阪神大震災の記録(3)

1月23日(月)
 

阪急バスが上が原南口から西宮北口まで部分開通したので、通勤が少し楽になった。香西さんが料理を沢山作り、恭子の会社まで自転車で持ってきてくださった。また東京の妹より救援物資が着く。好意が有り難い。

1月24日(火)
 

昨夜はまた余震があり震度3であった。恭子は友人の会社の寮に当分泊まり込むとのこと。克彦は大阪まで風呂に入りに行ったとのこと。

1月25日(水)
 

帰社途中、心斎橋の清水湯で風呂に入って帰る。祐子は隣の真名垣さんに仁川の風呂屋に連れて行ってもらたとのこと。遠い親戚や知り合いより見舞いの品が届く感謝する。

1月26日(木)

震災で自宅が全壊した女子社員が出勤してきた。神戸の中突堤か天保山まで船で来、そこから地下鉄で来たとここと。最初は避難所にいたが今は知り合いの家に世話になっているとのこと。

1月2日(金)

阪神バスの山手線が開通した。通勤に関しては震災前に戻った。一安心だ。今日も清水湯で風呂に入って帰る。震災地の人が結構多いようだ。

1月28日(土)
 

昨夜千葉の義兄が見舞いに来神した。代替バスで神戸から来るので、2号線の夙川まで迎えに行った。祐子は義兄と一緒に義母を大阪の香西さんのところへ行くというので車で阪急西宮北口まで送る。義母は1週間程度香西さんのところで世話になる予定。風呂にも入れ、暖かい食事が取れるので安心だ

1月29日(日)
 

上が原浄水場での水汲み。1月25日芦屋までJRが開通し芦屋駅から代替バスが走り出したので、実家の様子とお隣の吉田さんの見舞いに行く。芦屋からバスは始発駅なので座れた。実家は完全に倒壊していた。吉田さんは鷹匠中学に避難されていた。中学の校舎もかなり損傷していた。帰りのバスは満員だった。

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