ナダレ尾山 (m)
(06・23・Apr)



犬ケ丈山 (522m)
(06・29・Jan)
戌年にちなんで犬の名前が付いた山を関西でさがしたら、和歌山県に一つあったと、山の達人、山城吉太郎さんのお誘いで、Mさんらとともに出かけた。早朝のJR天王寺駅を出発、和歌山線御坊駅下車である。日帰りできるかなと思案するほどの遠出となった。目標の山は和歌山県日高郡日高川町(平成17年5月までは旧中津村)にある。町になったというが、印象は山と川がある典型的な田舎の僻地である。地図で鳥瞰すると、日高川の大河が大きく蛇行しているその内側に位置している。
御坊駅前でバス探し。他のバスの運転手に聞いても、エーとどのバスだったかな。そんなのんびりぶり。がら空きの御坊南海バスで高津尾まで乗車、約30分。乗客は我ら一行と電車も同じだったお年寄りの女性一人。いくつかの駅は全部ノンストップ。日高川沿いを走り、ときどき堤防から集落に入るものの、乗客なし。安珍清姫伝承でしられる道成寺駅でも人影なし。客なし、で、運賃アップ、で、客ますます敬遠、というサイクルにはまっている田舎のバス。継続の運命やいかに!!と心配するほど。くだんの女性客は自宅前?でおろしてもらっていた。
高津尾のバス停はなんと「しょうぶ橋」脇。この橋の欄干に菖蒲かアヤメの図柄がデザインされている、じつはあとで分かるのだが、この地はいたるところ、アヤメ、アヤメなのである。脇に駐在所。新築されたのか、綺麗な建物。向って左側に行くと龍神スカイライン方面。ここでは右に折れて、日高川沿いに進む。
車道の喧騒、というほどクルマははしらないが、田舎の軒先を見て歩く旧道を行く。すぐに車道に出会う。ここにレトロなレンガ造りの大きな建物が川におおいかぶさるようにある。なかなかの存在感。これは関電高津尾水車発電所とある。水力、火力、原子力という発電所がるけれど、水車発電というのは、初耳。大きな頑丈そうな鋼鉄のフランシス式水車が飾ってあった。あんなものを地形の高低差を生かした水力で回して発電するのか。写真右の茶色のパイプは、犬ケ丈山支稜に続く傾斜地にある調整池とつながっている。池に向って歩く。
振り返ると、日高川と集落がかなり低いところにある。調整池とあるが、実態はダムである。静かなダムを横切る堰堤を山に向う。取り付きはなんの表示もない。あるのは、関電の「火の用心」の札である。関電あるところに「火の用心」あり、というほどお馴染みのもである。関電巡察路の特徴。そのもう一つの特徴は、ゴム製の階段である。階段ステップの土止めの角が黒いゴムで造られているものだ。巡察員が踏みしめた小道がある。それを伝って、いきなりのきつい傾斜である。
山中に入るや、最近、くくりつけたと見える、赤いビニールのリボンが至るところに目立つ。山道にも、木の幹にも。多いところでは、わずかニ、三メートル間隔である。短い杭を打ってリボンを結わえているのもある。それほど詰めてリボンをつける意味が素人には判然としない。国土地理院の印がついている。空中からの目印とも思えない。不思議な光景である。
雑木林のなかを紆余曲折したあげく、斜面の上に向う小道と山際に下る小道とが別れるあたりで、木の幹に初めて{峠へ}という表示があった。先行は山城さん。読図とルート探索の勘ではベテランであるから、なんの問題もなく下る。こちらは追従すればよい。どんどん下れば、陽を受けて光る舗装された林道に出た。さすがである。
これが、犬ケ丈山山頂に北側からつながる林道である。南側は日高川対岸から至る長子神社から林道がきているらしい。蟷螂峠を目指す。蟷螂とはカマキリのこと。蟷螂の斧というフレーズがあるけれど、カマキリが斧を振りかざして、むこうみずにも大敵に立ち向かうこと。しょせんははかない抵抗を意味する漢語成句である。どうして、この地にカマキリの名がついたのか、その場の情景からは推測することもできない。おそらくカマキリがやたらに多かったのだろう。しかし、そうして類推では山名は解明できないことになる。
戌年にちなむ山歩きの酔狂登山者が立てたのか、峠の三叉路に小さな道標が山土に差し込んであった。今年1月とありから、まだ真新しいもんである。地元の人にとって、いつも眺めている低山が、干支にちなむ山名というだけで遠路から登山者が絶えないということは、驚きであろうな。「なんじゃ、これは」と思っているのに違いない。この道標は地元の人のサービスかもしれないとも考えられる。峠にくるまで林道沿いは綺麗に台地状に整地されていたが、一切、工事説明がないので、この山中で何に使われるのか、何んためか分からない。
峠からはゆるゆると登っていく。車が通れる幅員である。山頂にバラボナアンテナ塔があるのだからやむ得ない。建設工事道路でもあるのだ。雑木に混じりサクラの木が育っている。春な絶好のサクラ並木であろう。樹林がとぎれた。紀伊半島は山また山だが、本当に幾重にも重畳たる山影の連なり。なかでも突出して見えたのが、矢筈山(811m)。和歌山の名峰。山城さんの調べでは、その左背後にそびえる大きな山は清冷山(878m)。この写真では残念ながら、はみ出している。
山頂は蟷螂峠から40分くらいで到着。NTTドコモやNHK和歌山放送局などのアンテナ、無線中継塔が林立している。数えたら7本もあった。山主は儲かってるにちがいない。三等三角点と写真のような山名表示板があった。狭い山頂。展望は利かない。ここでお昼にしていたら、ドヤドヤと中高年男女が大勢登ってきた。尼崎からバンニ第二台分乗でやってきたようだ。蟷螂峠から歩いたというが、それでは歩き足りないのではと思った。
下山は蟷螂峠から林道を下る。トンネル入り口の右壁に「芳澤あやめ」とある踊る女性の絵が描かれている。ヨシザワアヤメとは誰か。日高川にかかる大橋にもアヤメの花柄。深まる謎?!を追っていくと、ふれあいセンター前にアヤメの等身大の銅像。説明によれば、この女性は歌舞伎女形の開祖と判明。つまり、幼名、千太郎なるころから傑出した芸達者」とあって、長じて歌舞伎役者となったのだ。「出雲の阿国」は歌舞伎の原型とされるが、女形の開祖がおり、しかも、ご当地出身とは知らなかった。ついでに言えば井原西鶴の墓も当地にあると地図にあった。

犬ケ丈山という山名の由来について、山城さんが町当局に照会されましたが、不明との回答だったそうです。一般に山名への関心はほとんどなく、地元でも知らないのが普通ですが、残念なことです。地元出身の著名人同様に山の存在も産業振興や文化の一端なんですけどね。







天王山(270m)
(05・12・12)
全国統一を目指した織田信長を討った明智光秀を謀反ゆるすまじと急遽、岡山での対峙した毛利軍との間で和睦をして、取って返した秀吉と、この地で天下分け目の合戦をしたという古戦場。張り扇がパンパンと打ち鳴らされる場面である。歴史物が好きなものにはこたえられない場所である。そこへ大阪側、つまり摂津国から一つ手前の阪急・京都線水無瀬駅から歩いた。
淀川、桂川、もう一つはなんだったけ、木津川だったかな、の三川が合流する摂津国と山城国との境が、水無瀬と大山崎である。町立島本ふれあいセンターの前を通り、幅広い名神高速のガードを潜り、若山神社を目指す。サントリーの大きな研究所の建物の横を歩くとすぐに石段のある神社境内に。結構、長いしんどい石段で、寒さにかじかんでいた背中が汗びっしょりになった。ここまでで30分くらい。
立派な綺麗な神社。モミジは枯れていたが、時節なら、大変な美しさであろうと想像された。ちょうど赤ちゃんの初参りの来た家族がいた。みんなで記念撮影をしてうれしそうであった。朱印を求めた人に神社の人が簡潔な印をポンと押して、無料といったのも珍しい。たいがいは、いくらか取るものなのに、心掛けが清々しい。ここで、一服。境内の端から、東海道新幹線が横切る景色が眺めおろすことができる。その向こうの小高い山は男山であろうか。
 先ほどの記念撮影の一家は石段を登ってきたのかな。それなら大変だと心配していたら、案の定、社務所背後へ車道が延びていた。その車道を少し下ると、トイレがあり、その前から、山中へ入る登山道が始まっていた。これはおおさか環状自然歩道とか。細い踏み跡を辿ると、畑が広がった。寒いのに夫婦者?耕していた。今は何を作るのか。
 やがて、竹林が左手の斜面を覆う。季節になれば、たくさんのタケノコがニョキニョキと頭を出すに違いない。京都国境には竹林が多い。手入れが悪いせいか、竹林のなかに倒木が乱れているのが惜しい。そんなかで、カラスウリの赤い実が印象的。竹の葉の落葉が山道を埋め尽くして、脚にやさしい。この道は案内図によれば、尺代道。
竹林を下ると、橋に出た。水無瀬渓谷にかかるところで、若干の集落がある。集落のなかを右に左に横切って、クルマ止めの遮断機をすり抜けていくと、結局は水無瀬渓谷沿いの岸辺を歩くことになる。渓谷は、水が澄んで、岩が自在あり、おそらく夏場は、子どもたちの歓声がわいたことだろうと想像された。

 右が渓谷、左は山側。その構図が長く続く。朽ちた水車がいくつかある。枯れ草がまといついてる。足元はクヌギの落ち葉。静かないい散策路である。乙女の滝という、いかにもはづかしい命名の滝が谷川の対岸に迫る山肌にある。誰がつけたのか、柳腰のような細流が、名づけの由来であろうか。
やがて、渓谷沿いの歩きはストップ、その手前の急坂に入り、渓谷と離れるが、ここでも支流の流れを右手に見ながら、徐々に登っていく。ここが意外にも深山幽谷の趣でいい。上がってくるわが息を音を聞きながら、エイ、エイ、と力をこめて進む。先の樹林の上に空が見えて、尾根が近いことを知る。上りきったところで一服。枯葉が強い風で舞う。
展望がないが、ここからギロバチ峠へ下る。もっともギロバチという妙な名前の峠らしきものがないうちに、清少年キャンプ地直前で山を少しばかり切り開かれて、大型のベンチが置かれてあった。先客2人が食事中。まだベンチは広々空いているので、ここで昼食休憩。風をさえぎり、陽だまりがあるので、かっこうの休憩地だ。ここまで2時間かかった。
食後、下ってすぐに府道(伏見柳谷高槻線)に出た。右方向が行く手で、案内どおりゴルフコース(ベニー・カントリー倶楽部)の入り口をみて、次は楊谷寺。大きな境内。なぜか出来立てのように綺麗。このあと府道をだらだら下る途中で、谷川を渡る土橋を越す。ここが天王山へのショートカット道である。再び山中に入った雰囲気で、ここを20分ほど歩くと、また府道と交差地点に出る。ここで初めて天王山ハイキングコースとある標識を見つけた。
いよいよ小高い盛り上がりをながめつつ山中に行く。小さなアップダウンを繰り返すと、やがて天王山の山頂にたどり着いた。テニスコートニ面ほどの広さ。松やクヌギ、堺屋太一の「秀吉」の記述を写した壁があり、ここでの歴史的な合戦の模様を伝えている。登山者が多いと見えて、登頂記念の札が樹木にいっぱい掲げてある。どこの山よりも多くあるようだ。つまりは、人気がるのだろう。物見高い登山者が話しのタネを求めてくるのだろう。
宝積寺へ下る途中に小さな展望台があり、ここに秀吉と光秀両軍の戦略配置図があった。高みから眺めると、摂津と山城国境の狭い水と山の間が手に取れるように分かる。
筒井順慶が洞が峠を決め込んだ山は、ここからは見えないのか、どうか。分からなかった。石段をどんどん下ると、酒解神社。酒を止めろというのか、禁酒を止めろというのか。どちらのも取れそうな、そういう名前の神社だ。宝積寺は、これまた立派なお寺である。どーんと鐘楼が目立つ。長い石段をくだり続けると、JR大山崎駅に向う道に出た。一つ線路をこして家並を行けば、阪急京都線山崎駅である。ゆっくり歩いたせいか、合計で約15キロ、約5時間だった。







犬鳴山高城山649m・五本松748m周回) 
(05・10・30)
2006年は犬年である。犬にちなんだ山名を持つ山を山の達人、山城吉太郎さんが調べてくれましたが、ここ泉佐野の犬鳴山のほかに、和歌山の中津村の犬ケ丈山522m 、三重県藤原町にある狗留孫山772mしかないようだ。こうなると、一番手近かなのは、犬鳴山しかない。近辺の牛滝を知っていたが、こちらは初めてである。麓には数箇所の温泉旅館、ホテルがある。犬鳴温泉郷という。
じつは、そうではないかなと予期していたのだが、犬鳴山という山名はやはりない。これは修験道の行場である七宝滝寺の山号である。11世紀、義犬伝承が生まれるまでは一乗寺といったが、猟師を救った犬の殉死美談いらい犬鳴山といわれるようになったとのこと。ちゃんと境内に義犬の由来と犬像があった。で、犬鳴山というのは表行場の上がり、高城山で代弁してもらっている感じ。寺名にあるように奇岩と滝が多い。
本殿の前の台地におおきな不動明王が立っている。大峰山よりも修験行場が7年早く開かれたということが誇りの一である。ちょうど祭礼前とかで信者が大勢、清掃奉仕や、護摩供養の用意をしていた。で、トイレなどはピカピカに磨き上げられていた。この上に立派な本殿があり、秘仏が置かれていた。さらに行者の滝から行場に続くらしいが、秘仏拝観のあとはUターン。鐘付堂とトイレの並びの下まで戻る・
戻る途中、ボケ除け不動尊を拝む。拝むとボケにならないというのは、今の時代の人々の要望に沿ったものであろう。お寺さんもいろいろ現世ご利益を考えているものだ。拝む際の経文まで書いてあったが、到底、倣ってみようとは金輪際思わないので、パスしたが、結構、肉迫して読んでる人もいるので、やはり身につまされている者がいることを物語っている。
拝殿から少し戻ると、道が二股に分かれる。この石段を登れば、高城山から、五本末方面に歩けるとの標識がある。苔むした階段は、右手に滝道を見下ろしながら、登っていく。数分で、なんと車が通れる舗装路に出る。知らぬ者は長い沢べりを歩いて本殿に行くが、この道を知っておれば、そうとう時間が節約できるだろう。
舗装路に出るまえの小さな表示。単語が入り乱れているが、階段を登りきれば、舗装路があり、電柱のところまで行き、林道との出会いを左折すると、弁天尾根、つまり高城山方面にいけると解釈するといい。弁天岳、高鍋山は、いずれも高城山へ通じる途中の山々。低山の連なりがあるので、ここらあたりは国定公園、金剛葛城紀泉公園内の「紀泉高原」とも呼ぶ。
高城山に向うコツツキ谷の林道入り口の看板。この林道は10分くらい奥に歩けば、袋小路。その後は、人ひとりが歩ける幅の行き届いた道が続く。右手が沢である。ずっと水の音を聞く。杉、ヒノキの植林帯と雑木林が混じる。ヒノキの幹に大きなスズメバチの巣があった。盛んにハチが出入りしており、気味が悪いので、巣を見ないように傍を通りすぎる。
ざっと50分、山道を歩く。二度、小休憩した。道はとても分かりやすい。木の幹にあった看板から弁天岳と高鍋山との分岐を過ぎた。泉佐野ライオンズクラブ寄贈の看板が丹念に立てられいるので、道迷いはありえない。「森はわれらのホスピタル」「自然はゴミ箱ではない」「写真以外は何も採らない」などとライオンズの看板に付記してある。山道を詰めていくと、尾根筋に出た。
尾根筋は、林道があった。犬鳴東手川線というらしい。車が通れるほど、しっかりしている。この道をほんの数メートル右手に進むと、コースは再び林道を離れて、樹林のなかの道を歩く。しばらくすると、また林道。つまりS字型に蛇行する林道をバイパス化した山道が交差するわけだ。また、数メートルのところで、山中へ。上から人声がきこえ数人のハイカーが降りてきた。聞けば、高城山はすそこだという。山頂は広く、だが、展望なし。ここまで1時間40分の道のり
山道に小さな可憐な白い花。群れて咲いている。名前が分からず、お花博士に問い合わせなくてはと思っていたら、五本松の粉川ハイランドパークの店で同じものを売っていた。なんと、これがセンブリなのだ。脇に枯れて乾燥したセンブリもあった。煎じて風邪薬などに使われる漢方薬で知られている。エーデルワイスのような格好がいい花とは知らなかった。
高城山を降りて、いったんドライブウエーに出るが、すぐにライオンズクラブの道標に従い、山中へ。アップダウンを繰り返していると、前方に鉄塔が見える。あら、うれしや五本松の展望台かと思いきや、そうでは無かった。これは防災無線塔であった。また林道に出る。犬鳴東手川線である。広くて立派な道。道なりに進むと、やがて五本松の粉河ハイランドパークに自然に入っていく。その直前に見えるのが展望台。入場料200円とか。見るからに曇り空なので景観見物は止して、パーク隅でお昼と相成る。出発から2時間だった。
帰途は犬鳴七宝滝寺へ戻る。さきほどの林道の入り口に道標があって、寺の先の犬鳴バス停まで4・5キロとある。急な坂道。おまけに石積みなので、足元用心しながら下降一途。
二度、ドライブウエーと交差するが、そのつど、山道を選んで降りる。あとは長いドライブウエー歩き。前方に見えてきたのが、犬鳴隋道。150メートルほどのトンネル.平成9年竣工、工費2・5億円とあった。ここを抜けると、すぐに登りに使ったコツツキ谷の入り口。ちょうど周回したことになった。
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西お多福山(865m)

2006/09/30  阪急岡本駅→芦屋川駅

            お多福というのは、福が多いという字面ですが、あまりいい言葉ではありません。ですから女性はお多福と言われたら、不快で気を悪くするにちがいありませんが、そういう山名の山が六甲山系には対になってあります。つまり、東/西にです。
阪急岡本駅から桜守公園、打越峠、住吉河原から急坂登りです。駅から3時間20分のがんばりでした。この山がいいのはm整備された道、清流の音、明るい雑木林、適度の傾斜ですね。
山の達人、山城吉太郎さん、マラソン愛好者のマルタさんとごいっしょでした。

東のは六甲最高峰につながるルートで親しまれており、草原状の闊達な山頂ですが、西のは山頂部に行けませんでした。国交省の通信無線施設、あのバカでかいパラボナアンテナ塔が二本の立って、立ち入れないのです。人工衛星の時代にまだこんな大掛かりな仕掛けが必要なのかな。最高部まで行って、ぐるり探索しようとしても、入れないのは欲求不満が募りますので、結局、六甲最高峰(931m)まで全山縦走道をたどって登って来ました。
写真は、ですから、六甲最高峰の端から撮ったものです。
六甲最高峰については、別のところでも紹介しています。米軍の無線基地がお役御免になっ日本側の返還されてから、山頂整備が進み、きれいになりました。一等三角点も石柱から立派な石碑(写真上)になりました。旧来のは地中になかば埋没していました。神戸港が鳥瞰できる休憩地もあります。そこからやっと西お多福山が望めます。最初の写真はここからの遠景です。
下山は一軒茶屋横から七曲、本庄橋跡、風吹岩、ロックガーデン、高座の滝経由でした。秋の山は日暮れに追われるように下ります。途中、山道を横切るイノシシをちらっとみました。

お多福バンザイのいい山歩きでしたね。写真は風吹岩から大阪湾方向への眺め。あいにく視界は曇っており、西宮の浜くらいしか見えませんでした。