於茂登岳   (526m・沖縄県・石垣島)

 

ブーゲンビリアの赤い花、パイナップルやサトウキビ畑。登山口に向かう沿道の風景は亜熱帯の風と香りに包まれる。本土の景色と明らかに違うどこかアジアの異国の風情が濃厚だ。沖縄県の最高峰、於茂登岳は列島最南端の八重山諸島の石垣島にある。                    

 島全体が一つの石垣市となっているが、市の中心部をレンタカ−で5,6分も走ると、市域は一転して田園地帯に変わる。タテガミの長い小さな馬が草を食んでいる。街路樹の木は、なんというのか本土では見かけないような凸凹の幹をした樹形。ときどき漂ってくる牛舎から蒸せたような匂い。サトウキビ畑には、前夜からの雨であったにもかかわらず、散水塔がクルクル回って散水している。黒い牛がたくさん飼育されている牧場。石垣牛といって評判がいい肉牛だ。ときどき、風の匂いに牧場の匂いが混ざっている。              

 赤や黄色のハイビスカス、大きなサトイモの葉。近所の園芸店で観葉植物の名で売られている植物が、道端に繁茂している。ポトスが数メートルも伸びていて驚かされる。県道87号は上下2車線。この道を空模様に一喜一憂して滞在中に山の写真を撮るため、なんどか往復したが、ほとんど混雑ということがない。渋滞もない。前後数百メートルに一台の車もない、そんなのどかな閑散が平日の日中にある。                                                                            

 浄水場、ライスセンターくらいが、沿道で目立つ大きな施設、建物。前方やずっと前方の進行方向右手に低い山が見えている。県道は開南で分岐するが、右手を取る。道標ははっきりしている。やがて「大本小学校」の校舎の前を通る。

 あとで調べた石垣市の市史編集室の記録によると、於茂登岳は、沖縄方言(方音)で「うむとう」。「うむとう」とは本来、島の大本という意味があるという。それで、山の表記も諸文献では、思度、宇武登、宇本、於本など、いろいろと当て字があったらしい。しかし,
江戸時代中期の朱子
学者、『折りたく柴の記』で知られる新井白石の『南島志』(1719年)に「石垣島ニ於茂登嶽アリ」とあって、このころから表記が定着したようだと記述している。

 雨合羽を頭からかぶったサトウキビ畑で刈り入れをしていた男性の話では、大本小は初め川原小の分校だった。 この地に昭和33年ごろ開拓民が入植したとき,その分校ができた。やがて独立するとき、於茂登にちなんで、大本にしたのだという。この男性に「於茂登岳に登ったことがありますか」と尋ねたら、「いや、登ったことがない」と言われた。市役所で職員と話したときも「地元の人は暑いから登らないし、日焼けするから海にも行かない」といって笑っていた。まあ、そういうものかも知れない。

 寄り道したので、元に戻す。大本小学校を過ぎると、電柱の上のほうに「於茂登岳登山口」の道標がある。そこで87号を外れて、ヤシの茂みがある狭い道へ左折するが、数メートル先で二つに道が分かれるが、なにも表示がない。こういう肝心の分岐に道案内がないのが、一番に困る。ここは右手の道をとる。

 言い忘れたが、この日は曇天。日差しはない。風もあまりない。視界はよくないし、山の先端部分は常に雲がたなびいていて、山全体が見えていいない。前夜は雨がしっかり降っていたから、道端の草は濡れている。

 レンタカーを舗装された道なりに進める。一本道。小屋のような家がある。古自動車が犬小屋になっているのか、車の窓から、やたらに柴犬がほえる。ヤシの木が大きな葉を広げている。右側はサトウキビ畑が続く。バナナも実をつけていた。ところどころ刈りとられて、裸地になってる。まだ搬送を待っているのか、積み上げられている場所もある。暮れから4月くらいまでがサトウキビ畑の収穫期と知った。

 前方の道端に腰くらいの位置に「於茂登岳登山口 山水会」の看板。矢印も付いている。ほっと一安心。さらに進むと、同じ表示がまた出てくる。三つ目が最後で、ここからは地道の山中へ入らなければならない。約300メートル、左が山側、右側が谷の林道のような、しかし、けっこう凸凹の多い道をゆっくりと進めると、車が数台駐車できそうな広場に出た。ここで行き詰まり。

 朝がまだ早かったので、ほかに車がない。この島での足はレンタカーしかない。よそから登山にくるには町でレンタカーを借りるしかないだろう。車から降りて、周囲を見渡すと、石垣市による{登山案内図}看板があるが、よほど以前のものと見えて文字は風化して判読不明である。離島やさんご礁の海を宣伝するのに熱心は観光行政当局も、山にはあまり関心がないらしい。

 看板の左側から谷に降りる。狭いせせらぎを越すと、コンクリが経年劣化で色が茶色になり、あちこちで形が崩れた小道がある。草が覆うところもあるが、ぬれて光る山道があるのは、思ったとおりである。事前の調べで、この山に登った人物の記録をネットで読んでいたが、山頂に大規模の施設があると書いてある。

 つまり、石垣島地方気象台の観測所のドーム、それから沖縄県防衛施設周辺漁業用無線通信施設塔(平成14年度)が二基建設されているからだ。こうした施設を作るために大勢の作業員が長期間にわたり上り下りしたり、資材の搬送をしたに違いない。その結果、踏み跡のしっかりした山道ができる。                                                           

 密生した樹林、まさにジャングルだ。右側の草むらのほうから、水音が撥ねるような音が絶え間なく聞こえる。これも人工による音である事がわかった。この山は低地のさんご礁からなる島のあっては、水がめの役割をしているのだ。生活用水や灌漑用水の水源なのだ。さきほどの市史編集室の記録によると、この山は八重山諸島のなかで神が棲み給うーー神の御嶽で、厚い信仰の中心であるという。 水の撥ねる音は、上部の方からの導水管にひずみか、緩みが起きていて、耐え切れない水量が間歇的に噴出しているのだろうと推察された。                              

 山道はゆるやかなスロープでジャングルのなかを曲がりくねって上っていく。ほんの数分で道脇に石碑。「大御嶽ぬ清水」とある。この「ぬ」という送り仮名は、別のところでもみたが、どういうものか分からないが、石碑そのもは、昭和33年に入植した開拓民が水源に感謝して建立したと裏面に刻んだある。小さな地蔵さんのようなものもあり、その前に汚れた小銭が転がっていた。                                                       

 前夜の雨で樹林が一層濃い緑になっている。見慣れぬ巨木の幹が登山道に張り出している。右側にあった沢が左に移っている。丸太橋がかかっている。古木の渡し木がぬめってすべりやすいので、橋を渡らず、沢石伝いに渡る。また上りにかかるが、ここに「滝がある」との看板。少し沢側に降りていくと、水音が高くなり、前方に高さ数メートルの小滝があった。鉄分を含む滑岩にけっこう豊かな水量が流れ落ちていた。

 元の登山道に戻る。地元の山岳会と思われる「山水会」による、よく目立つ道案内の表示板が、木の幹にうちつけてある。山水会さまさまである。「ここが最後の水場」とか「頂上まで約40分、現在標高250メートル」とか上の方に行くと、「あと約10分、現在標高450メートル」、あるいは「ここから急坂、スリップ注意」などと誠に丁寧に案内してくれているので、これをたどって行けば、道に迷うことはないだろう。

 最初の急坂は約100メートルほど続く。狭い岩場の急傾斜にちがいないが、電力会社の鉄塔巡察路によく使われている硬質ゴムが階段状に足場が刻まれているので、安心だ。滑りやすいけれど慎重に登れば問題ない。むしろ下りのスリップを気をつけなければならない。次の急坂は、わずか30メートルほど。どういうわけか滑りやすい土質なので、雑木林の傾斜には木の幹をつないで、ロープが張ってある。このロープでバランスをとれば、なんということもない傾斜である。                                                                              

 ここを抜けたら、もうしんどい所はない。フラットな登山道にも硬質ゴムのすべり止めがところどころにある。プラスチック製のドラムカン?が谷側にある。これらがなにを意味するのか分からない。頭上をかぶさっていた樹林はこころもち少なくなり、曇り空が広がっている。i依然、空模様はよくない。この分だと山頂からの展望が望めないかも。

 ウラジロのような羊歯の葉が繁茂している。やがて正面の木の幹に道案内の表示。右はダム展望。左は頂上だ。すぐに芝生の斜面があり、金網に囲まれた先に前述のドームが建っている。丸い屋根の白いドームで、そうとう大きなものである。山麓からや、バナン公園の展望台や渡り鳥観察所から遠望できるはずである。ドームを見上げたあと、草むらの細い道を抜けると、三段の小さなハシゴがあって、その上の台地が、目指す山頂であった。                                                                                          

 ハシゴを上がりきるや、目の前に「沖縄県一の高い山、於茂登岳 526m お疲れさんでした」と書かれた黄色い看板が立っていた。その背後はドームよりもまだ高い漁業用無線塔がそびえている。平成14年度とあるから、近年の建造物である。ここも金網で包囲されていて、中に入れない。周りを回ってみるが、特に何もない。背丈を越すササが生えているだけである。右手のかなり先に、もう一本の無線塔が建っている。                      

 ここの無線塔は、さきほどのダム展望への道から接近できる。行ってみた。やはり金網がある。左手の金網に沿ってあるくと、なだらかな斜面があり、晴天ならば、眼下のダムや、川平湾を中心にしたエメラルド・グリーンのさんご礁の海が見えたはずである。本土の海ではとうてい見なれない素晴らしい海が見えんかったのが、残念であった。吹きさらしのここは、風が強く寒い。はるかな南国の山に来て、山頂が肌寒いとは皮肉なことであるが、山は高度に関係なく、意外なことがよくあるので、やむえない。しばらく立ち尽くして、登頂の喜びに浸った。

 下山途中に登ってくる三組の登山者に出会った。合計5人の男性たちはいずれも東京からだと話していた。離島の温泉を楽しみにやって来たついでに登るという男性もいた。「やはり登りにきているんだな」とこちらを見て笑った。そこには、はるばると酔狂なことだな、お互いさまに、、といった韜晦の表情がこめられいた。まったく、そうだな。