山行レポート

氷ノ=1510m(02/6/9){名鉄観光バス、鳥取県若桜町の響きの森キャンプ場}

兵庫県最高峰。鉢伏山と並ぶスキー場でも知られ、かつ積雪量が深くて冬山登山でも知られる氷ノ山は、透き通った青空で輝いていました。町起こしのせいか、鄙にはマレな、というか、あるいは最近のとこにある風潮というか、実に立派な宿泊施設、アウトドア研修施設がある。そのキャンプから、宿泊ロッジやキャンプ施設が並ぶ斜面を歩いて、登山口に達する。                  

これだけでも、もう登山口が整備されて、道標もしっかりしていることが予想されるが、事実、そうだった。大勢のバスツアーの一行が長い列を作って、緑深い森のなかに分け入っていく。杉の植林と雑木林とか混在していて、樹間を縫って差し込んでくる日の光がまぶしい。木漏れ日に緑が照り映えて美しい。山道は長いゆるいジクザグを重ねて進む。                             
                             
 谷川のせせらぎ、しみ出る水をわたるところもあるが、危険なところ、とくに難しいところもなく、簡単に氷の山越の四辻に出た。峠である。ここにトンガリ屋根の避難小屋がある。左にとれば、赤倉山から鉢伏山へ、直進すれば関宮町・鉢伏口登山コースへ。ここから頂上ルートは一段と山道がブロードバンド、つまりは広域帯になるから、歩き易い。ブナの林が尾根筋にあって、なかなか風情のある山道でもある。                                  

木の根が露出した道、小さなアップダウンを繰り返して進むと、右側から「ツキ米」の方からの道が競りあがってきて合流する。仙谷の分岐である。遠くに見えていた頂上の避難小屋の建物がくっきりと見えてくる。振り返ると、鉢伏スキー場のアウトラインが見下ろせる。夏場のスキー場は大きな工事現場のようだ。                                      

丸太を斜面に並べた階段道が、いたるところで崩れて、丸太を留める鉄釘が剥き出しになっている。冬の豪雪が傷みを早くしているのかも知れない。最後の急登をこの階段道でやると、丸い山頂に出た。出発から一時間五十分だった。         

山頂にはやはりトンカ゜リ屋根の避難小屋、其の前に山頂を示す石碑、さらに一等三角点があった=写真左=。点の標石はかなり削られて痛々しい。東側の一段低いところに展望台兼用のトイレの建物もあった。                    

この日は若桜町としての登山山開きということで、掛の人たちが待ち受けていて、其の名も「氷ノ山」銘柄のお神酒を振舞ってくれた。其の人たちの説明で山上展望をすると、遥か西のほうの山並みで、ひょいと背丈が高く伸びているのが大山ということだった。鳥取の海岸線もわずかに境界線が区別て゜きて、日本海の存在を気づかせてくれた。 山は全体に緑が豊かで、低い山並みが東にも南にも広がっているのが遠望できて、つくづく日本は山国だなんて、つまらないことを思わせてくれた。                            

  日差しはどこまでも暑く、頂上は乾燥していて大勢の登山者たちの山靴にかき乱されて、砂ほこりが舞った。(藤田健次郎)     




金毘羅=533m(02/5/20){京都バス城山下車→叡電岩倉駅→出町柳駅}

金毘羅さんというと、讃岐高松のが知られている。船舶の航行の安全、船乗りの信仰地と承知しているが、京都北山の外れに同名の山がある。この地の人たちが、なぜかかの地を参拝崇敬した結果、この地でゆかりの山名がついたとか。                                       

この山、隣接の翠黛山(577m)、焼杉山(717m)とあわせて,大原三山の1である。日曜の朝、ぐずつき気味の空模様で、定番登山口を外して城山から山中に入る。しばらくは植林帯のゆるい傾斜地を行く。やがて道に出た。江文峠。大きな石碑があり「三体不動明王 金毘羅大権現」とある。この先に小さな石作りの鳥居がある。                                 

其の付近にたくさんの若い人たちがたむろしている。聞けば桃井の方から縦走してきた学生の一団。雨に濡れてドブネズミのように汚れて、あまり元気がないように見えた。この時間にもう一段落した疲労感を漂わせているのが不思議であった。                                    

ここからが登山口といえる。乱積みの石段を登ったり、落葉が敷き詰められた地道を歩いたりして登っていく。途中,一人歩きの女性と出会う。今回の山案内役とは顔見知り。立ち話をしている。後で聞くと、この人は配偶者の大病治癒祈願に通ううちに信心厚くなり、祭祀にからむこともお世話しているらしい。鳥居にも奥の琴平新宮社内にも大金を寄進した彼女の名前が奉賛してあった。                                        
              
 
山道は雨と落葉で音が吸収されてしまって静かななもの。泥と落ち葉がごちゃまぜになって足元は最悪。湿気が多いせいか、苔むした石がスリップし易い。しっかりしたルートがついており、しかも道標も整備されている。分岐にはちゃんと道標があり、迷うことはない。左手に金毘羅大権現を祀る小さな広場があり、晴れていたら、京都市内が一望、遠く大阪市内のツインタワーまで遠望できるのだそうだ。残念ながら、あいにくガスの流れる視界だった。
                      
やがて山頂に出た。狭いばかりである。三等三角点があるもう一つの高みは、ここにザックを置いて空身になって行く。5分で着く。雑木林が丸く抜けて空があるばかりだ。三角点の前で記念撮影をみんなでしたあと、さきほどの頂きに引き返し、昼食とした。                              
ここの崖沿いに妙な文字が彫られた石碑がある。高さニメートル以上ある。見た目にはハングル文字とそっくりだが、ハングルではない。これは「神代文字」といわれる偽作の文字。どうやら日本にも古来から文字文化があったのだと主張する人たちによって作られた文字で、一般に使用されたこともなくかつて存在したこともない文字とのこと。いろいろ複雑なことを考えたがる人がいることを知る。  
                                   
ゆっくりしたあと、元の登山口に戻り、舗装路を横切ってすぐ左手の急傾斜につく踏み跡を登る。瓢箪崩山(532m)への掛りである。 けったいな山名である。登山の本によれば、比叡山から眺めると、この山の形が瓢箪型のゆがんだものと見えるのだそうだ。尾根筋に上がると、あとはゆるいアップダウンが続く雑木林の尾根筋。                                                      
気楽な散策路だが、展望はまるでない。夏な静かで、ひんやりした山道かもしれないと思ったが、雨空のこの日は、ただもう濡れた落葉道をひたすら歩くのみである。寒谷峠とある道標から一気に岩肌が露出気味の坂道を上り詰めたら、三等三角点がある頂上であった。ここも視界ゼロ。まあ、二山踏破の喜びを噛み締めたあと、長い足場の悪い下山路を岩倉花園町の人里まで歩き通した。                            (藤田健次郎)                                      

大船山=653m(02/4/28){JR福知山線三田駅→神姫バス波豆川下車}

ゴールデンウイークの始まりを北攝の独立峰に行った。山中なのに海にちなむ名前。登山口の大磯といい、山麓の大舟寺といい、バス終点の波豆川といい、なぜか水にゆかりの名前が目立つ。古代、瀬戸内を航行する船から山頂が望見できたという。それが山名の所以とか。尖った山容だが標高が標高だけに、それほどのものとは思えぬ田舎の平凡な山である。

暖かい日差しをうけて一行10数人、田舎道をカナディアン大磯なるハイキング広場にむかう。アザミが濃いムラサキの花を咲かせている。ウグイスの鳴き声も相当上達している。川石がゴロゴロ転がる渓谷が右手にみえる。     

バス停留所から半時間でハイキング広場に着く。フィールドアスレチック、バンガロー、テント場が斜面に点在。其の中を登山路が山を目指している。始めは舗装路だが、やがて木の葉が堆積する山道にかかる。その気持ちのいい山道はしだいに水流で削られた浅いV字溝にかわる。しかし、傾斜はゆるやかで、ほとんど散歩気分。                    

登山口から800メートル。山頂と十倉への分岐につく。立派な道標がある。一服して、歩きだしてすぐに鞍部につく。旧大舟寺跡から波豆川バス停留所へつながる道と頂上に向かう道との三叉路になっている。道標の横にハイカーに書き込んでほしいという「記帳ノート」が置いてあった。遠く福井県から来たという人の感想もあった。

ここからやっと山道らしくなる。勾配のきつく、根曲がりが浮き出る細かいジクザク道になった。途中、ロープが張ってある。道迷いはない一筋の登山路なので、ここで一行は思い思いのペースとなって荒い息をすることになる。   
しかし、それも十分たらず。頂上に出た。眼下にやってきたバス道がウネウネと伸びているいい景色が眺められた。大船山の由緒を書いた立て札。三等三角点、石積みの祠がある。祠に蜂の巣があって、先客たちがやってきたとき、驚いた蜂が多数舞い立ち、旋回したらしい。その名残の蜂が何匹か飛んでいて、警戒していたが、クマンバチのようなので一安心。みんなでお昼となった。

帰途は旧大舟寺跡の広っぱから谷沿いに山麓に下り、バスを待つ間に現在の黄檗宗、大舟寺を参観、巨大な枝を広げるカヤの木が境内の空を覆っていた。カヤぶきの二階建ての鐘楼も珍しい。寺はなんだか寂れていて其の分、静かでよかった。 (藤田健次郎)

三輪山=467m(01/8/19){マイカー 櫻井市大神神社}

日本最古の神社、大神神社。背後の三輪山全体が゜御神体という。よって登山口にあたる狭井神社の社務所にて 住所、氏名、電話番号まで開示を求められて、入山料300円支払う。代わりに白いタスキを貸してくれる。参拝記念とある。山内は飲食厳禁、カメラ、ビデオ等の写真撮影厳禁、滞在は午後四時までの3時間以内と守るべき規則いろいろ。門外漢には、なんとも異様な締め付けだが、宗教というのは、信心するものにとって特別なものゆえ、論評にしかず。

雑木林のなかに整備された道がある。すぐに三光滝の行場。高さ三メートルくらい、水流か細い滝があり、男性の信者がじめじめした小屋で脱衣していた。 セミの合唱に追われるように登ると、切り開きの尾根に出て、正面に金剛葛城山系の青い山並みが輝いていた。道ばたの岩や大杉に御幣が巻いてある。その点以外はとくに 神がかった施設、標柱もなく、ふつうの低山。50分で小さな社がある頂上に出た。道なりにもう少し奥の方まで入ってみると、 岩盤をバックにミニ祠があった。上り下り、子どもを連れた父親、実年夫婦二組、若い男女たちと出会う。彼らも特別な宗教的行事に参画している印象はなかった。神事でもあれば別だが、そうでなければ、御神体も日曜ハイカーの健康登山の場であるようだ。(藤田健次郎)

鏡山=384.6m(99/4/29){Jr篠原駅}

近江の別名、竜王山で知られる山。新幹線をくぐり、IBMのグランド横から国道8号線へ。ここを右折してまずは鏡神社へ詣でる。この辺りはは中山道の宿場町で、本陣跡、源義経にまつわる史蹟もある。さらに南下して積水樹脂工場から登山道に入る。緩やかに登り少しで大谷池、やがて急な階段状の道が続く。整備された歩きやすい道だが、整備しすぎるのもどうかと思う。“あえんぼ広場”“こんめ岩” を通り、ほどなく展望台に到着。遠くに伊吹山、左に琵琶湖、右奥に鈴鹿の山々など展望はよし。山頂はもう少し上で二等三角点があるものの展望はよくない。下山は鳴谷池へ。善光寺川を渡りバス停竜王インター口まで歩く。この日は寒気の影響で時雨れもあり、終始冷たい風が吹く天候でした。(山城吉太郎)

雲山峰

=490m(99/4/25){JR 阪和線山中渓駅*六十谷駅}

三等三角点が埋没しそうになっている山頂には、小さな祠やヤマモモ、サクラの木があるが、展望は効かない。木の幹に「素晴らしい展望は15分先」とあり、さらに歩くと、確かに紀ノ川や和歌山の海が一望できる切り開きの台地に出た。ここで昼食。ここまでは落葉の緩やかなアップダウン。いい散策路。第一パノラマ台という銀の峰(310m)からは関空が航空母艦のように浮いていて、絶えず航空機が上昇していくのが望めた。台地からは蛇行する紀ノ川にかかる橋を十も数えることができるほどの広々とした展望、登山客からしきりにカレー事件の現場はどの辺り?の声があった。和歌山の知名度はカレーとラーメンで上がっている。墓の石行者堂から駅まで長い長い歩きだった。                            (藤田健次郎)

 

奈良・東山328m(99/4/11){近鉄荻ノ台駅}

以前に登り損ねた東山を登るべく、近鉄萩の台駅からスタートし矢田丘陵へ。今度は慎重に地形図から距離を推定し所要時間を計算、その周辺に到達してから、めぼしい取り付き点がないので、慎重に取り付き点をさがして頂上へ。4等三角点があり展望は甚だ良い。

このあと元山上口駅を通過して千光寺から鳴川峠を目指したあと、“鐘の鳴る展望台”へ。これは近鉄が信貴生駒スカイライン開通35周年記念に従来からあった展望台を改造し、新たに鐘のある階段を設けたもの。スカイライン沿いの海抜460mのところにあり大勢の人が来ていた。殆どが車で来ているようです。「希望の鐘、460m+12m」との表示あり。前日の雨と強風がスモッグを追い払い素晴らしい展望を提供してくれました。関西空港、友が島、淡路島。明石海峡大橋、北に愛宕山等々。300mから400mあたりの山の桜が今見頃でした。(山城吉太郎)                           

明神山

=274m(99/3/27){近鉄信貴山下駅→JR三郷駅*近鉄国分駅}

近鉄信貴山下駅からまずJR三郷駅まで歩いて、ここからスタート。冷たい雨が降り続く中を三室山137.3m〜留所山260m〜JR堅上駅〜弁天橋〜明神山274mと歩き通した。明神山はハイキングにはもってこいの山。大和川を渡ってから階段状の急登が稜線まで続きますが、あとはなだらかの起伏のよい道が山頂まで導いてくれます。

清水満氏の記述した「生駒山道しるぺ」の労作にはありませんが、その後、山頂周辺が地元の香芝市等によってかなり整備されています。水神社、展望台、説明板、トイレ、休憩舎もあり、雨でもかなりの展望でした。晴れていれば、一層素晴らしいと思います。留所山一帯は地滑り地帯で、亀の瀬雨量観測所ほか地滑り感知諸施設、機器が付近一帯の斜面に設けられていました。(山城吉太郎)
         

高見山

=1248m(99/2/13){奈良剣東吉野村高見登山口*マイカー往復}

珍しい大雪。大阪奈良の府県境を越す水越峠は凍てついて、車がストップ。チェーンのない車が立ち往生したところへ後続車が連なる形。前途多難な出発だったが、四輪駆動車なので強行。奈良側の下りはヒヤヒヤ。里に下りたら、普通の走行にもどった。かくして、手間取ったものの、ようやく登山口へ。奈良交通の「霧氷号」バスで先着していた大勢の登山者に驚く。登りはじめから、ずっと積雪。ステイックを差し込むと、深いところは二十センチくらい。山中に「古市」の跡。紀州、三重の商人達が塩、魚、野菜などを交易したところという。

小峠から平野道へ。急勾配の雪道。何度も休憩。笛吹岩からの展望は一面の雪景色でダメ。立ったまま、手足の冷たさをこらえて食事。指先がいたいほどの寒気。頂上直下のヤセ尾根では、横殴りの雪風が吹き付けた。本格的な冬山状態。全山霧氷、エビのしっぽは、大きいのは三十センチもあり、風上に張り出していた。避難小屋が見えたときはほっとした。「霊峰高見山」の石碑前で、記念撮影すると、あまりの寒気にあきれ、一気に下った。(藤田健次郎)
                                     

生駒山

=642m(98/12/13){近鉄奈良線枚岡駅*近鉄東大阪線新石切駅}                                    

いつも鉄塔が林立している山頂を遠望しているが、実際に登って見たのは、はじめて。遊園地の中のミニ機関車が周回している線路の内側に三等三角点があった。お化け屋敷やジェットコースターなど喧噪な遊具施設がいっぱい。生駒山と言うよりは、近鉄山といった方がいいかも知れない。「山頂が下界です」と同行者がうまいこと表現していました。枚岡神社からの登りはゆったりとクヌギの落葉を踏みしめて気持ちのいい日だまりハイク。帰途は「くさかコース」をとり、石切跡を眺め、占い屋が異常に多い参道の商店街を抜けて石切神社に参拝。大勢が真剣なまなざしでお百度参りしているシーンに仰天しました。(藤田健次郎)


天保山
=4.53m(98/12/13){地下鉄大阪港駅}

これぞ山好き人間ご愛敬の山。正式に建設省国土地理院が認定している日本一低い山(ニ位は仙台市の日和山=6.05m)。ちゃんと二等三角点もあり、そばには「ギネスブック公認の世界一低い山」との立て札もあった。潮風が吹く海岸の公園の片隅にあるところが楽しい。。このミスマッチを楽しむ風流な人が多いとみえて、近くの「現代館」一階に「登頂記念スタンプ」も置いてありました。地下鉄駅付近の薬局では「登頂認定書」の発行してくれるとのこと。浮き世ばなれの無償の行為を一生懸命にやる山好き人間の心根が感じられる楽しい山です。ちなみに小生は上限の富士山と下限の山を極めたことになり、その標高差3771,5mの空間をふわふわと、いいトシをして漂う身であります。(藤田健次郎)                               

高城山810m三郎岳=879m(98/11/8){マイカー→ 奈良・榛原町高井往復}                                   

「大和茶発祥地」の碑がある仏隆寺。台風七号の暴風に直撃されたらしく樹齢800年の杉の巨木が根こそぎ倒壊、あるいは中折れしていた。登山道も場所によってはアスレチックジムふうに風倒木を跨いだり、くぐったり。カナヅチを持つ男性登山者。聞けば鉱石を探している由。この手の人によく出会うようになった。静かなブーム!七重八重に連なる山並みの展望がいい高城山。大勢のハイカーで座るところもない狭い三郎岳の頂上。帰途、諸野井の集落で道を尋ねた同行者が振舞酒をよばれ、オヤツまでもらってきたのには、大笑い。素朴な人情が生きる田園の日だまりハイクでした。(藤田健次郎)            

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四寸岩山=1236m(98/10/11){マイカー→ 吉野・青根ガ峰→吉野大峰林道往復}                       

アキアカネが舞う青根ガ峰から歩く。林道脇の目立たない道標を見て、古道に入る。めざとい判断を同行者と褒め称えたが、ヌカ喜び。すぐにまた林道と合流した。槇尾への分岐点を直進すると、やがて林道左手に古道の登山口を見つける。100メートル先にも登山口とあるので、その階段がある登山口から登る。これが今の奥駈け道。植林帯の山腹をゆっくり巻いて、五十丁茶屋跡。そして新茶屋跡。そこから半時間で山頂へ。

二等三角点の石柱と、ブナの林。秋天の日差しを受けて、ブナの葉が輝く。帰途は、新茶屋分岐から古道をたどり、最初の林道わきの登山口へ、ほぼ一時間で下りられた。台風7号の影響顕著。倒木、折れ枝散乱。山靴は、常にポキポキと音を立てていた。「紅葉の吉野」のキャンペーン幟が吉野路に林立していたが、まだ早かった。(藤田健次郎)
                        

槇尾山=601m(98/6/14){南海紀見峠駅→ 河内長野市滝畑ダム→南海バス槙*泉北鉄道和泉中央駅}        

梅雨のさなかで、大雨が予想されるのを承知で歩いた。よく歩いているので、危険はない。むしろ雨中の山歩きを進んで体験してみようという気持ち。同行者三人。女性が二人。はじめから雨具着用となった。根古川の水量が多く、せせらぎの音も高い。雨に濡れた緑がひときわ鮮やか。疲れた目には功徳がありそうな雑木の風景。この雨の中、国体山岳競技の予選会をやっていて、15キロの水を背負った屈強の若者が泥だらけになって、山道を駆けていた。

施福寺への山道には、たくさんのカエルがいた。小さな奴やボールのように大きな奴もいた。どれも堆積した落ち葉色をして土にとけ込んでいるが、この雨を喜んで繰り出してきた様子。万歩計約3万歩の雨に歩けばだった。(藤田健次郎)
                                

槇尾山(95/8/12){マイカー 河内長野市滝畑ダム往復}

西国第四番札所、施福寺の山号。滝畑ダムから植林をぬけて行く。これはダイヤモンドトレールの最終コースである。歩き出してすぐに「立入禁止 滝畑松茸山主会」の看板。幹がたくましい赤松の林である。人影なく、ボテ峠に出る。どういう意味か。番屋峠では、呪文のような記号を書いた白木の札がいくつも木にぶら下げられている。これは何や。施福寺への裏参道。濃緑のゼニゴケがびっしりつく石垣と大木。「ひやしあめ」などと懐かしい布切れがはためく売店で憩う。安産祈願にきたのか、ただならぬお腹と頑健そうな臀部の若い女性が本堂で頭を長く垂れている。彼女も上ってきたのか。足弱のハイカーを圧倒する一途な逞しさを感じた。(藤田健次郎)                

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高取山=583m(95/6/18){近鉄南大阪線壷坂山駅*同橿原神宮駅}                                

浄瑠璃「壷坂霊験記」のお里、沢市物語で知られる古刹前でバスを下りる。寺の奥にある五百羅漢さん。大岩に彫られてあるのは、実際には二百くらいかな。見ていると、我が周辺の人物たちとよく似ている顔がたくさんある。植林帯の山道を古城を目指して歩く。南北朝、安土桃山、江戸期と主は変わってもずっと山城があったらしく、それを偲ぶ石垣が随所に出現する。明日香に残る不可解な人面とも、猿面ともつかぬ、いわゆる「猿石」がポツンと置かれてある。

高取城跡には、三等三角点とモミジの巨木。黒御影石の方位盤もある。「南 十津川 北 明日香 西 高見山 東 金剛山」とある中で「南西」の方向に「沖縄」といきなり遠方が出てきて驚かされる。石垣のある広場に庵ふうの休憩所があって食事をするのにいいところ。「猿石」の分岐に戻り、あとは高松塚古墳までアップダウン、古代の匂いのする農村部を歩き通した。(藤田健次郎)                

ポンポン山=678m(94/11/27){JR高槻駅→市バス原立石*阪急東向日駅}                           

妙な山名の由来は、山頂でシコを踏むとポンポンと音がするという。そのせいで、多くの登山者が、飛んだりはねたりしているが、元より音がするわけがない。優しい落葉の細道を上り詰めた頂上からは、淀川が大きく蛇行する雄大な景観が遠望できる。コースの前後にある神峰山寺と善峰寺は、どちらもおちついたいい寺だ。とりわけ、善峰寺の紅葉の鮮やかなこと、絶賛したい。別名、松の寺と言われる日本一の横たわる松などというものの影が薄くなるほど、この寺の紅葉はよかった。(藤田健次郎)                                    

六甲山=678m(93/12/25){阪急芦屋川駅*阪神元町駅}

いわゆる年納めの山行。心は、神戸の中華料理店にあるのだが、大迂回していくことになる。ロッククライミング創生期のころに活躍した藤木九三のレリーフを拝して地獄谷遡行。流れの中の飛び石を伝い、滑りやすい岩をよじ登る。こんなことを繰り返して高度を稼ぐ。そして、振り返ったら、青い海にたくさんの船影、かすむ水平線。これが都市近接の六甲の持ち味だ。ロックガーデンの白い岩。ポロポロとこぼれる花崗岩に難儀する。風吹岩を見上げる禿げ山で一服。風化した奇態な地形。屯鶴峰の奇観と似たり寄ったりの自然の造化の妙である。風吹岩にもイノシシが出没する。ご注意との立て札があった。こちらは自然と人間の調和が崩れかけている証である。(藤田健次郎)     

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大文字山=466m( 96/1/15){JR山科駅*阪急京都線四条駅}

晩夏の京の夜を彩る大文字の送り火で知られる山を背後の山科側から登る。植林帯の優しい道には、積雪がところどころ残っている。寒気か゜厳しい。そのうち雪が舞い始めた。チラチラと降り続く視界の下に京都の街並が広がっている。御所は、思ったよりも広大だ。送り火の際、火床になる溝は、意外にもコンクリでできている。もうほとんど恒久の構造物のような頑丈なものだ。山腹に深く広くえぐられている。その横には階段があり、送り火の作業がしやすく配慮されている。寂寥とロマンチックが入り交じる火の饗宴の舞台裏は、こんなふうに仕組まれていたのか。寒さにふるえながら、昼飯を食べた。(藤田健次郎)

伏見稲荷山=239m(95/10/10){京阪伏見稲荷駅*阪急四条駅}

おびただしい朱塗りの鳥居。細工物や草餅を売る茶店。本殿を取り囲むように細い道が小高い山を縦横に開けている。似たような茶店や道を歩いていると、どこにいるのか分からなくなるほど入り組んでいる。宮内庁との看板と有刺鉄線がある雑木林のあたりに来ると、さすがに喧噪は消えて行き交う人も少なくなった。と思うと、三角点がある切り開きに出て、これが頂上だという。あっけない話。円山公園背後にある東山山頂公園まで三十六峰を、てくてく歩く。実際には住宅地を抜けたり、トンネルをくぐったり、ドライブウエーを歩いたりの長いイキングだった。八坂に下りて河原町の雑踏の中からビヤホールを見つけた時は、ほっとしたものだ。(藤田健次郎)

大台ヶ原=1695m( 96/5/7){マイカー 大台ヶ原駐車場往復}

ドライブウエーに鹿がいた。駐車場はゆうに百台は収容できる広さ。こんなに大きな平坦地があり、土産物屋やビジターセンターが並んでいるとは知らなかった。国立公園の中のさらに「特別保護地区」であるため、草木一本、落ち葉一枚取ってもならないという厳重な規制とは裏腹な感じだ。日出ガ岳を目指す両脇の樹林にも、一本ずつに番号札。金網に包まれている幹もある。鹿害からの対策である。

佳かれ悪しかれ部分的には徹底的に管理されている山である。雨の多い大台ガ原にしては珍しい快晴で、日出ガ岳の展望台からは熊野灘の青い海が眼下に眺められた。トウヒの立ち枯れで知られる正木ケ原の惨状には、声もない。これが酸性雨や温暖化に伴う生態系の反乱なのか。人間を恐れない野生の鹿がたくさんいる。これも自然に背く生態なのであろう。大蛇グラの突端の絶壁は、やはり気味が悪く、腰が引ける。山歩きが好きだということと、高所の先端が怖いということは矛盾しないと思う。(藤田健次郎)

中山連山=478m( 96/4/29){阪急宝塚線清荒神駅*阪急山本駅}

人口密集の北摂にあって、尾根筋のどこからでも下界の途方もないたくさんの家並みを見下ろせる、街の中の山である。圧巻は、大阪空港の航空機の離着陸シーンを一部始終眺められることだ。数分おきに舞い下り、舞い上がるとりどりの飛行機が、まるでラジコン操縦のミニモデルのように飛ぶ。中山上空から着陸態勢に入った飛行機が、腹を開き、車輪をそっと出して滑走路にすり寄っていく場面は、とくに興味深く、見飽きない。こんな光景を楽しめる山はざらにはないだろう。縦走路の終わりにある満願寺西峰は、行楽気分を引き締めてくれる露岩の岩場。張ってあるロープを頼りに慎重におりた。(藤田健次郎)

比叡山=848m( 96/2/25){叡山電鉄八瀬遊園駅*同修学院駅}

比叡山・黒谷越えである。左横川越、右青龍寺の二股を越えたあたりから残雪が多くなり、次第に深雪。雪の青龍寺の本堂に張り紙あり。「自由にお参りください。猿が中に入りますので、戸を締めてください」。軒先にばかでかいスズメバチの巣がぶら下がっていた。天台宗総本山にあって、この寺は、浄土宗だという。青い頭、ツルツルの白い顔をした尼さんが長靴をはいて現れた。作務衣がお似合いのしゃしゃきした尼さんだと眺めていたら、なんと彼女の懐でケイタイ電話がなった。時代の風がいち早く孤高のように見えた境内にも吹いていて、感心感心。玉体杉を仰ぎ、釈迦堂を回り、長い長い雲母坂を雪にあふられつつ下った。(藤田健次郎)

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弥山・八経ガ岳=1915m( 97/6/8){マイカー.吉野郡天川村行者還トンネル西口往復}

「奥駈道合流400メートル」と書かれた板からの急登山は、いきなりだけに足にくる。シーズン外れ、花が散ったシャクナゲの群生が惜しい。最盛期なら文句なしの美景だろう。逆にオオヤマレンゲは、まだ少し早かった。石休の宿、聖宝の宿などと修験道の色濃いポイントを通過。この道の中興の祖と言われる理源大師の立派な立像があった。急登とフラットな道が交互に現れる。緑一面にこけむした樹林は、霞がかかった日本庭園のような静かな趣きだ。自家発電の低いエンジンが聞こえ出すと、山小屋の気配。すぐ弥山の台地。鳥居も本殿もすべてミニサイズの弥山神社にお参り。銀色の錫杖が建てられた八経の山頂は、雲海に沈んで視界は、佳くなかった。ここが近畿の最高峰である。(藤田健次郎)                         

四国山=284m( 96/10/16){南海多奈川線多奈川駅*南海加太線加太駅}                           

炭焼き場に出会う。大きなもので、まるで町工場のようだ。ここで道を尋ねて、ドライブウエーを長いこと歩く。トーテムポールがある森林公園から、やっと山道にかかる。急坂はほんの申し訳程度ですぐに尾根へ。そこから展望か゜一気に広がった。紀淡海峡と友ガ島。それにもう少し視界が佳ければ、淡路島や四国が見えるはず。山の名の由来であろう。まともに大阪湾の風を受けるから低くても風が強い。関空の埋め立て土砂の採掘現場が手前にあったが、ほとんど小山全体が跡形もなく削り取られている。無惨なものだ。このあたり戦時中は、敵艦や敵機襲来に備えて軍の哨戒施設、要塞があったところという。双眼鏡ではるか洋上をチェックしていた様子を想像してみたが、実感を伴わない話だった。(藤田健次郎)                 


高野三山=1008m( 96/7/14){南海高野線高野山駅往復}

三山と名付ける山が多い。曰く、鳳凰三山、白根三山、荒川三山。しかし、元祖は、大和三山だという説を読んだことがある。天香具山、耳成山、畝傍山である。こちらの三山は、登った順に時計と反対回りに摩尼山、楊柳山、転軸山。どの道も静かな散策路。落ち葉が敷き詰められていて、たくさんのドングリが落ちている。緑色の透明感があるキリギリスのような虫が歩いている。止まって眺めていると、やたらに蚊がやってくる。「頂上付近は、紀伊山地に残された自然林の代表的な樹林、コナラ、ヤマザクラ、コシアブラ、リョウブ等があり、また若齢のブナ、モミ、ツガが混生している」と楊柳山学習板に書いてある。転軸山からゆっくり下って弘法大師廟に向かい、奥の院までさまざまな墓石の列に囲まれた参拝路を歩いた。(藤田健次郎)       


依遅ケ尾山=540m( 99/10/2){北近畿タンゴ鉄道峰山駅往復}
                                   

京都府竹野郡丹後町にある二等三角点のある山。間人(たいざ)行きのバスを清水で下車。 三叉路に登山口の表示があり、東北に依遅ケ尾山が特異な姿をみせている。車道を吉永、矢畑の集落を通って次第に山間部に入っていく。車道がもう少しで終わるという手前で左に登山道の道標がある。バス停からここまで歩いて約1時間のアプローチ。車道工事関係者が作ったらしい水場があり。有り難い。あとは山道をジグザグに急登が続く。樹林帯の中の展望のない道をひたすら登る。バス停が標高10mくらいだから、低山だけれども、正味登ることになる。山頂には役の行者と不動尊が祀られていて古くからの信仰の山だったようだ。展望は良く周囲の山々が見渡せ、また北側は日本海の入り込んだ海岸美が絶景である。(山城吉太郎)     


金剛山1125m=(2002/11/23)

        (金剛バス→金剛登山口→往復)          

       (こちらに金剛山情報があります)
      
       
 
金剛山は556回目。小春日和がよく歩きだすとすぐ暑くなって一枚脱いだ。そんな日に、いつも山歩きしている仲間と忘年山行をした。せっかくなので、久しぶりにタカハタコースから腰折すぐ上の丸太橋を渡って、筒城谷に入る。 
                                 
 静かで奥深い道。人気のある金剛山にしては、比較的、山歩きする人の姿が少ないのがいいところ。谷そ゛いに歩く。落葉を踏んで、ちょっとした坂道を上り、下り。ほんに少しだけ流れている沢を右から左に渡る。渡ったと思ったら、すぐにまた右に渡り返す。                                   

 苔むした石を乗り越えたり、滑らないように砂地の急な坂をトントンと小走りに駆け下りたり。キビタキが倒木の上にいた。こちら姿にびょんびょんと飛ぶ。いろいろな歩きを楽しみながら、沢を詰めていく。正面登山道にある一本木茶屋の背後にある谷を歩いているハズだ。  
                            
  2度、短い休憩をとって、登りに掛かる。誰がつけてくれたのか、たくさんのロープが木の根をつないで結んでいる。ありがたいことで、それを頼りに体を引き上げる。晴天だから、いいけれども足場の悪い日なら、ここは特に下山が危険だろうと思った。

 幸いなことに随所に赤いテープが張ってあるから道迷いはない。ニ三の分岐が左にあるが、どの道も遅かれ早かれタカハタコースの六地蔵がある尾根筋にでるのは間違いない。     
       
 やがて正面登山道がある尾根と対面する位置まで来て、斜面を左に取る。木の間の急坂で有る。少し登ると、隣の支陵につながる横道の合流点に出る。ここから巻いて進むと、狭い道が左に直角に折れていく。ここはかつては幼樹が植えられていて、そのため視界が開けていたが、いまは背丈を超すササと植樹が繁茂している。                           
                  
 このなかを強引に上を目指すと、やがて尾根筋に出た。少し進むと、六地蔵さん。以前は朽ち果てたようなひなびた印象て゜あったが、今回久しぶりにご対面すると、きれいに整備されていた。台座までが新しくきれいであった。              
                
あとは大きな栗の木があり、井戸がある広場まで簡単である広場は小春日和をあびて、大勢の登山者や子どもたちがもうお昼の弁当を広げていた。おた゜やかな平和な光景でした。

注 金剛山については、折々の記録を載せていましたが、なにかの時に離散してしまった。残念だが、今回の歩きで埋め合わせます。金剛山のコースや歩きについては、ヤマケイから拙著「ひとり歩きの金剛山」が有ります。これをご参考にしてくだされば幸いです。               (藤田健次郎)                         
                    

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ニ上山  雌岳=475メートル

この山には、なんども登った。双子峰で、高い方が雄岳、低い方が雌岳と呼ばれている。雄岳の山頂には壬申の乱で知られる大津皇子の墓所があり、神社がある。山頂に入るのには入山料を取られる。取られるのがイヤな登山客が巻き道を歩いているのを見かけることがある。              

雌岳の山頂は台地状になり、奈良側も大阪側の展望が効く。大きな日時計があり、最近は「万葉集」の歌のほか「おおさか山の日制定記念碑」とか「太子町ロータリークラブの二十周年碑」が建てられている。このほか春になればサクラが見事に咲いて、楽しませてくれる。毎年、元旦にはご来光を拝みにくる人で大賑わいする。       


登山口は四カ所あるが、多くの登山者は太子町の竹之内街道側の駐車場付近から万葉の道を歩く。舗装された道が雄岳と雌岳の狭間まで続いている。迷うことはない。上の写真の地蔵尊から左折して鹿谷寺跡を経てやや急な尾根を登ることも出来る。先で舗装路と合流する。

釣り掘りのある場所からトイレの前を通り、万葉の道に入る。すぐ右折すれば鹿谷寺跡コース。直進すれば古代池へ。鯉が養生されていて、人影を認めると、寄ってくるから可愛い。朝かゆの会が月一回開催されている広場。河内茶粥をみんなで食べるようだ。アジサイの花木が6月には美しい。
上りがきつくなって水場で休憩だ。

高松塚の墓石もここから切り出されたとされる凝石灰の岩場が左折すればある。ここでは直進。やがて急勾配がおわると、分岐。右に階段を上がれば千年杉の倒木がある。台風で倒れたあと、そのまま保存されている。ここには岩を削った仏様の壁面がある。終業の僧が彫ったのであろうか。この先は峠。

一方、分岐で道なりに直進すれば、アップダウンの末、雄岳と雌岳の間にある峠につく。そのまま下れば、佑泉寺を経て當麻寺の方へいける。左方は雄岳へ。右のトイレ、売店前を抜けて上り階段を進めば、数分で山頂だ。大高山脈、大和三山、紀ノ川に通じる吉野川の流れを展望できる。
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