黄山縦走 =光明頂(1840m)蓮花峰(1873m)天都峰(1829m)、中国安徽省(1998/9)



  黄山七十二峰で一番けわしい天都峰


何という山か。行ってみて、心底驚いた。どの山の登山路も完璧に石畳が敷き詰められている。斜面もまた完璧に石の階段で作られている。つまり、歩きだすと、コースをはずれない限り一度も土を踏むことがない。それも最寄りの石を寄せ集めて作ったのではなくて、全部寸法を計り、きちんと縁取りをしてある。5キロ歩いても、10キロ歩いても、四つん這いでよじ登る、まるで梯子のような急登でも、巨岩と巨岩の間を抜ける幅50センチ程度の隘路でも、そうである。すべて人力で構築されたものだという。あの万里の長城を築いた中国人の途方もないバイタリーを実感する山旅であった。

この山の売りは、それこそ山ほどある。たとえば、中国10大観光景勝地(1985年選定)の第三位。山岳ではトップである。自然保護の分野では国連の世界遺産に登録(1990年)されている。桂林をしのぐ山水画の世界=写真左=。「黄山の四絶」といわれる奇松、怪石、雲海、そして温泉がある。瞬時に空模様が変化し、天下の奇観とされているが、石積みの階段を加えて「五絶」といってもいいほどだ。

雲谷寺からのロープウエイは、あいにくの雨。標高差720メートルを八分ほどで白蛾嶺駅に着くが、ガスの中で視界0。前途多難を思わせたが、翌日からは、見事な快晴。終わりよければ、すべて佳しとなった。光明頂は、ハイキング気分で緩やかに上っていけば到着。気象台や売店もあり、問題なくたどれる。そこから黄山といっても72峰の最高峰、蓮花峰と第三峰の天都峰が遠望できる。これが奥穂高か、剱岳のような岩山で屹立していて、実に壮観。ちょっとたじろぐ思いだ。

頂上に向かう斜面に入山ゲートがあり、制服の工作員が一人10元の入山料をとる。これは天都峰でも同じだった。石段を黙々上る。石段がなければ、どうだろう。這って上るか、ザイルで支援しなければならないだろう。息を切らして、三度ばかり小休止して、ついに頂上に立つ。広さ四畳半くらいか。真ん中に石柱。周囲は、鎖で囲ってある。針峰の先端部は、ちょうど槍ケ岳のように絶壁を四囲に擁している。眼下、目の届く限りは、低い山並みが続き、緑と岩のまだら模様が広がっている。先着の中国人女性ふたりが、交互にモデルのように澄ましてポーズを取って写真を撮っていた。

下山路の一部では、これまた完璧な断崖の縁を歩かされる。目の下2,300メートルが、ストーンと抜けるように落ち込んでいる。もちろん手すりがあるのだが、高度による恐怖心には勝てない感じ。いやはや、よくもこんなところに石段を刻んだものだと感心する。山中二日目の宿は、玉屏楼。なお、初日の宿は、香港資本による西海飯店。カラオケもあり、シャワー、浴槽、ベッド完備の部屋。まったくホテルであって、日本の山小屋のイメージからすると、月のスッポンの差。玉屏楼は、それよりは落ちるが、トイレ、シャワー付きの個室なり。

高さの蓮花峰に険しさの天都峰という。その天都峰の圧巻は、「鮒(フナ)の背中」=写真右=と呼ばれる大キレット。日本では、「猿の背」とか「馬の背」とかという言い方があるが、ここでは、鮒の背鰭部分にたとえてある。中国人の男性ガイドが「もっとも危険で、もっとも怖いところです。十分に気をつけて」と言うものだから、よけいに緊張した。「鮒の背中」は、全長30メートルくらい。幅50センチくらいの尾根。左右は、一枚岩でささえられており、数百メートル下まで遮るものがない空中楼閣。奈落の底を見ない様に左右の青いロープをしっかり握って通過する。少し強い風でもあれば、恐怖は一層強まるし、雨ならなお危険が増すだろう。登山口に「雷雨狂風登山中止」(狂風は原文のまま)と看板が出ていたが、もっともな警告と思えた。

かくして山頂に到着。石段がせり上がって行き、プツンととぎれた絶壁の先が、山頂。石垣と鎖でかこんであるが、二坪くらいの広さ。岩が不規則に転がったまま、安定している。登山ゲートから一時間十分、階段部分は1342段(ガイドの話)だった。「ツォーハオ、ツォーハオ」(最高)を連発しつつ、記念撮影。興奮が鎮まったところで、ガイドの王さんと同行の日本人女性がそれぞれ杜甫、李白の詩を詩吟で歌った。朝の青空の下、充実感がみなぎる山頂であった。