アジア・トレッキング

ナンガパルバット展望 =パキスタン・タトー(2600m)→ドイツ・オーストリア登山隊ベースキャンプ跡地(4300m)(1999/9)

「お伽の牧場」から眺めたナンガパルバット。下は夕日に輝くナンガパルバット


1953年(昭和28年)5月に世界最高峰のエベレストがイギリス隊によって初登頂されたとき、その快挙の報をドイツ・オーストリア登山隊は、ナンガパルバットの山中で聞いた。ドイツ隊にとって過去二十数年、六回挑戦し、ことごとく敗退。実に隊員、シェルバ三十一人の命が奪われている宿敵の山、それが世界第九位のナンガパルバット(8125メートル)である。イギリス隊の快挙に発憤したのか、同年七月、ついに隊員のヘルマン・ブールが単独、無酸素、無装備ビバークという破天荒な行動で初登頂を成し遂げ、宿願を果たした。

八千メートル峰は、世界に14座。そのうちヒマラヤ山脈の西の端に孤高を誇るのが、ナンガバルバット。周囲にニ千メートル級の山しかないので、独り天空にそそりたつ雄姿が素晴らしい。ドイツ隊は、この山麓の台地状の地形を「メルヘン・ヴィーゼ」(お伽の牧場)と名付けており、英語圏では「フェアリー・メードウ」と呼び替えられて、その美しい光景=左下の写真。筆者は左端のテントにいた=は欧米では、ドイツ隊の奮闘の歴史と相まって必見のトレッキング地と高く評価されている。

さて、前置きが長くなったが、この「お伽の牧場」を基地にドイツ隊がベースキャンプ(以下、BC)を開いた跡地までをトレッキングしに行った。パキスタンの首都、イスラマバードから車で、あのカラコルム・ハイウエー(KKH)を一泊二日かけて北上、インダス河に架かるラキオット橋でジープに乗り換え、いよいよナンガパルバットの登山口、タトーに向かう。タトーは、標高2600メートルの小さな村。ここでポーターに大きなザックを預けて、「お伽の牧場」までトレッキング開始。

 一行は日本人三人と、現地ガイド一人。ポーターは、同国のフンザ地方から来ており、パキスタン人というよりも、アフガンの形姿が濃い人たち。先導されて山道をゆっくり歩く。二十分ほど崖道を行くと、ガイドが指さした方角に突然、目指すナンガパルバットの山容が青空に浮き出ている。ガラスの破片のようにきらめく雪に埋まった尾根、ところどころ、雪を交えた黒く凄みのある岩壁。ド迫力の孤立峰が天上にあって、興奮の一瞬だった。

ドイツ登山隊が名付けた銀の牙峰、銀の鞍部も望見できて、このうえなく、うれしい。ここらあたりの松の木(ガイドはパインという)は、ヒマラヤ杉のことだと思うが、きりりと背が高く、まるでクリスマスツリーのようにスマートな姿をしていて、その梢越しに浮かぶナンガパルバットは、一層際だって美しい。やがて巨大な黒い穴を開けた氷河の末端部を下に見る。トレッキング道は、ずっとこの氷河がえぐった深い谷沿いを行く。怒濤のような奔流が音を立てて流れていた。

2時間45分かけて到着した「お伽の牧場」は、標高3200メートル。ここにきて、山の様子ががらりと変わり、ゴルフ場のグリーンのような緑濃い草原に出る。牛や羊が放たれ、木の柵に囲われたキャンプ地と一軒のロッジがある。テントが一張りあった。先客のドイツ人夫妻と後で知った。これも後で聞いたロッジの人の話では、ここに来るのは、一番多いのが、ドイツ人、そしてフランス人と日本人が続くそうだ。

テントを張り、寝袋を広げる。夜は冷え込む。食事はロッジで面倒を見てくれる。一夜明けて朝7時40分、いよいよBC跡地までのロング・トレッキング。片道15キロメートル、標高差1100メートル。道案内にガイドの他にフンザのローカルガイドを一人加えて、ヒマラヤ杉の林を抜けて、小さなせせらぎを越えてさわやか気分で歩き出すが、岐阜から参加した女性が体調不全、どうやら高度順応がうまく行かなかったらしく、ここでリタイア。

すぐに氷河の崖っぷちに立つ。断崖の下に波打つような氷柱とモレーン(堆石)。こんなに簡単に氷河に接近するとは思わなかったので、驚いた。崖道から林の中に戻り、間もなく草原地帯に出る。こんな山奥に放牧の羊や牛の世話をする家族が住む堀立て小屋がいくつか立ち並ぶ。就学年齢の子供たちが、垢だらけの体、裸足、振り乱して髪で近づいて来る。遠くの軒下にうずくまる女性たち。彼女たちは、うつむき加減か、背を向けるかして、決して顔を見せようとしない。イスラム教の戒律は、辺土に行くほど強固に厳しく守られている。

徐々に高度を上げて行く。敢えて言えば、上高地の横尾から涸沢へ向かうような感じだが、視界はもっと広々としている。白樺の葉が黄葉になり、斜面の樹木は紅葉し始めている。一二回、小休止。じわり足腰に長丁場がこたえてくる。ローカルガイドのフンザ人は、聞けば、50歳だというが、手加減というものがなく、黙々と早く歩くので、ついて行くのが疲れる。11時過ぎ、支稜の尾根に着く。ここでランチ。ゆでジャガイモ、ゆで卵、チーズ、ビスケット、アップルジュースがすべて。ジャガイモなどは、皮付きのままゆでてあるが、いかにも小さく貧相。ご当地の人たちの食料事情を垣間見る。視線の先にナンガパルバットの岩壁。視線を振れば、大氷河。すさまじい地の果ての荒涼とした風景の中で腹を満たす。疲れているが、気分はハイ、豊かに満ちている。

ここからの出発後、すぐに狭い幅の氷河を渡るが、ここで東京から参加した男性がリタイア。現地ガイドと、このあたりで休息することになった。この結果、ドイツ隊のペースキャンプまで行くのは、現地のローカルガイドのフンザ人と筆者の二人連れとなった。最初の氷河を越えて、別の支稜に登ると、今度は、幅広く青い氷が妖しく輝く大きな氷河を渡る。=右上の写真は、蒼氷の穴の側での筆者=こうなると、ローカルガイドがいないと、どこを歩いていいのか、サッパリ分からないというのが本音。スタスタと行くフンザ人の後を追うように息荒々しく必死について行かなければ、まさしく路頭に迷う。蒼氷の穴をのぞき込んだりして、再び、支稜に登る。高原にさしかかる斜面道を少し巻いて、ついにBCが設けられた草原の端にたどり着く。あとは、道があってないようもの。まっすぐに記念碑が立てられている小高い盛り上がりを目指した。

午後零時40分、BC到着。=写真左=トレッキング5時間の果てだった。さわやかな冷たい風。瓶の中を洗うのにふさわしいような、ネコジャラシのような赤紫の花が一面に咲いている。見上げれば、あいにくナンガパバットの先端部は白雲が漂っているが、屹立する山容が覆い被さってくるような間近にある。BCから第1キャンプを設営した場所につながる黒い尾根筋が延びている。あの道を通ってヘルマン・ブールたちドイツ・オーストリア登山隊員が行き来したのだ。それを目の当たりに見ることができた。記念碑は、遭難死したドイツ人登山隊員を悼む十字架が建っているだけだった。八千メートル級の登山で、このような草原にBCが設営されるのは、珍しいといわれるが、そうであったからこそ、こうして歴史的な場所を見る事ができて、幸いなことであった。フンザ人と握手を交わし、風に吹かれて、大景観に見とれた。

補足をいくつか。帰途は疲れて長かった。午後5時前にお伽の牧場に戻ったから、一日の行程、30キロメートル、約9時間のトレッキングだった。

トレッキングは楽しかったことは、言うまでもないが、このお伽の牧場に来るまでに、恐怖の冒険ドライブがあり、ここの緊張の連続が相当、体力の消耗につながった。一つはKKHドライブ。御存じのように中国とパキスタン両政府が十数年かけてインダス河畔に開発したハイウエー。北京ーイスラマバード5700キロメートルを結ぶカラコルム山脈越えの稀に見る一大ハイウエー。

といっても、上下各一車線にガードレール、カーブミラー、車線表示、照明など一切なし。山側から大小の落石、降る雨の如し、路上に散乱。そのうえ突如、山羊や牛が路上を横切ったりする。インダス河側は、まさに断崖絶壁。ところによっては、数百メートルの山腹を巻く。急なカーブの連続で九十九折りに走っている。そこへ持ってきて、パキスタン人ドライバーは、まるで運転技術を自慢するかのような猛烈なスピードで走りまくるので、その怖いこと、怖いこと。年間20件くらい転落事故があり、人命の救出される可能性ゼロ。こんな道を往復約700キロメートル走ったのはこたえた。

もう一つ、パキスタンで固有名詞化されている「ジーブ道」。隘路険路が多い山道は、ジーブ一台しか走れない道でつながっている。ラキオット橋から乗り換えたジープ道の恐ろしさは、日本人三人とも帰途は乗車拒否、歩いて帰ろうと言い張ったほどだ。なにしろ、数百メートルの目もくらむような断崖を削り取られて造成された道。 車輪の幅いっぱいの道で、座席から谷底側の下を見ると、ヘリコプターにのっているように遙か下に水流があるという具合。タトーまでの10キロメートル、小一時間は思わず腰が浮き、息が止まる。生きた心地がしなかった。フンザ人のヒゲ面のオジサンがひっきりなしにギアを入れ替えて、うなりを上げて砂利道を進む。いま思い出しても白昼の悪夢のような恐ろしさであった。

黒部渓谷の「下の廊下」をもっともっと高度の位置に押し上げて、ジープで走るようなものだと同行者が恐ろしさを話していた。ここもまた、車もろとも谷底に転落する事故がたまにあるというから怖い。どうもスリルとサスペンスのアドベンチャー・ドライブにたえなければならないのが、辛いトレッキングであった。

さらに補足の蛇足。イスラム教の国。インドと張り合う軍事国家。アルコール持ち込み厳禁。ホテル、ガイド、別の筋、いろいろと当たってみたが、鉄壁の戒律にすごすごと引き下がる。なにしろ、自動小銃を肩からかけたアヤシイ人たちがウヨウヨいるので、頭を低くせざるを得ない。完全休肝日の強要に、膝を抱えて泣き寝入り、寂しい夜でした。