タイ北部山岳地帯トレッキング

少数民族の村を訪ねて
(04・01)

 トレッキングは、なんと舳先のやたらに長いのに、その名はロング・テイル・ボートという高速船で始まった。ここはタイ北部。ラオス、ミャンマー(ビルマ)の国境にほど近い黄金の三角地帯の町、チェンライ。そのホテルにある船着場からボートに乗り込んだ。朝八時、搭載した中型車用のエンジンが爆音を立てて出発した。                               

 少数民族が暮らす山岳地帯へは母なる大河、メコン川の支流、コック川を遡る。水面すれすれ喫水を下げて高速でぶっ飛ばす。足元に置いたザックにまで水しぶきが降りかかる。                                              


 およそ一時間十分。高床式のオンボロ家屋、
極彩色の立像、豊かな林など沿岸に移り変わる物珍しい風物に目を奪われた。しかし、高速すぎて肌寒さに堪えられなくなり出したとき、前方の河岸に象の群れがいた。ボートは十数頭の象の群れのそばに横づけした。          


                                                  

 カレン族の根拠地、ルミット村だ。カレン族は象とともに暮らす誇り高い少数派だが、いまでは観光客を象の背中にのせて生活を立てている。したがって、ここはタクシー乗り場ならぬ象ターミナル・ステーション。30散策で1500円相当。カレン族の男性たちは、象の世話を焼きながら、客から声がかかるのをじっと待っている。決して客引きしようとしないところに矜持が漂う。                                                      

   「歩く」トレッキングは正味ここからだ。両側に並ぶみやげ物店の間を抜けて、しばらく進むと、三叉路に道標「ジャプー村まで7キロ」。ようやく山中へ入る。全行程は約13キロだ。まずは北西方向の小道を取る。午後から象の群れもトレッキングする象の道。3トンから4トン半もある象は、体重の十分の一に匹敵する餌を食べる大食漢。               

                     

カレン族は午前中の観光タイムが終わると、象を山中に誘導して草木を食べさせる。餌場や水場の確保を人間任せに飼育された象はもう決して自然の中で自立できないそうだ。     

     

 地べたに象の糞。点々と巨大な大きさだ。牛の何倍もある。今、よくこなれた糞から良質紙を作ろうとタイ政府は研究しているとか。陸稲の畑に牛が群れている。午前10時すぎというのに、陽射しはどんどん暑くなり、早や30度を超す。象をつなぐ鎖、象の所在を知るため首に巻く木製の鈴が道端にある。   

                                        

 ガイドのタイ人は、東京ディズニーランドにも行ったことがある好青年。二股の分岐で「こちらヤサシの道、こちらキツーの道。どっちいきましょ」と聞く。やっと山の斜面にとりつく。一月のタイは乾季とあってキツー道は乾いてすべり易く、土埃が舞い上がるが、ここにも象の足跡。ぬかるんだときに深く踏み込んだものだ。 


                               

 バナナの木が両側に生えている。青い大きな房が幾重にも重なっている。赤紫の花が咲いている。タイのはモンキー・バナナといって甘いけれど小ぶり。大きいのは栽培種だろう。見上げる首に汗がしたたり落ちる。                  

                                 

 五、六百メートルの低山の尾根を伝う。時折り、遠くの景色が眺められる。ミャンマー方面だが、いずれも低い山並みだ。ガイドにそもそも,今歩いている山の名前?を質問してもはっきりしない。重ねて聞いても、おおざっぱな地方名しか言わない。どうやら特別な名前はないと見える。山は少数民族にとって不可欠の生活の場に違いないが、起伏の一つ一つに名前の必要性を感じていないかもしれない。               

                                    

 トレッカーの飲み水を運んでくれるカレン族の男性は背負い籠に8キロ相当のミネラルウォターを担ぎ、すたすたと先頭を歩く。一行のペースは「ジャプー村まで2時間」と聞いて、彼はつまらなさそうに「30分で行けるのに」と言う。「楽しみで歩く」人たちの気持ちは理解しがたいものだろう。あとで車道に降りたとき、通りがかりのアカ族の男性が目を丸くしてタイ人ガイドに尋ねていた。「なんで日本人は歩いているのか。不思議だ」と。                                          

    
                    

  アップダウンを繰り返しながら、強烈な太陽を浴びたり、竹林の中を行く。このあたりの山は少数民族の集落ごとの入会権のある山らしく、ときどき、行く手の尾根筋に腰高の木柵が現れる。山主の境界線である。これを越えて行くと、牛の群れが突然の訪問者に驚いて揺れ動く。象の道とはいつの間にか離れてしまった。                                  

                                 

 谷に下ると、わずかな水流や水たまりがあり、大気までが、ややひんやりと心地よい。きまってラグビーボールのような形の実をつけたジャックフルーツやマンゴウ、バナナなどの木が茂り、妖艶にも可憐にも見える多彩なランの花が咲いている。                      
                  
  
 

 到着した村は、ラフ族の集落。まさに異次元の世界であった。高床式住居の下ではニワトリ、アヒル、犬、豚、人間の子どもたちが埃まみれで遊んでいる。ニワトリのヒナを犬と豚が追っかけ、そうはさせじと裸足の子どもが割って入り、じゃれあっている。大人の男はしゃがみ、犬の視線と同じレベルで一皿の食物を犬と交互に食べていた。いささかぎょっとするような光景だが、人間と動物が渾然一体となって暮らせば、こういうことになるだろうなと妙に納得した。                                              

                                          
  

  かつてトラ狩で知られたラフ族の住まいには、いまもって電気がきてない。ランチを広げたのは、ジャネーさん家の土間にある竹のテーブル。ジャネーさんに勧められた食事はお米と豚の脂身。手でこねて美味そうに食べているが、とても手が出ない。                  
 

ちょうど旧正月にあたっていたので、家族は民俗衣装で着飾っている。近くの人たちも寄ってくるが、若者はTシャツ姿。娘さんは流行のローウエストのジーンズに太いベルトを巻いていた。あとで山道を駆け抜けるバイクの青年たちとよくすれちがった。現代と未開とが同時進行しているが、そのことを彼らはどう考えているのか、聞いてみたい気がした。 
              

 集落の広場では、やぐらを立てて極彩色の幟、モチと豚の生首が供えられていた。そばで若者は足でバレーボールをするようなスポーツ、セパタクローに興じ、大人たちは朝からずっと酒を飲んでいるらしく、正月気分に浸りきりのようだった。                        

                      
                   

  ここからの道は、林道のように開けていた。ジャーレー村に向けて乾き切って赤土が舞い上がる坂道を下っていく。つんのめるのような急坂をホンダやスズキのバイクが、たいがい二人乗りで上ってくる。「近頃の若い衆は仕事のしないでバイクに夢中だ」などという地元の親たちの憤懣が聞こえてきそうな流行ぶりだ。ガイドによれば、五年くらいのローンで買えるらしいが、どこにガソリンスタンドがあるのかしら、首をかしげる。   
                       

 山から平坦地の林へ一時間で降りた。家畜が逃げないような柵囲いのなかに民家が現れた。ここもラフ族の村。茶屋のような構えの店が一軒あった。ブーゲンビリヤの赤や黄色の花が美しい。白人が女児を連れて遊びに来ている。もう車でこられるのだ。                              


 この村にはご自慢の大滝があるという。茶店にザックを預けて、足取りも軽く「ホイ・メーサイの滝」を見物に行った。山中の行き止まりまで車道が開け、駐車場まで整っていた。足場のしっかりした石段の上りきった先に水量豊かな滝が大しぶきを上げていた。トレッキングに疲れた足を水で冷やすものもいた。茶店に戻ると、冷えたパイナップルが用意されていた。               

                                           

 このあと一行は約一時間、アカ族の大きな  村を歩き、文化センター、学校や教会の前を通った。もう電気が来ており、道路はアスファルト舗装。四輪の乗合バスが走っている。開かれた現代の普通の村である。そこに首筋に赤い布を巻く習俗をもつヤオ族の女性が独り歩いていた。黒いワンピースに赤い色が鮮やかな民俗衣装であった。                                   

                                                  

      

後日、タイ北部の古都、チェンマイに移動して、かの国の最高峰、ドイ・インタンノン山(二六五〇メートル)に登った。正確に言えば、車で行った。 上の写真は山頂近くのセンターの壁にあった写真のコピー。じつはこの山、山麓からは全景を見渡せるところがないのだ。


                                               

 チェンマイの中心街から車で二時間半だ。山全体が国立公園になっており、ドライブウエーが山頂まで開通していた。山上には国軍のレーダー基地があるほか、山名に由来になるチェンマイ王朝最後の王様、インタンノン王の廟やお土産やコヒーを扱う売店もあった。一国の最高峰が車で上れるという山は珍しい。それだけに学生グループ、家族ずれでにぎわっていた。最高所には軍による金属製の記章が埋められていた。三角点の標石と思えば分かりやすい。周囲は林であり、展望は望めなかった。                

 

  帰途、大きな滝が山麓にあるというので、立ち寄った。見事な大滝である。ナイヤガラの滝のように横幅がしっかりあり、それだけ景観がすばらしい。日本にあれば、一番の名滝の評価を得るにちがいないだろう。地元でも最高の観光地のようで滝の周囲にはたくさんのみやげ物屋が立ち並び広い駐車場もあった。大勢の観光客が押しかけて、写真を取り合い、学生たちは歓声をあげて騒いでいた。タイも日本もこういうところは共通している。                    



 なお、行程は前後するが、有名な黄金の三角地帯について少し触れておこう。タイ、ミャンマー、ラオスの三カ国が指呼の間に接近することから、黄金の三角地帯と呼ばれている場所にも行った。「黄金」という意味はかつて世界最大の麻薬、ヘロインの密貿易地帯で、巨額の不正資金が闇取引されたことにちなんでいる。現在、裏社会のことは伺いしれないが、町はにぎやかな観光客を迎える国境の街である。                     


 まず、メーサイという国境の街で税関の手続きをすませた。短時間ならビザ不用とのこと。徒歩で25m幅の狭い河にかかる橋を渡り、ミャンマーへ入国した。橋の左右には有刺鉄線を張り巡らしていた。タイでの右側通行だった車が橋の中央部で、ミャンマーの左側通行に変わった。見るからに、貧しそうなモノ売りが昔の駅弁売りのようなスタイルで、何人も近づいてきた。ブランドもののコピー商品やズバリ、インチキ商品が多い。さすがに世界1の産出国といわれる翡翠の石を売る店が多かった。一見してタイより貧しそうであった。  

                                                 
 下の写真の一つは撮影場所がタイ側。あのインドシナ半島最大の大河、母なるメコン河の白っぽい三角州の左はミャンマー。レンガ色の建物は外貨稼ぎのカジノである。右側の対岸の緑の河岸はラオスである。さらにミャンマーとラオスの中間地点のずっと河の奥の方は中国雲南省である。4カ国がそこにある。         


 その高台で思ったことは、国家とはなにか、国境とは何か、という感慨であり、このような装置が人間にとって幸せをもたらすのか、という思いであった。     

 人間は夢中になって国境などという仕掛けを作り、力づくで張り合っている。虚しくつまらんことだと思う半面、人間の業の深さに名状しがたいものを感じさせられた。                           

  
                                      
 高速ボートで対岸のラオスに入国した(下記の写真)。国境の村で、外国人の一時入国を認めて外貨稼ぎをしているというのに、何に一つめぼしいものを売る店はなかった。

 
 ここの子どもたちはアカだらけの素足であった。まだ電気も来ていないという。子どもたちは、しきりにカメラを構える真似をした。こちらが、其れにあわせて、うっかり写真をとると、撮影料をよこせ、という算段である。外国人をみると、2,3歳の幼児までが、そういうポーズをとり、すがるような悲しげな表情をする。埃まみれの髪と顔、なんとも切ない光景。             
               
 
 対岸のタイ側の立派なロイアル・ゴールデン・トライアングル・ホテルでバイキング・ランチを食べて、くつろいできたものにとって、この救いようのない貧しさが胸を打つ。わずかボートで2分くらいのところで、この絶対的な貧困。       
          
 子どもたちは生きるために必死に媚や卑屈さを外国人に売っている。身に付いたポーズ、見てみぬふりの親たち。政治のシステムと人間の尊厳や幸せが一致していない。このような状況に人々を追い込んでいて、国境とは、何のためにあるのか。黄金の三角地帯は、そういったことを考えさせてくれる。