奥穂高岳の思い出
奥穂高に登ってからもう、13年も経ちました。スキャンしました画像ですがご覧下さい。
2005/11

焼岳 (1992・9・10)

10日夜大阪梅田発の夜行バスに乗り6時に上高地着、焼岳が快晴の空をバックに輝いて、、

さぁ、用意して7時に出発です。
コパンブランと言うスキー専門のツアー会社の企画で夏は奥穂高と槍を案内しているとの事上高地が集合場所で各地からの参加者は皆初対面です。
(1992・9・11)
冨士アザミは、横尾までの梓川沿いに
咲いていました。あまりの大きさに
びっくりしました。
槍との分岐、横尾の山荘前から左に橋を渡っていよいよ本格的に山に入りますが、まだまだ、平坦な道で間もなく左手に大岩壁が見えます。
岩登りのメッカ、豆粒ほどのクライマーが、チチチチと動いていたのをハッキリ覚えています。1000mあるそうです。



最初の休憩場所「本谷橋」とうとうと逆巻く流れの傍で一服。
橋を渡る「コパンブラン」の一行
涸沢カールに到着、こんやの御宿は涸沢小屋です。
(1992・9・12)
朝日に輝く前穂高岳
小屋を出ていよいよ奥穂高に出発です、まずは「ザイテングラート」と言う脇尾根に向います。「涸沢槍」を見上げながら
砂礫地をトラバースして行きます。
穂高岳山荘前からの風景
右手の山は「常念岳
です。
初めて見た「ジャンダルム」の威容

穂高岳山荘の裏にあるトイレに行って見つけた時の驚きはもう、忘れる事はありません。巨大岩峰に圧倒されしばし、我を忘れておりました。
奥穂高頂上付近から槍ガ岳をバックに記念撮影

西側には笠ガ岳が聳え立っています、美しい姿です。
厳しい上に危険度も高い行程を終えて
涸沢小屋に帰って来ました。ホッとして
皆で乾杯しました。とても、楽しいひと時でした。

(1992・9・13)
翌日は昼発のばすに間に合うように5時ごろ小屋を発って下山を開始、30分程して
案内の山ノ井さんが「モルゲンロートだよ」と叫んで見る事が出来ました。シャッターを押した
次の瞬間、元の色に戻りおしまいでした。
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