私のおすすめ T





@@@『テンジン  エベレスト登頂とシェルパ英雄伝
(ジュデイ/タシ・テンジン共著 丸田浩,広川弓子訳  晶文社) 

いうまでもなく、1953年5月29日、世界最高峰で前人未到だったエベレストに初登頂したテンジン・ノルゲイの物語。筆者のタシは、ノルゲイの孫で、彼自身も二度目の挑戦で登頂を果たしている。分厚い本なので、途中でくたびれるが、面白いのは、あの時、ヒラリーとテンジンはどっちが先に頂についたのか。一歩か、二歩の違いに関わる、世俗のこだわり。二人を悩ました問題に答えを書いていること。

 二つ目は、テンジンが山頂で掲げた旗は四種類。上から国連旗、ユニオン・ジャック(英国旗)、ネパール国旗、インド国旗.この後に国威発揚ゲームにつながる国旗掲揚は実は随分あちこちに配慮したものであった。ヒラリーが撮影した写真があるが、テンジンが撮影したヒラリーの写真はない。

 今ひとつは、登頂が成功した暁にベースキャンプにいる主力隊への連絡方法。サウスコル寄りの斜面に寝袋二つを持ち出し、雪面に一つなら失敗、二つを平行に並べたら、南峰到達、T字型にしたら本峰成功として、隊員が十分ほどT字型に寝袋を抑えたという。ところが、あいにくのガスで視界不良、吉報はこの手では届かなかった。

 エベレスト。たかが山なれど、最初の人、テンジン・ノルゲイのその後の人生の転変、テンジン一家を始めシェルパ族の歴史的な境遇の変化について相当なページをさいて詳述している。なお、ナンガ・パルバットとかタンボチエといった、この登山の世界で慣用されている地名を勝手に英語読みで訳しているのは、ルール違反だ。
@@@「ヒマラヤの東」(中村 保著  山と渓谷社)

「雲南、四川、東南チベット、ミャンマー北部の山と谷」と副題にある通りの広大な地域を筆者はヒマラヤの東と称して、「偏執、偏愛」の体験紀行をまとめている。大雪山山系など数本の大山脈、長江など数本の大河が南北に走る隆起と浸食地帯の山岳世界とそこに住む少数民族、文化が興味深い。なかでも紅軍の長征の跡をたどったり、幻の山、カカポラジ探索行が面白い。トレッキング地として知られるようになった梅里雪山や四姑娘山に行って見たくなった。
@@@「パタゴニア探検記」(高木 正孝著  岩波新書)

南米大陸、チリの北端、パタコ゛ニア地方のアレナーレス山(3437m)へ神戸大学山岳部とチリ山岳会が合同で登ったときの著者の報告。昭和37年のことで、まだろくに二国間交流がないころなので、ほとんど国家的事業に相当する快挙の物語。合同登山隊を組織化するまでの経緯と旅程の話が長い。長いけれども、退屈しないのは、心理学者でもある著者の奮闘と視点が面白いからだ。氷河の未踏峰へ極地法と最後はラッシュタクティス(急襲戦法と訳されている)で成功する。緊迫感よりも牧歌的な雰囲気のうちに終わる。これは陽気なチリ人との人間くさい交流談が多いせいかもしれない。いまなら、とても探検物語にはならないが歯切れのいい文章で読ませる。

@@@「死者は還らず」(丸山 直樹著  山と渓谷社)

山の遭難はなくならないが減らすことはできる。一番効果がある策は、山に行かない、行かせないことである。それが不可能なら、減らすために登山者は努力しなければならない。この本は、「山岳遭難の現実」という副題の通り、遭難の実相や関係者の心痛や苦悩をケースごとに紹介している。死者と遺族と、関係者の名誉や心情が複雑に絡む問題だけに取材がむずかしいテーマ。それを乗り越えて、訴える力があるレポートに仕上げている。一部、著者の思い入れが強すぎて、カナワナイところもあるが。登山による遭難死は、それが著名な登山家であれ、名もない市井の登山者であれ、死者と遺族に気兼ねしすぎて、具体的な原因追及やその結果報告が行われずに、「美化」や「追悼」で逃げているという指摘は、その通り。本来なら植村さんや小西さんだって、きちんと遭難の因果を明らかにする必要があるのだ。

@@@「日本山岳紀行」(W・シュタイニッツアー著  安藤 勉訳 信濃毎日新聞社)

副題に「ドイツ人が見た明治末の信州」とある通り、ウェストンたちイギリス人の開拓した日本アルプスに惹かれてやってきたドイツ人登山家の紀行文。槍ケ岳、奥穂高、立山、富士山などを山案内人をつれて単独登山する。道なき道の山歩きの難行苦行とともに当時の村の人々の暮らしや文化についての考察がおもしろい。衛生観念ゼロの人たち、時間の観念があいまいな日本人、「チャダイ」(茶代・チップ)しだいで動く山案内人、信仰登山の巡礼者の素顔などが活写されている。彼は多くの他国での経験からしても、日本人には「チャダイ」で御しやすいという。意外な感がするのだが、どうもそうであったらしい。今と変わらぬということからすると、これは西洋人に対する日本人の態度について本質的な指摘なのだろう。

@@@「ナンガ・パルバット」(カール・M・ヘルリヒッコファー編  横川文雄訳 朋文堂)

エベレストがイギリス隊執念の巨峰なら、片やナンガ・バルバットはドイツ隊宿命の鋭峰。幾多の犠牲者を捧げたこの山を隊員のヘルマン・ブールが登頂した。この本はドイツ・オーストリア遠征隊の公式報告文書。

8000メートル峰の単独無酸素、無装備ビバークという快挙の全容がよく分かる。しかし、成功後、BCに集結するや同志的結合が壊れ不和軋轢が生じ、帰国後は私利追求の騒ぎに巻き込まれる。著者は「人間の本質には永遠に不完全なところがあるものだと悟っ」ている。登山隊は高遠な志と目的を掲げながら、そのインサイドでは、たとえばアタック隊員選定をめぐるような段階から、いつもエゴと悪意がさらけ出され、時に醜態を生んでいる。洋の東西を問わぬようだ。

@@@行く雲のごとく  高畑棟材伝(浅野孝一著 山と渓谷社)

高畑は昭和初期に活動した低山趣味派の登山家。同33年、60歳で没。著者にとって山の世界が開かれたのは、高畑の『山へ行く』、『行雲とともに』などの著作を通じてとのことで、その畏敬の人物を幾多の書簡、資料、証言等を収集、考証してまとめあげた伝記。漂泊の私小説作家のような高畑の文章と性分を浮き彫りしているが、一方では、「低山歩きに憂き身をやつした人のいたことを知ってくれればと考えて」このような埋もれた登山家に光を当てた著者の長年の偏執も興味深い。

@@@「空と山のあいだ 岩木山遭難・大館鳳鳴高生の五日間(田澤拓也著 TBSブリタニカ)

昭和39(1964)年1月、秋田県の岩木山で地元高校の山岳部員五人が雪の山頂からの下山途中に道に迷い、四人が凍死、一人だけが生還した遭難が起きた。本書はこの生還者や当時の捜索に当たった地元警察、山岳会、消防団、医師などから取材して、登山準備から遺体の発見にいたるまでを再現したノンフイクション。遭難の原因はホワイトアウトと言われる冬山の視界ゼロ状態を予見できないまま、日帰りの装備で登山、下山予定路から百八十度、反対側の沢に降りてしまった行動にある。「夏と冬では同じ山が様相を一変することを知らなかった」とは生還者の述懐。心したい記録。第八回開高健賞受賞作。

@@@「新編 山と渓谷」(田部重治著 近藤信行編 岩波文庫)

森林の幽趣や渓谷の美しさに魅せられた山旅で自然を賛美しつつ、人生の意味を考える。「山に入る心は先ず広く自然を愛する心から出立したいと思う」。我が国の登山界の興隆期のころの英文学者であるが、いわゆる勇猛果敢なアルピニズムとは距離をおく。登山の楽しみを人間と自然との融合ととらえる、いわゆる「静観登山派」の第一人者。登山熱が中高年に偏っている現在、このように淡々と山に向かい、思索する大人の境地というのは、得難い指針となるように思われる。

@@@「屋上登攀者」(藤木九三 岩波文庫)

筆者は我が国のロック・クライミング界の草分け。六甲の「ロックガーデン」の名付け親でもあり、最初の「RRC」(ロック・クライミング・クラブ)を組織、穂高滝谷を初登している人物。六甲と滝谷に、この人のレリーフがあるのを見た人が多かろう。本は、ガイドつき登山や単独登山の考察、山への追懐をこめた詩やエッセイ集。旅と登山との比較について「そこに一脈相通じるものがあるのを否定しないが、旅の滋味は、あくまで枯淡、静観、遁避であるに反し、登山は多彩、躍動、進取を生命とする」(要約)とある。山の本のタイトルにしては、けったいだが、「巴里に在りし日の私の生活の横顔」と副題がある、屋根裏部屋で詠んだ同名の詩から採っている。昭和の初め、恵まれた登山先覚者による時代の気分を伝えている。

@@@「デス・ゾーン 8848M」(アナトリ・ブクレーエフ  G・ウェストン・デウォルト 角川書店)

96年5月のエベレスト大量遭難事件のドキュメントは、ジョン、クラカワーの「空へ」(文芸春秋)が知られているが、この本のアナトリは、アメリカ隊のガイドとして、この極限の遭難を体験し、「空へ」とは別の観点からのなまなましい証言をしている。日本人女性、難波康子さんが生死の淵をさまよい、やがて力尽きていくくだりは、すさまじい。冒険ツアーには、「状況主義者」と「原理主義者」の二種類がいるという指摘は興味深い。すべてのことに事前予測は不可能だから、その場の特殊事情を所定のルールよりも優先するか。あるいは、あくまでルールを守ることでミスを防ぐ。そのため個々の自由や個人裁量は、所定のルールに従属すべきか。生死を賭した選択は、至難のことと知る。

@@@「エヴェレストへの長い道」(ティム.マッカトニー=スネイプ 山と渓谷社)

副題に「海抜ゼロから頂上へ」とある。豪州人初のエベレストサミッターである著者は、標高8848メートルのエベレスト山頂までを正味歩いた例がないことを知って挑戦。インド・ベンガル湾の海岸から歩き始める。その前代未聞、破天荒な登山の苦闘の道中記録。カルカッタ郊外の海からインド平原を歩き、ガンジス川を泳いで渉り、盗賊に襲われたりしながら、約一千キロメートルを歩き通して、ヘースキャンプ入り。今度は垂直との戦い。八千メートルのサウスコルでの自省の弁。「生命の危険を賭し、生活の重要な部分を犠牲にし、大枚をはたき、貴重な活力を費やし、家庭に悶着をもたらして」(要約)まで、なぜ登るのか。そのへんの気持ちが理解できる約三ヶ月間の体験記。同時に現代の冒険はいかに膨大な費用と仕掛けがスポンサーによってささえられているか、ということもよく分かる。

@@@「エヴェレストの女たち」(田部井淳子編 山と渓谷社)

1998年5月現在、世界の最高峰に登った女性は、43人いる。編者の田部井さんが1975年に初の登頂者になっていらいの実績である。仕事、結婚、出産、育児などの負担とともに「女のくせに」という差別意識の中で、どんな思いで世界の屋根に挑戦したのか。それは、ほとんど女性の地位や人権の向上、差別から解放といった女性の抱える重い課題と並行している、という視点からつぶさにサミッターの生活と意見、そして登頂の記録を追っている。単なる登頂者の栄光物語でないところが、目新しくて貴重。一方ではエベレスト登頂したときは生理日だった(田部井さん)とか「女性はまだ登山のスタイルや技術の革新には寄与していない」(エリザベス・ホウリー)という告白やら辛口の言説があって、なかなか凄い本である。

@@@「日本アルプス 登山と探検」(W.ウェストン 岡村精一訳 平凡社)

日本にスポーツ登山を紹介した近代登山の パイオニアによる古典的著書。もっともいま読み返しても登山の苦労や技術のことよりも、明治後期のころの山里の人たちの暮らしや風俗に関する記述の方が多く、それがおもしろい。ウェストンは信州や岐阜の行き先で、土地の人から山に登ることを怪しまれて尋ねられる。「銀鉱を探しにいくのか」「水晶探しなのか」と。猟師や樵や、宗教的修行のほかに登山する目的が思いもよらなかったこと示している。今昔の感にたえないが、いまも「なぜ山に登るのか」という命題に万人が納得する解答があるわけではない。

@@@「登山の文化史」(桑原武夫 平凡社

仏文学者であり、登山家の顔でも知られる著者の戦前の著作「回想の山々」が元本。表題の「登山の文化史」では、古今東西の登山の歴史を鳥瞰して、登山というものは、「文化的行為である。文明人のみのなす行為なのである」と喝破している。この考えを基調に国内外の著者自身の山行ルポやエッセイをまとめてある。「山岳紀行文について」の中で山岳紀行文の生きる道は、登山界の頭打ち状況を踏まえてか、当時(昭和9年)早くも、単なる登高事実の報告や案内記の域から脱して「もはや文学としての紀行文となるより他にない。このことを素直に認めることが山岳紀行文をいかす唯一の途であり、その前途は大きい、と私は信じたい」と言いきっている。
@@@「日本アルプス  見立ての文化史」(宮下啓三 みすず書房)

明治の初期、イギリス流の登山思想と運動が輸入されていらい、日本人は本場アルプスをひたすらあこがれて、あこがれた果てに中部山岳地帯を「日本アルプス」と見立ててくれたイギリス人ふたりの言説にかぶれてしまった。かくして日本の登山者は、とがった山があれば、マッターホルン、絶壁があれば、アイガーなどと見立てて、あたかも本場の山岳にいて、本場の登山をしているかのような陶酔にはまりこんだ。単に山の話だけではなくて、日本人が西洋の文化文物をどのような心情で取り込んできたか、についても考えさせられる好著。

@@@「山は晴天」(小西政継 中公文庫)

97年、マナスル登頂後の下山中、消息を断った著者の、かつての山行の記録や思い入れがいっぱい詰まった読み物。「より高くより困難へ」を目指して論陣を張り、突撃精神を体現した第一人者の言動が興味深い。マッターホルン冬季北壁を完登する話から、エベレストへの挑戦と挫折、第一線登山家との交流談も面白い。山に生涯を賭けた情熱がほとばしり出るような文章と気迫がまことに清々しい。もっとも、後年、おおっぴらな「サポート登山」を受け入れたこととは、対照的すぎる論調なので、このあたりを変節とみるか、歳月のなせるわざと理解するかによって、読後感は違ったものになるかも知れない。

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