宮之浦岳 =(1935メートル) 九州・屋久島 (1999/7)

 
 海外ではないが、日本もアジアの一員。ならば日本の山を一つということで、この山を取り上げた。日本代表というわけではない。ただ世界自然遺産地に登録(平成五年十二月)された日本最初の山であり、日本最多雨(山間部年平均8000-10000ミリ)の島に有史以前からの樹齢7200年説がある縄文杉などの老巨杉が登山路にあって一見の価値ある山である。深田百名山の100番目の山などということには、特に意味をもたせるつもりはない。

 屋久島を語る常套句に「一月に35日雨が降る」(林芙美子の「浮雲」の描写)と言うのもお恥ずかしいが、鹿児島空港到着時、はや「大雨、雷、洪水、波浪注意報発令中」という手痛いお出迎え。結局、山中二泊三日は、ほぼ完璧な雨の中。事前に山友のアドバイスもあって雨に備えた完全?服装で臨んだが、登山路は水流ができ、あちこちと泥沼化のぬかるみ、いやはや靴下まで びしょぬれ、視界絶不良の単独登山行となった。

コースは、宮之浦岳への最短アクセスとされる淀川登山口から入山=左の写真が登山口=。タクシーのワイパーが間に合わないほどの土砂降りで、前途を観念した。ログハウスふうのトイレで雨具を装備、濡れた登山届を箱に押し込んで歩き出す。幅員数十センチの山道が開かれている。左右は原生林。まあジャングルもかくや、というきつい密生度。一昨年は、トイレ?ということで道を外した女性二人が行方不明、生還せず、になったというから恐ろしい。木の根がのたうち、その間の水たまりを音を立てて歩く始末。約50分で、一夜目の宿泊地、淀川小屋。ここで標高1350メートルくらい。山中にいくつか避難小屋があるが、すべて無人、無照明、無電話、無炊事小屋。したがって寝食、文明の利器は自助しかない。

 二日目は、いよいよ山頂へ。シュラフカパーにくるまって寝ていると、遠くから樹林を打つ強弱の雨脚が頻繁に接近してくるのが体感できるイヤなところ。朝六時出発。高地の湿原、小花之江河、ついで花之江河という幽玄静寂地を通過、黒味岳分かれを経て、ようやく原生林を抜け出す。投石平は名のごとく、放牧地の牛のように大石がヤクザサの中に点在する。ここで三カ所、ロープが用意されていた。

 一時の曇り空にぼんやりと山頂の気配を感じた が、ニセ山頂の三つは、いずれも独自の名前を持つ前山。11時10分、一等三角点がある本物の山頂=写真左 =に立つ。強風で飛んでいく濃いガス。南の海の色も種子島も何にも展望望めず、炊事の支度もできず。家族連れ、夫婦一組、千葉の単独青年、小生。各自、「眺望絶佳」の期待を断念するハラを決めて、次の宿泊地、新高塚小屋方面に下る。

 焼野分岐から永田岳をあおいだが、これまたガスの中。思い切りよくパスして下る。樹林を抜けて大岩小岩を滑らぬように降りて、またもや原生林の中へ。ただ実に丹念にリボンの標識が木の枝に結びつけてあるので、それを確認しつつ歩けば、迷うことはない。いい加減長い下山路にあきたころ、午後2時過ぎ、新高塚小屋へ到着。標高1450メートルほどだ。遅い昼飯の支度をした。尻が白いヤクシカが子連れで徘徊している。登山者からモノをもらう癖がついているようだ。

 二晩目の小屋は満員になったが、寒かった。夜半、靴下にホカロンを張り付けた。朝6時、スタート、縄文杉方面に下った。雨の中、滑りやすくなった木の根道をゆっくりと下り、高塚小屋前で一服。そしてついに縄文杉とお目見えした。観覧用のデッキの階段を上ると、目の前に巨大な木が忽然と現れる=写真右下が縄文杉と筆者=。朝早く周囲に人影なし。だが、脚光をあびてから大勢の人間に根を踏まれ、土砂が流出、枯死するおそれがあるため、根元を保護しようと平成七年に観覧席が設けられて、杉そのものには近づけなくなっている。自然の敵は、人間だということを物語っている寓話だ。

 木というよりも、コンクリか何かで特別に巨木のイメージを造形されたような、ウルトラ・バカでかい木である。御年、7200歳とか。2300歳説もあるようだが、神代杉には変わりない。ウーム、唖然、呆然、そして粛然。悠久の大自然の歴史などという、ちょっと陳腐な言葉が浮かぶ。もっとマシな表現が湧きだしてこないところが、つらい。朝の雨に打たれて黒光りする凹凸の樹皮、樹幹!縄文杉は、そこにあるだけで圧倒的な迫力がある。これを見ると、前後して現れた、夫婦杉、三代杉、大王杉などいう巨木の影が薄くなる。そしてウイルソン株=写真左下=にいたって、再び、唖然、呆然の境地に戻る。根元が空洞化しているものの、空洞の広さはゆうに十八畳間ある。中に祠が置いてあった。

  宮之浦岳登山のハイライトが終わった、と思った。大株歩道から旧トロッコ軌道に下り、草木の匂いの立ちこめる中で荒川林道から上ってきた縄文杉観光客の一団とこもごもすれ違う。荒川林道終点からが縄文杉見物の一番の近道。それでも往復10時間かかるから、彼らも早朝から、雨具着用で動いている。物見遊山気分では、なかなか近づけない観光地というべきか。

 旧トロッコ軌道を小杉谷まで歩く。林業全盛のころには、この辺土にも伐採作業員のための宿舎があり、その子弟たちのための小、中学校が在った。炭坑、紡績はじめ産業構造の変革で時代から取り残されたものが多いが、ここもモノ哀しい強者どもの夢の跡。そのガランとした運動場跡しかない廃校を見たあと、荒川を横切る旧トロッコ軌道の鉄橋を見て、立ち往生した。広い川幅、増水した急流、手すりのない鉄橋、濡れた敷き板。意外な高度感。ああ。

 生来の高所恐怖症がもたげても何度見ても、足が進まない。今回の山行の個人的なハイライトとなってしまった。多くの観光客さえ渡ってきたのに、ということが頭で理解できても、足が動かない。やむなく旧トロッコ軌道をUターン、楠川歩道分岐まで戻り、いわゆる「白谷ルート」で、白谷雲水郷への道を取った。

 こちらの山道は、あまり人気がないらしく、トレース跡もはっきりしない。苔蒸した岩を越えたり、倒木を跨いだりして、なにはともあれ、木の枝のリボンを目印に歩いた。行く手にリボンを見つけると「感謝、感謝」とか、「サンクス、サンクス」などと独りごとを言いながら辻峠まで達した。コースガイドを開いてコースタイム通りに歩いていることを確認してホッとした。一カ所、源流の谷川を渡渉しなければならないので、懸念していたが、幸い、転石伝いで山靴を濡らす程度で渉れた。

 白谷小屋までヤクジカ一頭と出会った切り、誰れ独り遭わなかった。小屋には、どういうわけか長身の白人青年がたった独りいた。道を聞いても要領を得ない。持ち出してきた地図は島全体の大ざっぱなヤツ。それなら、こちらの持つ地図の方が詳しい。何しろ細かい話ができないので、あきらめて、川っぷちの崖道を流れに沿うように下った。ようやく鉄製のしっかりした「手すり」のある吊り橋を渉ったとき、やっとこさ原生林の閉塞状況から逃れ出たような達成感に大満足した。

 蛇足を二つ、三つ。入山当日の夕食用には、安房の「ひまわりや」で鳥唐揚げ弁当500円などそろう。航空機に持ちこめないEPIガス・カートリッジは、「ひまわりや」近くの「富士スポーツ」で売っている。登山口まではタクシー利用しか足がない。帰途は下山時刻と場所を指定して待機してもらう。小生のように行き当たりばったりだと、タクシーは回走料を取るので高くつく。

 鹿児島市内の銭湯は、ほとんど温泉。タクシー運転手さんのおすすめで西鹿児島駅裏の「みょうばん湯」が広くてよかった。湯上がりには駅裏の焼き鳥屋「駅亭」がとてもうまい。よく冷えた「サッポロ黒ラベル」(お気に入りの銘柄)のナマ中が420円、本場焼酎のお湯割りが200円。なにより、幸せ気分のしめくくりとなった。