山行レポート


鴻巣山=592m(02/7/21){南海加太駅→友が島汽船・沖ノ島→南海加太駅}

加太駅から歩いて二十分、磯の香りが風に乗ってくればすぐに浜辺。115人乗りの渡し船にのって友が島へ。この渡しの早いこと、波しぶきを蹴立てて走るのが爽快、爽快。山歩きなのに意外な楽しみを味わった。この船、往復1580円、15人以上団体割引1430円。                                     
                                 
沖ノ島は夏休みの終わりとあって、家族連れがかなりいて泳いだり、磯遊びをしている。すぐ前の広場には鹿がいた。奈良公園のように人になついている。島を逆の時計回りで歩く。ずっと右手に海をみて歩くことになる。                           

すぐに砲台跡にでる。崩壊が進んでいるので建物の中に入らぬようにとの立て札がある。兵どもの夢の跡。草がからまるレンガの建物、芝生の先に青い海。どことなく見慣れぬ風景が新鮮だ。トーチカの銃眼のような窓がまっすぐ狭い海峡を眺めている。敵の艦船のウォッチングであろう。                                
46時中の監視でさぞかしご苦労であったと思うとともに、アホらしいことに現を抜かしていたものだととも思う。いずれにせよ、戦時体制のむなしさを物語る遺跡である。鹿の糞が多く落ちている。その跡を踏んで、鴻巣山をめざす。                    
 
 この島の最高峰。トイレがあり、井戸もある芝の広場から坂道にかかり、ゆるやかな傾斜をたどった末に小展望台。そして一等三角点がある大展望台。海と波止場がみえる。日差しが暑いけれど、海風がさわやかで、ここで昼飯。冷たいチューハイ、熟したブランディ、凍結酒。なんでも渇いた喉を音を立てて飲み下し、アルコール偏愛者は幸せな午後でした。                            
あと、深蛇池へ、ふらふらと林の中を歩む。ここまでで、渡し船の時間が迫っているので、波止場に向かう。丸四時間の友が島ハイキングでした。 (藤田健次郎)

                          
                

                           

虚空蔵山=592m(02/7/21){JR藍本駅→草野駅}
丹波の名峰、虚空蔵山に行った。山案内人は、東大阪の達人、山城吉太郎さん。一行は男五人、女二人。               

このあたり低山が連綿と連なり、町は山間に点在する。駅から大阪寄りに道を引き返すと、酒垂神社がある。百薬の長の効用を認めた由来が書いてあり、飲兵衛には都合のいい神社。そこからすぐに山に向かって右折。三田市観光協会製の道標があり、以下、山頂までしっかり導いてくれる。これを表参道と称している。                     

高速道路の高架下を抜ける。梅雨明けしたばかり、快晴とはいえないが、暑さも暑し、熱中症を警戒して水をやたらに飲む。道端に桃色のハギの花、マツヨイグサの黄色い花も咲いている。「この池には魚がおりません」という看板に、みんな「それはおる、ということや」と勘ぐる。多分、いるのだろう。                                
以前にも「自然薯取るな」という禁止札があって、はじめて登山路わきから山芋が取れることを知った。この手の警告札は、有った方がいいのか、どうか。寝た子を起こす恐れもありそう。舗装路がやがて山道に変わるが、ちゃんと石段もあって静かな傾斜道。苔蒸した石が多く、右手に渓流のせせらぎも。中腹の虚空蔵堂に到着。小広い台地に立派な御堂。千三百年の歴史とか。神仏習合の雰囲気。寺なのに注連縄が祀ってある。                                  
                
山中に分け入る。水流溝が登山路。粘土質の、したがって雨にあうと滑りやすい道となる。ここにも役ノ行者の像。だいたい関西の山には弘法太子、行基、そして役ノ行者がつきもののようだ。

じくざぐと雑木林の中を展望のきかないままに進む。五十分で尾根に出た。左、立杭焼の里コース 右、山頂への道標。それも焼いた陶板でつくってあるのが郷土色。汗淋漓。左方向の眼下の山間に集落が見える。                               
尾根に立ちはだかる露岩。これが通称、丹波岩。そこに立つと一層視野が開ける。低い緑なす緑の山並みが遠望できた。この露岩からすぐに山頂。土俵の大きさもない先端部。脇にテーブルやイスも用意されている。周囲は雑木が多く、見晴らしは優れない。近くの白髭山が見えているはずなのだが。1時間10分の到着とあって昼飯は、次の八王子山(496m)までお預けとした。                    
再び北を目指す。たいがいの登山者は虚空蔵山どまりで草野駅方面に下りるので、北へは進路がややあいまいになる。左右に雑木林、しかし、狭い尾根歩き。小さな岩場もある。慎重に下って、また尾根をゆっくり下りたり、上ったり。ガイドブックある鉄塔下に出た。ここから道に迷った。道なりにどんどん下っていくが、あまりにも下りすぎた。八王子山まで標準コースタイム45分とあるのにしては、下りすぎる。この道は関電巡視路特有のゴム板の階段である。                                     
                                         ここで引き返し。下ってからの引き返しは、どっと疲れが出るものだが、其の通り。重い足を引きずって鉄塔直前まで登り返した。鉄塔までもうすぐのところで、とても目立たない木の幹に白いテープで八王子山へのガイドを見付けた。ほとんど踏み跡らしい踏み跡もないまま急傾斜を登り詰めていく。黒いふっくらしたモグラが珍しく地上に出て、よろよろと歩いている。つまりは、ここまで足を伸ばす登山者は珍しいという静けさなのだ。低い密集した樹木に覆われて視界はゼロ。                              

二つピークを越えたところに八王子山の頂上。狭く、丸い。三等三角点の頭にタッチして、周囲を見回す。白髭山から吊り尾根状にスカイラインが伸びて松尾山が見えた。ランチをとるにも狭すぎるので、さらに北へ進む。日陰の尾根でようやく食事を摂った。目いつぱいアセをかいて、飲んでも飲んでも水がほしいところなので
缶水割りウイスキーやらワインやらなんでも飲む。うまいんだな、これが。                                   
さらに八王子山から山上山に向かう。険しいので大峰山系の山上ガ岳のミニ版だといわれている。満腹した体には重荷だが、それほど苦しむこともなく尾根頂点の417メートル地点に着いた。ここから本来なら北に進み、山上山に行くべきであったが、直下降で里を目指す。この下山の方がよっぽど大変だった。しゃむにむ斜面を下れば里におりれるだろうと見当つけて雑木伝いにどんどん下降した。道跡は一切なし、なんとかなるだろうと下るのは、時折、樹幹の間に里の民家が見えるからである。                      

15時半、林道に降り立った。登山口から六時間の歩きだった。休憩して歩きだすと、すぐに草野駅にたどり着いた。山行後半は、低山侮りがたし、を実感した面白い冒険登山となった。 
                               (藤田健次郎)           
 
                              
       
                       
鏡石山=555m(02/3/24){Jr海南駅→オレンジバス薬師谷停留所→海南駅}
暖かい日曜。太平洋が山頂から眺められる山頂、その名も船の航行を邪魔する恐れがある夕日を反射したという岩がある鏡石山に行った。お隣の生石高原ほど知られていないけれど、ほどよい歩きを楽しめる低山趣味を満足させてくれる山でした。                              
バス停留所からしばらくして禅林寺前を通り、温暖地にふさわしい桃の果樹園を見る。白い花がじゅうたんを敷き詰めたように咲いており、こんな見事な桃の花畑を見るのは初めてだった。黄色い菜の花、満開のサクラ、まさに繁茂するという形容がふさわしいほどの土筆、、、。春爛漫の田舎道でした。                  
登山口はミカンの果樹園を過ぎたあたりから。細い山道がゆっくりと上っている。分岐が多く、その割には道標が適切なところにないので、迷いそうになるのが難。鏡石自然歩道と言う名の案内に沿ってやがて勾配がきつくなり、牡牛の滝の前に。コッテの滝と読むそうな。牛に見立てられる岩が滝壷の手前にあるからとか。                            

ここからは雨の森へ向かう。薬師谷川沿いの雑木林。落ち葉が深く、静寂ないいい道だ。何度か小さな岩の露出をヨイコラサと越えて行くと、海南市街地と海が展望できる広場に出た。ここには車道が来ており、休憩の東屋やみはらしの丘がある。          

ここまでバス停から約一時間半。海南の臨海工業地帯を眺め下ろしながら、同行者たちと一服した。このあと、車道を横切り、土止めした階段を上り、尾根筋に出、あとはひたすら雑木林の中を気持ちよく歩いていると、熊尾寺山(543m)に出た。 周囲は木に囲まれて視界0。小さな山頂の真ん中に三等三角点の標石が埋っていた。                                  

  いったん下ってウバメガシの林の中をひたすら歩くと、小さな峠。ここまでくるとつい先が、お休み広場。思いがけないフラットな広っぱがあり、すでに大勢の登山者がお昼を楽しんでいた。山頂は、この先で、丸い頂きは狭い。二等三角点がある。眼下は谷間の集落があり、ずっと左手に海南の工業地が垣間見られた。振り返れば生石高原が遠くに見えた。                       
お昼は暖かい日差しを浴びて、山上の食事としては実にグルメを楽しみました。アルコールはワイン、日本酒、ウイスキー、焼酎とよりどりみどり。田中静江さんが持ってきた果実の味がするおいしいチーズも頂き、のんびりと豊かな気分のひとときを過ごした。  

帰途は、峠から来た道とは別コースを下り、牡牛の滝手前で合流するまで大野城跡など落葉の深い道を下った。        
                           (藤田健次郎)
              



鏡山=384.6m(99/4/29){Jr篠原駅}

近江の別名、竜王山で知られる山。新幹線をくぐり、IBMのグランド横から国道8号線へ。ここを右折してまずは鏡神社へ詣でる。この辺りはは中山道の宿場町で、本陣跡、源義経にまつわる史蹟もある。さらに南下して積水樹脂工場から登山道に入る。緩やかに登り少しで大谷池、やがて急な階段状の道が続く。整備された歩きやすい道だが、整備しすぎるのもどうかと思う。“あえんぼ広場”“こんめ岩” を通り、ほどなく展望台に到着。遠くに伊吹山、左に琵琶湖、右奥に鈴鹿の山々など展望はよし。山頂はもう少し上で二等三角点があるものの展望はよくない。下山は鳴谷池へ。善光寺川を渡りバス停竜王インター口まで歩く。この日は寒気の影響で時雨れもあり、終始冷たい風が吹く天候でした。(山城吉太郎)

雲山峰

=490m(99/4/25){JR 阪和線山中渓駅*六十谷駅}

三等三角点が埋没しそうになっている山頂には、小さな祠やヤマモモ、サクラの木があるが、展望は効かない。木の幹に「素晴らしい展望は15分先」とあり、さらに歩くと、確かに紀ノ川や和歌山の海が一望できる切り開きの台地に出た。ここで昼食。ここまでは落葉の緩やかなアップダウン。いい散策路。第一パノラマ台という銀の峰(310m)からは関空が航空母艦のように浮いていて、絶えず航空機が上昇していくのが望めた。台地からは蛇行する紀ノ川にかかる橋を十も数えることができるほどの広々とした展望、登山客からしきりにカレー事件の現場はどの辺り?の声があった。和歌山の知名度はカレーとラーメンで上がっている。墓の石行者堂から駅まで長い長い歩きだった。(藤田健次郎)

奈良・東山

=328m(99/4/11){近鉄荻ノ台駅}

以前に登り損ねた東山を登るべく、近鉄萩の台駅からスタートし矢田丘陵へ。今度は慎重に地形図から距離を推定し所要時間を計算、その周辺に到達してから、めぼしい取り付き点がないので、慎重に取り付き点をさがして頂上へ。4等三角点があり展望は甚だ良い。このあと元山上口駅を通過して千光寺から鳴川峠を目指したあと、“鐘の鳴る展望台”へ。これは近鉄が信貴生駒スカイライン開通35周年記念に従来からあった展望台を改造し、新たに鐘のある階段を設けたもの。スカイライン沿いの海抜460mのところにあり大勢の人が来ていた。殆どが車で来ているようです。「希望の鐘、460m+12m」との表示あり。前日の雨と強風がスモッグを追い払い素晴らしい展望を提供してくれました。関西空港、友が島、淡路島。明石海峡大橋、北に愛宕山等々。300mから400mあたりの山の桜が今見頃でした。(山城吉太郎)

明神山

=274m(99/3/27){近鉄信貴山下駅→JR三郷駅*近鉄国分駅}

近鉄信貴山下駅からまずJR三郷駅まで歩いて、ここからスタート。冷たい雨が降り続く中を三室山137.3m〜留所山260m〜JR堅上駅〜弁天橋〜明神山274mと歩き通した。明神山はハイキングにはもってこいの山。大和川を渡ってから階段状の急登が稜線まで続きますが、あとはなだらかの起伏のよい道が山頂まで導いてくれます。清水満氏の記述した「生駒山道しるぺ」の労作にはありませんが、その後、山頂周辺が地元の香芝市等によってかなり整備されています。水神社、展望台、説明板、トイレ、休憩舎もあり、雨でもかなりの展望でした。晴れていれば、一層素晴らしいと思います。留所山一帯は地滑り地帯で、亀の瀬雨量観測所ほか地滑り感知諸施設、機器が付近一帯の斜面に設けられていました。(山城吉太郎)

高見山

=1248m(99/2/13){奈良剣東吉野村高見登山口*マイカー往復}

珍しい大雪。大阪奈良の府県境を越す水越峠は凍てついて、車がストップ。チェーンのない車が立ち往生したところへ後続車が連なる形。前途多難な出発だったが、四輪駆動車なので強行。奈良側の下りはヒヤヒヤ。里に下りたら、普通の走行にもどった。かくして、手間取ったものの、ようやく登山口へ。奈良交通の「霧氷号」バスで先着していた大勢の登山者に驚く。登りはじめから、ずっと積雪。ステイックを差し込むと、深いところは二十センチくらい。山中に「古市」の跡。紀州、三重の商人達が塩、魚、野菜などを交易したところという。小峠から平野道へ。急勾配の雪道。何度も休憩。笛吹岩からの展望は一面の雪景色でダメ。立ったまま、手足の冷たさをこらえて食事。指先がいたいほどの寒気。頂上直下のヤセ尾根では、横殴りの雪風が吹き付けた。本格的な冬山状態。全山霧氷、エビのしっぽは、大きいのは三十センチもあり、風上に張り出していた。避難小屋が見えたときはほっとした。「霊峰高見山」の石碑前で、記念撮影すると、あまりの寒気にあきれ、一気に下った。(藤田健次郎)

生駒山

=642m(98/12/13){近鉄奈良線枚岡駅*近鉄東大阪線新石切駅}

いつも鉄塔が林立している山頂を遠望しているが、実際に登って見たのは、はじめて。遊園地の中のミニ機関車が周回している線路の内側に三等三角点があった。お化け屋敷やジェットコースターなど喧噪な遊具施設がいっぱい。生駒山と言うよりは、近鉄山といった方がいいかも知れない。「山頂が下界です」と同行者がうまいこと表現していました。枚岡神社からの登りはゆったりとクヌギの落葉を踏みしめて気持ちのいい日だまりハイク。帰途は「くさかコース」をとり、石切跡を眺め、占い屋が異常に多い参道の商店街を抜けて石切神社に参拝。大勢が真剣なまなざしでお百度参りしているシーンに仰天しました。(藤田健次郎)

生駒山日下越

=642m(02/01/05/){近鉄奈良線石切駅→近鉄生駒駅}

幻の生駒古道といわれる日下直越 (くさかただごえ)を登るつもりだったが、石切駅を歩き出してすぐに道に迷った。大竜寺→日新高校横を巻いていく道を外れた。東大阪市が管理しているらしい「くさかハイキングコース」に入ってしまった。冬枯れ、朽ち葉がしきつめられた整備された道をのんびり登る。

この日、寒波到来の翌日で強風寒気襲来とさんざん天気予報で脅かされていたのに、風は確かに強いものの、青空に恵まれた。途中、「イメムラキ古墳」に立ち寄る。(コースを外れて往復二十五分)、枯葉一色の細い道をたどって古墳に着く。石舞台を小型にしたような形。なんの説明板もないので、「こんなところになんでや」といった感慨しかわかず、再び元の道を行く。そういえば、この道には「あかしあの路」という名前か゛あり、やがて「こぶしの谷」を経て「くさか園地」内の関電巡察路に着く。

ここから雑木林に囲まれた巡察路を石灯篭の辻まで歩き、生駒信貴スカイラインと合流。ドライブウエーを横切り、まもなく「滝寺歩道」に入り、スカイラインから離れて雑木林の中をゆっくり下る。落ち葉が舞う静かな山道の風情がなかなかいい。二キロ下ると、右、宝山寺 (生駒聖天)、直進、滝寺の分岐に出、約十五分で宝山寺。参拝客でにぎわっていた。

公園化され、ドライブウエーもあるが、植林がほとんどなく、雑木林のままので、葉が落ちてしまったクヌギの林や阪奈両方の街並みが遠望できて素晴らしい。               (藤田健次郎)

生駒山日下直越=642m(02/01/13and.20){近鉄奈良線石切駅→近鉄生駒駅}

再び「幻の日下直越コース」を目指したが、大竜寺から道脇に立っている案内柱の指示と゛おりに進路を取って、山中に入る。これが結果的には「幻」ではなくて、正規の直越コースであった。但し案内柱の漢字への振り仮名は「じきこえ」とあった。

登山口には「神武天皇聖蹟孔舎衛坂碑」と「滝の口霊泉」への進路表示があった。笹と雑草の茂る細い道。山芋堀の跡があちこちにある。約二十分で神武天皇碑への分岐に立つ。神武碑は昭和15年、つまり皇紀2600年に建立されたもので、例の神武東征の途中、ここから山越えしようとしたが山賊に阻まれたところという。このことからしてつまり、「直越」の謂われは、生駒山をダイレクトに越える最短距離のコースということだろう。戦前の皇国史観の遺物の場所で休憩したあと、元のコースに戻る。

背丈を越す笹竹を巻いたり、原則的に水流がある苔むした石を踏んだりして緩傾斜を登る。また分岐があって「乳母懐」との表示板が木の枝に吊るされていた。落ち葉が敷き詰められた山坂を往復したが、当の乳母懐とはなんなのか、判らなかった。

直越コースは視界はほぼゼロ。大きな羊歯が広がる斜面や冬枯れの雑木林の静かな雰囲気を行く。乳母懐から約40分で、関電巡察路の舗装路に出た=写真。ここから一回目のときは、「幻コース」の尾根筋の終点である「石灯篭の辻」まで行ってみたが、二回目のときは、体調がよくない同行者もいて、そのまま巡察路を山頂遊園地へ。

生駒縦走路でもある舗装路をのんびりと歩いて、約一時間で一等三角点がある子ども機関車周回園地の中に到達。記念撮影をした。余談だが、二度とも日曜なのに閑古鳥が鳴いている遊園地である。売り物の目玉がないのか、近頃の家族連れは、この手の遊び場を好まないのか、季節がオフなのか。他人事ながら前途が思いやられる。

ケーブル横の下山路を下り、宝山寺生駒聖天にお参り、さらに近鉄生駒駅前まで下り、同行者たちと散会した。「幻の日下直越コース」はそのうち挑戦してみよう。        (藤田 健次郎)


幻の生駒山日下直越=642m(02/03/10){近鉄奈良線石切駅→近鉄生駒駅}

東大阪の登山家で郷土史家、清水満さんによれば、究極の生駒古道として幻の生駒日下直越え(くさかただごえ)道があるという。その古道はもなんでも古さも古し、神話の時代の神武東征の際に使われたらしく、その名は古事記、万葉集にもあるという。

その古道を歩きたくて、今年に入り三度、日下越えを試みたが、頓挫していたので、今回は同じ東大阪在住の百名山完踏者で税理士の山城吉太郎さんにご案内を乞い、ついに歩くことができました。

一番の難点は、近鉄石切駅から登山口とされる春日神社までにたどり着くこと。タクシーにでも乗れば別だろうが、歩くとなると、これがなかなか困難。昔ながらの入り組んだ住宅地を歩くから、よほど土地鑑がないと、うまく行けない。

山麓の日新高校の左を巻くというのまで比較的判りよい。それからは、なんと次第に生駒の山並みに背をむけて離れていくから、とまどう。クルマ一台が通れる道。離合も困難な道を歩いて、ようやく菩提寺の前を行く。ここら辺りの地名は善根寺である。

菩提寺までくると、正面にめざす春日大社の鳥居。その下に昭和三年、大阪府学務部指定史跡名勝天然記念物、孔舎衛坂直越登り口写真右の石碑がある。ようやく着いた。ここがスタート地点である。ここからは神社の裏側の道を道なりに進むと阪奈道路に出た。これを横断するのだが、ここはビュンビュン車が突っ走っているから、慎重に渡りたい。

軽四輪なら走れる幅の道が山腹に向かって伸びており、ようやく山中に入った感じ。ここまで石切駅からほぼ一時間。意外な狭地で畑仕事するのを眺めながらゆっくり登ると、さらに二度目の阪奈道路横断となる。左右に電光型に登る自動車道を、下から上に串刺しした形で古道がある。


その後は落ち葉を踏んで気持ちのいいハイキング。古刹ともいうべき大岩を神体にした宗教施設もある。ときどき雑木が途切れたところから大阪平野を臨まれる。春かすみの下に遠く大阪城付近のツインビルも一望できる。

やがて分岐に出る。神武帝聖跡方面と生駒縦走路との分岐である。ここは龍の口霊泉の鳥居の前(写真左)でもある。大きなベンチか゛一脚。霊泉の水は、見事な龍の石彫りの石塊に穿たれた穴を口と見立てて、そこから淀みなく流れていた。この鳥居の下の石には昭和十八年、寄進とある。ここでしばし休憩。同行の女性陣から果物などおやつを分けてもらい一服した。

向かいの畑で農作業をしていた男性がネコ車にダリアの根を積んできて捨てようとしていたので、頼んで少しわけてもらう。気前よく持っていきな、というおじさんでした。もっともダリアの根であることは教えてもらってわかったことで、まさか花のタネ芋とは知らなかった。

出発。道幅はほとんど一メートル内外。ゆるい傾斜、つねに左側が谷側となる。谷の向こう側に遠くに立派な建物が現れる。これはゴルフカンツリーのクラブハウスらしい。駐車場もあり、たくさんのクルマがとまっている。大きなネットが立ち上がっている。ゴルフの打ち放し場のようだ。

このようなところまで来ると、古道というイメージとは、程遠くなる。要するに、古道という表現は、一、かつて存在したが、今はない、二、存在したがほとんど利用されていない、三、文字通り初めからなかったーーーを想定すると、生駒古道はニのケースなのだと思われてくる。とくに何十年前かに阪奈道路が完成してから、横断が危険なので、自然に踏まれることがなくなったのではないだろうか。

道なりに進むと、灯篭の辻に出た。スカイライン、生駒縦走路との合流点である。石切駅から約二時間ニ十分。ここで大阪側からの「幻の日下直越え」が終わった。あとはスカイラインを横切って生駒市の生駒山麓公園内に入り、そのまま「ふれあいセンター」に向かい、そこの青畳の上で昼食にした。

山麓公園は、生駒側を段階的に大規模に開発されたもので駐車場も幾段階にもなっている。その最後の駐車場の端から、ハイキングコースが始まる。この道は近鉄生駒駅に通じていた。奈良側の幻の度合いはほとんど感じることなかった。(藤田健次郎)


天保山
=4.53m(98/12/13){地下鉄大阪港駅}

これぞ山好き人間ご愛敬の山。正式に建設省国土地理院が認定している日本一低い山(ニ位は仙台市の日和山=6.05m)。ちゃんと二等三角点もあり、そばには「ギネスブック公認の世界一低い山」との立て札もあった。潮風が吹く海岸の公園の片隅にあるところが楽しい。。このミスマッチを楽しむ風流な人が多いとみえて、近くの「現代館」一階に「登頂記念スタンプ」も置いてありました。地下鉄駅付近の薬局では「登頂認定書」の発行してくれるとのこと。浮き世ばなれの無償の行為を一生懸命にやる山好き人間の心根が感じられる楽しい山です。ちなみに小生は上限の富士山と下限の山を極めたことになり、その標高差3771,5mの空間をふわふわと、いいトシをして漂う身であります。(藤田健次郎)

高城山

=810m三郎岳=879m(98/11/8){マイカー→ 奈良・榛原町高井往復}

「大和茶発祥地」の碑がある仏隆寺。台風七号の暴風に直撃されたらしく樹齢800年の杉の巨木が根こそぎ倒壊、あるいは中折れしていた。登山道も場所によってはアスレチックジムふうに風倒木を跨いだり、くぐったり。カナヅチを持つ男性登山者。聞けば鉱石を探している由。この手の人によく出会うようになった。静かなブーム!七重八重に連なる山並みの展望がいい高城山。大勢のハイカーで座るところもない狭い三郎岳の頂上。帰途、諸野井の集落で道を尋ねた同行者が振舞酒をよばれ、オヤツまでもらってきたのには、大笑い。素朴な人情が生きる田園の日だまりハイクでした。(藤田健次郎)

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四寸岩山=1236m(98/10/11){マイカー→ 吉野・青根ガ峰→吉野大峰林道往復}

アキアカネが舞う青根ガ峰から歩く。林道脇の目立たない道標を見て、古道に入る。めざとい判断を同行者と褒め称えたが、ヌカ喜び。すぐにまた林道と合流した。槇尾への分岐点を直進すると、やがて林道左手に古道の登山口を見つける。100メートル先にも登山口とあるので、その階段がある登山口から登る。これが今の奥駈け道。植林帯の山腹をゆっくり巻いて、五十丁茶屋跡。そして新茶屋跡。そこから半時間で山頂へ。二等三角点の石柱と、ブナの林。秋天の日差しを受けて、ブナの葉が輝く。帰途は、新茶屋分岐から古道をたどり、最初の林道わきの登山口へ、ほぼ一時間で下りられた。台風7号の影響顕著。倒木、折れ枝散乱。山靴は、常にポキポキと音を立てていた。「紅葉の吉野」のキャンペーン幟が吉野路に林立していたが、まだ早かった。(藤田健次郎)

槇尾山=601m(98/6/14){南海紀見峠駅→ 河内長野市滝畑ダム→南海バス槙*泉北鉄道和泉中央駅}

梅雨のさなかで、大雨が予想されるのを承知で歩いた。よく歩いているので、危険はない。むしろ雨中の山歩きを進んで体験してみようという気持ち。同行者三人。女性が二人。はじめから雨具着用となった。根古川の水量が多く、せせらぎの音も高い。雨に濡れた緑がひときわ鮮やか。疲れた目には功徳がありそうな雑木の風景。この雨の中、国体山岳競技の予選会をやっていて、15キロの水を背負った屈強の若者が泥だらけになって、山道を駆けていた。施福寺への山道には、たくさんのカエルがいた。小さな奴やボールのように大きな奴もいた。どれも堆積した落ち葉色をして土にとけ込んでいるが、この雨を喜んで繰り出してきた様子。万歩計約3万歩の雨に歩けば、だった。(藤田健次郎)

槇尾山(95/8/12){マイカー 河内長野市滝畑ダム往復}

西国第四番札所、施福寺の山号。滝畑ダムから植林をぬけて行く。これはダイヤモンドトレールの最終コースである。歩き出してすぐに「立入禁止 滝畑松茸山主会」の看板。幹がたくましい赤松の林である。人影なく、ボテ峠に出る。どういう意味か。番屋峠では、呪文のような記号を書いた白木の札がいくつも木にぶら下げられている。これは何や。施福寺への裏参道。濃緑のゼニゴケがびっしりつく石垣と大木。「ひやしあめ」などと懐かしい布切れがはためく売店で憩う。安産祈願にきたのか、ただならぬお腹と頑健そうな臀部の若い女性が本堂で頭を長く垂れている。彼女も上ってきたのか。足弱のハイカーを圧倒する一途な逞しさを感じた。(藤田健次郎)

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高取山=583m(95/6/18){近鉄南大阪線壷坂山駅*同橿原神宮駅}

浄瑠璃「壷坂霊験記」のお里、沢市物語で知られる古刹前でバスを下りる。寺の奥にある五百羅漢さん。大岩に彫られてあるのは、実際には二百くらいかな。見ていると、我が周辺の人物たちとよく似ている顔がたくさんある。植林帯の山道を古城を目指して歩く。南北朝、安土桃山、江戸期と主は変わってもずっと山城があったらしく、それを偲ぶ石垣が随所に出現する。明日香に残る不可解な人面とも、猿面ともつかぬ、いわゆる「猿石」がポツンと置かれてある。高取城跡には、三等三角点とモミジの巨木。黒御影石の方位盤もある。「南 十津川 北 明日香 西 高見山 東 金剛山」とある中で「南西」の方向に「沖縄」といきなり遠方が出てきて驚かされる。石垣のある広場に庵ふうの休憩所があって食事をするのにいいところ。「猿石」の分岐に戻り、あとは高松塚古墳までアップダウン、古代の匂いのする農村部を歩き通した。(藤田健次郎)

ポンポン山=678m(94/11/27){JR高槻駅→市バス原立石*阪急東向日駅}

妙な山名の由来は、山頂でシコを踏むとポンポンと音がするという。そのせいで、多くの登山者が、飛んだりはねたりしているが、元より音がするわけがない。優しい落葉の細道を上り詰めた頂上からは、淀川が大きく蛇行する雄大な景観が遠望できる。コースの前後にある神峰山寺と善峰寺は、どちらもおちついたいい寺だ。とりわけ、善峰寺の紅葉の鮮やかなこと、絶賛したい。別名、松の寺と言われる日本一の横たわる松などというものの影が薄くなるほど、この寺の紅葉はよかった。(藤田健次郎)

六甲山=678m(93/12/25){阪急芦屋川駅*阪神元町駅}

いわゆる年納めの山行。心は、神戸の中華料理店にあるのだが、大迂回していくことになる。ロッククライミング創生期のころに活躍した藤木九三のレリーフを拝して地獄谷遡行。流れの中の飛び石を伝い、滑りやすい岩をよじ登る。こんなことを繰り返して高度を稼ぐ。そして、振り返ったら、青い海にたくさんの船影、かすむ水平線。これが都市近接の六甲の持ち味だ。ロックガーデンの白い岩。ポロポロとこぼれる花崗岩に難儀する。風吹岩を見上げる禿げ山で一服。風化した奇態な地形。屯鶴峰の奇観と似たり寄ったりの自然の造化の妙である。風吹岩にもイノシシが出没する。ご注意との立て札があった。こちらは自然と人間の調和が崩れかけている証である。(藤田健次郎)

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大文字山=466m( 96/1/15){JR山科駅*阪急京都線四条駅}

晩夏の京の夜を彩る大文字の送り火で知られる山を背後の山科側から登る。植林帯の優しい道には、積雪がところどころ残っている。寒気か゜厳しい。そのうち雪が舞い始めた。チラチラと降り続く視界の下に京都の街並が広がっている。御所は、思ったよりも広大だ。送り火の際、火床になる溝は、意外にもコンクリでできている。もうほとんど恒久の構造物のような頑丈なものだ。山腹に深く広くえぐられている。その横には階段があり、送り火の作業がしやすく配慮されている。寂寥とロマンチックが入り交じる火の饗宴の舞台裏は、こんなふうに仕組まれていたのか。寒さにふるえながら、昼飯を食べた。(藤田健次郎)

伏見稲荷山=239m(95/10/10){京阪伏見稲荷駅*阪急四条駅}

おびただしい朱塗りの鳥居。細工物や草餅を売る茶店。本殿を取り囲むように細い道が小高い山を縦横に開けている。似たような茶店や道を歩いていると、どこにいるのか分からなくなるほど入り組んでいる。宮内庁との看板と有刺鉄線がある雑木林のあたりに来ると、さすがに喧噪は消えて行き交う人も少なくなった。と思うと、三角点がある切り開きに出て、これが頂上だという。あっけない話。円山公園背後にある東山山頂公園まで三十六峰を、てくてく歩く。実際には住宅地を抜けたり、トンネルをくぐったり、ドライブウエーを歩いたりの長いイキングだった。八坂に下りて河原町の雑踏の中からビヤホールを見つけた時は、ほっとしたものだ。(藤田健次郎)

大台ヶ原=1695m( 96/5/7){マイカー 大台ヶ原駐車場往復}

ドライブウエーに鹿がいた。駐車場はゆうに百台は収容できる広さ。こんなに大きな平坦地があり、土産物屋やビジターセンターが並んでいるとは知らなかった。国立公園の中のさらに「特別保護地区」であるため、草木一本、落ち葉一枚取ってもならないという厳重な規制とは裏腹な感じだ。日出ガ岳を目指す両脇の樹林にも、一本ずつに番号札。金網に包まれている幹もある。鹿害からの対策である。佳かれ悪しかれ部分的には徹底的に管理されている山である。

雨の多い大台ガ原にしては珍しい快晴で、日出ガ岳の展望台からは熊野灘の青い海が眼下に眺められた。トウヒの立ち枯れで知られる正木ケ原の惨状には、声もない。これが酸性雨や温暖化に伴う生態系の反乱なのか。人間を恐れない野生の鹿がたくさんいる。これも自然に背く生態なのであろう。大蛇グラの突端の絶壁は、やはり気味が悪く、腰が引ける。山歩きが好きだということと、高所の先端が怖いということは矛盾しないと思う。(藤田健次郎)

中山連山=478m( 96/4/29){阪急宝塚線清荒神駅*阪急山本駅}

人口密集の北摂にあって、尾根筋のどこからでも下界の途方もないたくさんの家並みを見下ろせる、街の中の山である。圧巻は、大阪空港の航空機の離着陸シーンを一部始終眺められることだ。数分おきに舞い下り、舞い上がるとりどりの飛行機が、まるでラジコン操縦のミニモデルのように飛ぶ。中山上空から着陸態勢に入った飛行機が、腹を開き、車輪をそっと出して滑走路にすり寄っていく場面は、とくに興味深く、見飽きない。こんな光景を楽しめる山はざらにはないだろう。縦走路の終わりにある満願寺西峰は、行楽気分を引き締めてくれる露岩の岩場。張ってあるロープを頼りに慎重におりた。(藤田健次郎)

比叡山=848m( 96/2/25){叡山電鉄八瀬遊園駅*同修学院駅}

比叡山・黒谷越えである。左横川越、右青龍寺の二股を越えたあたりから残雪が多くなり、次第に深雪。雪の青龍寺の本堂に張り紙あり。「自由にお参りください。猿が中に入りますので、戸を締めてください」。軒先にばかでかいスズメバチの巣がぶら下がっていた。天台宗総本山にあって、この寺は、浄土宗だという。青い頭、ツルツルの白い顔をした尼さんが長靴をはいて現れた。作務衣がお似合いのしゃしゃきした尼さんだと眺めていたら、なんと彼女の懐でケイタイ電話がなった。時代の風がいち早く孤高のように見えた境内にも吹いていて、感心感心。玉体杉を仰ぎ、釈迦堂を回り、長い長い雲母坂を雪にあふられつつ下った。(藤田健次郎)

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弥山・八経ガ岳=1915m( 97/6/8){マイカー.吉野郡天川村行者還トンネル西口往復}

「奥駈道合流400メートル」と書かれた板からの急登山は、いきなりだけに足にくる。シーズン外れ、花が散ったシャクナゲの群生が惜しい。最盛期なら文句なしの美景だろう。逆にオオヤマレンゲは、まだ少し早かった。石休の宿、聖宝の宿などと修験道の色濃いポイントを通過。この道の中興の祖と言われる理源大師の立派な立像があった。急登とフラットな道が交互に現れる。緑一面にこけむした樹林は、霞がかかった日本庭園のような静かな趣きだ。自家発電の低いエンジンが聞こえ出すと、山小屋の気配。すぐ弥山の台地。鳥居も本殿もすべてミニサイズの弥山神社にお参り。銀色の錫杖が建てられた八経の山頂は、雲海に沈んで視界は、佳くなかった。ここが近畿の最高峰である。(藤田健次郎)

四国山=284m( 96/10/16){南海多奈川線多奈川駅*南海加太線加太駅}

炭焼き場に出会う。大きなもので、まるで町工場のようだ。ここで道を尋ねて、ドライブウエーを長いこと歩く。トーテムポールがある森林公園から、やっと山道にかかる。急坂はほんの申し訳程度ですぐに尾根へ。そこから展望か゜一気に広がった。紀淡海峡と友ガ島。それにもう少し視界が佳ければ、淡路島や四国が見えるはず。山の名の由来であろう。まともに大阪湾の風を受けるから低くても風が強い。関空の埋め立て土砂の採掘現場が手前にあったが、ほとんど小山全体が跡形もなく削り取られている。無惨なものだ。このあたり戦時中は、敵艦や敵機襲来に備えて軍の哨戒施設、要塞があったところという。双眼鏡ではるか洋上をチェックしていた様子を想像してみたが、実感を伴わない話だった。(藤田健次郎)


高野三山=1008m( 96/7/14){南海高野線高野山駅往復}

三山と名付ける山が多い。曰く、鳳凰三山、白根三山、荒川三山。しかし、元祖は、大和三山だという説を読んだことがある。天香具山、耳成山、畝傍山である。こちらの三山は、登った順に時計と反対回りに摩尼山、楊柳山、転軸山。どの道も静かな散策路。落ち葉が敷き詰められていて、たくさんのドングリが落ちている。緑色の透明感があるキリギリスのような虫が歩いている。止まって眺めていると、やたらに蚊がやってくる。「頂上付近は、紀伊山地に残された自然林の代表的な樹林、コナラ、ヤマザクラ、コシアブラ、リョウブ等があり、また若齢のブナ、モミ、ツガが混生している」と楊柳山学習板に書いてある。転軸山からゆっくり下って弘法大師廟に向かい、奥の院までさまざまな墓石の列に囲まれた参拝路を歩いた。(藤田健次郎)


依遅ケ尾山=540m( 99/10/2){北近畿タンゴ鉄道峰山駅往復}

京都府竹野郡丹後町にある二等三角点のある山。間人(たいざ)行きのバスを清水で下車。 三叉路に登山口の表示があり、東北に依遅ケ尾山が特異な姿をみせている。車道を吉永、矢畑の集落を通って次第に山間部に入っていく。車道がもう少しで終わるという手前で左に登山道の道標がある。バス停からここまで歩いて約1時間のアプローチ。車道工事関係者が作ったらしい水場があり。有り難い。あとは山道をジグザグに急登が続く。樹林帯の中の展望のない道をひたすら登る。バス停が標高10mくらいだから、低山だけれども、正味登ることになる。山頂には役の行者と不動尊が祀られていて古くからの信仰の山だったようだ。展望は良く周囲の山々が見渡せ、また北側は日本海の入り込んだ海岸美が絶景である。(山城吉太郎)

            

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牛ケ平山=883m(09/04/29)(近鉄大阪線榛原駅→奈良交通粕山バス停下車)
丑の年にちなんで遅ればせながら、山の達人、山城吉太郎さんらとともに牛の名前がある山に登った。奈良・三重両県境に近い田舎、駅から約30分、鯉のぼりが翻る若緑あふれる道を揺られて到着。
老人会の集まりがある建物のまえでお爺さんに道を尋ねる。地図上で点線がある道は、若いころ東吉野へ遊びの行ったものだが、いまは廃道になっているとの話。新道ぞいに歩く。眼下の細い清流わきで釣竿を垂れる若い男。
「なにが釣れますか」
「アマゴや」
なるほど。あとで民家の塀に小さく「入漁券販売所」の札を見つけた。山中に漁業組合がある不思議。草餅を売る店が路傍にあった。なぜか風林火山のノボリが立つ。29日開店と窓に大きな張り紙。「えーと、今日は何日だったかな」と問答をして、「なんだ、今日開店したんだ、この店は!」というとぼけた会話。
それはさておき、やむなく栂坂トンネルをまたぐ旧道を栂坂峠から林道に入る。先に無線塔があるので、林道は舗装されており、歩きやすい。
のんびりウグイスの囀りを耳にしながらの歩きだが、崖下をのぞくと、冷蔵庫や発泡スチロールやら家庭のゴミがいっぱい投棄されている。けしからんヤツが、こんな山中に侵入している。
林道に道迷いになるような場所はなく、20分ほどして右側の細道のかかりに赤いテープの目印。ここから山登りらしくなる。植林帯の急傾斜をスギの生木を掴んでよじ登る。二つ小さな前山の盛り上がりがあって、ようやく狭い台地へ。そこに三等三角点が埋まっていた。尾根筋にあるので、風が強く、しばらく居ると寒い。
山城さんによると、この山は普通の地図には山名表示がないという。三等三角点の点の記は、「添ケ谷」とある。
山頂の木の枝には、2月と4月に登った人が掲げた木札があった。丑年にちなんだ登山をしている同好の人がいるのだ。札を用意している人以外にも、きっと大勢がこの杉林の殺風景な山頂に足を運んだに違いない。昼食は日の当たる林道まで下って採った。


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