このページは 2011年10月作成しました。

 1996/7/30(火) ホテル阪神前午後9時30分発の高速バスで茅野駅へ 
  1996/7/31(水) 茅野駅5時ごろ着、諏訪駅構内にある温泉に入るためタクシーに乗って行く、急いで入り6時すぎ発の電車で甲府駅へ7:10着タクシーで広河原へ9:30
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
広河原9:45→ 二俣13:00→ 白根御池14:00 小屋泊
 1996/8/1(木)  白根御池小屋4:35→二俣5:00→ 右俣コース(小太郎尾根)7:15着7:30発→
 8:00肩の小屋 8:15 → 9:00北岳山頂9:30 →10:15→
コル分岐→10:45北岳山荘 11:30→ 12:00中白峰→ 1:25間の岳1:40

農鳥小屋15:00  小屋泊
1996/8/2(金)   農鳥小屋4:30 → 途中日の出4:55 → 5:25西農鳥山頂 5:35→  6:20 農鳥岳6:45→ 大門沢分岐7:25→ 11:15大門沢小屋11:45→ 13:50
第一吊り橋→ 発電所事務所14:35→ 奈良田の民宿へ15:00 (えびなや)
民宿より徒歩で奈良田温泉入浴
(泊)
 1996/8/3(土)   民宿前よりバス7:05→ 8:30JR身延駅8:45 →身延線で 10:08富士駅へ
(富士川に沿って初めて乗りました。)10:18 →
JR東海道線静岡駅10:50 →
新幹線ひかり号11:47発で大阪へ


 
南アルプスの開祖ウォルター・ウェストンらのレリーフの前で
 日本第2の高峰『北岳』に山のベテランNさん,Wさんと3人で出掛けました。
もう15年も前の事ですが、スキャンした写真とメモを頼りに楽しい思い出になっている「白峰三山縦走」を振り返ろうと思います。
前夜、大阪を高速バスで出発し、茅野駅に着いたのが早朝5時諏訪駅構内にある温泉に足を伸ばして入浴し、そのホームから電車に乗って甲府駅へ行きました。
駅前からタクシーで登山口になっている広河原へと
向かいます。 
 野呂川にかかる吊橋を渡って登り始めます。まもなくこの道標があり、私たちは大樺沢二俣の方へ進みました。 
広河原標高1520m

途中、お花が沢山、種類も豊富
中でも「センジュガンピ」山中に自生する
生の「れんげしょうま」感動しました。
れんげしょうまは暗くてうまく撮れませんでした

純白のセンジュガンピは綺麗でした。↓
 
 
  
 
「山と高原地図」→ こちら  よりDLさせて頂きました。
 
ここが二俣です。雪渓の続く方へ進むと八本歯のコルへ行きますが私たちは右の
「白根御池小屋」の方へ行きました。この場所からはもう1本『草すべり』と呼ばれる
お花いっぱいのコース、炎天の中急登して小太郎尾根分岐から肩へと続きますが小屋に泊まって明朝
ここまで戻ってくる予定です。。
 
この時の小屋は新装され綺麗でしたが、何年か前に
雪崩で押し潰されたというニュースを見ました。

今は、新しい小屋になっています。

 
草すべり
左前方は大岩壁、バットレスが見えていましたが写真がありません
肩の小屋への稜線が見えています。
翌日は早朝出発です、いよいよ
大縦走の始まりです。農鳥小屋まで行くのです。4:35小屋を出発し二俣の分岐まで戻り 草すべりを登りました。お天気に恵まれました。お花を愛でながらそして
クライミングのメッカ
バットレスを見ながら稜線に出ると甲斐駒、鳳凰三山、鋸岳と展望が凄い!やがて岩場を登ると
ブルーの屋根の「肩の小屋」です。少しだけ休んで頂上を目指します。

3193mで山ガール3人記念撮影
 
    
           北岳頂上からの仙丈ガ岳です。(3033m)
 
 
北岳の頂上から見た富士山
   こちらは頂上より南を撮りました。これから急降下して向こうに見える北岳山荘で休憩です。10:45山荘着ここで同行のNさんがラジュースを出して食欲のない私の為にソーメン味噌汁を作ってくれました。
私はと言えば、何もせず横になってりんごをかじっていた様な、、、そしてのぞごしの良いソーメンを頂いたのでした
。                   
   
  売店でバッジを買ったり、トイレを済ませたりしていよいよ次の目的第4の高峰「間ノ岳」に向かって登り始めました。30分ほどで中白峰。この山は目立たない3000m峰 、3055mあるが21座数えられる日本の3000メートル峰に入っていない。

→右の北岳はこの辺から撮ったものです。北岳山荘は雲の端にうっすら見えます。
 



 
中白峰から見た間ノ岳
3人西側の斜面を見て風が強かったら無理だねと話しながら歩いたのを思い出します。
 
  
                        間ノ岳から撮った雲中の北岳
  間ノ岳は3187m槍ヶ岳より高い第4峰です。頂上は広い岩石のゴロゴロしたところ、霧が深いととても
動けないなぁと思いつつ、、、
この時は、国体か何かあるようでマーカーが真新しくしっかり付けられていました。そして遭難の碑が2,3見られ墓碑もあちこち見ました。悪天候では、ここは本当に
賽の河原のような場所で
遭難者の多い所なんだと言う事が良くわかりました。 

この後2800m地点にある農鳥小屋まで約400mの下りになります。小石のガラガラした状態が続いて
 1時間あまりで赤い屋根の小屋に着きました。
私は疲れていたけれど同行の2人は少し下った所にあるお花畑を見に行きました。

小屋のおじさんはちょこっと有名な方のようで
私たちが到着するや否や、「今朝はどこからか?」
と尋ねられ「御池小屋です」と言うと「うん」と言う感じでしたが、
次に着いた人たちにも同じように尋ね「肩の小屋」と
答えたら何やらぶつぶつ言われていました。 ノート片手に双眼鏡を覗き間ノ岳から
下ってくる人をチェックしていました。
それから、注意事項を詳しく説明されました。

小屋では奈良田から登ってきた方もいて足のマメが痛いと言っているのを聴いて
明日の縦走、大丈夫なのかなぁと他人事ながら心配になっていました。

 

きょうは、西農鳥岳、農鳥岳に登って奈良田に下山するのです。小屋を4:30に出発して
西農鳥岳に向かいます。
4:55日の出、今日もいいお天気のようです。
 

  清々しい高山の朝に稜線を眺めながら歩くのは私の
山登りの楽しみでした。

 ←朝日に照らされた塩見岳が近くに見えました。
小屋から三峰岳への道が良く見えていたのを
思い出します。


農鳥への登りで撮った「影農鳥」
朝日で山影が三角錐にくっきり見えていました。

 
中央アルプスと乗鞍岳が西方に連なって見えます。

 西農鳥岳にて

快晴の空に北岳が
きれいです。


 

 
西農鳥?から写した間ノ岳
間ノ岳を挟んで北岳が右に、左に仙丈ヶ岳
 
       北岳と間ノ岳、農鳥岳から?
   ホントに綺麗な北岳と間ノ岳でした。

 
 朝日に照らされた岩稜この上下2枚は農鳥で撮ったものですが
思い出せず特定できませんでした。

*********
西農鳥です。

   
 
  農鳥岳です3026m 中央あたりのやや高い所がピーク
丁度、向こうに富士山が見えるはずですが、、、、

 

大門沢下降点にたっているこの鐘は確か雪の中の単独行、この辺りで若くして亡くなったご子息への思いを込めて
警鐘としてご両親が設置されたものでした。

ここから奈良田まで7時間あまり下りに下って発電所事務所まで、
途中の写真はありません。記憶の中には、長い長い樹林帯を抜けて泡立つ白い急な流れの上に架けられた丸太の橋
いくつあったことでしょうか?今、思い出してもよく無事で渉れたと思わずにいられません。
前後していた男性二人組さんは途中から這って渉っていました。
続いて思い出すのは樹林の中で吹いたオカリナの事、展望もなく辛い下りでしたが
よくぞ、この私が歩きとおせたと感謝の念でいっぱいです。
最近ではインターネットでいろいろな方の山行記録を見せて頂きますが
15年の歳月で道は大きく様変わりしたようです、桟橋や吊り橋など今の状態では
とても私には登れたものではない気がします。

   

やっとの思いでたどり着いた縦走の最終章
近づくにつれドキドキとして来ました。

3本の吊り橋の事は聞いていました、かなり怖いものだと、、、
ところが、かなりしっかりとしたものになっていたようで
ほっとしたものです。とはいえやはり渡るのは1人づつにしようと言う事で
慎重に渉りました。この写真はNさんです。



この後奈良田の集落まではまだまだ歩かねばならないところですが
民宿「えびなや」さんは登山口まで送迎してくださっていて
のせて頂いて楽々民宿に到着しました。
早川沿いの村落は川幅も広く拓けた感じでもっと狭まった山岳の中にあるのかと思っていましたので
驚きでした。

早速「日本の秘湯」として有名な奈良田の里温泉へと向かいました。
「女帝の湯」と看板があったのを思い出します、無色透明なお湯で
施設も簡素、ホントに気持ちよかったのを覚えています。
そして隣接されている写真家の白旗史郎さんの記念館に入り
大パノラマ山岳写真を拝見しました。この地のご出身だと言う事でした。

同宿の男性2人と私達、5人の宿泊客で夕食を頂き心地よい眠りに着きました。
男性お二人は聴こえてきたオカリナの音に追い着こうとかなり急いだそうですが追い着けなかったと、私達のことを健脚だと
おっしゃって下さって、日頃金剛山や近畿のあちこちの山々をを歩いているお陰なのだなぁとつくづく思ったものでした。

翌日はバスに揺られて身延駅まで、「どれくらい秘境なのか」と車窓に眼を向けていましたけれど
驚いた事に全然いい道ばかりでヒヤッとする事もなく身延駅へ到着し電車に乗り換えて富士駅へと向かいました。

身延線で富士川沿いを延々と走りました、またあの線にいつか乗車することがあるのだろうか、、、
もう1度乗り換えて静岡駅、ここでおいしいおすしを食べて、新幹線に乗ったのでした。

無事、山行記を書き終えました、写真をスキャンしメモを見ながら今一度、机上登山を楽しむ事ができました。。

ご覧下さってありがとうございました。


  Top