庚申山 
(407m 04・01.04)
滋賀県甲賀郡水口町大字山上
JR貴生川駅惣社神社庚申堂塔庚申の森
広徳寺境内牛飼山→貴生川駅


04年の干支にちなんで猿または申の文字がつく山の山登りの第2弾。最初はこの記事下段に紹介した大阪府内の猿子城山。今回は滋賀の田舎に昔ながらの庚申信仰が生きている庚申山に行った。案内人は山の達人、山城吉太郎さん。例によってネット検索によってみると、この名前の山は栃木、福井、岡山にもあることを知る。つまりは全国各地にお猿さん信仰が生きていたのだろう。                     


 JR大阪駅から約90分で貴生川駅到着。
駅前にタクシーがあるが、これを無視して清流の面影をのこす貴生川の橋を渡り、約3キロ歩く。一旦、飯道山登山口とある道標に沿って川沿いの商店街の中を抜け、冬枯れの茶色っぽい田の中の道を行く。広々とした風景の先に飯道山の山系が横たわっている。めざす庚申山は山系の左手がわの外れである。                    

 惣社神社の前を通る。豊かそうな民家の集落を歩く。「おかえりなさい 給与生活者の会」という見慣れぬ看板。交通安全を呼びかけたものらしいが、ユニークな名の会である。集落の外れ近くで右手に信楽高原鉄道の土手をみつつ広い道を横切る。「犬の牧場」と大書した看板があり、中に犬がいるらしい。それにしては静かな犬牧場。山側の斜面で木の幹に御幣を巻きつけている中年男二人がいた。なにかの祈願、厄払、供養のようだ。しかし、どういうことかは分からない。         


 やがて車道を避けて脇道を行くと、昔の庚申信仰の参詣路に相当する道にのる。最初の写真のような塚が三叉路の立つ。「日本真鍮祖神、庚申堂」と刻まれた大きな石碑。石碑の上に「見ざる言わざる、聞かざる」の三猿像が鎮座している。説明文によると、大東亜戦争のさなか真鍮でできた三猿像を供出してしまったので、戦後、石製でカバーしたとある。なにやら、おかしいのは、結果としてムダな目的のため無駄な努力を大まじめにやったということ、戦争という大きな魔よけには庚申信仰は役立たないことをはからずも露呈したことかな。戦時遂行のため金物を全部供出したことは徒労の踏ん張りであった。                                       

 集落をぬけると、眼前に「庚申の森」の看板が車道の向こうに立つ。ここから山中の参詣路らしくなる。きれいに下草が刈られており、干支の年を迎える寺側の気持ちを推し量る。きちんと整備された石製の土止めの階段。ゆっくりした傾斜で上方に伸びている。往時は善男善女でにぎわったにちがいない。途中、庵のような祠が一軒ある。ついで「不老の滝」の小立て札。もっとも該当するような滝は見られない。                   


参詣路には「アジサイの道」、「落葉の道」、「つばきの森」などと周囲の景色を名づけている道標があった。一個所段のステップが詰まる急な傾斜があるほか、とくにしんどいところはない登り。小さな分岐で右方向に「天望台」の道標。「展」でなく「天」にご注意といったところ。ここにも寺の思い入れを感じる。                     
                        すぐにフラットな境内地に出た。社殿の裏に、その天望台があった。湖東平野を見下ろすなかなかの景観。雪を頂く伊吹山や霊仙山。ずっと視界を右にふれば御在所岳、武平峠をはさんで鎌ガ岳が銀箔に輝いている。鈴鹿山脈の主峰群である。                                        

社殿のそばに三等三角点の標石。上の四つの保護石に囲まれている写真が、それである。 陽だまりで昼食ののち、本殿に参る。四囲の壁に無数の猿形の人形が吊るされている。山城さんが後日調べたところによると、これらの猿形は「吊るし猿」とか「くくり猿」などと呼ばれ、祈願者の厄払い、魔よけの身代わりという役割らしい。お猿さんには迷惑な因果な話かもしれない。                                      
 銅と亜鉛を調合してわが国初の真鍮を生み出したという真鍮の祖神、藤左衛門は、この地の「貧農」の出とあり、このお寺の境内に立像があるほか盛大に顕彰されていた。こういう人物はいたことは知らなかったので、なかなか面白かった。奉賛者の名前にずらり日本の「金へん」業界が名を連ねていたのも面白い。                                       
                         
 帰途、少しばかり寄り道をして、信楽高原鉄道のトンネルをくぐり、灌漑池のほとりから里山のような牛飼山(200m)に登る。四等三角点が埋められているが、よほどの好事家でないとわざわざ訪れることはあるまい。干支にちなむといえば、5年後の先取りであった。                        

 冬ざれとはいえ、湖東の穀倉地帯はよく耕されていた。畑のなかの地道は柔らかく、道端ではもうしっかり雑草に青い葉が出ていた。猪公が相当激しく出没すると見えて、撃退のため弱電流を流す防護柵が田畑を取り巻いている。ひさしぶりに田園風景のなかを歩いて、いい気分でした。         
                                   (藤田 健次郎)                                             









       猿子城山  
(709m)03・12・23)              

(近鉄長野線または南海高野線河内長野駅→南海バス滝畑ダム行→滝畑ダム下車→西ノ村登山口→ダイトレ・ボテ峠→猿子城山→15丁石地蔵→槙尾山施福寺→南海バス槙尾山バス停→泉北高速和泉中央駅)                                        

 大阪府には04年の干支にちなむ猿(申)の文字がつく山がないようだ。人に尋ねてようやく、かろうじてダイヤモンド・トレイルと呼ばれるコースからやや外れてところに猿子城山があることを知った。この道、なんども通りながら気が付いていなかった。岩湧山と槙尾山を結ぶ線からボテ峠で支稜を約50分、格闘すればよいのだ。                               

案内は山の達人、山城吉太郎さん。総勢12人。新春の山行の下見のつもりが本番さながらの賑わいとなった。バス停から吊り橋を渡り西ノ村の集落に入る。登山道の入り口は民家の狭間の石段。厳密には個人の敷地内かもしれない。                                         

山道は一列縦隊がふさわしい幅員で続く。雑木林のなかなので、落葉が半端でない。くぼみには山靴が埋まるほど吹き寄せられている。白秋の詩ではないけれども、カサカサ、コソコソと踏み音立てながら歩くのは、まことに気持ちがよい。低山歩きの楽しみである。                        

時節がら雪か時雨れるか、はたまた凍結があるかもと警戒、一応、雨具と軽アイゼンを持ってくるように呼びかけたけれど、杞憂になった。それはそれで喜ばしい。 右手,山側、左手は谷への急斜面。だが、樹木が深いので展望が利かない。                                        
約30分でボテ峠。ボテとは何ぞや、分からないが、しっかり道標がある。ここで小休止。静止すると、さすがに師走の冷たい風が沁みる。女性陣からのおやつ補給に一息ついてから、支稜の上りに取りかかる。いきなりの勾配で、ダイトレののんびりした歩きから一転緊張態勢。                 
                
あまり登る人がいないと見えて、赤テープが随所に道案内してくれるが、登り初めてすぐに進路を誤った。右折して急傾斜に移らなければならないのに直進してしまった。山腹の狭い斜面を巻く道とみたわけ。落ち葉で埋まる足場の悪い斜面を巻いてしまい、徐々に谷に向かう。おかしいことに気が付く。右折地点まで引き返すが、ここは間違いやすいところである。                         
急傾斜は、かなり続く。狭い尾根で左右は谷。露出した石や木の根をつかんで登るところも若干ある。やがて左側は松林となり、松茸山につき立ち入り禁止の札と白い作業テープが目立つ。すでにシーズンは過ぎていて、テープもほつれている。10、11月なら、うるさいことになるかもしれない。      

猿子城山は尾根伝いに伸びた狭い山頂である。「関西独標会」のグリーンの山名表示板が幹にまいてあった。ふだんは登山者が多くないところだ。展望もない。しかし04年はきっと話題を求めて、多くの登山者でにぎわうことだろう。風が冷たいうえ、昼にはやや早いので、15丁石地蔵に降りて、槙尾山に向かう。                               (藤田 健次郎)                                             




城ガ峰   (555m)03・11・16

南海本線泉佐野駅→南海バス犬鳴山バス停→生草林道→近畿自然歩道分岐→城ガ峰→ボンデン山頂下→  →ササ峠→水呑林道→稲倉池→南海バス水呑地蔵停→泉佐野駅 
       
                          

 生草林道はきれいに舗装されて、車が通れる道。落ち葉で埋まっているのが幸い。歩きやすい。野イチゴがまだ赤い実をつけている。どんぐりがおちている。ものの15分も道成りにゆるい傾斜を上がっていくと、分岐にでた。直進路と右手の山中に入る道があり、ここに近畿自然歩道、城ガ峰4・8キロとの道標があった。         
                              
   

道は地道になるが、落葉が積み重なって、気持ちのいい感触が靴底を通して伝わる。雑木に包まれて、視界が利かないのがおしいけど、静かないい山歩きを楽しむ。前日、雨が降ったことも、静寂さを増している。雨が止み、風がないので格好の小春日和と言える。 
                               
約1時間10分でなんなく城が峰山頂につく。狭い場所で、境界石が一つあるだけ。側の木にどこの山の山頂でも見かける「関西独標会」の緑色の看板がくくりつけてあった。一行8人、一息いれて記念撮影後、ササ峠に向かったけれど、途中で右折する地点を見逃した。労山がつけた「和泉山系縦走」の案内板に従って歩いていると、ボンデン山への表示ばかり目につく。             

 時間も早いので、ボンデン山にも登ってこようと、そのまま続行。ところが、この尾根歩きが存外長く、飯抜きが堪えてきたため、後少しでボンデン山というところの三叉路で昼食休憩。午後1時を回っていた。ここの木の幹に「ササ峠、稲倉池近道 下り急」との小さな表示を見る。帰途の道に目鼻をつけて、ゆっくり昼飯となった。                                       

 この時期、この林間は、マツタケの季節であるから、登山道の片側は常にマツタケ山につき立ち入り禁止の看板があり、山は白や赤のテープでくくられている状態。無断進入は罰金100万円などと警告している。              

 帰途は急な支稜の尾根筋下り。地図にカマ尾根とある。ヤセ尾根、露岩の左右は、深い谷で気をつかう。振り返れば、ボンデン山の電波塔が見えた。幸い、ロープが巻かれてあるので、急勾配といえども安心だが、なければ、下降に難儀するにちがいない。30分かけて、谷に下りたら、そこはササ峠から堀河に抜ける道と合流。15分後にはササ峠に付いた。この峠は十字路が交差する。くだれば水呑林道となり、あとは長い歩き、クリスマスのリースに向く蔓が豊富、手分けして何本かの蔓をいただいた。                 (藤田 健次郎) 
                                          
                                


 花山(498m)−03・11・01      

近鉄奈良駅→柳生街道→首切り地蔵→登山入り口往復

 あらかじめ、お断りしておきますが、この山は、いわゆる春日山系の春日山原始林の一角で、世界文化遺産、国の特別天然記念物、国定公園、奈良市の公園建設条例など、たくさんの保護規制の網がかぶせられているところです。
          
 下山後に知ったことながら、奈良奥山ドライブウエー側の三叉路には交番があって、監視人がおります。山火事など防災管理とともに、入山者も規制している節があります。また、ネットで検索しましたところ「学術研究のため」ならケースによって入山OKという記述を見つけました。                       

 従って、今回の入山については、以上のような事情を知らないまま歩いたわけです。ここに紹介記事を掲載しますけれど、入山希望者はしかるべき当局に照会されることをお勧めします。                                 

 さて、前書がながくなりましたが、山歩きの達人を先頭に奈良公園を抜けて志賀直哉旧居前を通り、能登川沿いの柳生街道(東海自然歩道)に入る。バス会社のウオーキングラリーのしんがりに追いつく。あいかわらず人気のある道。なぜか白人男女も多く散策している。夕日観音、朝日観音を過ぎて、荒木叉右衛門が試し切りしたと伝えられる首切り地蔵の小広場で一服。  
                                  

ここから進行方向左手の山道をゆるやかな斜面でたどり、さらに左手の山腹にわずかに荒れた斜面を見つける。ここが花山への進入ロである。あとで判明するが、さきほど書いた監視所地点よりも約150メートルほど西方である。春日山系でみれば、西端が若草山(三笠山)、春日山(御蓋山),そして花山となるが、広義には春日山の範疇に入り、俗称、花山というようだ。達人が調べた「点の記」によれば、所有者は文化庁とある。    
                        
                                 
小径を一気に詰めると、すぐに石積みで囲われた池に出る。池というより溜まり水といった感じで、ここで春日原始林というイメージが修正される。つまり、人跡未踏の秘境ではなく、人手が入った山なのである。周囲をみわたせば、ヒノキが植林された森である。小池の一段高い台地に朱塗りの祠。龍王明神を祀る。    

 やがて踏み跡に沿って歩くと、伐採地と作業小屋。ますます原始林のイメージが遠のくのは仕方がない。しかし、山の名誉のためにいえば、樹齢千年を越すような杉や、名も知らぬ大木がそそり立っていた。山の深さを偲ばせた。                   
 森が深く、視界も利かない。道跡も次第に希薄となり、帰途の目印に小さな倒木を横木に渡す。もっとも、遠くに車の走る音を聞く。ドライブウエーが春日山系を取り巻いているのだ。かつての樹海は寸断されている。               

 最初の高みは、偽山頂。ついで、また祠のある台地状の高みにでる。この祠、百葉箱みたいで、前後左右、一字も書かれてなく、なにかわからない。ここが山頂ではないかと、あるはずの三角点を探すが目当たらない。けれども、捕虫網のような白い薄い布が地面にいくつか張ってある。おそらく昆虫類をとらえ、生態を調べたりするのだろう。いうところの「学術研究」の一端であろうか。       
                    
 山の達人氏が樹幹を透かして、いったん少し斜面を下った先にさらに高みがあると先導、緩やかな登り下りの道が続いのち、これ以上、高所はみられず、ついに花山頂上に到達した。進入口から約40分の行程。あるはずの四等三角点は樹林の間の、登路から外れた分かりにくいところに、四個の保護石に囲まれてあった。

                                            

 諸般の事情であまり語られることがない花山は、それ自体、特別な山様を擁しているわけではないが、秘境の山と思えば、語り草の一つになる静かな低山であった。 
                                                                             
帰途、地獄谷の石窟仏を見物したあと、行楽客でにぎわう春日大社、興福寺を経て、近鉄奈良駅に戻った。 

             
   (藤田 健次郎)                          
 

柏原山(568m)−03・10・05

阪急梅田バスターミナル→洲本バスターミナル往復

 淡路島の最高峰は、南淡にある諭鶴羽山。柏原山はやはり南淡にあって二番目の山。バスターミナルから日曜で閑散な朝の洲本の中心街を抜けて、すぐに千草川沿いをテクテク。振り返ると、遠くに淡路富士といわれる先山が眺められる。名の通り尖っていて山の形がひときわ優美秀麗。マンジュシャゲがあふれるような田園風景のなか、のんびり千草川を泳ぐ無数の川魚なんか見つつ歩く。                                  

 南下一時間、ようやく登山道への案内板前。三叉路の角にある。山頂まで7キロと表記してある。ここからは案内役を買って出てくれている山城吉太郎さんを先頭に、山城さんの山行の事前調査を頼りに行く。大きな保育所の後方、満泉寺横から、山中の参道を取る。                            
 言い忘れたが、山頂には淡路西国第4番札所、迦葉山・滝水寺がある。そこへ至る山中の参道が実に50丁あることになっており、確かに一丁目の石碑は大きくて立派。往時はさぞかし殷賑を極めた古刹だったらしい。     
                              
 参道は、しかし、残念なことに荒廃していて、1丁目の町石のあとは、倒木や生い茂った雑草のなかに埋もれてしまい、コースがつかめなくなった。荊に刺されるなど散々。ヤブこぎを敢行するほどのこともないので、あっさり旧参道跡から撤退。柏原山森林公園につながる林道にのりかえた。     
                        
 舗装された林道の長い歩きとなった。ゴミ焼却場、九十九折、直進路、緩曲路、いろいろなコースを左手、海側、右手、山側として続く。めったに通らないはずの車もちょいちょい走り抜ける。                         

 幸い陽射しは柔らかく、風もある。この林道と旧参道が交差し、やがて重複するや、林道脇に町石の石碑が丁目ごとに現れた。数を算えつつ歩く。34丁目の石碑で終わった。時々、左手の風景が広がり、遠くに洲本の街、先山、大阪湾、大型タンカーを眺められる。崖に「柏原フライトパーク」。これはなんぞや。近づくとハングライダーの基地であった。無人だった。 ここは鉄塔がないうえ、風向が好適なのだろう。                     
                                      
 林道脇に滝水寺への参道案内の看板があった。ここで一度撤退した参道に再び戻り、山中らしい地道をふんで、ゆっくり10分も登り詰めると、樹林のなかの廃寺に出た。大屋根が朽ち果て、もう長い間手入れをされずに放置されている様子。往時の盛況がしのばれるのに、なぜ、どういうわけで、僧と信徒の心が離反してしまったのか、信心にも流行り廃りがあるらしい。50丁の町石が悄然と立っているようだった。                      
                      
 めざす山頂は、寺の裏山にあった。しかし、山頂表示もなく、展望も利かず、あるはずの二等三角点を探索してウロウロ。点を囲んで一行5人、記念写真におさまった。バスターミナルから3時間半の行程であった。        
    
 展望のよいところで昼飯とばかり森林公園内の展望台や吹き通しを検分したあと、星の観察地の斜面に落ち着く。山腹を開いて芝生にしてあり、夜間、星空を眺められるように工夫してある斜面。ここが申し分なくよかった。

芝に腰をおろすと、前方に紀淡海峡。成が島、友が島、加太から和歌山市内、海南市内にかけての風景が一望。遠く龍門山、高野山方面の山並も見えていた。                                        

 紀淡海峡が実に狭く見える。白波が立つ。その間を朱色のタンカーが行き過ぎている。上空は関空へのランディング・コースに当たっているので、ひっきりなしに航空機が飛来していく。青い海と空の大きな景観に満足でした。
淡路島は意外にも低山が重畳と連なる山島であることを知った。       

 帰途、由良方面へ2時間の林道歩きをしたが、途中、旧陸軍省設置の防空壕跡、艦船監視台跡地が樹林のなかにあった。つわものどもの夢の跡、であった。時代を越えてしまえば、実にくだらない、つまらぬことに血道を上げたものだとしか、感慨がわいてこない。そういう意味では、この手の遺跡を残しておくことに意義があるのだろう。                         
 潮の匂い、トンビの群舞する淡路交通越田バス停で、一日3本しか通らない定期路線バスを20分待ちで乗車、長い歩きをラッキーで閉めくくれた。
                                    (藤田 健次郎)                                        
                 
                         
                   
             
                         
       



鴻応山(678・9m)03・09・23)

阪急茨木市駅→阪急バス忍頂寺下車→余野行乗り換え→西野下車

 北摂の秀峰、かつてはコウノトリが棲息したもんだ、という山。標高の数字が偶然、順序よく並んでいる山頂=写真=には三等三角点があった。雑木の覆われて周囲への展望は皆無だった。薄日が差して、じっとしていると、寒いくらいだった。                                          
             
 大阪府豊能町のバスを降りて山麓に向かう道脇にはコスモスの花、クリのいが、爺さん、婆さんたちが耕運機によるお米の取り入れしているなど、秋真っ盛りの里山風景がそここに見られた。のんびり歩いて大歳神社をめざす。そこに、登山口があるはずだが、これが分からない。山に向かう小さな道や集落に入りこむ細道があって、どこから山に入れるのか、つかめず右往左往。人影もない。                                    

 探査30分、 ようやく寺田登山口の小さな道標=写真左=を見つけて一服。これが唯一の苦労で、あとは誠に簡単に登れた。実は某社の登山ガイドブックには、ヤブが茂っていて、ルート・ファインデイングが難しいところがあるので、「上級者向き」コースと書いてあり、そのことが先入観となって、多少緊張していたのだ。                                           

 この登山口の斜面は、クリ園=写真下=になっている。手の届くところにキウイが鈴なりだ。そこから山道。溝状にくぼんだゆるい斜面を登っていく。落葉が散りしかれた静かな雰囲気。

松が多いので、マツタケがあるだろうか、という話題が自然に出る。気にしていたヤブコギは全然ない。テープもあちこちのあり、コースは間違いなく把握できる。歩き出して、30分足らずで、「牧」方面への分岐をしめす道標。こちらは亀岡に通じるコースである。            

 分岐からまもなく広い山頂。道中、景色を見られる視界もなく、取りたて特筆すべき事案もない。平々凡々な里山であった。山麓に点在する秋の気配が得がたくて、大阪の府県境に、こうしたローカルな田舎が残っていることに感銘した。                             (藤田健次郎)                         


  
 龍宝寺山 (254m)03・08・23

 淡路島には、一等三角点の標識をもつ山が三山ある。いずれも車で山頂近くまでいけるので、ピークハントするつもりなら、車で駆け巡ればよい。他の2山はすでに登っているので、暑さのなか、この山をめざす。

 車を使わずに行くとなると、はなはだ不便なアクセス。そこでアクセスを事前にネットで調べて早朝に大阪を出発。三宮から高速バスで北淡IC経由群家まで。さらにローカルバスで山田まで行き、ここから車道歩きを始める。時折、近畿自然歩道の道標が目につく。

 およそ40分の歩きで龍宝寺山本道(無住)に着く。開山は、慶連上人とある。ここから約330段の石段を登る。本日唯一の登りらしい登りである。登りつめると、奥の院だ。汗が噴出する。左脇のヤブを20メートルほど掻き分けると、山頂だった。雑木林のなかで展望はあいにくゼロ。蚊の大群がおしよせてくるのので、写真一枚を撮ったきり、ほうほうの体で退却、本堂に戻って休憩、南方面に先山周辺が見える。

 往路を山田に戻るが、三時間もバスがないとあって、ひたすら西海岸線を目ざして日盛りのなか歩く。熱中症や熱射病を避けようと、濡れタオルに帽子を重ねるといった格好で、なお、水を摂りつつ歩く。江井港までくると、汐の香りがして、ホッとした。
 
 路線バスで岩屋へ。明淡汽船で明石へ渡り、JRで帰阪した。この日の低山歩きの交通費はしめて4860円。目ざした標高にしては費用が反比例しているような気がしないでもない。                (山城 吉太郎)





トリカブトが群生する霊仙山頂から伊吹山を遠望する。



霊仙山 (1084m)03・09・07

(JR醒ケ井駅→湖国バス→上丹生下車→登山口→一の谷出合→
漆が滝→井戸が洞→経塚山→霊仙山三角点→経塚山→お虎が池
→汗拭峠→下山→養鱒場前経由JR醒ケ駅 歩行約6時間半)

 残暑厳しい。電車のなかは伊吹山へ行くグループ、家族連れで超満員。醒ケ井駅前は閑散。端のほうでウオーキングの受付をやっていた。「さめがい水の宿駅」とある建物が駅前幌場の右手にある。中型のバス。乗客は二駅乗る我ら一行7人のみ。                               

 登山口への標識、さらに山中に入ってからの道標は実に懇切丁寧。いたるところに「西出商店」と書いた道案内板があり、トラロープが張られている。  

あとで山頂近くに二ヶ月前に完成したという避難小屋(木造平屋建て、環境省、滋賀県施工、米原町管理)で、当の西出さんに出会った。日曜なので見回りに来た。10日くらい前に土砂崩れがあって横道コースが通れなくなりましたとこぼしていた。金掛けているいるのだが、使い勝手が悪そうな小屋である。                                           

其れはさておき、登山口には無料駐車場。10数台置けるが、すでに数台並んでいた。追い越していったバイクの男女が先に歩くとこらだった。谷山谷の渓谷ぞいに歩く。いきなり「熊出没危険」の標識。脚立をだしてカメラポイントを探している人がいた。車の主は必ずしも山行者ばかりではないようだ。谷をはさんでそそり立つ岩壁が、屏風岩。なるほど垂直の険しい大岩。上高地・横尾から眺めた屏風岩をしのばせる。やがて丸岩。こうもり穴。ポッカリ斜面にトンネル状の穴が開いている。なんども沢を右に左に横切る。「猿、鹿、りすがいます」「カモシカの鳴声がきこえますか」の立て札。           
                        
  一の谷の出合い。急登する横道コースと谷沿いを漆ガ滝に向かうコースの分岐だ。前述の西出さんの登山道整備の前線基地といったところか。片隅に小さな小屋がある。こまごました道具類がある。急登コースは道が崩れていることを一行のうち二人が先週やってきて確認しているので、谷沿いに行く。                                           
                         沢を山靴を濡らしながら、丸太橋を渡ったり、岩をくぐったりして、二の谷、三の谷を経て、ようやく漆ガ滝の分岐に立つ。ここまで歩行約1時間40分。なかなか興趣に富む山である。セミの鳴声がしみる。悪評のヒルがしっかりいた。人の気配を敏感に察知して、背伸びするように立ち上がり、ゆらゆらと揺れている。粘着力のありそうな、気味わるい奴だな。                
                  
 滝はもう少し上に上ったら、落差のある大きな全容が見えた。水量は豊富だった。この分岐に「ここからきつい90分の上り」と書いた柱。山頂への急登が始まるのだ。 ただし、歩きはじめは渓谷の底とだんだんに離れていくとあって、崖っぷちの横バイがしばらく続く。山側にロープが張ってあるものの、細い道、谷底への高度感があって、危険なところだ。                                     
                          
 あとは、水流が伝うガレ場の急登。息も絶え絶えのころに「ここが最後の水汲み場」とまたもや西出商店さんの道しるべ。 冷たい水を腹一杯のみ、ペットボトルに補給し、なおかつ、顔を洗い、濡れたタオルで首筋を冷やす。ほんとうに有りがたい水場だ。オアシスというのは、こういう場所にふさわしい。樹幹の先に青空がかすかに見え始めた。そろそろ尾根筋にでるころだ。 

 九合目、ついに森を抜けた。暑い陽射し。遠くの緑の稜線が目に飛び込んでくる。ササの斜面を分け入るように登っていくと、次第に視界が大きく展開してきた。伊吹山が現れた。砕石場の荒れた斜面、ドライブウエーも見える。さらに高みになると、琵琶湖の湖面が鈍く、広大に広がっている景色が登場した。なんとも広がりのある大きな展望に感激する。まるで北アルプスの山から周囲を睥睨しているようだ。                          
                                  
 避難小屋に到着した。3時間かかった。低い山にしては、裾野の広い山である。木陰がまったくないササ原なので、小屋の日陰に腰を下ろして昼にする。小屋の中は土間で、薄暗い。長靴姿の西出さんとは、ここで出会った。登山道の行き届いた整備をねぎらい、立ち話をした。小屋の資材はヘリで荷揚げしたそうだ。入り口の扉が引き戸ではなく、外へ開く形。これでは、風にばたつくし、積雪時には開閉に適さない。せっかくだが、使い勝手について山のことがわかっていないのだ。                          

 山頂にある二種類の標識。   左の標識に三角点がある。

 ササ原がカルスト台地特有の不思議な石灰岩の岩石の露出が目立ってくる。白いが、風化に弱いせいか丸みのある、変形した大岩小岩。山土と石とが交互に登山道の周辺に現れる。奇観と言ってよい。            
                             
 経塚山(1040m)は、周囲一番の高みだから、ここが霊仙山の頂上と間違える人がすくなくないようだ。ガスっていたら、道迷いの元だ。さらに15分先にある霊仙山三角点地点まで行かないかもしれない。ここでザックをデポしてから、山頂へ往復した。びっくりするほどトリカブトが群生している。紫色で透明感がある。先行していた別グループの女性たちが喜んでいたのは、珍しいアケボノソウが咲いているとのことだった。               
                                          
                 
     トリカブト         アケボノソウ
                           
 山頂は幸い晴れていた。伊吹山が指呼の間である。こちらの方が高く思える。琵琶湖が広がる。関が原方面は展開する。吹く風が心地よい。足元は石灰岩の堆積。トリカブトの乱れ咲き。いい気分だった。           

 下山は、お虎ケ池方面に一瀉千里の急下降。随分長い歩きのようだったが、林道に出たら、山頂までたった四キロの表示。そう感じるだけ疲労していたのだろう。路上にへたり込んでいたら、山を見にきたという軽四輪のおじさんが現れた。みんなして話し掛けていたらご機嫌よく結局、養鱒場のバス停まで載せてくれることになった。なんというラッキー。             

養鱒場までの林道4・7キロを走ってくれた。ところがバス停のダイヤをみると、一時間以上も先のこと。おじさん、ここで再点火、気合が入り直して、駅まで送ってやろう、、、、と。おかげで予想外のラクチン・ドライブをすることが出来た。ありがとうさんでした。                 (藤田 健次郎)                                          
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