韓国・智異山系老姑壇峰     ( ノコダン峰 1507メートル  2001/6 )


 韓国第二の高山、智異山系(1915メートル)の西端にある老姑壇峰(ノコダン峰  1507メートル)に登りに行った。
行って見てびっくり仰天、驚いた。
何が驚いたかというと、山登りに行って、登山にならなかったからだ。言葉の正確な意味て゜「山を登る」という行為はほとんどなかった。
なぜか。以下はその顛末ーーー。


カンゾウ  フウロソウ  フシグロセンノウ
 クルマユリ オミナエシ 


 実態を先にいえば、なんとなんと山頂までクルマで行けてしまったのだ。したがって、山歩きは、その後、約5時間にわたる尾根の縦走と美しい渓谷をひたすら下降するという妙な山歩きになった。それはそれで、なかなか充実していたのだが、なんといっても「登る」部分がない登山というのは、どうも落ち着かない。たとえて言えば、伊吹山をドライブウエーで上がり、登山道を下山するだけとしたら、それは登山といえるだろうかーーー。というわけで「けったいな登山」の顛末記。

 朝7時まえ、宿泊先の智異山ろくの智異山ブラザホテルの周辺を散歩した。松林があり、芝生が夜露に濡れている。池に錦鯉遊泳。学生とおぼしき集団が朝礼のような儀式のあと散策に出かけていった。韓国十名刹の一つ、華厳寺へ参拝に行ったのに違いない。山間の朝は幸い、晴れて空気もさわやか。ホテルの前には広大な駐車場があって、いっぱいのクルマで埋まっている。韓国も夏休みのさなかである。

 智異山というのは、朝鮮半島の南部、全羅南道、全羅北道と慶尚南道の三つの道州が交差する山岳地帯にある。大河、ソムジンガンの上流でもある。韓国第二の都市、釜山からクルマでオリンピック道路と呼ばれる高速道と地方道をひた走り、3時間半かかる。韓国に二十カ所もある国立公園のなかで最初に指定された地域というのが、ここの誇りだ。

 韓国ではソラク山、ハルラ山とあわせて三神山という。山と渓谷美、古刹があるというのが、最初に選定された理由である。事実、きれいな谷と遊歩道、多くの売店やホテルがあった。ムクゲもサルスベリも咲いていた。クリの林やナシ園がどこまでも続く。一番の目玉は秋の紅葉らしい。緑と紅葉と雪という三シーズンの山岳風景が一度に眺められるころが最高なのだという。

 かつて朝鮮戦争(現地では韓国戦争という) があったときは山岳地帯きっての激戦地となり、北側の兵力が山間部にとどまって激烈な抵抗をしたのだという。残存兵は容赦なく殺戮された。あとで下降したピアゴル渓谷というのは、ピ(血)ア(叫)渓谷と言う意味で、阿鼻叫喚の谷という凄惨なものにちなんだらしい。

 通りかかったホテルの従業員にノコダンを尋ねたところ、めざすノコダンは、あっちだと指さした。東北の彼方に山の稜線がのびており、その一点に二本の塔があるところだという。ホテルは標高200から300メートルの地点にあるから、比高1200から1300メートルある。これはかなり登りでのある山ではないかと思う反面、実にいやな予感がした。

 確かに言う通り山頂に影のように二本の塔がたっており、従業員は「なにかアーミー関係の施設だと思う」と言った。南北緊張関係が続く韓国では、思いもよらぬところに軍関係施設があるのだが、稜線にあれほどの塔が建てられている以上、その建設資材と人員を運んだ道があるに違いない。ちょうど日本でもテレビ局や電話会社の電波中継塔が山頂に立ち並んで、そのために道がつき、景観を台無しにしているように、だ。

 8時半、ホテルをワンボックスカーで出発した。一行は大阪府内の山歩き仲間たち合計6人。さらに釜山の受け入れ旅行社から同行した日本語が話せる通訳ガイドの女性、チャ(車妙南)さん、そして現地で合流したぱかりの山岳ガイド、キム・ジョンブク(金鐘福)さん。この方は智異山の山小屋に16年間も住んでいた39才。ヒマラヤ、キリマンジャロ、マッキンリーなどに経験があるほか、昨年は富士山にも登ったというベテラン。要するに地元の国立公園内部では、顔のよく知れた名物登山家的な存在らしい。

 なんとも、おかしいのは、この有能な山岳ガイドが案内してくれて、顔が効くせいか、国立公園入山の料金所も彼の一言でフリーパス、クルマはどんどんドライブウエーを上っていく。ヨイマチグサやハギ、コスヨが咲くいい道である。山事情がわからない一行にしては、彼の案内に従うしかないのだが、ドライブウエーは次第に高見を上って、低山続きとは思えぬ山岳地帯を走る。やがてガスが横切ったり、眼下に白い雲海がたなびくではないか。


 下調べの段階で、今ひとついい資料がなくて、どんな山なのか、どのような登山道があるのか、わからなかった。智異山系は東西三十キロメートル、十ほどの1400ー1600メートルほどの山が連なるのだが、最高峰は天王峰(1915メートル)。こちらは山系の東寄りにある。

 当初はもちろん、最高峰登頂を視野に入れたのだが、資料がえられないまま、大阪の旅行社と現地受け入れ旅行社の対応に合わせた結果、天王峰は現在は登山禁止の対象になっているとのことで、もっともポピュラーなノコダン峰へ行くことになった。

 実は韓国の山は、政府によって立入禁止期間が3年ないし5年間くらいあることを承知していた。大義名分は植生などの自然保護。しかし、長く北側との臨戦体制下にあることから、高所は軍事上の戦略的利用に供されているふしもある。このような特殊事情が念頭にあったので、天王峰を簡単にパスしたのだか゜実際には登山者に開放されていたのだ。このことは旅程がスケジュール化したあとに知り、後の祭りとなった。

 さて、キムさんは最初の避難所でクルマを止め、そこの係員と談笑。この横の建物に長く住み着いていたという。クルマが入れるのは、通常ここまでだ゛が、さらにキムさんは木柵で遮断されている登山道への扉のキーを売店から借りてきた。韓国ではこうした「カオ社会」が濃厚に残っているのだ。こうして韓国の登山者が歩いているところを尻目に、さらに上りつめて、出発から1時間、とうとうノコダン峰の仮山頂まで到達した。

 仮山頂というのも、妙な表現だが、ノコダン峰山頂も5年前から立ち入り禁止場所とされており、2002年に解禁される予定。このため元々の山頂から視認して約200メートルほど離れた尾根上を仮山頂としている。そこには元の山頂にある巨大な石積みのケルンがそっくり再現されて、天に向かってそびえていた。周囲は金属製のネットで包囲されており、「立入禁止」「入山統制」の文字が読めた。それ以外はハングル文字のため、皆目見当がつかなかった。

 こうして智異山系のノコダン峰登頂というのは、歩かず、仮山頂に、という二重三重にけったいな形で果たしてしまった。曇り空ときどき夏の日差しがさす山歩きには好天気。山並みはほぼ雑木林に覆われた緑豊かな風景。日本のように杉、檜一色というところは全然なく、したがって野花や鳥たちが目立った。韓国にとっても人気がある山らしく、若い人が多く、こちらは歩いて登ってきている。

 いっしょに行った平田冨美さんが、この記念すぺき智異山系ノコダン峰登山隊の隊員全員の名前を書いたプラスチックの小さなプレートをわざわざ日本から持参してきた。しかし、山頂には木が一本もない。巨大ケルンに結わえるところもなかった。やむをえず、ケルン背後の立ち入り禁止の境界になっている金網に結びつけた。韓国では山頂には、このような記念ブレートをそっと掲示する習慣がないとみえて、どこにも、それらしきモノは見つからなかった。ネームブレートは、ノコダンの仮山頂で唯一の登頂記念碑となって、果たして、いつまで命永らえるだろうか。

9時50分、いよいよキムさんに先導されて智異山系の尾根筋縦走に入る。雑木林。コナラやクヌギの明るい登山道。右手斜面には金網がつづく。ノコダンの山頂を巻く形で、金網が包囲しているらしいことがわかる。石が露出したり、木の根がむき出しになっており、ところによっては湿気のせいか、苔蒸している。時々、家族連れ、グループに出会う。そのたびに「アンニョン ハセヨ」と挨拶。「イルボン、日本人か」と驚きの声。

 雑木が切れた尾根筋に石を丸く並べたうえ、石そのものを白いペンキで塗ってある。ヘリコプターのポートである。十分も歩くと、またヘリポート。結局、下降に移る前に3カ所あった。遭難者の救助に使えることは言うまでもないが、これもまた軍事用施設と言えるかも知れない。

 日当たりのいい尾根筋では、幅員1メートルほどの道の両側に、いろいろなお花が咲き乱れて、とても優美可憐。一行の足がしよっちゅう止まった。背丈をやや超すこす雑木が多く、下界や周辺の展望はあまりきかなかった。分岐には道標がしっかりとあるのた゜が、ハングル文字なので、こちらにはチンプンカンの模様にしか見えないのが残念。

1時間半ほど、いわば水平に歩いたあと、ピアコ゜ル渓谷の源流へ急斜面の下降に移る。こちらから登るとかなり骨が折れる傾斜。だが、要所には新しいロープがつながっているほか、丸太階段もあって、慎重に降りれば問題ない。

 モミシ゜のきめ細かい葉が真夏の日差しを遮ってくれていている。やがて足下から水音が聞こえだした。あとは、ずっと激しい瀬音、せせらぎの音を耳にして歩き、時折、大岩小岩の渓流を眺めた。北岳の大樺沢の谷間のように転石が多い。視界全体が濃淡あいまいなグリーン一色に包まれて、実に気持ちがいい。約2・5キロメートル下ったところに、本日の昼飯を食べる避難小屋についた。

 石積みの小屋。白いヒゲのはえた痩身長躯の爺さん、孫息子、それに珍道犬がいた。珍道犬は柴犬よりもやや小さく、柔らかい長い毛に包まれている。小屋の周辺はナラの木が多い。山水がふき出でている水場、きれいなトイレもそろっている。谷寄りにいくつもの大型マイクがついた警報装置塔が建つ。日本語を話す爺さんによれば、洪水の危険を知らすサイレン吹鳴機という。

 キムさんが用意してくれたランチはご飯とお菜が別のトレイになっており、もちろんキムチもついていて、おいしかった。半時間、のんびり顔を洗い、体を拭き、くつろいだあと、再び、ピアコ゜ル渓谷畔の道を下降した。二度、三度、右岸から左岸へ、また右岸へと渓谷にかかる吊り橋を渡った。雑木林のなかは白っぽい、あるいは毒々しい紅のキノコが生えていた。

 そういえば、この山麓は赤松が繁茂し、韓国でも有数のマツタケ(韓国ではソーイという)の産地。収穫物のほとんどは高値で日本に輸出されており、地元では口にすることもできない高価な食べ物になっていると通訳ガイドのチャさん。

 28才という一番若いチャさんは、山歩きなんか初めて。会社の指示で通訳として同行することになって、もう死ぬほどびっくりしたと前夜も心配していたが、頑張ったものの、午後からは急速に疲れて、時々よろけて尻餅をつく。止まると膝がガクガクして体が制止できないと嘆いた。午後3時10分、とうとう林道のような平坦なところに降りて、長い下降は終わった。ビアゴル渓谷と並行して歩ける散策路に降りた。一行は、キムさんのすすめで、山靴を脱いで、清流に素足をさらした。酷使した筋肉を冷やしてくれて、生き返るようだと好評だった。

 キムさんによると、距離18キロメートル。歩行時間、5時間20分だった。もし、きつい登りに2、3時間
かけていたら、とうてい一行全員の完遂は難しかったかもしれない。郷に入っては郷に従え、けったいな形の登山は、かくして終わった。智異山とは、どんな人でもこの山に登ると、賢く智恵がつくようになるとの意であるが、果たして一行の今後に、いかなる効果を及ぼすであろうか。お楽しみ。



    豪華山菜小皿大集合料理


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