アジア・トレッキング

天山山脈ボゴタ峰トレッキングと4000メートル無名峰 登頂
                   =中国(2000/8)




ボゴダ峰のペースキャンプ地(3580M)から見たボゴダ山塊。右から妹峰、ウエスト・ピーク、セントラル・ピーク、左端が主峰、ボゴダ峰(5445M)
 撮影・小林進一



天山山脈は、とてつもなく大きい。西はパミール高原、東はモンゴルに至る2500キロメートル。中国内だけで東西1600キロメートル。最大幅100キロメートル。日本列島に匹敵する超大な山系。ボゴタ山脈は、その一山域である。かつてシルクロードのオアシスの街で知られたウルムチから車で約二時間、地元の観光湖、天池に到着、小舟で対岸に渡り、湖畔の傾斜地にあるカザフ族のパオでの一夜から、トレッキングが始まった。すでに海抜ほぼ2000メートル、ひんやりと涼しく、静謐。あたりは姿のいい針葉樹が林立、馬や羊が放牧された斜面の草地である。


パオは羊の皮、毛織物、木でできた簡易組立住居。真ん中にストーブ、半円状に床を高くしており、そこが居間兼寝室。家財らしいものは、ふとんだけであった。天井は一部の開閉が可能。昼間の灯り取りになっている。七人が寝たが、それでも充分に間がある。意外に中は廣く、暖かい。

カザフ族の目は青く、髪は亜麻色。この地方の住民のほとんどは、ウイグル族。この人たちも碧眼茶髪。イスラム教を信ずる人たちだ。一口に中国人といっても、その背後に長い興亡の歴史が込められていて、一筋縄の理解ではすまない。複雑な多民族共存がある。

ゲストのために羊を手早く解体して、料理にだしてくれたのは、回族と漢族の男性である。大きな一頭を二十分くらいで完全に切り分けた。アンコウの逆さ吊りのような過程もあったが、ほとんど血を流すことがない手際は見事というほかはない。頭部をバアナーで焼いて、家族が食べていた。その骸骨が翌朝、パオの前に放り出していたあたりは、かなりのカルチャー・ショック、感覚の断絶を味わう。

 翌朝、トレッキングに出発。荷物運びの馬20頭、カザフ族の馬方、漢族のコック、ガイドたちとともに大きな隊列となった。先頭はいつも栗毛に乗ったカザフ族の青年。行き先はボゴダ峰のベースキャンプ地。そこから4000メートルの無名峰に登頂。再びBCに戻り、往路とは別ルートの谷を下り、天池湖畔に戻る。山中5泊6日。全行程約50キロメートル。おおむね3000−3500メートルの地点の尾根筋、草原、谷筋を歩き、往路三回、復路二回、馬による川の渡渉があった。

幸い、お天気に恵まれた。秋空のように高い澄んだ空の下で、氷雪を頂くボゴダ峰を仰ぎ見ることができた。不気味な水音が絶えない氷河と氷河湖、ポピーやサクラソウ、トウヤクリンドウやトウヒレンなどお花畑が入り乱れる草原。放牧された羊と馬の群れ。スリルのある馬による川渡り、空の色を映して流れるせせらぎ。のんびりと楽しい乗馬の草原歩き。天山が誇る名花、雪蓮、あるいはエーデルワイスは、いくらでも砂礫や岩陰で見つけることができた。あっ、ラクダがいた。素晴らしい大景観に息をのみ、異文化体験を楽しんだ。

 乗馬は生まれて初めての体験。二年前のここでのトレッキングでのこと、雪解け水が増水して、馬が急流に横倒しになって溺死したそうだ。これを聞くと、緊張する。馬方にサポートされて、よいこらしょ、と馬の背に。とたんに目の位置が高くなる。背は固く、廣い。鞍の環を必死でにぎっている間に川を渡ったときは、ホッとした=写真、上=。。しかし、だんだん慣れて、復路には草原を二キロ近く、馬方が引く馬の背に揺られて馬上散策。いい気分を味わった。五回目の川渡りでは、楽しみでさえあった。馬は寡黙な、かしこい動物であることがよく分かった。

上の写真は、サンゲチャ峠からの偉容。右からウエスト・ピーク(5213M)、セントラル・ピーク(5287M)、左端が主峰、ボゴダ峰(5445M)


これが三蔵法師や孫悟空、猪八戒、ヘディンも食べたハミウリだ!
道中、食後のデザートにいくども食べた西域特産のハミウリは、ジューシィーで、冷たく、甘い。シルクロードの隊商、砂漠の民が珍重したのも頷けるものだった。ラクビーボール型で、表皮はマスクメロンのような薄い網目模様。果肉は黄色、もしくはピンク色。サクサクとした食感が心地良い。日本で、子供のころよく食べたマッカウリは、これに近いかもしれない。昔も今も、砂漠の民にとっては、いわば携帯用清涼飲料水のようなものか。街では、Tキロが十円もしない安さだった。

天山山脈が誇る大型の名花、雪蓮=写真、左下=は、3600メートル以上の峠を越えてから、いくらでもお目にかかれた。砂礫のわずかばかりの砂地や岩陰で。丈は15−20センチ、ヒマワリのような花のような形で、花色は紫と赤の混じった色合い。レタスかハクサイのようながくがあって、花を包み込むような仕掛けが、厳寒の高地の植物らしい。葉は肉厚で、薄い毛があり非常に柔らかい。こすると、甘いペパーミントのような香りがした。

古来、関節炎などの漢方薬の材料に珍重されていて、乱獲のし放題。政府は採取を禁止しているのだが、実際には公然と花一つが約68円で売買されているとのこと。馬方連中にとっては、めっにない現金収入の機会とあって、ベースキャンプ地では、盗掘してきた雪蓮の仕分けに大忙しだった。=写真、右上=。土壌の浅い所なので、簡単に根こそぎ抜いている。乾燥させたり、酒につけたり。あとで街で見ると、ズタ袋に入れられていたり、綺麗な化粧箱に納められて、いくらでも陳列されていた。こういう問題について他国の人間が、何かすることはないのか。一日になんども歯を磨く習慣を持つテント同室の男性と話したが、いい案が浮かばなかった。

ベースキャンブ地のテント群とボゴダ峰の山塊

ベースキャンプ地にいたる坂道で、帰る途中のイングランド隊に出会った。チョゴリをめざしたが、洪水で道が途絶。こちらでトレッキングしているとのこと。少女のような若い女性が二人いた。キャンプの南端には台湾隊。四人の精鋭でボゴダ峰を49日の日程で攻略しようと来ていて、もう二週間すぎた。北端にはトレッキングの香港隊が大勢いて、こちらは夜遅くまで騒いでいたが、翌朝、きれいに撤退していた。過去の日本隊、香港隊の遭難碑が立っていた。日本隊のは、約10年前、クレバスに落ちて亡くなった京都隊の女性を悼むものだった。

氷河のモレーンでできた砂礫の堤防を上ると、堤防の上は黄色のポピーと白いサクラソウがいっぱい風にそよいでいる。その先に、地の果てのような荒涼索漠たる氷河と氷雪から溶けた水でできた死の湖があった。雪崩と水音が不気味な異次元の風景。風に吹かれて、いつまでも眺めた。自然の風景を眺めていることが無条件にいいのは、そこに利害や思惑が入る余地がないからだ。雪蓮採取の前に沈黙したあとには、一層、そう思う。

牧草地のような草原で馬とともにキャンプしました

草原は、ところによっては、天然のゴルフ場のように美しい。其れが何キロも続くから、すごい。馬、羊の群がいて、ところどころ、びっくりするような岩陰にパオがポツリと建つ。煙が立ち上っていて、中から好奇心にみちた子供や母親の顔がのぞく。厳しい気象、何もない環境。よくもまあ、こんなところで暮らしていることか。食料や水は、エネルギー源は、医療は、楽しみは−−。ナゾのような暮らしをしているカザフ族の一家である。

幸、不幸の問題なんかは、まだゆとりのある暮らしをしている人間の感傷に過ぎない。ここでは生きることが、すべてである。そういう厳しい生活だと思った。そんな場所で、テント泊したら、夜半、気温二度。寝袋にくるまり、フリースを重ね着し、軟弱にも足下にホカロンを置いて暖をとった。用足しに起きると、草原に垂れ込めた星座が、手の届くところにあった。

4000メートルの無名峰の山頂で。背後はガスにかすむボゴタ峰

無名峰は、ベースキャンプ地から、標高差約420メートルくらい登る。太古、海底であった土地の隆起がそのままの堆石の山。尾根筋に四つのピークがあり、そのどん詰まりが無名峰の頂上。一つのピークは槍ガ岳のような穂先。上る途中から横に巻いて、およそ3900メートルくらいの高さの尾根筋を岩伝いに歩き、三時間で登頂できた。リタイヤした二人をのぞいて、みんな嬉しい握手、握手。行動食を食べ、記念写真をとった。

山頂には、中国人ガイドが四年かけて、来るたびに積み上げたというケルンが一つ。彼が調査したGPS(全地球測位システム)によれば、標高はさらに高く、4050メートルとのこと。いずれにせよ、また一つ、富士山より高所に立てた。大満足。テント同室の男性が、食後、ここでも歯を磨いていた。あいにくのくもり空だったが、さいはての岩と雪と氷の山々の景色に見とれた。

蛇足。この辺境のトレッキングに備え、いろいろな生活習慣病の再発をおさえるべく、三ヶ月以上、断酒、断ビールしていた。行程中ずっと左右のヒザにサポーターをつけていたが、幸い予兆もでなかった。天池のパオに戻って、まずビール。そして、ウイスキーの水割り。うまかった。うれし涙がが出るほど、言うことなし。回族の男性のコウリャン酒と交換、杯を重ねた。回族氏は、一行の日本人女性とも意気投合、漢族、カザフ族との団結という意味のことを叫び、日本とイギリスと中国の三種混合酒を呷った。幸せなフイナーレでした。



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