私のおすすめ U



                @@@「四度目のエベレスト」
                      (
村口徳行 小学館文庫)

 こういうすごいカメラマンがいたとは知らなかった。主にテレビ局のドキュメント撮影、記録映画撮影のために同行して被写体を追っているうち、これまで四回もエベレストの山頂を踏んでしまったカメラマンご本人の記録。写す対象が上に行ってしまったので、撮れませんではプロの名折れという職業的自負や誇りが、この人の原動力。三度登った加藤保雄さんの名前は存知ていた。あのころは凄まじいアルピニズム精神が覇を競っていたころで、加藤さんはヒーローであった。村口さんは、天職の写真撮影をいいものしたい、それだけを念じて淡々と登っている。

 高所の絶壁と過酷な気象条件のなか、重い撮影機材を担いで「転落すればおしまい」の足場を定めて、被写体が訴える環境を的確に写し取り、見るものに感動をもたらす。そんないいものにこだわる村口さん。「あとがき」で、「うまく言えないのだが、(中略)ぼくのクライミングは,純粋なクライマーとは、どうしても位相がすこし異なっている」そうだ。とにかく、こういう人物に国民栄誉賞をあげたい。

   
                 @@@「それぞれのエベレスト」
              (
和田豊司・河野吏・川田哲二・今成征三 オデッセイ2001出版部)

 著者の四人は同志社大山岳部の先輩後輩。それぞれの社会人生活を幾星霜。還暦前後の定年期を迎えて、鬱勃と起きたのが、かの世界最高峰、エベレストに登頂したいという夢の実現。より高く、より困難を追及していたころの元山岳部員は、この「一点突破」のために各地から再結集。いかなる顛末になるか、言ってみれば、これは一種の青春物語である。中高年エンパワーメント物語ともいえる。

 繰上げ退職する者、資金繰りを苦吟する者、家族の了解を取り付ける気苦労など四人四様の心の準備、意気込みから遠征計画を綴っていて興味深い。国家の威信や職域や団体の名誉とは無関係になった仲間うちの登山のせいか、まことに飾り気なく、率直に胸のうちを吐露しているのが特色。パイオニア登山を目指した人たちのエベレストへの熱い思いが面白く胸を打つ。

 そうした記述の結果から、著者たちが予想されていない読まれ方かもしれないが、いまどきエベレストの登るには、どのくらいの費用を用意すればいいのか、どのようなエージェントがあり、どんなふうな人的、物的な支援体制をビジネスとしてやって呉れるのか、エベレストツアー登山事情がとてもよく分かる。しばしば、あたかも独力で登ったかのように支援チームのことにあまり触れない登頂記録があるなかで貴重である。

 しかし、あえて言えば、肝心のルート工作から登頂戦略・撤退の主体的な判断まで、現地の請負専門家にお任せとなると、、これは一体、高所登山といえるのかどうか? 

 それとともに地球上からパイオニア登山を果たせる舞台がなくなっている一方、すべてがビジネスに還元されている現状をいまさらながら認識させられる。

 

    @@@「そして謎は残った 伝説の登山家マロリー発見記 
            (
ヨッヘン・ヘルブム他著 海津正彦ら訳 文芸春秋社)

 世界のてっぺん、エベレストにまつわる話題や登頂記はいっぱいあるけど、最高で普遍の話題は、マロリー伝説である。

 1924年6月8日、英国の登山隊員、J・マロリーは同僚、アービィンとともに未踏の山頂を目指したまま帰還しなかった。マロリーたちは登頂に成功したのか、しなかったのか。登頂したが、下山途中に遭難したのか。もしそうであったら、1957年のヒラリーとテンジンの初登頂とされている歴史は書き換えられなければならない。

 1999年5月1日、アメリカの遠征調査隊は、エベレスト北面の8160mの斜面で、マロリーの遺体を発見した。じつに75年ぶりである。遺体は寒冷乾燥した大気にさらされて白骨化、一部白蝋化して、うつ伏せになっていた。ハンカチ、靴紐、手
紙、手袋、ブイヨンの缶詰、いろいろな多くの遺品もみつかった。

 最大の捜索目的である、マロリーが所持していたはずのコダック・ベストのカメラはついに見つからなかった。もしカメラが見つかれば、いまも技術的に現像可能とされており、そこにもしや登頂の写真があるのではないか。登頂の成否を侃侃諤諤する論議にピリオドを打つのではないか。

 その関心は持ち越されてしまった。しかし、アメリカ隊の遺体捜索遠征隊の記録はとても興味ふかく一気に読ませる。
@@@「63才のエベレスト 」(渡辺 玉枝著  白水社)

 たまたまこの本を読んでいる最中に、相次いで二本の外電が日本女性の登山記事を伝えた。一つは著者自身が世界第4位のローツェに登頂した。それも,この山にして女性最高齢という。もう一つは63才の広島県の女医で、エベレストに登頂したあと、下山途中で遭難死したという。渡辺さんに次ぐ年齢で、日本女性としたら6人目だと伝えている。                              
                          
 田部井淳子さんや今井通子さんら先駆者を別にすれば、ふつうの女性が8000メートルの高峰を特別なことではなく、自然体で登るようになった走りが渡辺さんであろう。淡々と若いころからの山歴を記している。しかし、よくあるおばさん登山者ではなくて、山への取り組み、情熱はすごい。最初の海外登山、マッキンリー南壁登頂の話からして、異様な体験談である。                                             

 それにしても8000m巡りをめざしているような、最近の渡辺さんは、危ないな。このまま進むと、生き急ぐかもしれない。                                                             
@@@「生と死のミニャ・コンガ 」(阿部 幹雄著  山と渓谷社)

1982年、北海道山岳連盟隊は日本人としては未踏の中国のミニャ。コンガ峰を目指す。第一次登山隊は、頂上直下まで迫った。そこで痛恨のアクシデントが起きた。先頭の1人が滑落、した。続いてザイルに結ばれていた7人がイモヅル式につながったまま墜落した。筆者は、たまたまユマールを取り出すのに手間取り、離れていたため唯一、助かった。事故の目撃者が15年後に氷河から浮上した1遺体を荼毘にふし、慰霊のレリーフを現地近くで執り行うまでの話が綴られている。1人生き残った者の苦痛と悲しみ、心をえぐる葛藤、実にさまざまな大量遭難にまつわるその後の人生物語が異色。登山隊結成したときから筆者の胸にわいた「なにかありそうなイヤな予感」が次々と現実となっていく有様がすごいし、筆者の長期にわたる悔恨と鎮魂、そして誠実な対応に打たれる
@@@「エリック・シプトン 山岳冒険家 波乱の生涯」(ピーター・スティール著 倉知 敬訳 山と渓谷社)

4度もエベレスト征服への下見に行き、かつ当時もっとも実績をあげていた登山家、シプトンがなぜ本番の1953年のエベレスト登山隊隊長の座からはずされたか。これがこの本の一番おもしろいところ。1938年(まだ評者生まれていない)頃からすでにエベレスト登山はシプトンによれば、一週間踊り続けるダンスショーと同じような見せ物化していたと指摘。最高峰の登頂が国際的競争下にあり、大英帝国の責任と英連邦の威信を賭けた戦いになっていた。こんなバカ騒ぎにシプトンはクールであったようだ。それが名誉と伝統にこだわるヒマラヤ委員会の老人たちに嫌われたらしい。と言う話であれば、現代に通じる悲劇。それにしても珍しい長尺物で読むのに相当根気がいった。

@@@「ナンガ・パルバート単独行」(ラインホルト・メスナー著 横川 文雄訳  山と渓谷社)

1978年、メスナーはすでに弟と一度登ったことがあるナンガを完全ソロで登ることを計画、実際にやり遂げた。ヒマラヤ登山史上、画期的な壮挙に至る精神と行動の記録である。 この快挙の三ヶ月前にはエベレストを友人と無酸素で登っている。完全ソロとは、無酸素、ガイドレス(山仲間との共同行動をも拒む)、技術的な補助手段を利用しないやり方である。 60キロ強の体重に15キロ以内のザックを担ぎ、6日間の速攻で登っている。この本のなかでメスナー自身の登山者としての内面を細かく描写している。「危険いっぱい のことはやらないが、不確実でも可能性があればやる」などいう表現は、一般の人にとっては「危険いっぱい」と変わらないのだが、メスナーには違うことのようだ。こうしたことの説明がもう一つ 少ないので、難解なところもある本だが、天候と壁の状況を直感的に読み、行動に移して行くプロセスは読みごたえがある。                        

@@@「残された山靴」(佐瀬 稔著  山と渓谷社)

植村直己、長谷川恒男、森田勝、山田昇、小西政継...。極限の山をめざして 山に逝った登山家の横顔と軌跡をまとめている。ガンで亡くなった著者の遺作でもある。スポーツ・アルピニズムは底なしの冒険を人間に要求する非情の思潮。より高く、より困難 を追求してやまない。植村の妻、公子さんの述懐。「かわいそうな人です。どこまでも終わりがないのです」。長谷川の生前の述懐。「山が好きだから山では死にたくない」。小西の著作から。「体力も気力も半減した 中高年になってしまったが、胸に宿るヒマラヤへの思いつきない」。かくして、みんな死んでしまった。死と紙一重の世界に人間を駆り立てる情熱や憧憬というものは、一体なんだろうか。先鋭な登山の不可思議な 世界を読ませてくれる。

@@@「マロリーは二度死んだ」(ラインホルト・メスナー著 黒沢孝夫訳 山と渓谷社)

1924年、エベレスト頂上をめざして消えたマロリーの遺体が74年ぶりの1998年6月に発見されてから、各種の本が出版された。マロリーは登頂したのか。敗退したのか。その謎を超人、メスナーが推測、 結論を下している。遺体発見の場所、第二ステップの地形と当時の装備(とくにビョウを打った山靴)、以前に発見されたピッケルの場所 から、マロリーは登頂できなかった。しかし、マロリーの果敢な挑戦は登山史に輝く偉大な行為である。そして一日に50人もが頂上に立ち(93/5/5)、はや1000人もの登頂者が現れるようになったエベレストの登山は、 疑似冒険旅行に堕したと言い切っている。エベレスト挑戦は近代文明の進歩や優位性の証明と精神力、苦難に打ち克つ能力という人間の問題であったが、いまや見せ物になってしまったとも言っている。しかし、「いまでもシェルバが いなかったら、エベレストに登るのは不可能に近いであろう」と文明人ではない途上国の人たちの力を高く評価している。メスナーは敗退説を取りながらも、エベレストに人類の夢がなくなったいま、エベレストにかかわる唯一の謎は、 それが実証不可能な問題なだけに「エベレストの初登頂者は誰か」というは論議が残ることには変わりない。

@@@「処女峰アンナプルナ」(モーリス・エルゾーグ著 近藤等訳 白水社)

人類が最初に到達した8000メートル峰、それがアンナプルナ(8078M)。登頂したのは、隊長エルソ゜ーグと隊員ラショナル。かつて読んだ本を再読した。いまや 、この本は純然たるドキュメント、登山レポートではなくて、小説的脚色があるものとされているが、そうであっても、やはり興味深い。ダヴラギリかアンナプルナか、偵察してからどちららかを 登ろうというような弾力的運用に感心する。なにがなんでも机上の構想で、目標貫徹などいうバカなことしないだけでも、 余裕がある。そんなゆとりが登頂成功に導いたのかもしれない。登頂そのものよりも、凍傷、雪盲による痛手を受けての命がけの撤収がすさまじい。アンナプルナに登ったとて、なんの報酬もないが、残りの人生の宝になるだろうと結んでいる言葉が 登山の真骨頂であろう。ただ、頂上では特別に小さな国旗をピッケルに結わえて国威を宣揚している。こうして8000メートル級の高所登山が国威や組織の威信や名誉を賭けたゆがんだ遊びに なっていく走りであったことが理解される。

@@@「われわれはなぜ山が好きか」(安川 茂雄著 小学館文庫)

副題に「ドキュメント日本アルプス登山70年史」とあるように近代スポーツとして輸入された登山の趣味が、どのようなプロセスで今日にいたっているか。概観するのにふさわしい内容。外国人と博物趣味のエリートたちの交流、日本山岳会設立への動き、山案内人がいないこと、用具の輸入に伴う近代化、冬山と岩登りに目覚めてからの登頂主義へ偏重する過程、初期の遭難のかたち、など面白く丹念に書かれている。1976年刊「増補 近代日本登山史」の改題版。

@@@「エベレストよりも高い山 登山をめぐる12の話(ジョン・クラカワー著 森雄二訳 朝日文庫)

著者は難波康子さんが死んだときのエベレスト大量遭難に出くわした体験ルポ「空へ」の人。12の小品はいずれも「空へ」以前の雑誌掲載記事。タイトルになっている「エベレストより高い山」を求めて人間の果敢な、というか、愚かというか、悲喜劇の物語が面白い。世界最高峰の称号が一時、中国のアムネマチン山(6282M)になる前には、南米アンデス山脈のチンボラソ(6310M)、それからダウラギリ(8188Mと計算され、のち8167Mに修正)そしてカンチェンジュンガ(8586M)と転々としたというのは、初めて知る話。測量術という科学が、人間の夢と妄想の世界を遮断してしまった。

@@@「残照のヤルン・カン」(上田 豊著 岩波新書)

1973年、京大学士山岳会による同名の遠征登山隊の記録。筆者は第一次登頂隊員で、初登頂に成功するが、下山途中、パートナーの先輩が遭難死する。8000メートルの高みから、酸素切れのまま下降する場面が悲しくも迫真的。筆者は当時すでに「壮絶果敢な登山の時代ではなく、コンプリートに楽しい登山でなくてはならない」と考えていたが、楽しい登山にはならなかった。計画から、資金集め、資材輸送や400人から500人に上るポーターによる荷揚げ作戦など、古き良き?ヒマラヤ大遠征時代を知ることができる。感じやすい心の襞が克明に記されて読ませる。

@@@「日本の山を殺すな!」(石川徹也著 宝島社新書)

現代の山は受難の山て゜ある。登山者の激増によるトイレ事情と大腸菌汚染、高山植物の盗掘、観光開発プロジエクトによる景観の変化と衰退、砂防ダム工事に伴う河川の死滅、世界自然遺産指定後の白神山地と屋久島のてんやわんや。以上、この本の目次に沿って挙げられている問題を筆者は足でルポしている。登山者や利害関係者に自律心がなく、さりとて、縦割り役所には、守備範囲にしかフットワークがないとなれば、山の自然を守るためには、どうすればいいのか。結局、関係部署を横断する一元的な行政の規制(保護といいかえてもいいが)が必要ではないか、と思って仕舞うところが、泣き所だ。個人的に思うことだが、たとえば、「立山入山制限、一日300人」といった強権的規制がないと、もう山は救われないだろう。                    

@@@「中高年のための登山医学」(大森薫雄著 東京書籍)

エベレストのサウスコルまで登ったことがある、自身も登山家であるスポーツ医学の第一人者による「登山のススメ」。高血圧、糖尿病、心臓病などの疾患をかかえていても、適切なメディカルチェックと本人の努力があれば、それなりの登山は可能、という元気が出る本。但し、病気がなくても二十歳の男性を一〇〇とすれば、六十歳は最大酸素摂取量で50%、腕立て伏せ40%、脚筋力50%、垂直飛び60%に低下している事実を受け入れなければならない。もう一つ、ベテラン登山家がつまるところ高山で遭難死するのは、体力や気象条件よりも、たび重なる高度障害が脳細胞にダメージを与えており、判断力や認識力が衰えているのではないか、と指摘しているのが興味深い。

@@@「自然にあそぶ心」(岡村治信著 原書房)

元裁判官、元私大教授。少年時代に今でいうアルプス銀座を縦走したのを機に山好きに。それ以来の山についての考察、感慨のエッセイをまとめたもの。副題に「山歩きと豊かな人生」とあるように静観的登山者の立場から自然とのかかわりあいに優れた知見を披露して、読みでがある。ノーマン・コリーの「登山は単なる身体的運動ではなく、その一部は思索であり、瞑想の境地でなければならない」とか、論語の「知者は水を楽しみ、仁者は山を楽しむ」などの考察からも、著者の山への姿勢がうかがえる。達意のきれのいい文章がいい。

@@「なぜ山に登るのか」(鷲 晴夫著  文芸社)

単独行を好み、哲学的考察をよくし、博覧強記の著者の登山人生観オンパレード。タイトルの重い課題にいろいろの角度から迫っていて、面白い。山の「遭難」では、登山者のそれではなくて、押し掛ける登山者の数に比例して山の自然が壊されているという視点で△林道や車道、湿原の桟道開発△山小屋の増加△スキーゲレンデとそれに伴う駐車場や山荘の建設を挙げている。また、スタンダールの「恋愛論」の四分類になぞらえて、登山のスタイルを情熱登山=純粋な登山、精神や魂の働きを巻き込んだ登山△肉体登山=健康のための登山で自然は一種の体育館△趣味登山=社交のひとつ△虚栄登山=他人と競争したり記録のみの拡大登山などと言っているのが興味深い。

@@@「ソロ 単独登攀者」(丸山 直樹著  山と渓谷社)

ヒマラヤ最後の課題といわれるマカルー 西壁に96年、挑戦して敗退したものの、高所の単独登攀者としては 世界最強の一人、山野井泰史の、なぜ山に登るかの話。伝記ふうに足跡を追い、今後の挑戦を展望している。 ほとんど死と直結したクライミングを何に駆り立てられて挑み、何がおもしろいのか、あつっぽい筆致でかかれている割には、よく分からない。 常人にはよく分からないところが、ソロたるゆえんか、といった感じ。人は奇怪になことに生死を賭けた 情熱を託すものだという感慨が陥るのが、読ませどころか。

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