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●    『ちょっとサイエンス』    2000/12/22   No.14  
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●     発行者 Fujiken        毎週金曜日発行
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毎回、科学に関するテーマをとりあげて、雑学的な知識を送ります。
なるほど!と納得し、知ることの喜びを感じていただけたら幸いです。
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■今日のテーマ  「湯川秀樹の中間子論」
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1911年にイギリスのラザフォードが原子核の存在を明らかにした頃には
電子の他に陽子の存在が知られていました。
1932年にイギリスのチャドウィックによって、質量が陽子とほぼ等しく
電気的に中性な中性子が発見されました。

ここで生じた新たなる問題に湯川は注目しました。
それは陽子と中性子とを結合して安定な原子核をつくりあげている力(核力)
の本性は何かという問題です。

核力をつくる中性子と陽子の間にキャッチボールのようにはたらく新粒子の
質量を見積もると電子の約200倍であることを湯川は求めました。
その新粒子が電子と陽子の質量の中間であることから「中間子」と呼ばれる
ようになりました。

中間子を実験室内で作るのはその当時は容易ではなかったのですが、
1937年アメリカのアンダーソンが自然界の宇宙線の中に中間子らしいもの
を発見し、1947年にはイギリスのパウエルらがそれを確認し、1948年
にはカリフォルニア大学のサイクロトロンが中間子をつくりました。

中間子には2種類あり、そのうち重くて寿命の短い方が核力と関係し、軽くて
寿命の長い方が宇宙線と関係していることもわかりました。

こうして湯川氏は昭和24年(1949年)に、中間子論の業績により、
日本人で最初のノーベル(物理学)賞を得たのでした。

これは敗戦で暗かった日本人を元気づけるニュースとなりました。

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■ちょっとコメント■

湯川氏が中間子論を研究していた頃は、量子力学ができた頃で、日本でその
研究をしていた人はほとんどいなかったのです。

大学時代は、もう一人のノーベル物理学賞受賞者朝永振一郎氏と、ほとんど
独学で研究したのです。

「大学2年から3年の初め頃までの私は、完全にシュレディンガーのとりこに
なっていた。」とのちになって湯川氏は語っています。

中間子論の研究で悩みの日々が続いたとき。

「思ひ入りて いねがていする 七月の 夜もすがらに鳴く かはづかな」

という短歌を作っています。

1937年(昭和12年)に日本へやってきた量子論の創設者ボーアに湯川が
中間子論の話をした際にも、ボーアは
「あなたは新しい粒子がそんなに好きなのですか。」
と言って取り上げてくれなかったそうです。

小さい頃の湯川氏は無口で、手当たり次第に本を読み、祖父から漢籍の素読を
うけ、箱庭や積み木づくりを楽しんでいたそうです。
湯川氏は数学が得意で、小学校三年生の頃に等差級数の和を求める公式と
そっくりの計算法を自分で考え出しています。

湯川氏は、父小川琢治の三男として生まれ、父はのち京都帝国大学の教授と
なりました。
兄弟たちも、いずれも学者になり、それぞれの分野ですばらしい業績をあげて
います。
湯川氏は学者一家の生まれ育ちだったのです。

さて、次回は No.15「朝永振一郎のくりこみ理論」をお届けします。

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■読者からのメールより■

●「ローソン店長」さんより

ノーベル賞について、ちょっと思い出したことがあります。
数年前に確か、何周年記念で歴代の存命受賞者を招いた晩餐会が催されたこと
がありました。
その晩餐会で使用されたナイフ、フォーク、スプーンは銀製ではなくヨーロッ
パのフォーマルなパーティには珍しく、全てがステンレス製だったそうです。
それを作ったのは大企業ではなく日本の町工場でした。
銀製品にも劣らない最高の品質のステンレス製品ということで採用されたよう
です。
当時のわが国の首相は招待されずにその町工場の大将は招待されました。
ノーベル財団の人達もなかなか洒落が利いてるなと思いました。
その大将の蝶ネクタイが似合わなかったことを何故か微笑ましく思いました。
テレビの番組で観た覚えがあります。
人間、こつこつやっているといつかは報われるときが来るということを実感し
ました。

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