関西山行レポート

奥島山=425m(02/6/12){JR近江八幡駅→近江バス→国民休暇村西館バス下車*長命寺}
   
梅雨の晴れ間の好天に琵琶湖畔の低山、奥島山に行った。別名、地元の字名にちなんで津田山という。山の達人、山城吉太郎さんが滋賀県の山のなかから選んだもので、御案内もお願いした。湖畔沿いの休暇村西館バス停から、バス道を少し後戻りすると、地球環境保全、記念の森といった大層な名前の小さな看板と、津田山を経て長命寺へ、の道標を見つけた。ここが山越えの登山口。                                      

ゆっくりした坂道に小さな白い花をつけたドクダミが多い。こんなに日当たりのいいところに、ドクダミの群生とは面白い。面白いといえば、杉の植林地帯で「精英樹」とお墨付きの看板がついた杉の木が2本あった。素人目には、どこがどう精英なのかわからない。子孫を残す貴重なエリートの木という意味らしい。しかし、表記は「精鋭」ではない。                      

ここで嬉しいことにもう旬を過ぎたと思っていたササユリが可憐な薄ピンクの花をつけて、道すがら十数本も咲いていた。盛りを過ぎた「ヒネユリ」もあるにはあったが、歩く方もかなりヒネている?ので、文句をいえた筋ではなかろうか。                                            
    

植林養生中のところでは切り開かれていて、巻いていく山道から琵琶湖の水面の眺めがいい。沖ノ島は眼下にある。水上バイクなのか、湖面からたえずエンジン音のようなうなりが聞こえてくる。これは騒音にすぎないが、それに馴れると、これは、とてもいい気持ちで歩けるハイキングコースであることに気づく。                                         
                              
うるさいほどの鳥の囀り、ホトトギスの鳴き声、つややかに照りのある大きな葉。山道は大きな電光型で昇ったところで、いったんクルマが通れるほどの林道に出た。寸断された林道を越えて、こんどは雑木林の中に道は入っていく。落ち葉が堆積した静かな道。一度、短いロープが付いた傾斜が現れたが、なんでこんなところ、という感じにすぎない。                 
                    
    
強いていえば、すこしばかり岩が多くなってきた。登っていくと、小広い巨岩の広場に出た。右手前方に琵琶湖。かすかに比良連峰のシルエットが拝めるけれど、あいにく霞んでいる。 視界明瞭であれば、素晴らしい景色が展開していることは容易に想像がつく。                        


再び雑木林に入ると、すぐに山頂に着いた。三等三角点がある。視界は雑木に阻まれてゼロ。西側の開けた湖岸側には電波反射板があり、そこからは展望が利くようだが、昼は天祖道本部という名の宗派が御神体にしているらしい岩の前の鳥居下で取った。祠があり、岩には御幣が絡んでいる。  


ほどよい汗をぬぐい、同行の女性から冷えた果物なと゛差し入れをもらって、のんびりとくつろぐ。山城さんは定番の豆系の食事を摂っている。活力の源泉である。こちらも節制して定番のアルコールを見送っている。       


このあとは雑木林を一気に下降する。むしろ、こちらの方が傾斜がきつく、かつ足元が悪いくらいだ。どんどん下っていたら、長命寺山という札が木の幹に掲げられていたので、往復する。山頂は薄暗い林の中にあって、訪れて見るも、何も面白きことはなかった。                       

やがて車道に飛び出した。長命寺への駐車場につながる参堂でもある。西国33番札所とあって、クルマでくる参拝客が多い。長い石段を最後の登りと心得て、国宝の本堂にたどりつく。御朱印帖を開く人たちと応対の寺務者たちのみ。静かな、いい風が吹いていた。ここの境内はアジサイが売りらしく、近々紫陽花祭があるとの予告看板があった。                      

絵馬に人生上の欲得、御利益を求める具体的な文面多く、煩悩のいまさらに多いことを納得する。当方、不信心なので、こういう寺社仏閣では、どのような顔をしておればいいのか、いまもって判然としない。            


下山は、長い石段を踏み踏み下りる。苔蒸して、かつ石積みも乱れ勝ち。クルマ道がついてからは、軽んじられていることが、よくわかる。信心も安直利便の道を選ぶとみえる。                      (藤田健次郎) 
            
 
岩橋山=658m(01/9/23・30){マイカー 南河内郡太子町二上山登山口*往復}                          

万葉の森公園をすぐに鹿谷寺跡方向へ登り、すこしだけ露出した岩場を越して植林帯から二上山雌岳山頂へ。 よく晴れていて奈良側の耳成山、畝傍山など大和三山が遠望できる。いったん周遊路まで降りて竹内峠へ。阪奈国境の鶯之関跡石碑を拝んでダイトレを歩く。右手の上池 の側から上がってくる道と合流して、葛城山方面へ小さなアップタ゜ウンを繰り返す。平石峠からは階段道を登る。この平石峠へ岩橋峠から南河内の高貴寺前の道を通って戻ってくるのが、この日の歩きの目的。長めに起伏のある道をしっかり歩いて足腰を鍛える。         

岩橋山は展望がきかない地味な山。ダイトレの通過点にすぎないかもしれない。岩橋峠から 下って二十分のロスタイム。林道を道迷い、袋小路でUータン。ようやくヒガンバナと豊かな緑の田園風景に和む。田舎の田畑風景の中で田中静江さんが運んできたブドウを食べ、憩う。平石峠から二上山の駐車場に戻り、ログハウスでコーヒーとリンゴのパイケーキを食べる。いける味でした。力餅一パック400円購う。                

ジャスト一週間後、再び平石から岩橋峠まで登り、葛城山まで往復した。事前の天気予報が悪天を予報していたせいか、事実晴れ間が期待できない空模様なのか、長い往復路で白人と歩く日本人の二人に出会っただけだった。この道はアップダウンが厳しく、しかも階段道が多くて歩きにくい。景色を眺められる所も少ない。楽しみというよりも、わが体力を値踏みしているような感じ。強風に杉林がゆらゆらと揺れて、擦れ合う幹がいやな音を立てて鳴り、不気味だった。例によって田中静江さん提供の果物も立ったまま食べた。下り道でとうとう雨につかまった。濡れた体を暖めるため嶽山温泉に寄った。(藤田健次郎)    



白髪岳=722m(98/9/13){JR福知山線古市駅*篠山口駅前}

快晴秋天。実りの稲田、曼珠沙華の群生、茅葺きの農家、脱穀機の音、茶畑。まだ懐かしい田舎の風景がアプローチと下山してから駅までの各一時間味わえる。銀鉱の廃跡から急な上り。やがてロープと鎖場がある露岩。これが尾根筋で、眼下の山合いの集落が見えだす。多紀アルプスは、虚空蔵山はどっちか。山頂は木陰がなくてこの日は暑かった。隣の松尾山(687m)は、逆に日陰の山頂だった。ついで松尾山文保寺に下り、人気のない境内でワインとコーヒーで充実の一服。同行者四人。「新鮮朝どり」の無人野菜販売ポイントが路傍にあった。オクラ、ニンジン、里イモ、タマネギ、いずれも一袋100円。名産の黒い枝豆は、収穫直前の実りであった。(藤田健次郎)         

交野三山=345m(98/9/6){JR学研線河内磐船駅*津田駅前}

生駒山系北端の低山歩き。まず雨乞伝説がある龍王山(321メートル)、ついで最高峰の旗振山(345メートル)、最後は交野山(344メートル。こうのと読む)。龍王山は、修験道の名残がある地蔵さんや鳥居がある道の果てに雑木の中にある頂。旗振山には三角点がある。交野山には観音岩とよばれる巨石が断崖にあり、ここから北河内が眼下に広がる。昼飯をここで済ませ、さらに欲ばって国見山(248メートル)、北山(240メートル)と足をのばす。小なりといえども山のピークを一日に五つも踏むのは、珍しい。小道が錯綜して、藪こぎしつつのルート探しが楽しい。公園、池、水流、萩の花が咲く林道、たわわな稲田。初秋の田園風景も心やわらいだ。(藤田健次郎)            

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武奈ヶ岳=1214m(98/8/23){JR湖西線比良駅→江若バス イン谷*リフト前}                            

バスを下りたら、やたら目につくのが青ガレ経由の金糞峠への道が「落石注意」、それだけでなく「ダケ道」への迂回を訴える地元遭難対策協の看板。かくして大山口からダケ道へ。木陰はいいのだが、風なく、延々と続くジクザグコースに音をあげる。神じの谷を見下ろすガレ場でほっと一息。山頂は、そよ風とススキが靡くいいところだったが、曇天で湖面や伊吹山などの展望はなし。帰途は、細川峠をへて湿原の中をイブルキのコバまで。これは静かないい散策路だった。秀逸は、比良駅前の飲み屋。地物の枝豆、完熟トマトがうまい。素朴なオバチャンの機嫌をうかがい、自家用のナスの漬け物まで出してもらって、都会の居酒屋とは違った雰囲気を楽しむ。(藤田健次郎)       

釈迦ガ岳=1799m(98/8/16){マイカー、上北山村前鬼林道車止め往復}                              

林道の向こうに見える不動七重滝は、すばらしい。豪快に水しぶきをあげて落下する。辺土にあるのが惜しい。もっと知られていい名滝だ。前鬼宿坊は、林間の広っぱにあるいい感じの小屋。かつて開けた修験道の行場の一つであったことを窺わせる石垣や石積みの道がしばらくあって、あとは登り一本調子。樹林帯はしんとして物音一つなく、風もそよがず汗まみれ。ガレ場二カ所。梯子階段は随所。奇怪な二つ石の造形に感心しながら、一服。「ここから大峰南奥駈道」の看板がある太古の辻は、そよ風の吹く明るい稜線。すく近くにバンビをつれた鹿が現れた。波打つササが美しい稜線歩き。車止めから山頂までほぼ四時間。山名通りの大きな釈迦立像が四囲を眺め渡している。大阪からの日帰り登山では限界点の山かな。(藤田健次郎)    

大天井ケ岳=1438m(98/8/7){マイカー、天川村洞川地区五番関トンネル西口往復}                       

五番関の女人結界門を目指して急登。吉野古道を大天井ケ岳へ。長年に堆積した吉野杉の落葉がコルクのように弾力的な山道となっており、実に快適。登り足りないほどの気分で、丸い山頂を踏む。三等三角点のほかに、たくさんの登頂記念札が目立つにぎやかな頂き。遠く北西に下市町の家並みが遠望できた。古道を吉野側に歩く。頑丈で長大なモノレールが谷へ延びている。資材搬送用のようだが、これほどの設備投資をするには、木材の搬出ではなくて、埋蔵金搬送ではないか。そんな冗談を同行者と交わす。百丁茶屋跡に「二蔵宿」と称するログハウス風の小屋あり。昼食にもってこいのオアシス。古道保存会の熱意に頭が下がる。帰途は、奥駆道を通り、五番関トンネル東側に下りて375メートルの暗いトンネルを歩く。(藤田健次郎)

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稲村ケ岳=1725m(98/7/30){マイカー、天川村洞川地区、大峰大橋往復}                           

女人結界門がある大峰大橋を渡らず、山上川沿いに林道を行く。やがて林道が途絶えたら、そこから深い樹林の中を渓流の水音を聞きながら、登る。湿気が強いせいか、木の幹、岩石、すべて苔蒸していて、視界は、濃緑一色。渓流の水、あくまで白く透明。大小のカエルの多いこと。踏みつけないように歩く始末。湿潤な日本の山の原型を見るような雰囲気。レンゲ辻まできつい上りだった。ここにも女人結界門。立て看板の霊山大峰山という文字の下に「私物でないぞ」との落書きあり。尾根伝いに山頂展望台へ。夫婦一組。父子一組がいたが、あいにく曇天のため展望きかず。残念でした。レンゲ辻に戻り大峰山頂へ。結界門を越えたとたん垂直の梯子の連続で山容がころりと変わる。                          (藤田健次郎)

荒地山=510m(98/7/20){阪急芦屋川駅*JR岡本駅}

高座の滝をみて、三十歩ほど来た道を戻って左手の細い道を上がる。あとは一本調子のきつい上り。やがて眼下に海と町が広がる。六甲ならではの都会的な展望がいい。荒地山頂上直下の岩梯子と、それに続く岩場は、痛快。阪神大震災で巨岩が傾いたり、登山路が変わったりしたそうだ。岩場の上で海を眺めて昼食。風吹岩から保久良神社に下りて、阪急岡本駅前の台湾料理店で反省会。午後からは晴れて、終わりよければ、すべてよし。(藤田健次郎)                       

一徳防山=540m(98/5/25){近鉄河内長野駅*南海バス中日野往復}

雨が降る中、植林帯の薄暗い山道を行く。落ち葉がふかふかのいい散歩道だ。扇畑谷乗越までは、二カ所で展望ができる切り開きがあるが、あいにくの曇り空。乗越からは小さなピークを三つ乗り越えるアップタ゜ウンの道。丸太を擬したプラスティックの階段が、次第にヤセ尾根になるが、気をつければ、それほど危険ではない。山頂は狭く、東側はガレ場。本来ならいい眺望に恵まれるはずなのだが。松の枝にたくさんの登頂記念の木札がぶら下がっている。この平凡な山が意外に人気がある証拠だろう。(藤田健次郎)

鷲峰山=681m( 98/5/17){京阪宇治線宇治駅→京阪バス維中前下車 * 同郵便前}

梅雨の晴れ間をついて茶畑が広がる田舎道を歩く。寒冷紗を覆っている方は、値の張る玉露とか。天敵の霜を防ぐために扇風機のような仕掛けがくるくる。大道神社を経てまもなく典型的なV字溝のコースを登る。前夜まで大雨波浪洪水警報が出ていたとは、信じられない薫風の青空、汗だくの登山。なのに車も通れる東海自然歩道に飛び出したのは、いささかガッカリ。西の大峰山と称する修験道の行場がある金胎寺の境内で一服。山頂には1300年(正安2年)の銘がある宝筐印塔がある。「空鉢の峰」ともいい、北斗星の拝地所というのが、なにやら神秘的。湯屋谷コースの下山地には「茶宗明神」。「永谷園」の「お茶づけのり」の創始者顕彰碑があった。「日本の食生活に新時代を画す偉業を達成」とある。なるほど、それぞれの業界に、それぞれの偉業があるのだと感心した。(藤田健次郎)  



雪の富士山=健康新聞社提供

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行者還岳=1546m( 97/11/30){吉野郡天川村川合 布引谷の赤い吊り橋往復}                          

八経・弥山に登る行者還トンネル西口より数百メートル手前の赤い吊り橋。なぜか名前がない。谷ぞいに歩く。雑木の枯れ木の中をゆっくりと静かに歩けて、いかにも晩秋の山の気配。山の名の由来と言われる箇所は、立派な丸太によるハシゴと階段が頑丈に組み立てられていて安心して行けた。小屋も荒れているものの、雨風を防ぐには十分の施設。「お志をどうぞ」という部屋への隙間をのぞいたら、千円札が落ちていた。感謝を忘れない登山者がいる。さすが大峰奥駈道の道中である。
帰途、谷で土を掘る青年がいた。聞けば、宝石が出るという。耳よりな話。なんでもガーネット(二月の誕生石、ザクロ石のこと)が採取できるといい、ビニール袋から採取済みのいくつかをみせてくれた。赤い色の原石であった。この付近でその種のものが産出することは、その筋では知られているとのこと。本場アルプスの水晶採取とか、糸魚川特産の翡翠とか、話にきいていたが、実物を見たのは初めて。山に入る楽しみは、つくづく広いもの(拾いもの)。なんて感心、感心。(藤田健次郎)       


岩湧山=897m( 01/10/29){岩湧寺駐車場往復}

こちらにも詳細があります)

  林道開発の実状をみてから最初のススキの季節となって登ってみた。温暖な秋のせいか,ススキは早くも花々が開き加減であった。山頂部のいわゆるキトラの群生地は見事に銀灰色の海となっていた。                                  

植林帯とキトラの間に開拓されたいわゆる防火道にも雑草が生え、地面の山土が自然になじんでいた。むき出しの開拓地という殺風景が和んでいた。もっとも、千石谷へ通じる新しい林道はほとんど使用された跡がなかった。思った通りである。      

年一度のキトラの刈り入れと搬送だけに使われるにしては、無茶な開発であるという気持ちには変わらなかった。かつての索道の野猿は、それを見込んだのか、風化にまかせていた。この貴重なキトラの存在と、文化財保存へ有効な活用がなされていること、そのことをもっと世間に知らせ、そのうえで多くのボランティアなどの協力を得て、キトラの刈り込み、搬送する作業を年中行事化して一大イベントにすることも可能であったのに、そのチヤンスを逃したといえるかもしれないと思った。富山での草刈り十字軍というイペントなどに思いを寄せなかったのだろうか。

可憐なキキヨウが山頂部への掛かりにあった。ススキの穂を分けて写真に取りました。   

( 01/5/20){滝畑ダム駐車場往復}

加入しているメーリングリストによると、この山の林道開発が環境破壊の惨状にあるとのことで、一年ぶりに登る。西峰と東峰が山頂部にあるが、その二つを鉢巻き状に 新設された作業道があった。幅員三メートルほどだ。さらに東峰山頂とりつき付近のダイヤモンドトレール合流地点まで、林道が新設されていた。合流地点では、丸太を組み合わされた門扉があった。門扉のある地点に立って、山頂部を見上げると、そこはむき出しの山肌で、痛々しい爪痕のようだ。       

起点は千石谷林道の終点からで、ここから五つ辻までは、従来、登山難路コース(昭文社、金剛山・岩湧山)だったのに、トラック一台が悠々と走行できる 道に拡幅されていた。五つ辻からダイトレ合流点までは、まったくの新設道である。トラックの離合がラクにできる幅員のところもあり、一部では側壁強化もなされており、もう道路新設工事としては、完成状態であった。    

ほぼ一年まえ、南葛城山からの途中、この山の山頂部を越えて、滝畑ダム側に下りたが、そのときは、全然気づかなかった。林道開発の趣旨は、山頂部周辺の特産のカヤの保全、搬出、伐採材木の搬出に伴う作業路であろうと推察するが、 もう少しなんとかならなかったのか、と愕然とする。いまどき、自然環境の破壊を公然と行う林道開発が行われるとは、信じられないが、ひょっとすると、そのようなことは単なるお題目にすぎないことなのかと目を疑う。                           

しかし、これほどの大工事は原状復帰はむずかしい。せめて植生に配慮するとともに開発の趣旨から逸脱した利用、たとえば、観光ドライブウエー化などに転換されないことを望むばかりである。それにしても山は国民の共有財産などときれい事を 言っても、情緒的な意味あいしかなく、地権者や利害関係者の思惑のままに自然が壊されるという、システムをなんとかできないものなのか。(藤田 健次郎)                      

( 97/11/19){南海高野線紀見峠駅*南海バス神納}

駅裏から山麓の狭いたんぼ道の農家の軒先には、たくさんの吊し柿。柿の木に残る赤い実。なにやら日本の原風景のようだ。きつい坂道を登ると、ダイトレに合流。あとは道なりに山頂へ。ススキが柔らかな絹の布のように揺れて実に美しい。のんびりと憩っていたら、十二本爪のアイゼンをつけた重装備の一行数人が現れた。こんなところで冬山訓練をしているとは知らなかった。「毒蛇注意」の看板が恐ろしい急坂を下って岩湧寺へ。室町期の作と伝えられる多宝塔と紅葉、黄葉がとけ合って、なかなかのいい雰囲気であった。(藤田健次郎)           

白髭岳=1378m( 97/11/11){吉野郡川上村神之谷在所往復}                                   

元日本山岳会会長で、棲み分け理論で知られる今西錦司さんの「1500回目登山記念」の山。山頂にお弟子さんらが記念碑を建てたというニュースを聞いたので、それを見に行く。山奥の集落の裏山から取り付くが、意外にも急登。靴ひもを締め直した。心引き締めて登らないと、この山は意外に手強いのだ。アップダウンを繰り返しながら、何度も急坂が現れる。神之谷分岐前では急斜面を生木の幹に取りすがってよじ登る始末。二度、頂上かと思わせる高みを越えて、最後は短いロープのお世話になって、山頂へ。                             


「一山一峯に偏せず 一党一派に偏せず 錦司著」とある大理石の記念碑を眺め入った。幸せな御仁だなあ。そう言いながら、ビールを忘れてきたことに気づき、同行の坪井武司君のビールを半分横取りしてしまった。申し訳ないことでした。(藤田健次郎)                                    

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葛城山=860m( 97/11/2){近鉄御所駅往復}

この山は何度も歩いているが、葛城山ロープウエー駅そばから登るもっともポピュラーな道は初めて。「頭上注意」「登山路狭し」「落石のおそれあり」。いろんな注意札があるのは、それだけ登山者が多いということか。「くじらの滝」「行者の滝」。名前ほどには迫力のない水量。雑木と植林帯をぬけて T時間半でロープウエー山上駅近くに出た。山頂は、三連休の中日とあって人出あふれていた。                        


下山は自然研究路の吊り橋のあるところから不動寺の裏手にでる急坂の道を取る。花崗岩が深くえぐれてV字溝やU字カットの狭い道が続く。驚くほどドングリが多い。山靴で踏むのが、もったいないほど。雑木の陰をリスが二匹もつれるように走った。いきなりすごい騒音が足下から飛び立ち、のけぞった。キジが低く飛翔したのだ。(藤田健次郎)                 

大普賢岳=1779m( 97/10/12){マイカー.和佐又ヒュッテ往復}                                    

かつて林道工事中のため、泣く泣く折り返した山。今回は昔の分教場を偲ばせるようなヒユッテまで無事乗り入れられた。尾根筋で周回コースの左回りに乗る。アップダウンもなく、紅葉の散策路のよう。やがて修験道の道らしく険しくなり、また行者の行場が現れる。「指弾の窟」「朝日の窟」「笙の窟」といった具合。「行中無言 写真撮影をご遠慮下さい」の立て札があり、テント一張がポツンと。中に行者がいるのかどうか、しんとして分からず。「日本ガ岳」の手前から鎖場が登場。あとは大小十数本のはしごラッシュ。こんなにはしごが多い山道は珍しい。なんども口笛をふくような鹿の鳴き声を耳にした。奥山らしい雰囲気。


山頂にいた新宮からの登山グループ男女十数人が、年輩者の指導で、一斉に詩吟をうなったのには、驚いた。我々一行にも詩句を書いた紙片をくれた。「山に登るは、恰も書生の業に似たり 一歩歩高こうして光景開く」などとあった。折からの強い風の中で、一行は放歌高吟のアンコールをして立ち去った。去り際に一人の男性が笑いながら「山行日誌に妙な連中と山であったと書いて置いて下さい」と言った。もちろん。彼らが去ると、一段と強風になり我々も後を追うように元来た道を引き返した。(藤田健次郎)                            

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