関西山行レポート

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一徳防山=541m(08・09・23)
{南海高野線河内長野駅→タクシー中日野バス停→南海バス滝畑ダム→河内長野駅}

河内長野駅からバスでも行けるが、日祝日は午前9時すぎまで運行していない。タクシー運賃なら1500円ほど。この山な大勢の登山者で賑わうダイヤモンド・トレールの岩湧山と向かい合うが、登山者は少なく、静かな植林帯のなか、けっこう急勾配のアップダウンを繰り返して、登り甲斐がある。

登山口から林道に入ると、200mほど先で右に取り付くのだが、今回はこれを見過ごしたため、林道の行きまり地点から脇の細い谷を遡行、谷を詰めたあとは正しい登山道を探して、きつい勾配の斜面を悪戦苦闘のよじ登りの末、ようやく登山道傍の鉄塔下の到着。ここは旗倉山に通じる道だった。

 そこで旗倉山(490m)を見届けたあと、一徳防山を目指す。よく整った落葉が敷き詰められ道。頂上直下の数十メートルは急な坂道で息が切れる難所。頂上は狭く、一方は絶壁。年々崩壊が進んでいるらしく、三等三角点の
標石もよそへ移転されたと聞く。

移転先はいったん下った山道を登り返して、大きな鉄塔下にあった。ここは河内長野市街から金剛・葛城山系が望めて素晴らしい。ここに来るまでの見晴岩からの眺めよりも視野が全方位。友人とゆっくりお昼にした。幸い秋空の行楽日和、いい心地だった。

縦走路の先にある次のピーク、編笠山(635m)をめざす。いいお天気なのに他の登山者とは一人も会わない。きつい坂を登って平坦な場所に出たら、そこが編笠山。このあと滝畑ダムに続く林道に下りる。岩湧寺とそばの四季
彩館が眼下の左に見ながらだった。

滝畑ダムのバス停までは45分の歩きだった。舗装された広めの林道一本道、、横谷分岐で左に折れる。


駒留山=475m (2002/05/
{JR奈良線玉水駅→タクシー→徒歩→玉水駅]

京都・山城地方の井手町にある低山、飯盛山は、国土地理院の点の記には四等三角点として「駒留」とあり、ことしの干支にちなんでいるので好事家のハイカーが訪れている。一月にこの山を登った達人、山城吉太郎さんの案内で一行七人が、薫風の朝、タクシー二台で田村新田の三叉路に降り立つ。

連休さなかの好天気。低山に囲まれた田園の中を歩く。すぐ左手に小学校の有王分校。幼稚園のような小さな建物がなぜか懐かしい。エプロンをしたオバサン風のかがし。路傍で何か探しているようなポーズが生きてる人のようなたたずまい。すでに水を張った田で稲の苗が丁寧に植えられている。田植えは例年このころだ、この辺て゜は、と田の中からオジサンの声。

 小さなトンボ、ときどきドラミングするキツツキ、藤の花の垂れ幕、さわやかな青臭い田畑を吹く風。いい気持ちで山道へ。陶房、六臂窯なる看板を木に打ちつけたところから、山間の谷に入る。右手はせせらぎ。ウグイスのさえずり。カエルが発情中の時期なのか、しきりに貝殻をすり合わせるような鳴き方をしている。前夜来の雨滴が草地を濡らしており、しだいにス゜ボンの裾が濡れてくる。スパッツがいるんだった。谷沿いに進むこと二十分ほどで谷川は左手へ、道跡は右手へと支稜を境に分かれている、ちょっとした広場に出る。どっちへ行くか。

 ここは迷わず右手の谷川に沿って進む。ここまで本当にゆるやかなスロープ。地形は山ン中だが、歩行にはなんの抵抗もない。凡そ四十分、左右から山並みが寄せる低い鞍部に出た。ここで一服。例によって女性陣から冷えたリンゴやミカンをもらってゆっくり賞味した。いつも用意してくれるのでありがたく頂戴する。

山城さん、以前の山行経験の記憶をたどった末、右手の坂道を先導した。結果として、これは錯覚。尾根筋に出たあと引き返し、少しくだった斜面を攀じることになった。ウバメガシか、コナラか、密集する雑木の中を小枝を掻き分け掻き分け、頭を低く、腰をかか゜めて匍匐前進。枯れ枝をポキポキ折っての苦闘。赤いテープを要所につけて帰路のルートを確保して進む。

しかし、それなりの高みに出たものの、三角点もなく、様子が違う。間違えたらしい。いざぎよく引き返す。さきほど一服した鞍部まで降りた。この藪コギでは意外なことにみんなの服が真っ黒に汚れた。木々の枝や葉が驚くほど汚れていて、摺れると、煤や墨のように汚れた。まるで斜面を滑り落ちたかのように煤けた。酸性雨が木々や湖水を汚染するように黄砂や煤煙が自然に降り積み緑木を汚しているのにちがいない。新緑の樹幹に潜むおもいがけにない環境汚染を知った。

 さて、こんどは一服した場所から向かって左手の斜面を登る。これが正解。先人の結わえた黄色いテープも見つかり、十五分足らずで視界ゼロ、四等三角点が地中に半ば埋る頂上に着いた。田村新田から約二時間。ついに人知れぬ干支の山を踏む。こういう体験は、巡り来る十二年後には生存さえ確たる見通しがないことを思い知る山歩きなんである。この干支の山狙いというのは、、、、、。

六臂窯のある空き地まで戻り、昼食。カエルが飛び込む小さな水溜り。前方に垂れる紫色の藤の花をめでながら楽しく、美味しい食事。相棒の持参したワインが乾いた喉を過ぎていく。女性陣が用意したお采を分けてもらい、のんびり豊かな時間であった。

幸せな食事が終わると、次の山吹山をめざして車道を伝って有王山を巻いていく。途中、珍しいものをいくつも見つけた。電柱や樹木に木箱がつるしてある。最初、鳥の巣箱と思った。それにしては大きい。丈が長い。キツツキなど大型の鳥用かとも思った。が、すぐ疑念は氷解した。これは蜜箱だった。ミツバチを勧誘する蜜箱であった。そして黒くなるほどの塊となって密集しているミツバチたちを見ることができた。ミツバツツジやフジや桐の花の蜜を集めているのかしら。

山吹山(373m)は、この車道からふいに笹薮のなかを抜けて山道を歩く。とてもここから新しい山への登路があるとは思えない場所だった。だいだいめざす前方に山影がない。しかし、樹間にはいると落葉の敷き詰めた細い道が伸びていた。倒木の下を潜り抜けたりして、アップタ゜ウンのあと高圧線を支える大鉄塔の下へ。

そこから十分後には頂上に出た。ここも視界ゼロ。雑木林のただ中で、頂きであることさえよく分からない。四月に登ったと記録がある滋賀県能登川の人の札が木に吊るしてあった。この人の札は駒留山にあった。きょうの我々一行のように同じコースを歩いた愛すべきモノ好きの人なのであろう。

 帰路は再び窯の前を通り、タクシーを降りた地点から玉川沿いの国道を町に向かって歩く。まずは後醍醐天皇御立ち寄りの石碑、ついで駒岩、井出堤のサクラ並木をゆっくりのんびり見て歩く。駒岩は巨岩に左馬の絵が彫刻されているもので、由緒によれば鎌倉時代の作か、茶道、三味線など女芸の神様として遠くからの参拝者もあるとのことである。

 この駒岩のそばで地ぺたに腰をおろして小宴。よく冷えたチュウハイ、熱い
コーヒー、それから珍しい抹茶の野点。これは柏餅付の豪華版で、田中さんの饗応なり。それにしても中腰でのあわただしいお点前は、野戦向きであった。連休にふさわしいいい山歩きでした。           (藤田健次郎)


多武峰=678m (2001/11/23) {マイカー、明日香村石舞台→談山神社→石舞台]

今シーズン最後の紅葉、黄葉をながめようと、定番の大化の改新発祥の地、談山神社を訪れた。前々日にさる公共放送が紅葉シーンを放送したからか、大変な人出、境内はすれ違うのも袖すりあう混雑。早々と本殿裏の談山(556メートル)、続いて御破裂山(607メートル)に登った。極殿の周囲にからむ紅葉が見事に照り映えていました。談山は視界ゼロ、御破裂山も意外なほど殺風景。わずかに二上山が遠くにかすむ大和盆地を眺める展望地があったのが救いでした。シーズンをはずせば、おそらくここまで足を運ぶものがなく、したがって、ふだんは放置されているという風情。     

   

帰途は下乗石から歩道橋を越えて、御破裂山と向かいあう多武峰の最高点(678メートル)をめざす。樹林の中のしっかりと整備された山道。かなりゆるい坂を巻いたあとに二軒の民家があり、そこから左折すると、古びた御陵のような跡と電波塔のような鉄塔があった。塔の背後に琴比羅大神の刻まれた石碑。これが最高点である。柔らかい日差しを浴びて談山神社の喧騒がウソのような静けさにひたる。                         

     

 下山は、来る途中に出会った男女から聞いた閑静な林道を石舞台へ。約六・八キロメートルのよく舗装された、しかし、人通りもクルマの通りも非常に少ない山道を歩く。空は高く、風もなく、いい裏道だった。同行者もいい山歩きに満足していたよう。  (藤田健次郎)                  
      
ゴロゴロ岳=565m (2001/10/14) {JR阪急芦屋川駅→夙川駅]       

秋空に背くようにお天気予報は大雨の前触れ。で、余り気乗りしないまま出掛けたら、これが嬉しい誤算。時折、ぱらついたものの、約16キロを歩き通した。芦屋川駅からは住宅町を山手に歩き、水車谷から山中へ。ドングリが大量に散らばっている水流溝をゆっくり登り、気がつくと神戸港を見下ろす高台に。ゴロゴロ岳は、雑木林の中に三等三角点が埋まる景観ゼロの山頂。すぐそばまで車道が来ているのが六甲山系のヤワなところ。
   

静かな雑木の尾根を下って、観音山へ。ここから北山貯水池はじめ夙川の住宅街、六甲アイランドの密集地を眺める。甲山公園で昼食。同行者手作りの御菜でアルコールを飲む。いい気持ち。いいハイキングでした。 


生石高原=870m (2001/10/14) {JR海南駅→大十オレンジバス登山口往復]                                      

ススキの銀色の美しい穂波で知られる高原に出掛けた。確かにススキがある山頂は美しく、展望もまずまずであった。一等三角点がある山頂で、山仲間の女性が持ってきたソーメン、同じく男性がもってきたブランディを飲みかつ食う。リンゴやミカンのデザートを持ってきた女性は、なかなかの仕切り屋さんで、「ああしろ」「こうしろ」というのが、おかしい。「ナベ奉行」という言葉を思いだした。                                                   

秋空に大きな模型飛行機が二機飛んでいた。風を切る音、宙返り。勇壮な遊びである。リモコンを操る男性たちが、いいおっちゃんなのに、楽しそうで、ちょっと感心した。佳い趣味である。

    


生石神社に降りると、幟旗を取り込んでいる氏子たちがいた。なんでも秋祭りとあって餅撒きをしたそうな。だれもいそうにない寂しい神社である。旧札立峠を目指してあるくが、車道をいくつも横切るショートカットを抜けている間に、上りに使った小川宮からの道と合流した。ミカン、カキマキの実、イチジク、サ゛ボン、ギンナン、ザクロと実が生るものが目立つ下山道であった。  


それにしても小川宮から「登山口」と言う名前のバス停まで4キロメートル、歩きに歩いた。常識的にみて、山麓から4キロも離れた「登山口」というのは、無茶ムリな名前。どういう経緯でこうなっているのか、解らないが、1時間二本のバスに間に合うために、えらい目にあった。オレンジバスさんとやら、駅名改称すすべし、だ。                        


御在所岳=1210m (2001/8/11) {西名阪四日市→鈴鹿スカイライン武平峠往復]

関西山行レポートの関西の範囲では、東の端がこの御在所岳あたりか。西端なら播州の雪彦山 かなとおもっていた。その御在所岳への最短距離のルート、武平峠から山頂を往復した。スカイライン 脇の雑草の中に細い水流道のような登山路を伝う。花崗岩質の砕けやすく、えぐられた溝をいきなりの急登。約7分で鎌が岳、 雨乞岳への分岐にあたる鞍部に到着。                       

ここから尾根伝い。右手が崖で切れ落ちたガレ場、見通しのきかない雑木の中の歩き、そして岩場。赤ペンキで進路を示す○印や進入禁止の×印、あるいは矢印が書かれていて、思わず北アルプスの高嶺ての風景を思い出させてくれる。ここが低山にしてはアルペン的要素があるこの山の人気か゜あるところか。約1時間強の登りで、まったく公園化した山頂に着く。滋賀県と三重県の境界表示がある。ロープウエーで上がってきた夏服ドレスを着た若い女性、家族連れがが歩いており、登山姿のハイカーとは、好対照。 下山後、公共の宿、希望館で入湯、さっぱりしました。(藤田健次郎)


沢山=516m (2001/7/15) {京都駅前→JRバス菩提道→阪急四条大宮駅]                                         


梅雨明けの翌日、北山に行った。菩提道からすぐに東海自然歩道に入る。クルマか゜通行できる舗装道だが、左右の斜面に伸びる北山杉が見物。きれいに枝打ちさされてのびやかに成長してるのがすばらしいるなかには、幹に床柱の味わいある趣を刻むために幼樹のときから模様付けの縛りをかけているものもある。                             

沢の池にいたるや、たくさんの駐車があり、何事かとおもいきや、ブラックバスやプ゛ルーギルの釣り人のもの、それになんと山中なのに池にはカヌーを楽しむ人がいっぱい。二人乗りのカヤックも。こんなにカヌーが普及しているのかと驚いたほど。池畔でお昼のあと、沢山へ。雑木林の中を落葉が堆積した小道を登る。似たような景色の中なので、道迷いしそうな道を上り詰めると、二等三角点がある山頂についた。見晴らしは皆無。まあ、なんということもないハイキングだが、夏場の汗かき登山としては、思いっきりアセをかき、結構、楽しかった。( 藤田健次郎)            


六個山=395m (2001/5/20) {阪急箕面駅→阪急箕面駅]

阪急箕面駅下車し滝の方には行かず西へ、右に大阪青山短大を見てやがて教学の森 野外活動センターの入り口。ここを右に入り緩やかに行くと、ゲートでハイカーは西又は東 尾根を通るようにとの注意書き。西尾根コース階段状の道を登る。 右にとり256mと表示のある箇所を過ぎ、その先に石淵の滝への分岐。フミアトを蜘蛛の巣 を払いながら急降下、どんどん下がって石淵川を右に岩場をへつり、右岸に渡り岩場を少し 登ると滝の見える場所に出た。落差約20mほど水量乏しく迫力はない。苦労して来るほどでも なかった。290mの表示を過ぎ一頑張りで六個山山頂に着く。


展望は樹林に遮られて駄目、テーブル、イスあり2等三角点。昔周辺6ケ村の入り会い山から その名が付いたとか。下山は南面を巻くようにして北へと転ずる、箕面ゴルフ場を左に見てそのフエンス沿いに たんたんと行く。何カ所も分岐をやり過ごしアツプダウンを繰り返し今日のコースの最高点 約465mのようらく台園地に。東屋があり憩うにはよいところ。南がひらけ先ほどの六個山 やゴルフ場が見える。西へ降りるとすぐに五月山ドライブウエイになるが車がうるさいので 反転し途中の分岐から落合谷コースを降りる。よく整備された道でハイカーによく出会う。 トンネルをくぐると滝道に出た。(山城 吉太郎)                             


竜王山=510m (2001/5/19) {阪急茨木市駅→忍頂寺バス→車作バス停留所]                                       

バス約50分忍頂寺まで。ここから東海自然歩道と 少し南に竜王山自然道があり、いずれをとっても頂上手前で合流する。 後者をとって石積みの階段状の山道を登る。 バス停からの標高差が約190mだからたいしたことはなく、ほどなく山頂着。 3等三角点と展望台、トイレ、滑り台などもあるが展望はよくない。                                 


下山は車作へ。 途中展望の好いところがあり、安威川の向こうに 阿武山方面が見えた。どんどん下って車道に出て三叉路を左へ。 ここに昨秋のクマ出没の注意看板あるが、先日嵐山で射殺されたのがこのクマ だったのではと思うと、哀れ。途中道標通りに車道を離れて谷沿いに行き清水廃寺の経塚を見送ると “車作”の地名の由来説明板があり、それによると良質のケヤキが産出し白鳳時代 に御所車を献上した云々。側に1704年に作られた“深山水路”がありとうとうと 水が流れていた。やがて車作バス停へ。誰にも会わない山歩きだった。(山城 吉太郎)           


阿武山=280m (2001/5/19) {上記、竜王山記録の続き]

安威川沿いに少し南下し高橋バス停で左折橋を渡り緩やかに上がって行く。 休耕田が多い、ゴルフ練習場を過ぎ左折。武士自然歩道と合流し北大阪変電所まで。 道標に従って南へ。ここに阿武山まで1.7kの表示あり。地図では破線路、現実は車道で 山頂手前で左の山道に入りほんの少しで展望のない樹林の中の山頂へ。 この辺りで今日初めてハイカーに出会った。3等三角点。 頭上を蜂がぶんぶん飛んでいるので早々に退散、下山は阿武山古墳へ。 分岐あり右は桑原バス停へ左にフエンス沿いに行き、1934年発見の古墳へ到着。 一説には藤原鎌足?の墓とも、周辺は公園風に整備されている。 少し下に京大地震観測所があり車道を那佐原へ降りる。バス停ありJR方面に出られる。(山城 吉太郎)


阿星山=693m (2002/02/24) {JR草津線草津駅→湖南バス中村停留所→草津線石部駅]                               

おかしなことに山歩き幹事が事前に湖南バスに問い合わせて、存在する筈だったバス停留所が、廃止になっていると乗車間際のバス運転手か゜言い出し、やむなく栗東トレーニングセンター行きに進路変更。中村で下りてから、長い歩きとなった。遠くに山の電波中継塔が望まれているのだがアプローチの道がわからず、地元の人や走るクルマをとめて、聞きまくりながら次第に接近する。                                   



道中、イヌフグリや菜の花が咲いている畠やあぜ道、やたらに吠える犬の泣き声、水仙が道端の両側を延々続く山道を歩く。観音寺に通じるゆるやかな道をいやというほど歩いた。空は青く、振り返ると琵琶湖の水面、その彼方に比良山系。武奈岳のあたりの稜線は真っ白な雪をかぶっていて、見事に美しい景色。静かな山の斜面に突然現れる集落もあった。                           

観音寺近で付近にいたオバサンのアドハ゛イスで集落の外を取り巻く林道に入る。これがまたクルマが通れる立派な道なのだが、さっぱりクルマは通らず、九十九折になった道をどんどん歩く。時折、視界が琵琶湖側に開かれるのだが、これが意外なことに高度を少しずつ稼いでいることがわかって、なおかついい景色を何度も見せてもらった。 中村から約二時間半の歩きで、ようやく山頂に立つ。その直前のみ林道から電波塔建設に使った工事用の階段を百段ほど上り、数十メートル藪こぎをした。           


山頂は平たく、三等三角点があり、大きな中継塔が3基あった。ここで遅い昼食。帰途は山頂直近の藪こぎのあと飛び出した登山道を下る。階段道、手入れも行き届き、そのまま約一時間歩きで国宝長寿寺にたどり着いた。ここで一休みのあと、石部駅まで5`の道を行進した。同行者の万歩計換算で約19キロメートルの長い歩きだった。湖南は過疎の地。バス便もまばらであり、山行難儀地帯であるな、と感じ入った。(藤田健次郎)                


学文峰=414m (2001/4/22) {南海高野線千早口→同天見駅]

がくぶんみね・がくもんみね等の呼称がある。三角点名は唐久谷。 国道371号を横切り、まずは地蔵寺を目指すが、地蔵寺から先が工事中で 立入禁止の看板。しかし、ここを通らなければ登れないので、工事事務所の人に懇願する。 看板を見ただろうと詰問、休日だから発破作業はないから許すが以後まかりならんとの仰せ。



トンネル手前右に斜面を上がると、本来の沢コースに出てやれやれ。 杉林の中を少し頑張るとジルミ峠へ。ここにも東へ通行止めの看板あり。 道標に従って南へ尾根を登る、急登が少しあってやがて東側を回り込むように登り 東尾根に出た。ここで初めて展望がひらけ旗尾山の向こうに金剛葛城の山並み。 西に登ると、僅かで3等三角点のある学文峰山頂に到着。展望は木の間越しに 見える程度で駄目。下山は南へなだらかな尾根歩き、このコースは2.5万の地形図には破線路の記載が なくもっぱら現在地を把握しながら先へ進む。送電線がよい目印になる。 フミアトははっきりしているので分岐さえ間違えなければそれなりに下峠、上峠と通過し 南へ少し下ると巾広の道になりイノシシ除けの柵を乗り越えて車道に出た。 山中誰にも会わず新緑の中を独りのんびり歩けました。(山城 吉太郎)


寺山=298m (2001/3/25) {近鉄大阪線大教大前駅→同南大阪線上ノ太子駅]

寒の戻りで冷たい日、山渓の分県登山ガイド大阪府の山に載っている“寺山”へ。 標高は低いが、かなりヤブ山のようなのでどんなところかと興味を持って出発。 案外すんなりと歩けた。途中一カ所、展望できるもののあとは駄目。 山頂少し手前に関西電力の無線通信反射板。数カ所、地元柏原、羽曳野、藤井寺消防組合の道標があった。 二等三角点がある山頂は樹木に覆われて展望きかず、プレートが2,3枝に吊り下げられていた。 中には三重県の山の会あり、遠方から来るとは物好きなこと だと思った。下山は南へだらだらとフミアトを辿り新池畔へ。ちょうど桜が 見頃で好い風景であった。この山の麓はブドウ畑が多くビニールで覆われ ている。あとは上ノ太子駅へ歩く。(山城 吉太郎)


ボンデン山=468m (2001/4/1) {マイカー→水呑地蔵→稲倉池→林道往復]

前年秋に試みたが、マツタケシーズンとあって入山禁止。涙を呑んだので、捲土重来 。ササ峠から三峰山へ向かう尾根筋を登る。落葉が前日の雨にしめって、とても柔らかい 道。なんどか緩いアップダウン。左手のはるか先に大阪湾。途中、一組の登山者 と出会う。犬鳴山から城ケ峰に登り、お菊山へとのこと。城ケ峰から 南向きに進路を変えて、長い雑木林の中の歩き。展望がきかず、ササ峠で見た ボンデン山にある無線中継所の鉄塔が見えない。ときどき見つかるテープやテープへの書き込みを頼りに 城ケ峰から約一時間四十分かかって、ひょいと舗装路のある鉄塔のそばに出た。めざすボンデン山はそこから 十分の雑木の山中に三等三角点の石柱をみつけた。サクラはあと三日で満開と惜しみながら、鉄塔わきで 昼食。帰途は堀河谷に下りた。急勾配の坂道をロープに助かりながらの下山行。ササ峠まで一時間だった。低山 だが、なかなか興趣に富むいい山歩きだった。(藤田 健次郎)


小富士山=260m (2001/3/20) {JR日根野駅]

低山逍遥を思い立ち、行き先は泉州日根野の“小富士山”へ。 2.5万の地形図“樽井”を検討するが、登山路 (破線路)の記載がない。登れないのか? 日根神社、慈眼寺、大井関公園を通過して土丸集落へ。 さて何処から登ろうかと思案、少し先の水呑地蔵から中腹に祠の 記号がある。あとは急斜面になっているが標高差が大したことなく、 たとえヤブこきでも強行すれば行けると判断。 本堂から山に石段が続き寄進された仏像が各所に安置。 最後の祠からは急な山道、滑りやすい斜面に踏みあとがあり、 これを辿ると手前のコブに。ここに初めて小富士山への矢印。 いったん下って登り返すと山頂だった。

展望よし西に関西空港が目の前に、東南に和泉山脈、眼下に 稲倉池があり、家族連れの歓声が聞こえる。 下山は稲倉池方面への稜線へと計画、都合よく踏み跡が続く。 車道に降り立てた。ここまで最初のコブ以外に道標は一切なし。 左は元の水呑地蔵へとなる。後刻、山と渓谷社刊ふるさと富士ガイドブツクが出ているのを知りそれを見ると この山が載っていました。コースを見ると私が辿ったのと同じでありました。(山城 吉太郎)


雨山=511m (2001/2/24) {阪和自動車道高架下/新前川橋・マイカー往復]


国道170線を泉佐野市に向かって南下、紺屋の交差点で左折し、打田線を土丸町まで。南海土丸バス停留所を見つけるのに難儀した。その近くの春日神社と農協の建物の間に駐車させてもらった。阪和自動車道の見上げるような高架をくぐるところが新前川橋の左側。巨大橋脚のそばから山道へ。登山口を見つけたら、あとは問題ない。                 

道なりに進む。右手下に樫井川を眺める。左手に関電巡視路でよく見かける黒コ゜ム製の階段が現れるが、ここはパス。足下に小さく「雨山、土丸城跡ハイキングコース→」の標識。しばらくすると両側に型の土止めを打ち込んだ登路。頻繁にジクザクを繰り返し、十分ほとで鉄塔の下へ。ちょうど小富士山と対面した位置にでた。箱庭ふうの景色が見られる。        

ついで露岩の山道になり、両側から繁茂する裏白のシダを掻き分けるよう登っていく。難しいことはないが、一度だけ断崖に出る。道なりに進むと、土丸城跡。典型的な防御本位の山城。神社と立派な顕彰碑がある。帰途ここで昼飯にした。サクラの木があり、季節にはとてもいいところになるた゜ろうと、友人と語り合う。                              
    
神社裏からいったん下り,二度登り返すと、古井戸跡、そして月見亭への標識、さらにその名も千畳敷という名の小広い空地。そして山頂へつく。ここにも雨山神社と大きな避難小屋があり、その裏手から関西空港を見下ろすことができる。五分と置かずに離発着する大型航空機の雄姿に感激しました=写真。登山口から約五十分の行程でした。(藤田健次郎)         

大蛇峰(おおじゃみね)=511m (2001/2/24) {JR紀伊田辺駅→タクシー田辺梅林−紀伊田辺駅]

天王寺から紀伊田辺まで普通列車で約3時間。タクシーで田辺梅林まで20分ほどだ。梅の開花は三分咲き程度で例年よりかなり遅れているとのこと。大蛇峰への登り口に案内板があり、迷うことはない。この日は“梅の日”で、いろいろイベントがあり、その一つが福引きスタンプラリー。途中の展望台にスタンプがあり、ここまでは大勢の人たちがやってくる。展望台までは急坂だがよく整備された階段状の道が続いている。 危険な個所はステンレス製の鎖や柵がある。展望台に着くと、西の方に海が見え、南に昨年登った龍神山と三星山、南東に高尾山、槙山と展望よし。ここから山頂までほんの僅かだがやってくる人は殆どない。干支の山だからもっと来るかと思ったが拍子抜けの感。ひと頑張りで2等三角点のある頂上に着く。小学生3人が登ってきた。記念写真を撮り送る約束をする。(山城 吉太郎)


お菊山=320m (2001/1/8) {マイカー。JR長滝駅西踏切経由→意賀美神社→滝之池畔往復]

昨秋、ササ峠から登りに行ったが、松茸山のため厳重な入山制限があって登頂をあきらめて引き返した低山。今回はササ峠からの縦走路 に途中から合流する近道で挑戦、二時間の尾根歩きで「烈女菊姿見の遺跡」の顕彰碑がある山頂に到着した。このコース、大阪湾沿いにあるため、 樹間越しに、あるいは切り開きで、関空がばっちり見おろせるのが、一番の売り物。山頂からも晴れ上がった冬空の下、急上昇していくジャンボの翼、白い波うつ海面すれすれにランディングをはかる機体 が展望できる。豊臣秀次の息女というお菊無念の物語とは縁遠いハイテク空港パノラマの山である。松の内登山ということで、同行女性が カズノコなどを用意してくれて、ビールを飲む幸せを味わいました。 (藤田 健次郎)


市章山=m (2001/1/6) {阪神元町駅→阪神三宮駅]

正月明けに六甲の谷筋で盛んに活動している早朝登山を取材するため、猛烈な早起きをして 午前7時半ごろから大師道を歩く。カーンと冷えて気持ちがいい。灯籠茶屋で一応のインタビュー を済ませてから再度谷からドライブウエーに出て、錨山に登った。かつて町中から眺めていたが、 低木を刈り込んでイカリ型にしてあるのを見たのは初めて。ちょうど京都の大文字の送り火の仕掛けとは逆なのだ。 ついで市章山に行く。二つとも電飾は風力発電によるものと知る。両方の山頂にはベンチがあり、錨山 には方位盤もあり、眼下に広がる港コウベの都市美が堪能できる。山と海の狭間で、このような景観を 見られる山は、多くないだろう。諏訪山(151m)を経て下山。山歩き異色編である。二つの山とも、地図に標高が記されていないのは、なぜかな。(藤田 健次郎)


大洞山・尼ケ岳=985m/958m (2000/10/22) {近鉄名張駅→三重交通バス中太郎生・下太郎生バス停留所]

秋晴れとあってバスは混雑。すぐあとに臨時バスが出た。大洞山登山口までは、蔵王権現社の前を通り杉林や車道を歩く。登山口からの急登、相当きつい。苔むした幅の狭い石段がどこまでも続く。途中、二度息継ぎ休憩。30分の苦戦の末、クマサザのなかを泳ぐようにして雌岳の山頂に着く。空模様が悪くなり、下界がかすむ。室生赤目青山国定公園内には、1000メートル前後の山々がひしめいている。室生火山山群と言っている。昼食のあと、雄岳(1013m)を目指す。一度下って登り返すのが、大変な感じの盛り上がりだが、「ササ街道」を抜けて15分で達した。ここは視界なし。再び下りにかかる。

尼ケ岳へは、急下降。落ち葉と粘土質の滑りやすい道をどんどん下る。途中から「四峰」「三峰」とカウントダウンして行き、舗装された林道脇までいったん下りて、こんどは緩やかに森の中を登って行く。再度下ると、ここが倉骨峠。車道である。このあたり開発の道が縦横に伸びて来ている感じだ。大タワで一服したあと、クマサザの急傾斜はきつかった。ふくらばきが強ばるような苦痛の登りをして、やっとクマサザの海を抜けると、山頂だった。ガスが流れ、あいにく異名、伊賀冨士からの展望の楽しみはなかった。下太郎生のバスストップまでは、長い長い林道ウォーキング。(藤田 健次郎)


灯明岳=857m (2000/10/15) {マイカー 河内長野市・滝畑ダム新関屋橋⇔周回コース]

今秋、南葛城山に続く紀泉山系の第二弾。別名は、東ノ灯明岳。今回は山友の田中静江さんと二人で歩く。曇り空、ときおり小雨。蔵王川沿いに御光滝を見て菜畑谷に入る。登山口は、幹に巻かれた赤テープで認識した。ちょうどMBで下りてきた青年と出会う。我々の予定コースの逆回りで来たという。後にも先にも、山中で会ったのは、この青年だけ。深タワまで30分という急登を55分掛けて登ったころから、おかしいナ、といいつつも道なりに歩くが、なかなか灯明岳の入り口がつかめず、行ったり来たり。

林道がしっかりしていて、気楽に行き来できるのが幸いして、第十二経塚あたりで引き返したり、下ったり。道迷いというほどの切実感はないだが、なんとロスタイム約1時間なり。山頂でのお昼の予定を林道脇ですませる始末。もう一度引き返した地点の先まで行ってみることにして、とうとう林道と遊歩道との三叉路の道標で「蔵王峠」方向を確認。その先に灯明岳への入り口を見つけた。雑木の中を5分、ようやく役行者を祀る祠がある山頂に着いた。午後1時25分。田中さんと握手を交わして、延着気味の登頂を祝う。帰途、驚いたことに南側の斜面には、木製の立派な展望台があり、ガスに煙る和歌山側を遠望した。和歌山側からなら簡単至極なのだ。このあと、蔵王峠から長い「堺かつらぎ線」を無口のまま滝畑まで戻る。行程五時間半。(藤田 健次郎)

洞雲山=400m (2002/03/30) {関西汽船大阪南港→小豆島内海町坂手港往復]
 

小豆島は香川県。とても関西といえないが、番外で紹介します。春のひねもすのたりのたりの大阪湾と瀬戸内フエリーを大型フェリーから楽しみになか゜ら、約四時間半で到着。意外にも大きな島で、集落も大きいのに驚く。

こちらの予備知識は、オリーブとか、寒霞渓、壷井栄、二十四の瞳くらいなものだ。接岸したフェリーから,めざす洞雲山
は、目の前に立ちふさがる山。なにしろ海抜からすっくと立ち上がっているのだから、予期に反した高さにみえる。しかも地質学的には珍しいタイプの岩山らしく、傾斜もなかなか
厳しそう。

島なのに信号のついて交差点がある、なんて思いながら
海岸から一直線に歩く。ミカンがまだ木になっている。ハッサクの木も生えている。そういえば、港にはオリーブの木が
植えてあった。

しだいに道は緩やかな傾斜となり、其のぶんだけジクザク状になる。途中,映画村とか、壷井栄文庫とかの表示がある
が、立ち寄ってみるわけに行かない。なにしろ、いま下りた船でターンするのた゜から、時間的な余裕は、約二時間半にすぎない。

歩け,歩けである。海側を見下ろすと、接岸しているフェリーが小さくなった。家並みも屋根ばかりだ。四海は、おだやか
で滑らかに漂っているふうだ。みかん四個が入ったネット袋が百円とある。目ざとい土地の人が板の上に積み上げて
「甘いよ、甘いよ」と呼びかけている。

汗ばむ。いっしょに歩き出した人たちの列が長くなった。乳牛が放し飼いされている草地、新しい普請のような寺が
あった。隼山・一心寺。ここで一服する人たちが少なくない。境内から海が見える。日差しが暑いくらい。

やがて炭の材料でしられる何とか言う樹林が目立つ木陰のなかを歩く。展望台があって、眼下に無数の小島が点在する瀬戸内が一望のもとである。ここからは、ほんちょいでこの山の頂点、小豆島八十八箇所、一番札所霊場、洞雲山である。

なかなか大きな寺だ。例によって大師堂、大師御杖の水、などと称するものがある。なにより目を引くのは、毘沙門天王を祀ってあるでかい洞穴がある。、もう一つの目玉は、夏至の前後50日ほど、午後三時ごろの太陽光線を受けると、岩窟に観音像が浮かびあがるように見えるという不思議。名づけて夏至観音。

置いてあった一口メモによると、「前略 岩壁に太陽の光で観音様「マリア」のお姿が光現します。始六月一日ーー終七月二十日 五十日間 毎晴天日、午後三時05分 発見八年目 世界一カ所」とあった。観音様マリアという東西折衷のところが御愛敬。

ここには白い巡礼衣装を来た善男善女が足を運んでいた。
帰途は、来た道をひたすら下るばかりである。フェリーの船影が次第に近づいてきた。
                           (藤田健次郎)


南葛城山=992m (2000/10/1) {マイカー 河内長野市・滝畑ダム新関屋橋⇔周回コース]

秋雨前線で夜半に激しい雨音を聞いたが、幸い曇り空。山友二人と出発。ダイトレの岩湧山への登山口から千石谷林道を行くが、40分歩いても、コースカイドブックにある鉄板橋みつからず。9月30日に「2000年に2000回生駒山ランニング登山」を達成した山友の指摘で引き返す。ロスタイム20分。「林間歩道」とある標識に気づきながら、深く考えず通り過ぎたミス。谷間に架かる鉄板橋を渡って(怖がりの小生のみ、谷川を飛び越えて)、ようやく南葛城山への直登にかかる。関電道おなじみのゴム製階段がきつい。

西北尾根から、植林とクマザザにおおわれ、視界のきかない尾根道をじりじりと登る。二カ所、崖っぷちをそろりそろりと歩く。行き交う人は誰もいなかった。午後一時、開けた山頂に着く。ここも展望はダメ。 帰途、また道を間違え、和歌山県高野口町の方向の林道を下る。ここでも、山友の指摘で引き返す。ロスタイム20分。東に方角を転じ、約1時間あるいて、ダイヤモンドトレールの合流点に達し、その後は岩湧山から滝畑ダムに下りる。約7時間半、雨上がりの山道散策。送電線で位置を知る事、読図と磁石を有効に使う事を勉強したような山行でした。(藤田 健次郎)

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鎧岳=893m (2000/7/15) {近鉄名張駅ー三重交通バス新宅本店⇔曽爾高原ー名張駅]

降水率20%という曇り空。林道から登山口に代わるところがややこしいが、植林帯に入ると明瞭。クマザサを分け入り、倒木を踏み越え踏み越え、急登にかかると、これが長いんだ。ジクザクをいやというほど繰り返す。途中、初めて道標が現れる。「至る診療所 至る鎧岳」とある。診療所という表示が、山中では珍しい。フクラバキが固くなり息が上がりだしたころ、やっと稜線にでる。ここまで、ほぼ一時間。あとはいったん急坂を下り、登り返すと山頂。三方を樹木に囲まれた狭い場所。開けている方向に見えているのは、古光山のようだ。

続く連山の兜岳(920M)へは、鎧岳山頂から引き返す。湿った急坂をどんどんくだり、少し開けた登山道で昼飯。前方に兜岳。満腹の体には、ちょっと酷な高さにそそり立つ。案の定、峰坂峠から行程40分とある上りは、きつかった。ほとんど仰角80度ほどの道を四つん這い状態で、木の根、木の幹をたよりに体を引き上げなければならない。呼吸調整に二度、小休止。視界は樹林の中で効かないが、崖っぷちであることは、登り詰めて尾根歩きになると、明快。ほとんど断崖絶壁のふちを歩いている事を知る。ただ、気楽なのは、背丈を越すクマザサが両側にあって、高度感を振り払ってくれていることだ。

なんどか山頂ではないか、と錯覚させられる尾根歩きの末、丸くて狭い山頂に着いた。峰坂峠から標準コースタイム並みだった。真ん中のクヌギの木に「登頂札」が一つ掛けられてあったほか、とくに何もない頂。視界もゼロ。下りは、大変だった。露岩が急下降の道を遮り、足下を確かめつつ慎重に下りる。このときも木の根、幹をつかまなければ、下りられない。木をアテにしなければ、いくつかの場所ではロープが必要なほどの下降であった。約30分で延命地蔵尊と水場が待つ登山口につく。 しかし、相当、登りで、下りでのある山だった。帰途、嶽見橋付近を走るバスの中から見えた鎧岳は、地元では奈良のマッターホルンと言っているのは、言い過ぎにしても、それなりに天を突く鋭角的な山容が見事であった。(藤田 健次郎)


三国山=876m (2000/7/9) {マイカー、黒河峠往復]

三国山は各地にあるが、これは越前、若狭、近江の三国にまたがる山である。コースに花の多いことで知られ、この時期には三国湿原にキンコウカが咲く。マキノスキー場から赤坂山、三国山と縦走して黒河峠から下って来るコースが普通だろうが、時間の都合で黒河峠から三国山を経て赤坂山へピストンした。

赤坂山(824m)琵琶湖の北、マキノスキー場の北にある。三国山との間にある「明王の禿」は花崗岩の崩落地で、奇岩が林立して珍しい光景を見せる。晴れていれば山頂から日本海や白山も見える。(芳村 嘉一郎)


伯母子岳=1344m (2000/7/9) {マイカー、高野龍神スカイライン−奈良・野迫川町大股−スカイライン−高野山}

つゆの晴れ間、足場が悪くて見送っていた伯母子山へ、下山後は話しのタネに和歌山県の最高峰、護摩壇山にも立ち寄った。アマゴ釣りが始まっている川原樋川の橋の袂に駐車。アクセスに時間がかかり、スタートは、11時25分という遅さ。いきなりの傾斜道をジクザクに急登。これで足腰にきつい洗礼を受けて、ひたすら植林帯を登る。道は驚くほど整備されていて、近年、手入れされたことがありあり。熊野に通じる小辺路でもあるので、99年の熊野体験博覧会にあわせたのではないか。二カ所ほどガレ場があり、足下に気をつけなければならないが、あとは楽勝の道。但し、緩やかなアップダウンが長く、暑気とともにこたえる。萱小屋跡、檜峠をへて、夏虫山への分岐を見送り進む。

途中、登山道いっぱいに広がって同行三人と昼食。女性の一人が担いで遠路出前してきたザルソバをおいしく味わう。山中での行動食にザルソバが登場するのは、極めて珍しい。初体験でもあり、早朝から湯がき、冷やしたタレを用意したきた意気に感じて、ここに特筆しておこう。さて、初めての三叉路、右、小辺路。左、護摩壇山奥千丈林道。そして真ん中が山頂へ1500メートルの最終アプローチ。午後2時14分、到着した。いかにも山頂らしい山頂で、周囲への展望が見事。紀伊半島中央部は、本当に緑の連山連峰だと知る。景観に堪能していたら、突然、ものすごい爆音とともにトレイルバイクの青年が勢いよく登ってきたのに驚く。迷彩服、奇怪なヘアスタイルの登山道荒らし屋だが、意外におとなかった。

護摩壇山(1372m)は、もう山の体をなしていないのだが、ついでなので、スカイライン駐車場に車を乗り入れて、500メートルの遊歩道を山頂に向かう。ここには、植えたシャクナゲ6万本があるというが、もう季節はずれ。ウツギやアジサイが咲いていた。山頂には方位盤があるのだが、周囲は樹木が育ち放題で、見晴らしは全然ダメ。スカイタワーも稼働しておらず、売店も早々に店じまい中。どうやらスカイライン観光が思惑以上に不振なので、いささか投げやりになっているのかも。散々に開発しておいて、どうよ、どうよ。山が可哀相な現実だよん。(藤田 健次郎)

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石金山=508m (2000/5/18) {JR加古川線船町口駅下車*福知山線谷川駅}

兵庫県山南町と黒田庄町と中町にまたがる山。以前はヤブ山だったが地元山南町が最近に登山道を切り拓き、歩きやすくなったとの情報があり、知人と出掛けた。 加古川を船町橋で渡りR175沿いに北へ。井原橋で左折突き当たりが登山口。幅広い急な滑りやすい道を一汗かくと、NHK他のアンテナが立つイタリ山(至山.273m)に到着。ここまでは順調に来られるが、以後のコースがなかなかハード。雨上がりで滑りやすく、しかも道が荒削りで、蜘蛛の巣もあり難渋しつつの歩行だが、随所に道標、距離表示があり迷うことはない。

時折展望がひらけ加古川の蛇行が眼下に。途中の田高坂から先にロープの箇所が2カ所あり、とくに太閤岩と称するところはかなり腕力も必要とする。どっと汗が出た。難所を通過するとやれやれ、小新屋方面への分岐を過ぎると、石金山頂上はすぐだった。三等三角点があり大きな木が数本あるのみで360度の大展望を提供してくれるいい山だ。町観光協会の立派な標柱があった。食事をして田高坂の分岐から小新屋観音へと下山。あとはこの5月にオープンした町営の薬草の里施設の薬草温泉へ。500円の入湯料で汗を流しさっぱりとした気分。歩いて5分の郵便局前バス停から神姫バスで谷川駅まで出た。(山城 吉太郎)

一 体 山==595.1m(2000/6/25)[マイカー*奈良から1時間弱]

大和高原北端の低山で、山頂に宝暦13年銘の役行者石像がある。北の大出と南側・大平尾町からの両側に登路がある。南側からは山頂近くまで林道が延びているが、私たちは北側の登山口・林道一体線の起点から登った。大柳生から上出を過ぎて、送電線が県道を跨いでいる所のすぐ手前がそれである。以後、道標はおろかビニール標識ひとつ見あたらず、殆ど林の中で現在地が確認できないのがやや不安ではあるが、読図の勉強にはもってこいの山であった。ササユリを見ながら、ヒノキ林の中で展望がない山頂まで1時間足らずだった。(芳村 嘉一郎)

石戸山==548m(2000/6/25)[JR谷川駅*JR柏原駅]

兵庫丹波の石戸山は、氷上町と山南町、柏原町の境界上にある。一般コースは南山麓にある石龕寺(せきがんじ)からだが、仲間のグループはへそまがり?ヤブ山好き?であえて道のないような尾根筋から行こうと、JR谷川駅からタクシー2台に分乗、山南GCの少し北まで行く。目指す尾根に取り付き猛烈なヤブをかき分け、まずは観音寺山(370m)のへ。結果として目標がずれ一つ南の尾根を来たようだ。ここからは石龕寺からのコースに合流、あとはハイキング道で、岩屋山城址を過ぎるとひと頑張りで石戸山頂着。一等三角点があるが、展望は悪い。下山は北へ、少し下がったところが鉄平石採石場跡で展望がよく、今日歩いてきたコースが一望できる。運良く雨も止みさらに北へ急ぐと、送電線鉄塔新設工事のピークを通過し、高見城山(城址)(485m)に到着、ここは展望がよかった。(山城 吉太郎)

明智越==380m(2000/11/23)[JR山陰線亀岡駅*JR保津峡駅]

 明智越は、正確には一つの山を登るというものではないが、明智光秀の信長打倒の決起に利用されて 間道として名高い山歩きなので、紹介します。光秀は天正10年6月、西国遠征に出かけている秀吉勢の スキをついて愛宕山山麓に通じる山道を一目散、本能寺にいる信長を討つ。世にいう三日天下を樹立する。 そうした故事をもとに歩くと、ひとしお感興を催す雑木の山歩き。もっとも高いところにある枯れずの泉、「土用の霊泉」といわれる水場 でも、せいぜい380メートル。幸い、暖かい小春日和に、のんびりくつろいだ気分 で、ユズの里、水尾まで歩いた。道中は、落ち葉が敷き詰められた浅い溝、小砂利が目立つ。景色が展望 できる所がないのが、残念。距離がやや物足りないくらいだったが、この季節、ときおり見事な紅葉黄葉が拝めて幸せでした。(藤田 健次郎)

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