アバチンスカヤ 火山=2741m.ロシア(1997/8)



アバチャ火山山頂の筆者。後ろはゴリャクスキー山(3456m)



 名古屋空港からカムチャッカ半島まで直行のチャーター便、アエロフロート機が飛ぶという、またとない機会に便乗した。着いたのはペテロパブロフスク・カムチャッキー。八月というのに肌寒い。郊外のパラトウンカ温泉ホテルで一泊。翌日はアバチンスカヤこと、略称アバチャ火山の山麓まで入るので、市内のバザールで食料やウオッカを仕入れる。町を走るクルマはほとんど日本の中古車。「安くて丈夫。修理のパーツもたくさんある」とハバロフスクで日本語を学んだというインツーリストのロシア人ガイドが言う。

「考えてもみてください。遠いモスクワから高くてよく壊れるクルマを運んでくることを思えば、ニイガタの方がよほど近い」という。資本主義の行き方に全面的に思考転換。変わり身といえば、子供たちも英語を話す。学校で習っている。インツーリストのロシア美人も、英語でなければビジネスができない、と割り切っていう。この限りでは、米ソ対決の勝負は、軍事面どころか文化まで、つまるところ体制そのものが、アメリカに屈服したということが現実のものとして理解できる。実際、温泉ホテルのカジノではミニスカートの女性がロックの大音響で踊りまくっていた。数年前まで対米最前線で原潜基地があったとされるカムチャッカ半島で、この変容ぶり。冷戦なんて、一体何だったのか。

さて、軍用車を改造した六輪駆動のバスで万年雪の雪原を走る。すぐそばを深くえぐれたクレバス状の谷がある。バスが横滑りしないかと気が気でない。スリル満点といえば、雪の急勾配地でスリップして、さすがの軍用車も立ち往生したほどだ。どこまで奥地に入るのか。ロシアのスキー五輪候補選手たちの特訓場といわれる雪山が見えてきたら、その手前が登山基地だという。標高800メートルくらいの高原。ここでは雪はとけていて、黄色や白、青色の野花があちこちに咲いている。ほんの短い夏を競っているよう。

目指す山は、最初、雲に隠れていた。しかし、夕方、その優美な山容を現わした。独立火山峰だから、実になだらかな曲線。樹林は一切ない。ちょうど富士山の五合目あたりから上だけが鎮座している感じ。但し、尾根筋を除けば、万年雪に覆われているから、すばらしく美しい。=遭難碑の向こうのアバチャ火山全景=左

 飽かず眺める。なにしろ、白夜。午後十時半になっても、外は明るい。晩飯は九時頃だったが、明るい空に奇妙な感覚にとらわれる。シャケの薫製がおいしかった。ボルシチもでた。アンズの実入りの紅茶は香りがよくて、何度かお代わりした。その後の食事には、よく韓国製のインスタントラーメンがでた。また、ネッスルのインスタントコーヒーも韓国製であった。韓国のものが日本製よりも、さらに安く出回っているようだ。食事は登山基地に季節出張している中年女性とその家族がまかなってくれる。よく肥えて、陽気で、いちいち食べ物をすすめてくれて、そして、うまいか、と身振り手振りで話しかけてくる。ロシア文学にあるような気さくなオバサンだった。

もともとアバチャ火山のツアーは、トレッキング。約2000メートル地点の尾根筋を7,8時間かけて往復し、日本ではとうてい眺められない夏の雪山連峰のパノラマや高山植物に親しんだりするのが、ねらい。ただ、折角の機会だから、あと700メートルほどがんばって登頂をめざしてもいいことになっていた。もっとも登頂希望者は旅行前に申告することになっていた。余分な保険金加入と正式なアイゼン必携が条件だった。こちらは、現物を眺めてから無理なら取り止めてもいいと思い、登頂希望を出しておいた。希望者は全部で十四人であった。そのうち女性は三人。一行は、トレッキング組よりも一時間半早い朝七時半に出発した。

雪で埋まった沢を二つ渡り、そこから尾根筋にとりつく。火山独特の細かい赤土が多い。高度を稼ぐにつれて溶岩片や溶岩砂礫が目立つようになる。軽石のような形の火山岩がゴロゴロして歩きにくい箇所もある。一度だけ急斜面を覆う雪原を一列になって踏み跡をたどりながら横切った。そうそう、現地のロシア人山岳ガイドは四人ついてくれた。いずれも、すごい体力、技量のベテランで、後で舌を巻くような妙技をやってみせた。

トレッキンク組の引き返し地点まで、二度の休憩を含めて三時間半かかった。しかし、ロシア人ガイドの早い足についていけず、そこまでで女性一人を含む五人が脱落した。脱落組は、あとから来るトレッキング組と随所で合流するとして、置いていかれた。幸い、風が強いけれど、快晴。高くなるにつれて、どんどん視野が広まり、遠くの銀色に輝く山並みが展望されて素晴らしい。引き返し地点には、まるで動物園の猿岩のような突出岩がある。ここで昼飯となった。若いガイドが黒パンにチーズ、トマト、レタスなんかを乗せて、手早くオープンサンドをつくる。飲み物もちゃんとオレンジとリンゴのジュースを用意していた。不安定な姿勢のまま、オ猿サンのように岩の棚に陣取り、サンドイッチをぱくついた。

この猿岩のある場所から、山の形はガラリと変化する。比較的ゆるやかな溶岩道で露出していた登山道が、全面的な雪原と化し、さらに百メートルほど進むと、いよいよ頂上直下への急勾配となる。ついていけるかどうか。思案の場面だ。頂上のあたりは、首をのばして仰ぎ見る感じだ。雲がたなびくように噴煙が立ち上っている。十一時半、防寒着を重ね着して、いよいよ再出発した。

膝までもぐる積雪。万年雪である。やがて急斜面。先頭にロシア人の若いガイドが雪を蹴ってトレースをつけていく。ジクザクにゆっくりと登り始める。ここで男性一人がリタイア、引き返した。700メートルの高度差をじりじりとジクザク型に登るのは、さすがにキツイ。途中からふくらはぎがカチンカチンに固くなっていくのが分かり、山靴を引き上げるのが困難になった。ガイドがしきりに「スロリー・スロリー・ウイズアウト・ストップ」と誘導してくれたが、つらいところだった。

こんなときガイドの鍛えぬいた妙技を見た。先頭を行っていた若いガイドが何か機材を落とした。あとでビデオカメラの一部とわかった。その黒い機材が雪の急斜面をすごいスピードで落下して行った。とても拾いに行くというような考えを、はじめから放棄するような危険な斜面である。ところが若いガイドは、いきなり仰向けになるや、背中をソリのようにして滑り出した。

猛烈な勢いで滑落していくのに、思わず息をのんだ。事故につながる。一瞬、日本人のみんなが思った。ガイドは、両手両足を宙に浮かし、まるで亀か゜ひっくり返ったようなポーズのまま落下スピードを加速させていき、ついに数十メートル下で機材と横並びになると、瞬間に腹這いに向きを変えて機材を拾いあげた。そして、まったく何事もなかったように、今度はストレートに急勾配を一気に登り返してきた。

マッターホルンも登ったという日本人の熟練二人組は、お見それしましたと脱帽していた。彼我の技量の格差にア然としながら山頂直下の氷化した斜面を必死の体で、やっとこさ登り切った。午後一時四十分だった。登山基地から標高差、約1900メートルある。それを約六時間強で登ったことになる。よくがんばった、と言うべきだろう。

数年前に大爆発、カムチャッカ半島からアリューシャンの諸島まで火山灰をまき散らしたというレッキとした活火山。火口は、小さな湖となっているそうだ。立ちこめる硫黄臭と水蒸気、酸化した火口壁。ここだけは、雪が剥がれるように溶けている。疲れ切った体で腰をおろすと、地熱でたちまちお尻が熱くなってくる。

異様な雰囲気の頂上に立った。そこから3000メートルを優に超す対面のゴリャクスキー山の威容が目前にある。ゴリャクスキー山の背後に隠れていた北側の山々も、全部雪をかぶって朗々と輝いて見事だった。トレッキングの趣旨からすると、ちょっとキツイ山歩きではあったが、満足感は、計り知れない。ロシア人の四人のガイドたちと心からの感謝の握手をかわした。むろん、女性二人を含む計八人の日本人登山者とも喜びの挨拶をこもごもと交わしあった。5時間ほど時間をかけて下山後、火山の地底にサンタクロースに似た神様?がいる愉快な図柄の登頂証明書をガイドからもらった。いい記念になっている。