関西山行レポート


 登山ルポ


俎石山(420m)=(2003・8・16 南海箱作駅→南海バス桃の木台4丁目→林道→山の池→尾根筋合流→俎石山展望台→山頂→大福山折り返し)

 和泉アルプスと通称され、大阪・和歌山府県境にある俎石山とお隣の大福山に行った。.多くは和歌山側のJR六十谷駅か紀伊駅から登山するようだが、今回は大阪側からにした。箱作駅と南海バスの連絡がうまくかみあわないので、駅前から阪南スカイタウンを縦断するように歩く。同行者は案内人役の山城吉太郎さんと坪井武司さん。                      

 スカイタウンというのは、関空の足の便、生活圏の隆盛を見越したのか、大阪府企業局が丘陵を切りくづして造成した住宅団地なのだが、雄図半ばに頓挫した大プロジェクトといった感じ。草ぼうぼうの広大な空き地の向こうに分譲された戸建て住宅のかたまり、広い道路、少し飾りのついた幅広の歩道。野犬一匹渡らぬのに信号機付きの大きな交差点、しゃれた学校の建物。いろいろな机上の夢の実現に力を入れたらしいが、現実は夏草生い茂る空き地と、少ない人影が物語っている。ま、ベッドタウン化の途中にある町だな。                             

 何とかの商法とやらの声が聞こえてきそうなタウンを抜けて、企業局が金網で抑えてある敷地内から林道に入る。雑木林に入ったにもかかわらず、コンクリ舗装か、と怪しんだところ、ずっと先で「700メートル先、新空港用土砂採取地跡」との小さな立て札があり、氷解。往時は土砂運搬車は往来した道なのだ。右手は飯ノ峯川。せせらぎの音が心地よい。                                                           
 
 山側から大小の落石が道に散乱。谷川は、めずらしい滑滝状の沢が続く。水流が奔流となって白濁している。もうすこし足場がよければ、人気の出そうな沢。道中、ここを除いて、あたりに危険な個所はほかにない。 セミ、鳥の鳴声。あとで気づくのが、関空から航空機がエンジン全開で離陸する際の地底を揺らすような音も、聞こえてくるのだ。                                                                 


 林道歩きは、まもなく飯ノ峯川の細流にかかる小橋を横切る。ここまで約40分。山土の林に入る。雨がちのせいか、土が湿って柔らかく、物音は吸収されて、静か。ゆるい坂道を左下に源流をみつつ登る。ちゃんと木組みの土止めが細かく整備されている。この地を本拠とする自然保護グールプの労作のようだ。道沿いの主だった樹に名札、第一から第三までの休憩所、山頂近くの展望台、ベンチの整備なども手がけているようだ。         


 小橋からさらに半時間、左手から伸びる細い尾根脇にその第一休憩所で一服。左手は梅乃木山方向。汗みどろになっている。とにかく風がなく、蒸す。ここで喉を潤す。山歩きの楽しみのひとときのあと、両側を雑木で囲まれた道なりを行く。小さな三叉路には、とりどりのカラーテープが幹に巻かれている。一般的ではないが、箱作方面に下りれる{難路}があるので、注意喚起のテープ群である。注意喚起といえば、言い忘れたが、この辺の山は、いわゆるマツタケ山。シーズンは立ち入り禁止との警告板があちこちの木に掲げられてる。               
                              

 第二休憩所は尾根の曲がり角。谷間が開けている。古松にピカピカのステンレス風の板が取り付けてある。頑丈に補助板で支えてある。小型の電波反射板かもしれない。マニアの仕業か、正式なものか、不明だが、異様な設置物である。 やがて、一登りすると、また三叉路。ここは南海尾崎駅から鳥取池、青少年キャンプ場経由してくる尾根との合流点である。大福山が左に、右に俎石山が見える。ご丁寧に方向を示す標が取り付けられいる。 


 ここから20分。初心者向けと中級者向け(そう看板に書いてある)とに別れる勾配別の斜面を登りつめると、緩やかな斜面一帯を切り開いた休憩地に出る。地元の自然愛好家が仕立てた山頂展望台である。クヌギなどの間伐材でお手製の、しっかりしたベンチが多く設置されてある。                                


 そして、問題は展望であるが、これはこれは、素晴らしい。眼下の海に関空島が長々と伸びており、一方では淡路島の山影も空にかすんでいる。秋冬の空気が澄明なときなら、明石大橋をも望む一大パノラマであろう。大きな航空機が発着する模様はいつみても飽きない。この日は南側からランディング、北側から離陸していた。先にも書いたが出力全開のエンジン音が、低くうなるように聞こえるのが、すごい。                       
                    


 数十メートル先に山頂があった。駅から100分ほどだ。一等三角点の本点。大きめの標石。四辺の一部が無残に削られていた。記念品か、縁起かつぎか、こういうことする者が少なくない。おりしもそばで、紫色が鮮やかなキキョウが七輪咲いていた。あまりにひょろりと,一本頼りなげに伸びているので、誰かが木枝で支柱を作ってやっている。不動の標石を削る馬鹿、はかない命の花を支える御仁がいる。対照の妙か。山名板を背に交互にお決まりの記念写真、パチリ。                                 


 さて、そこからアップダウンもろくにないまま、ヤセ尾根を20分の歩きで大福山(427m)に到着した。俎石山は府県境だが、こちらはもう和歌山県内。大宝年間に役の行者が行者堂を開基したとか。山頂は広く、いろいろなゆかりのモノが鎮座している。石碑、祠、案内板、立派なベンチ。展望がいい。南西方向に大蛇のようにくねる紀ノ川、その両岸に開けた和歌山市内の町並、遠く有田の方につながる海岸線。一転、視線をふれば、和歌山市と背中あわせの格好で多奈川の発電所の建物が固まる大阪湾が眺められる。この高みからの下界見物だけでも、登った甲斐があった、軽い汗かき山行でした。             (藤田 健次郎)                       
                      
                                                                                                                                                 摩耶山(702m)=(2003・6・29 阪急王子公園駅→同六甲駅)

 梅雨晴れの好天はいいが、贅沢な話ながら、あまりにも蒸して暑く、ほとんど暑熱でグロッキーになった。ボディブローは翌日まで効いて、ヘロヘロになった。これだから簡単に見える低山歩きも決して侮れないということです。

 神戸は坂の町。神戸高校グランド横を通る際には、もうしっかり勾配がきつくなっている。この町では自転車が普及しないだろう。上りが大変だ。森の中、谷沿いに上野道に入る。ここは燃えて消えた天丈寺への参道にも使われていたし、今もハイキング道として市民に親しまれているらしく、ちょっとした空き地にも花が育てられている。ササに覆われた階段の小道を登る。                                               

 振り返ると、眼下が大阪湾と港コーベ。ポートアイランドと六甲アイランド、賛否両論のやかましい新神戸空港の埋め立て現場。沢山の船舶、ガンツリークレーン、遠く金剛葛城山系、紀淡海峡、淡路島が一望だ。こういう海を眺めて歩けるハイキングが素晴らしい。                                             

 それにしても暑い。天丈寺跡の広い伽藍跡についたときは、汗ぐっしょり。せっかくの港ビューポイントながら,へたり込んでしまう。まだ梅雨時までは体が暑熱に適応していないのかもしれない。                  

 雨で湿った巻き道を落ち葉の堆積山頂へ。朱塗りの祠のあるところが頂上だが、あるはづの三等三角点を探してササの中を右往左往。結局,見つかって、同行者一同、そろって記念撮影。ここからほどなく、ロープウエイの終点駅でもある山頂だ。多くのバスが停車しており、休憩所、トイレ、ゴミ集積コンテナ、展望台、広場と一大ターミナルである。掬星台という看板が掲げられている。ここで眺めの昼食休憩をした。                       
  このあと、ドライブウエイをあるいたりして、穂高湖へ。冷たそうな水面でカヌー遊びの子どもたちが大勢いた。近くの青少年の家を足場に楽しんでいるようだ。 再び上り返して、長峰山の長い細い尾根を下って、阪急六甲駅に下りた。                                                  (藤田 健次郎)                                        



 菊水山(459m)=(2003/6/22 阪神板宿駅→阪神元町駅)

 六甲全山縦走という名の山歩きがある。西は垂水から東は宝塚まで56キロメートルの長丁場。年に3回、神戸市や地元の山岳会が主催して、このコースを歩き通す催しがある。はなはだ魅力的な歩きなのだが、到底、一日で貫徹できる自信がもてない。ならば、あきらめるかというと、しぶとく次ぎの手を考えていた。             
 といっても大した秘策ではない。すでに垂水から、高取山まで。それに六甲最高峰から宝塚までは歩き済みだ。つまり両端は歩いている。真中あたりの再度山、市ガ原、摩耶山は、街から縦に登り降りしているから、点の状態である。                                                                 

 もっとも、縦走ラインの線として大穴があいているのが、高取山から再度山間である。前置きが長くなったが、今回はそこを歩いた。                                                        

 梅雨の晴れ間と思いきや、これが歩き始めると、すぐに雨。育英高の前を通る時には、もう傘をさし、ザックカバー姿。この蒸し蒸しのお天気と前日の山歩きの疲れが残っていたため、きつい山歩きになった。           

 住宅地のあちこちに看板あり。「早朝の登山者は静かに登ってくれ、騒音で迷惑をかけています」。付近のひとは、毎日登山の一部やかましい集団にお困りなのだ。ところが、どうしてどうして、我ら一行の後ろから、ラジカセを持った男が演歌を目いっぱいボリュウムをあげて登ってくるではないか。ピンカラトリオか、北島三郎か。まるで動くカラオケだ。                                                             

 この男、アロハシャツで、背丈があるうえ、髭を蓄えた異相の持ち主。毎日登山で鍛えているのか、なかなかの健脚。大音響の演歌が参道を登っていく。多分、付近住宅の皆さんは恐ろしくて注意しかねているのにちがいない。我ら一行三人もあきれて、追尾したが、そのうち見失った。                             

 参道の茶屋は、毎日登山の人たちが楽しいそうに一杯やっている。六甲全山縦走コースに乗った途端、昨年、垂水から歩いてきた記念に木に結わいつけたプレートと対面。なんと日付は{2002年6月23日}とあってびっくり。期せずしてジャスト1年目に歩き続けることになった。摩訶不思議な縁だ。                      

 ひとまず高取山を下山する。菊水山とは峰続きではない。いったん街中に下り曲がりくねった街区を右へ左へ。路地伝いと言う感じのところもある。目印は電柱や塀の指導標。小さな文字で「六甲全山縦走」とあり、方向を示す「矢印」が書いてある。実際、この案内を見落とすと街中はあるけないほどコースは紆余曲折ぶりだ。      

 谷川を渡り,登山口の小さな木片があるところで一休憩。あと距離900メートルとある。標高差は300bとガイドブックにあるから、これは相当きつい勾配。木組みや石積みの細い階段を行く。ほとんどすれ違いにも譲らなければならない小道。下りてくる人がいる。なかにはズック靴の若い女性もいた。気楽に登るにはかなりハードなんだが、なれているのだろう。                                                      

 汗みずくで一息。ちょうど見晴らしよく、眼下にゴルフ場。ここからの階段の急登は苦しかったが、やがて大きな石碑が立つ山頂に出た。大阪湾の彼方にホームグランドの金剛山、葛城山が灰色のシルエットとしてだけ見えた。薄曇りなのだ。蒸し暑さを助長している。                                           

 町からも見えていた電波塔がそこに立つ。東屋が一軒。なかで数人が休憩していた。意外な重装備スタイルに聞くと、夏の高山に向けて体力鍛錬をしているのだという。男性一、女性三の仲良しグループのようだ。いずれも中高年。なるほど、と感心していたら、さきほどのズックの女性が登り返してきた。これもきっと、鍛錬組に違いない。

 登り口からの急勾配は大変だが、六甲山系のヤワな特徴である、道路網せいで、電波塔背後に、車道がきているのだ。ズック女性なんか車で山頂に着いて、そこから下り上りをしているわけだな。               

 さて、次は鍋蓋山(487m)だ。せっかく登ったのに、いったん急下降しなければならない。細い尾根が荒れていて、剥き出しの岩が斜面に並ぶ。足元、要注意といいつつ、下っていく。国道(有馬街道)を横切るためにつり橋が架けられている。鍋蓋山の山部との懸け橋は「天王吊り橋」というらしい。渡りきったところで一服。山頂まで標高差230メートルくらいと、これまたガイドブックにある。                                 
                                   
 雑木のなかを比較的ゆるやかに登っていける。振り返ると、いつのまにか菊水山の高度と並んでいるようで、なんなく頂上につく。そこは広くて、二段になっており、一段低い方の縁から大阪湾、神戸市内が見渡せる。山頂標識の柱のテッペンに本物のナベの蓋gあおいてあるのが、ご愛嬌。よく知られているらしく、登ってきた人たちのなかには、ナベのつまみを持ち上げたり、写真を撮ったりしている。                             
                     
大休止。昼飯を取り、ついでにビールも飲んで、すっかり気分がラクになったところで、大龍寺に向かう。薄くらい林のなか、ふらふらと歩いて、再度山の大師道からくる道と合流する。ここまでくると、もう何度も通った山道。ためらわず、元町を目指して、大師道を下る。JR高架下で改めて、ビールを飲みなおしたことでした。(藤田 健次郎)                                             



見山(475m)=(2003/6/21 阪急宝塚駅→阪急田園バス→切畑南     口→阪急宝塚駅)
                            

 北摂の不遇の山、検見山と大峰山の二つを、山歩きの達人、山城吉太郎さんのご案内で踏破?した。ほかに同行者は坪井、田中さん。不遇というのは、それなりにいい山なのに、広く世間から注目されたり、親しまれたりしていない山のことである。ヒトの世界と共通していることは言うまでもない。                                  

 まず、検見山。曇り空のもと、田園のバス停を降り立ち、バス道なりにバックすると、叢に半ば覆われて石碑が建つ。なぜか刻文字のなかに福沢諭吉の「人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」の一文も刻まれている。ここから「山陽自然歩道」。田んぼの畦をいくような自然の中、やがて山道に入る。                              

 関電の高圧線鉄塔の巡視路道から斜面に取り付く。上空には高圧線が延びており、山城さんのなんとかギャグが早くも飛び出し、「テットウ(徹頭)徹尾」、この鉄塔を追って登っていく。四番目の鉄塔広場で一服。ここから北側のまだくもり空の下、先のとがった山を遠望。「大船山か、羽束山か」と詮索したが、結論出ず終い。                                            

 全体に穏やかな斜面、雑木林が続く。時折さす陽射しが葉陰にさえぎられて暑くならないのがいい。点々と現れるテットウ以外に、これと言った語るべき特徴をもたないのが、不遇の所以かと思いつつ、よく踏まれた山道から検見山頂を林の中に探す。幹に巻かれたテープの誘導がなければ、ここが山頂だ、と言い切れないような平坦地に出た。登山道に戻り、四等三角点がある地点に立ち寄ったが、ここもうっかりすると行き過ぎてしまう路傍の点所在地だった。          

 次の目的地、大峰山へは、いったん舗装された林道まで降りなければならない。やむなくとんとんと下り、一箇所、足場が悪い坂を降りると、左手はゴルフ場。球を打つ人たち、キャデイの姿がグリーンの上にある。見返すと、なだらかな検見山の木々につつまれた優しい山頂部が浮かんでいた=写真右。               
                                  
                                            


 大峰山(552m)=(2003/6/21 阪急宝塚駅→阪急田園バス→切畑南口→阪急宝塚駅)
  

  大宝塚ゴルフ場の有刺鉄線わきで一休みしたあと、大峰山登り口に立つ。秋なら実がたわわ、と思われる柿の木がある。奈良の著名な女人禁制の山、大峰山(山上ガ岳)と違って、こちらの大峰は、あまりポピュラーではないが、検見山ほどではない。知る人ぞ知る山らしく、結構、大勢の山好きが足を運んでいるらしい。                                               

 その証拠に登山路は道幅も、踏み跡もしっかりと鮮明。深い雑木に覆われているが、こちらの方もも急な勾配や崖つぷちの危険な個所は一切ない優しい山。落葉を踏んでラクラク登山。今登ってきた検見山はじめ北摂の低いが重畳たる山並みを展望できる高圧鉄塔下の広場がある。およそ30分で頂上に到着した。                     
                           
 ここの頂上も林の中にあって、三等三角点標柱が埋没していた。先着の男性が上半身裸で、しきりに柔軟体操をしていた。念のいったことに裸足であった。やや異様な印象がぬぐえぬ男。1対1なら、山中で出会いたくないタイプだ。

 山城さんが、この山には今西錦司さんも登ったという。わが国の登山・探検、霊長類研究の草分け、元日本山岳会会長、文化勲章受賞者で知られる大人物。                 

 後日、山城さんから送られた資料によると、今西さん82歳のとき、氏の生涯1401山目の山として、昭和59年(1984年)1月29日に登っている。ちなみに氏の1500山登山は奈良・白髭山で、わずか1年半後の1985年6月のこと。年齢から察しても、驚異的なハイペースである。1500登山を記念した石碑ができたことを知り、白髭山に登ったことを思い出した。                        

 お昼はサクラの園に下りて、東屋で食べた。武庫川畔に続くこのあたりの斜面は綺麗に公園化されている。水上勉の「桜守」で知られる笹部新太郎さんがサクラの保護、育成に努めたところ。元小屋が「亦楽山荘」と名づけられて残されている。ここまでくると、女性のグループ、家族づれが三三五五遊んでいた。      
 武庫渓谷ぞいのJRの旧福知山線の廃線跡を生瀬目指して歩く。陽射しが明るく風も吹いて、いい気分。五つだか六つだかの長短のトンネル、鉄橋渡り、渓谷の眺め、水はにごっていたが、水量は豊富な川面の光景を厭きずながめながら、四キロの珍しいハイキングコースを歩いた。 このあとさらにこの日の出発地、宝塚駅前の阪急田園バス停まで歩いたのは、蛇足だった。ながーい歩きに音を上げた。    (藤田 健次郎)                                           

           
、                     
                                           
櫃ケ嶽(羊ケ嶽)(582m)=(2003/5/25 JR篠山口→神姫バス→大芋=おくも)
                                          

 
 今年の干支は“羊”。この羊の名の山は全国的にも少ない。近畿地方ではかろうじて、この山のみ。友人の丸田氏と二人で出掛ける。車でならアプローチは簡単だが鉄道、バス利用なら甚だ不便なところ。                  
                    
 大芋の宮代集落から農道を行き植林帯を登る。足許をシダ類が覆うが緑色が鮮やか。峠から左へ、あとはひと頑張りで櫃ケ嶽山頂へ。ここまで約1時間20分。2等三角点があるも展望はなし。曇り空で風が強い。山名板がやたらと多く枝に付けてある。一人登ってきた。車で来てピストンのようだ。          
        
 この山だけではいささかあっけない。546m峰へと向い595m峰〜雨石山(611m)〜毘沙門山(630m)〜国道173号小原へのルートをとる。以後誰にも会わず。府県境稜線を行き、少し下って登り返して546m峰、踏み跡を辿り峠へ降り、次の595m峰への急登がきつかった。だっだ広い山頂の一角で昼食。雨石山をすぎてから今日初めて展望が広がる。露岩帯をルート探しでウロウロして最後のピーク毘沙門山へ。     あとは送電線鉄塔から巡視路を下り里へ出てほっとする。小原から福井バス停まで歩いて帰途につく。        (山城吉太郎)

 伊勢ノ森(515m)=(2003/6/7 北淡町富島(としま)港)〜妙見山 525m      
 明石港から左に明石海峡大橋を見ながら,約20分で北淡町富島(としま)港まで。どんよりとした曇り空も次第に明るくなる。独り黙々と車道歩きが始まる。町役場前を通り、しばらく海沿いに行き、淡路高校を過ぎて左へ入る。ここに常隆寺へ6kと表示あり,伊勢ノ森は常隆寺山とも称している。緩やかに登っていくと平坦な所に出た。                                      

 ユーカリ園で名古屋東山動物園委託圃場となっている。説明板に曰く、4haに各種1万本の樹があるとのこと。続いて車の騒音が下から聞こえて来る。神戸淡路鳴門自動車道が真下をトンネルで通っているのだ。途中でショートカットして山道に入るところがあるのだが、持参した地図と現地がかなり変わっていて判らず、結局常隆寺までそのまま車道を歩くはめに。                      

寺の本堂左手の石段から山道に入り、魚慰霊碑と電波塔を過ぎ少し登ったら山頂だった。3等三角点、鳥居、小祠あり展望は西側に僅かに得られるのみ。
 再び林道をたんたんと歩く。北淡・津名町境界を辿り340mの大塔峠まで下る。こ
 
桟敷ケ岳
(896m)=(2003/04/27 叡電出町柳駅京都バス→雲ケ畑出会橋駅)  

 萌黄色の葉が一斉に吹き出す雑木林がすばらしい。緩やかな斜面、明るいクヌギの林が初夏の山を味合わせてくれた。。バスをおりてから、谷に沿って林道を行く。岩屋川でミソサザエが高らかにさえずる。シャガも咲いている。やがて前方に止まっていたクルマから自衛隊員のような服装の男性が現れて、ティッシュペーパーを手渡してくれた。山火事をなくそうキャンペーンだ。ご苦労さんだ。

 林道のどんずまりが志明院。歌舞伎「鳴神」の舞台とか。見事なシャクナゲの花がいっぱい。満開の季節になにごとかの法要があるらしく、クルマと人の出入りがある。この境内を左下にみて、いよいよ山中へ細い登山道に入る。すぐに苔むした露岩、沢伝いといった按配で、山歩きらしくなるが、全体としては、実になだらかな、しっかりした道がついていて、迷うことはない。                          
コース案内にあるように薬師峠まで約20分、ここで、一息いれて、前述の雑木のなかをジグザグに登っていく。たまに視界が開けて、北山の低いが、重なり合う山並を望見する。                                    

右手が谷側。斜面を巻く登山道が細くて、時折、木の幹や枝を支えに歩く。40分もすると、左手の尾根に鉄塔が見えた。斜面をよじ登って鉄塔に着き、意外に早く到着したかと思ったら、これは鉄塔違い。四囲を金網で包囲されている。                               
ふたたび登山道の踏み跡を辿りなおす。広くて明るい雑木林、尾根を越えて一番の高みに着いたかと思いきや、いったん、目前の鉄塔を潜り抜けて、斜面を下り、登り返したところが、山頂だった。先着の登山者がお昼をしていた。三角点もある。 展望もよい。もっとも北山の緑の稜線の広がりだけである。桟敷を敷いて、ここからなにを見物したのであろうか。9世紀の惟喬親王は。

 昼食。下山は、北側の急傾斜を一気に下る。背丈のあるササのなかの、ぬかるんだ道に閉口しながら、30分で祖父谷川を越えて、林道に降り立つ。あとはこの川の右に左に沿って長い長い歩き、川原で焼肉パーティをする連中を見下ろしたりして、出会橋に戻った。 (藤田健次郎)                       
           
前に戻る
                 

四石山(384m)=(2003/04/06 JR山中渓駅→泉南南海バス牧野→JR和泉砂川駅)  

この時期、山中渓駅は、満開のサクラに包まれていた見事な花のトンネルになっていることがよく知られているのか、たくさんのアマ・カメラマンたちがホーム上でシャッターチャンスを狙っていた。おそらく満開のサクラトンネルを抜け出てくる電車を一幅の絵に写しとろうとしているのだろう。彼らは競演するかのように高価なカメラや望遠レンズをもっている。                       

 さて、電車の進行方向の山中川沿いに30分歩く。途中から、左に阪和自動車道があり、和歌山県境を越えて岩出町に入る。その名も境谷橋という橋の手前で林道に乗る。 日本最後のあだ討ち現場が近くにあるという林道を道なりにすすむと、山中にしては家並みが並ぶ集落に進入。駐車している車も多いのが意外。出会ったおばさん。「四石山はわかるけれども、昭和山ってどこぞよ」と目を丸くしていた。近在の人が山を知らないということは、よくあるケース。                                

 少し分かりにくいけれど、民家の軒先伝いに家並みをはずれた所から山中に入る登山口となる。左、谷川。右手、山林。日陰で落ち葉がつみかさなった気持ちよい一本道を徐々に登っていくこと約15分、槌の子峠に到着。この間、左手はかなりの絶壁もあり、要注意。                   

峠を越せば信達楠畑、あるいは根来寺方面、左の坂道をとれば、目指す四石山。右手のやや急坂は、あとで登る昭和山方面。木の幹に掲げてある手書きのルート案内にそう書いてある。四石山へは、とくに問題なく登っていける。シダや雑木の茂る道。よく晴れたサクラ見物日和のもと、小広い山頂に30分でついた。登山口からなら、1時間弱だ。                                      

2等3角点が埋め込まれている。「点」の字が字画が多い旧字体。時代物である。松の木に三方を囲まれた頂上の見所は、遠く眼下に広がる大阪湾。関西国際空港が横たわっていて、ひんぱんに航空機が発着するところが見える。滑走したあと、グイッと機首を上げて上昇する雄姿がうれしい。離陸する際、エンジンを最大出力にあげて爆音のような音響が空に反響している。                                       

本日、案内役を買ってくださっている山城吉太郎さんら一行四人で交互に記念写真を取ったあと、次の目的地、昭和山へ転進する。         


昭和山(374m)  

 世に明治山とか大正山とかの名を聞かない。ありそうで、ない。思うに山というのは、人が生活を始める前から存在するから、山名というのは地域や住民によって古くから伝承されてきたものが多い。火山活動によって新しく隆起でもしない限り、新参の山はない。近代に入ってから名がつけられる機会はきわめて少ないだろう。                        

 そうだとすると、昭和山とは珍しい。 いつ、いかなることから、命名されたのであろうか。この山を東大阪一帯のコミュニティ新聞に紹介している登山家、清水満氏は昭和山を知名度は確かに低いが「大阪最後の秘峰」と珍重している。まことに興味深い。山好きは、こういう言葉がすきなのだ。やれ、人跡未踏の谷、やれ、処女峰、、、。                                       

 槌の子峠にいったん舞い戻り、そこから登り返す形で進む。四石山側に比較していえば、こころなしか踏み跡は狭く薄い。かなりの勾配を上がるや、フラットな尾根筋に。府県境を越えたり、戻ったり。竹やクヌギの雑木林。ところどころ黄色に黒のテープが幹に巻いてある。のち赤やピンクのテープもみたが、黄と黒のタイガースカラーのテープが随所で信頼できた。                        
「川上新道」という名の小さい道しるべも役にたった。かまぼこ板型の道標。最初の盛り上がりが下り斜面になったため、次の進路を探したとき、この表示が大きな木の根に現れた。大変慎重に足場を選ばなければならないきつい斜面を降下した。紛らわしい分岐もあるが倒木をまたぎ、蔓を払って、送電線下の鉄塔にたどり着く。11時50分なり。ここで昼食休憩。                               

ふたたび歩き始めたら、関電のおなじみの巡察路階段から始まった。しかし、和泉山系の分厚い低山エリアに進入してしまったらしく、以後ずっと低木がヤブ状に交錯する狭い尾根道を下ったり、登ったり。 当然、四囲も開かず、同じような道をくりかしく歩いているような錯覚に陥る。 たまに遠くに鉄塔が望めた。これは恐らくボンデン山頂にある電波塔ではないか。  
            
 なんどか試行錯誤しつつ、ようやく昭和山のテッペンについた。高さからいって、これまで歩いた尾根とほとんど変わりない。ただ視界は和歌山平野に開けており、紀ノ川川口先の太平洋が見えた。海南の方の海の広がりも見えた。したがって、より近くみえる平野部は地図によれば、貴志川町や打田町ではないか。紀伊富士、竜門山の雄姿は雑木にさえぎられて見えなかった。ここの山頂も四石山と同じく狭い。そして、こんどは三等三角点があった。                                   

 昭和山から、バス停までのコースはとても難行した。視界がきかぬ雑木林、踏み跡が判然としない、上り下りが結構複雑である。山城ベテランに方向を見定めてもらわないと、雑木に絡め取られて現在地を把握しきれない。なかなか難しい山である。ドジなことに、二度転倒した。前に一度、後ろに一度。足元が滑りやすい、そしてツタが地を這っているからだ。                      

 楠峠はT字型のU字溝にある。行き止まり側から、登路が始まる。ササに覆われて分かりにくい。 ここからの歩きは長かった。結局、清水満氏のコース紹介にあるように、二つの小さいピークを越えて、ひたすらもくもくと歩く。さっき歩いたところでは、という既視感の絶えない道中で、足元の先が抉り取られた砕石場だと分かるところに到着するまではしんどかった。 これだから、低山侮りがたし、である。                                   

 砕石場の荒れ果てた風景、国土地理院の残したピンクのテープ、ちらちら樹間からみえる白っぽい車道。長い渋滞の車列。最後の急降下をしながら、そんな風景が新鮮に思える低山徘徊ふうのおもしろい山行であった歩行ざっと6時間強。                              

 つづら畑のバス停には花見帰りのおばさん数人が、やってこないバスに腹を立てて怨嗟の声をあげていた。 山中の静謐とは対照的な花見渋滞のさなかだった。                       (藤田 健次郎)                 

                                
高岳(720m)=(2002/11/17 能勢電鉄山下駅→阪急バス森上往復)      
なりより好天に恵まれた。これが一番のお手柄で、まるで絵に描いたような小春日和。風もなく、空はあくまで青く冴えて、陽だまりはTシャツでいても寒くはなかった。北攝には里山といってよいような低山が連なっているが、今の時期は雑木が黄ばんだり、赤くなったりして、美しい。といっても紅葉の名所のような秀麗な場所ではなくて、なにやらドンくさい田舎の懐かしいような里の晩秋の風景でした。                                           

 といった道を四十分ばかりテクテクと歩く。田畑や林道にそって、じりじりと傾斜を上って行く。途中で衣服を整えて暑くなった体を冷やす。やがて林道は途絶えて山中に入る。植林帯の赤いテープを探しつつ進む。十分くらい歩くと、なんと工事現場に出た。土砂崩れの跡地のようだ。斜面にネットを張ってある。なんだなんだと登ると、2車線くらいの工事中の林道に出た。道を造成中らしく、ブルドーザーが止まったままである。                              

さらに上を目指すために登山口を探す。細い水流跡をたどるようにかなりの急勾配を進む。すると、別の広い林道に出た。この山は林道が幾条にも巻いているらしい。ここで初めて「高岳」への道標を見た。高度はすでに700メートルである。頂上は近い。                                      

近いとおもったら、ここからの登山道はよかった。落葉が一面に敷き詰められた黄茶色に染められた道を音を立てて歩く。乾燥してクルクル巻いた落ち葉の絨毯である。上から黄葉の雑木が登山道を覆い、まるでトンネルの様。いい気持ちの雰囲気。この急坂を登れば、頂上と思って、力をこめて登りつくと、これがニセ頂上で、また落葉道をアップタ゜ウンとなり、意外や意外や、なかなか頂上にたどり着かない。                                     

 このあたりは鹿害があるらしく、絽のような紗ののようなフエンスが続いたところで、今度は本当の頂上へ。鉄塔の下を越えて一踏ん張りすれば、狭い頂きに出た。少し越えて、もう一つの鉄塔下が絶好の昼飯休憩の場所であった。

 食事に満足して大儀な気分でいたら、ブルンブルンとものすごいエンジン音をさせてモトクロスというのか、バイクが上ってきた。65歳という元気印のオジサンをリーダーに4人の若者がトライアルパイクで来た。この手の連中は、バイクの車輪で登山道を荒らし回るので、評判がよくないのだが、オシ゜サンは実に明朗な人物で、こちらの求めに応じて、バイクで急勾配の坂道を上り下りして見せてくれた。なかなかの芸で感心した。   

 帰途、中山峠をへて、大穴を掘って建築資材を焼いていた巨大焚き火の前を通って国道に出た。右側が兵庫県猪名川町、右、大阪府能勢町という府県境でであった。来る際、バスで下車した森上まで歩き通した。
                          (藤田 健次郎)                    
                     
倶留尊山(1038m)=(2002/10/22 マイカー、奈良県曽爾村大良路、曽爾高原)

 ススキの群生地で知られるこの奈良と三重県境の国定公園の山は、期待通りの優美な曽爾高原<、思ったよりも勾配のきつい倶留尊山の登りを楽しみました。国立曽爾高原少年の建物のまえからお亀池までは、のんびりゆったりのハイキング。この時期、お亀池の水はは乾燥しており、上からみると、黄色く色づいた水草が鮮やかに瓢箪型を描いている。

 倶留尊山と古光山への分岐からいよいよ亀山峠までの上りが始まる。といっても 少し背丈が低いススキの斜面を階段道で上っていく。ススキの林が風になびいて見事。山全体の斜面が素晴らしいススキの大スロープとなっていて美しい。大勢の素人カメラマンが、いいカメラを持ち寄っていいシャッターチャンスを狙って、立ちんぼしていました。光の加減でススキの穂波が微妙に変化する形を捕まえようとしているからです。尾根に生える樹木まで、刈上げたなススキの斜面は、モヒカン刈のようで、おかしかった。

 亀山峠は風が鳴り、強く吹いた。ここからの眺望は値打ちもの。鎧山、兜山、住塚山、高見山、室生火山群の山々が稜線を並べている。進路を振り仰げは、左手は急崖の細い道が、ニ本ボソへ続く。雨上がりの山道は滑りやすく、危険。

 林を抜けて、ほどなく関所。といっても小屋掛けに老荘の女性二人。ここから先の山は○○林業の私有地とあって、入山料を徴収する。大人500円、子ども半額。悪名高い?徴収は平成四年から。名目は美観、森林保護。ちゃんとキップを手渡して、そして厳密なことに半券を帰りに取り戻す。西浦峠からや横合いからの入山者をシャットアウトするのだろう。もう名目は、いかなることにせよ、ビジネス化していることは間違いない。人気のある山た゜けに、儲かッているに違いない。登山者の便宜のためにも還元無゛んされるようお願いしたいものだ。

 この関所のある場所からほん先がニ本ボソの頂上。狭い石積みのテッペンからの眺めは格段によろしい。すぐ北に谷間をはさんで、そそりたつ倶留尊山の尖った山容。紅葉が取り巻いている。美しい反物がそこにあるようだ。

 ニ本ボソから80メートルの急下降、そして120メートルの急上昇をすれば、めざす頂上に立てる。

 急下降では、一箇所、ロープを手に慎重に足場を選ぶところが
あった。急上昇では二箇所、ヨッコラショと掛け声をあげつつ両手を使って登るところがあった。イヌツゲやアセビ、ススキなどで狭い尾根筋は両側が埋められているが、それが途絶えたところから、下を見ると、この山は断崖絶壁となっていることがよく分かる。柱状、あるいは板状節理という火山特有の岩石状態にあるのだ。

 三等三角点が埋められた頂上は、意外に広い。ベンチまである。多くの登山者がガンバッテ登ってきていたが、思い思いに弁当を食べて、静かなものだった。秋の日差しを頭から浴びて、年配の登山者たちは、何を思っているのだろうか。この山頂、惜しいことに全展開のニ本ボソのような展望が十分ではない。
                                      (藤田健次郎)






龍王山=(567M )=(2002/10/27 近鉄桜井駅→近鉄天理駅)

山辺の道といえば、古代歴史ファン垂涎の散策路。地元桜井市は力をいれてこの道の整備にあたっており、いたるところに道しるべ、石碑。気持ちよく歩ける。時は晩秋、カキやミカンの産直無人スタンド。いまと゜き百円なんぞという売値がたと゛たと゛しく書かれているのに引かれて、つい覗いてみると、新聞でくるんだネギやホウレンソウや菊菜、それにカリンや里イモが転がっていたりする。                                           

別井から竜王山へ。林道歩き。ゆっくりと落ち葉が散り敷かれた静かな勾配を進む。すぐに古墳群に迫る。杉の植林帯のなか、いたるところに大小の穴が黒い穴をあけている。石積みの石窟。すべて古墳群がかつて盗掘されて放置されたままの跡である。よくもまあ、こんなにたくさん。これは鬱蒼たる森の中にひっそり眠る古代人の墓地である。                     

ようやく階段の道にかかる。滑りやすい岩石のところも若干あるが、基本的には折り目ただしく、じりじりと上って行く。振り返っても、まだ何も視界はきかない。しかし、やがて、かなりの高みに来ている事がわかる展望が開ける。手前に三輪山、遠く耳成山、畝傍山、橿原神宮の森、ずっと向こうに金剛・葛城山系。ニ上山の双耳峰、、、。いわゆる大和国原の箱庭的風景。        
                            
しぱらく息が乱れるほど、切り開かれた斜面を登ると、なんと車道に出た。この道なりに進むと、看板があって、南山城跡へ。頂上は意外にも広く、ペンチもあり、展望は一段と開ける。                             

低山とはいえ、この日は風当たりが強い。山頂手前の小さな台地で昼飯。風さえ避ければ、秋の陽だまりが心地よい。戦国時代、この地方武将の山城だったという曰くのある山は、家族ハイキングに向いている。桜井から山辺の道を歩き通すつもりで、この山にも登ると、そうとう体力的にきつい山て゜ある。                                (藤田健次郎)