学年の同窓会第2弾が開かれた。
フランスで暮しているいるKさんが帰って来たので、急きょ行われた。
元教え子の女の子に取り囲まれて、ご満悦の私でした。

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2010年8月27日(金)
今年は豊作か

お米は今年豊作のようである。私の水田も1カ月遅れで田植えしたが、暑い日々が続く中でまわりの稲の生長に追いつきつつある。
9月の中頃には収穫できそうだ。

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2010年8月25日(水)
クロも暑さでばてばて

厳しい残暑が続いている。昼間は暑くて居場所が無い。クロもばてている。
こんな恰好で、私が近づいても動かないで、目だけ動かしてみている。

日記倉庫

2010年8月25日〜2011年3月25日