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兵庫の巨樹・巨木【ひょうごの杜】 > 常瀧寺 大公孫樹
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常瀧寺(じょうりゅうじ)の大イチョウ(公孫樹) (2009.8.2) |
丹波の北西 播州峠の北にある常瀧寺の大公孫樹です。 (所在地:青垣町大名草(おなざ)) ここの大公孫樹は、推定樹齢1,300年(伝承)、幹廻り約11.0m、平成11年に県の天然記念物にも指定されています。 常瀧寺は養老2年(712)に法道仙人により開山され、大公孫樹はその法道仙人によるお手植えと伝えられています。 |
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常瀧寺はかつては裏山の中腹辺りにありましたが、明智光秀の丹波攻めに遭い焼失してしまいました。 この大公孫樹だけが難を免れて残ったのだそうです。伝承では樹齢1,300年との事です。 通説では公孫樹の伝来は室町時代と云われていますので、日本の公孫樹の樹齢は700年未満という事に なりますが、この樹を見ていると1,300年と言われた方がしっくり来ます。 (下左)常瀧寺です。落ち着いた佇まいです。境内を通り抜けると、登山道の途中に出ます。 (下右)大公孫樹までの登山道は約1km、常瀧寺の境内を抜けるルートからだと750m地点からのスタートと なります。昨日(2009.8.1)、丹波地方は記録的な豪雨に見舞われており(1時間に60mm以上)、 国道427号や429号で土砂崩れもありました。ご覧のように登山道は水にえぐられて穴だらけです。 |
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(下左)おぉ〜っ! 谷側が崩れてる・・・。 (下右)えーっ!? 道が半分無くなってるー!! このまま進んで大丈夫なのかなぁ・・・。 |
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(下左)いたる所に集中豪雨の爪あとが残されていました。 (下右)登山道の登りに向かって右手から、山の湧き水が道をくぐって左手の谷へと流れていました。 集中豪雨でこの泉が登山道へと溢れ出し、道のそこかしこをえぐっていったのかぁ・・・と、 独りで納得。 |
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(下左)ふと顔を上げると、眼下には大名草の集落の眺望が広がっていました。 こんなに高い所まで登って来てたのか〜、と独り感心。 (下右)途中から登山道一面を苔のような背丈の低い草が覆い、踏むと水が染み出て来る程の湿った道と なりました。保水機能のある道は、豪雨に土を削られる事もなかったようです。 |
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やっとの事で辿り着いた旧常瀧寺跡地。真正面から出迎えてくれた大公孫樹は(下左)、巨樹と言うには ちょっと痩せっぽちの若造のような・・・。と思いきや、その奥にこの山の主かのような、妖怪か何かを 連想させるような異様な風貌の巨樹が、ドッカと居座っていました。(下右) 谷側に張り出した枝(右側写真の右下)からは沢山の気根が地表へ向けて伸びています。 そしてその枝の一つが地中に潜り、新しい幹となっていました。(下左) |
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イチョウと言えば「銀杏」の字が良く知られますが、巨樹には「公孫樹」の方がピッタリ来る感じがします。 公孫樹・・・「公」は祖父の尊称で、祖父が種を蒔いても実がなるのは孫の代になることから、 この表記もされるそうです。 大公孫樹の枝から伸びる多くの気根は女性の乳房に見立てられ、別名「乳ノ木さん」と呼ばれて 母乳の出の悪い女性の信仰を集めてきたそうです。 |
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この辺りは保水が良いからか、山ヒルがもの凄く沢山いました。十数秒間じっとしていると、片足につき
2〜3匹はよじ登って来ています。蛭は移動する時は写真のように細長く伸びて、尺取虫のように這います。
ハイカットのワークブーツを履いていたのですが、簡単によじ登ってズボンの裾との隙間から入られて
しまいました。足首・ふくらはぎと、何箇所も咬まれて血まみれになっていました。(蛭は抗血液凝固
物質を注入した後に吸血します。蚊と同じですね) |
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次回は蛭もおらず視界も広くなる晩秋か春先に来よう、・・・いや、イチョウですからやはり
紅葉の頃ですよね、やっぱり。 |
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