伊那佐山(奈良県・637m  2005・09・10)
井足岳 (奈良県・550m  2005・09・10)
(近鉄大阪線榛原駅→奈良交通バス比布下車→榛原駅)

秋晴れのいい気持ち。バスを降りて、気分がすっきり。田は実りの秋を迎えて、稲穂の頭が垂れている。あちこちで取り入れも見られた。山と川がある。澄んだ青い空がある。
 純然たる田舎の風景だが、田に欠かせないカガシ、シシ脅し、ペットボトルを細工した鳥除けのものが不思議なことに一切ない。同行の山の達人、山城吉太郎jさん、丸田さんとも首をかしげる。元来、その手の鳥獣がいないとは思えないので、稲に工夫があるのかもしれない。
 今は田舎の風景でも、道だけは綺麗に舗装されているのだ。公共事業が行き届いて、日本全国、コンクリ化している。写真は伊那佐山遠望。
山頂にある都賀那岐神社は、どのような縁起をもつ神社なのか分からない。しかし、参道に相当する山道にはきちんと丁石が現存している。道の脇、三叉路にちゃんと目につく位置に石標としてたたずんでいる。このように保存されているということは、いまも篤志の信者、信徒が大勢いることを意味していると思わざるを得ない。
 斜面にスイカが砕かれて撒かれていた。もったいないような話だが、遠くのテントの下で農夫がしきりにスイカを割っている。商品にならなかったのか、完熟しすぎたのか、それとも飼料としてあらかじめ壊す分を取り置いているのか。田の溝に粉砕されたスイカが詰まっていた。
参道は簡単である。道なりにすすめばよい。一箇所だけ
三叉路というか、五差路というか、似たような幅員の道が分かれているところがあった。しかし、正面に石標がちゃんとあり、迷うことはない。そのあたりはまだ民家が建っている。裕福そうな立派な家である。
 石標の示す方向を少し歩くと、どうやら山道に差し掛かる。左右が竹林になる。民家が絶える。あと600メートルとか、距離表示も親切である。
やがて、そう、息があがるほどでない斜面の山道の正面に石の鳥居。手前に石碑がある。石碑には「右やたき 左嶽大明神」と刻まれている。「やたき」とは、地名である。われわれの進路は当然、嶽大明神であるが、指示通りではなくて、「右やたき」の方角の山道を行く。おそらく先で合流するに違いないからだ。
 若干の電光型の山路を行く。すこし頑張れば、フラットな道になるとガイドブックにある。
低山ながらというか、低山だからか、湿気が多いらしく、いまの季節、みょうなキノコが目立つ。右のは、まるで大きなパンのようだ。直径25センチはある。焦げたような表の色合いがパンそっくりだ。左は、すっくと立つ純白の傘。これも大きなもので、直径20センチはある。
 黄色い小さな群生するキノコもあった。これらのキノコは、お世辞にも食欲がわくものではなかった。
途中に、こういう看板が立つ。猿岩という岩は各地にある。興味があるものの、山城さんがちょっと山路を偵察したが、見に行くのを止めた。せっかく登ってきたのに、その途中で、下っていく道が気に食わない。

 看板の文字の下に鉛筆の書き込みで50メートル先とあった。たしかに、ここまで展望はない、ほぼ植林地帯である。猿岩からは、何が見えるのかな。
小一時間、じっくり汗をかいて、山頂に出た。都賀那岐神社の社殿が正面にある。付近に中高年の男女多数。20人はいる。女性が過半数である。座り込んで何か食べたり、しゃべったり。こういうグループ登山が増えている。たいがいは少数の男性が大勢の女性を引率している。
 神社はこぶりなもので、一見して特別な造作も見られないし、誇らしい縁起も書いていない。参道がしっかりしているにしては、つつましい。なにを祭神しているのか、それもわからないな。
社殿をぐるりと回ると、三等三角点の標石があった。石積みの社殿の基盤の傍である。国土地理院の標柱は欠けていた。あまり大切にされていないようだ。付近は一面の芝状態。龍のヒゲのような植栽が植え込んであり、弁当を開くのにはいいが、ここも展望はゼロ。これが惜しいところ。
 長居は無用と、次の井足岳に向ったことで、またまた物忘れハプニングをやってしまった。急坂を下り、林道を横切り、藪の中に入り、二、三本の風倒木を跨いだりした挙句に、ふいにデジカメを社殿に置いてきたことを思い出した。ああ、なんという物忘れ。なんというロスタイム、なんとしんどいUターン。同行者に平謝り、引き返した。
デジカメは社殿の柵にちゃんとあった。主に見放されたデジカメを、大勢の登山者はどういう思いで眺めたのかな。とにかく、ヤレヤレ。下りは、とたんに力が抜けてしまった。なにわともあれ、欲と二人三脚で駆け上がった勢いがぜんぜんない。
林道に戻り、大いに待たせた同行者と陽だまりに腰を下ろして、お昼にした。プリン体少々の発泡酒を飲む。痛風除けのまじないみたいもの。ほんとうは呑まないのが、一番だ。おにぎりを食べて、一服したら、再び元気になった。午後の部を再開というわlけで、さっき引き返すことになった藪道に戻った。
笹薮が多く、視界の利かない踏み跡をたどる。尾根を歩いているのだが、雑木に囲まれていて、どこにいるか分からない。低山でよく出くわすケースである。一度林道に下りるが、踏み跡は再び高見を目指す。黄色と赤の二種類で幹に巻いたテープが目印となる。もいちど幅員の狭い日のあたらぬ林道に下りて、道なりに進むと、井足岳へのとっかかりが判明。腰までの草を分け入り、倒木を跨いでいくと、ようやく山頂にでた。写真のような山名札がかかっているけれど、視界はなし。先着組の中高年グループは所在なげで、未着の仲間を待っている。
井足岳の山名は、どういう意味なのかわからない。「いたり」「いぜ」とも読む。下山は山頂から一本道。植林帯の斜面を下り、丸太橋を渡り、どんどん下ると、民家のある前に出た。登山路の表示などは一切ない行き止まりに出たので、足は自然に低い方に進むと、榛原駅方面に続く広い舗装路に出た。そこから古代神を祭る墨坂神社はすぐだった。ここの境内から鳥見山が見える。



箕作山(滋賀県・374m   2005・05・01)
(JR近江八幡駅→近江鉄道市部駅下車→同太郎坊駅→JR近江八幡駅)

  最初の写真左下が、このコースのゴールだった太郎坊宮がある太郎坊山の全景。岩石が急斜面にすがり付いている感じ。下山してまっすぐに近江鉄道太郎坊駅に向う途中に振り返ると、こんなとんがった小さな山が聳え立つ。右手中腹が、地元で{太郎坊さん}と親しまれている阿賀神社の本殿。修験道にちなむ天狗信仰で、勝運授福があるとか。とにかくその長い石段を見上げていると、これは、ちょっと上るのにたじろがせる。

  あと110メートルと言う表示がある山腹の駐車場から上る。社殿を右に見て息を切らして階段を詰めていくと、こじんまりした社務所なんかを過ぎて、大岩が向いあって、その間に細い道ができているところに出る。何かの縁起で大岩が真っ二つに割れたなどといわれ、これを夫婦岩と称しているようだ。二つ並ぶような一対があると、すぐに夫婦なんとか。陳腐な発想であるな。

 大人げないが、こうした縁起を信じないタイプなので、特別な感慨はない。中国黄山を縦走したときは、これの何倍も大きな割れ岩の間を、こわごわ通過したことがある。それを思い出していたが、特別に縁起や由来はなかったようだ。

 江州平野というか、湖東平野を見下ろす展望台が上にあって、眼下は田植えを控えて多数のプールのようになって広がっていた。

 その豊かな大地は、江州米の産地、近江商人の発祥地、浪速の糸ヘン、商社を起こした商人たちの揺籃の地、一転、悪事がばれて名声が地に堕ちたコクドの堤家の出自の地である。人の評価は棺を覆うてみないと分からないというが、、昨今の風潮はは黄泉の国に行っても、いろいろと追い討ちがかかる。


 さてと、今回ののんびり歩きは、山の達人、山城吉太郎さん。山城さんには曾遊の地である。スタート地点は、近江鉄道市部駅。無人駅。電車を止めると、運転士が飛び降りて改札もゴミ拾いもやっている。忙しく、気の毒な光景。合理化のしわ寄せである。

 降りてちょっと線路沿いに戻る。踏み切りを越えて、上の写真のように壁の上が大小のタヌキの焼き物に覆われた民家の前を行く。信楽焼はタヌキがブランドマーク。

 ここも阿賀神社の境内になるのか。だだ広く、風が抜ける。田植えの匂いが漂う。万葉集に出てくる蒲生野とは、この辺り、近在だと書いてある案内板があって、いきなり額田王の有名な句「茜さす 紫野行き標野行き、、、」が書いてある。地元にとっては、よほど名誉な誇り高いものであるらしく、万葉歌碑のこれを顕彰してやまない活動団体があるようだ。

 毎年、公募して短歌の大賞を決めて、なおかつ、立派な石碑を建立している。もう十基以上が樹下に並んでいる。木組みの庵、展望台もあり、船岡山は心から周囲の人々に愛されている。

 船岡山を上ってきたのと反対側から下る。田植えに備えて田に水が張られている。いくつもの水田が広がる。道路に出ると、太郎坊宮2キロの表示があるが、それをやり過ごして、こんどは「十三仏信仰」のある岩戸山に向う。畑仕事の高年女性に花の名前を尋ねたが、よく分かっていないようだった。岩戸山、箕作山、小脇山を経て太郎坊山に達する低山縦走コースに乗る。

  岩戸山は参道の石段づくし。西国33箇所か、四国88箇所巡礼のなぞらえたか、お地蔵さんが道端に並ぶ。左右で数字が一致しないのだが、これはよくあること。歳月のなかで、お地蔵さんも風化したり、どこかへ持ちさらわれたりするようだ。

 面白いことに、大きめの岩に、なんと癌封じの願いがこめられた祈願がたくさん張られていた。岩戸山の山名に{ガントリ}を託したのだろうか。そして、なぜか瓶入りサイダーがたくさん供えられていた。コジツケの祈願とあらば、このサイダーにも、なにか意味づけがあるのか、首をひねったが、おもいつかなかった。

 結構、傾斜もきつく、癌封じを願う人にとっては、相当苦しい上りにちがいない。途中、水場と縁台のような休憩所があった。一息いれて、展望台から山頂へ。

 狭い小さな頂から先ほど述べた湖東平野の風景が一望のもとに展開する。遠く琵琶湖も展望がきくに違いないが、あいにくやや曇り空。近江八幡の市街地が眺められる。山城さんの話によると、織田信長が築いた安土城は、あの低い山だ(下記の写真)とのこと。言われてみれば、なだらかな低山。敵を寄せ付けぬ鉄壁の要害とは、お世辞にもいえぬ場所。どうして、あんなところにお城を建てる気になったのだろうか。京を控え、東海道の要衝を抑くする狙いか。

 山頂にも何事かの願いをこめて紅白の幔幕のような布が岩に巻いてあった。新しく取り替えられたものらしくまだ風霜にさらされていなかった。癌封じといい、こういう土俗的な信仰は、なかなか部外者には理解ができないものである。展望台脇の建物に収められている十三仏の磨崖佛は拝み損ねた。いったん登り返して、こんどは、箕作山を目指す。

小さい山の雑木に囲まれた狭い稜線をアップダウン、左右にちらちらと平野が望まれるが、特段のものもなく、すぐに小脇山。三等三角点が登山道の真ん中にある。ここも展望がきかないが、お昼にする。お昼にしていたら、別の登山者も近くで座り込んで昼にしたらしい。ラジオをつけっぱなしでうるさい。山のなかまで常時、ラジオをがなりたてている向きが時々いるが、迷惑な話。気が知れない。

 小憩のあと、ひたすら歩きに歩くと、半時間ほどで、箕作山。ここは展望がない。キヌガサ山が見えるはずだが、あまり背丈がないのに雑木が深い。箕作山はこのように特色がない山だが、岩戸山から太郎坊宮までの長い低山系の総称とみれば、それも由である。

道なりの斜面をどんどん降りていくや、はっきりした狭い尾根道歩きとなり、やがて瓦屋禅寺と太郎坊宮への二股が現れる。

瓦屋禅寺は大きな時代を感じさせるしづかな古刹である。寺伝によると、聖徳太子が四天王寺建立の際の瓦をここで焼いた。その瓦を管理するためにできた寺だとか。建築資材倉庫みたいな建立秘話。

 もみじの大木に覆われているし、本堂は立派な茅葺きの大屋根である。こうした屋根の葺き替えはさぞかしモノいりであろうな、と俗人はひそかに嘆息を洩らす。たぶん、近隣周辺や資産家に奉加帳を回して、継承していくのだろう。「堤商店」なる寄進の石碑があった。コクドに連なる店名のように思えた。

 境内からドライブウエーを歩いて太郎坊宮に参る。人気のない舗装路を歩いて15分ばかり、自然に太郎坊宮前の大きな駐車場に進入していく。あとで看板をみると、多目的広場とあった。要するに観光バスのたまえの駐車場を創るための便法であろうと、ひねくれ者の当方は推察する。

何しろ下の鳥居からだと、約740段あるという長い石段。物見遊山の人にはなかなかつらいものであろう。駐車場からは石段道中を途中から石段上りに入る。

小さい男の子が大人の手を離れて、あぶなかしい足取りで降りてくる。これは、なかなかきつい上りである。山登るのも、石段上るのも上りは上りであるが、疲労度とか面白さは全然違う。何処が違うかというと、これを改めて表現するのは、なかなかむづかしい。

                          (藤田 健次郎)




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