CBCラジオ 『燃えよ!研究の志士たち』

2025.収録内容(教育関連内容のみ抜粋、若干修正)

 

MC: 先生は、「骨なし魚」の養殖に成功されました。骨の苦手な子供たちや高齢の方にも抵抗なく栄養価の高い魚を提供したい。そんな熱い想いから生まれた成果だと感じました、そのような志が生まれた経緯について伺いたいと思います。

 

杉浦: 

 私は子供のころから魚を捕ったり飼育したりすることに熱中していました。小学生までは四手網で、中学からは投網も打つようになりました。高校になると友達の影響で熱帯魚の世界に引き込まれていきました。熱帯魚と言っても、きれいな熱帯魚ではなく、古代魚とか怪魚と言われる魚たちです。その当時は、多くの魚を多くの水槽で飼育していました。でも、その頃から強い志があった訳ではありません。その後、様々な環境の中で揉まれることで、少しずつ志が明らかになり、強くなったのです。中でも最大の転機は、中東シリアでの3年間でした。

 そこは日本人が全くいないシリアのへき地。電話も通じない、インターネットもまだない時代、言葉も文化も生活様式も、仕事に対する意識も、日本とは全く違う世界でした。そんな所で食料を増やすために養殖の技術協力をしたんです。3年間。一人で。

 最初の頃は筆談でしたよ。ポケットにいつも紙切れと鉛筆を持ち歩いていた。それに書くんです、絵を。言葉が分からないから、字ではなく絵です。あとは身振り手振りでコミュニケーションをとっていました。それでも3年後には何とか任務を完遂し、成果を上げることができた。

 この逆境の体験こそが、私を鍛えてくれた。骨のある人間にしてくれたのです。これは嘘でも誇張でもなく、私にとって最高の教育でした。

 そしてそのとき、自分の志も強く、はっきりと見えてきました。それは「世界の食糧問題を養殖で解決する」という壮大な志です。シリアの後、アメリカに渡ったのも、その武者修行のためでした。カバン一つ、片道航空券での渡米。予算はわずかな貯金のみ。特別なコネや紹介があったわけではありません。奨学金なども頂いていません(もちろん何度も応募したのですが……)。親や誰かからの援助もありません。だから、学費も生活費も全部自分で働いて支払いました。

 アメリカでの12年間は、毎日が切磋琢磨の連続でした。休みたいとか遊びたいとか、頭の片隅をよぎったこともありませんでした。

 アメリカでもたくさんの貴重な体験をしました。12年もいたのだから、当たり前ですね。中でも、ワシントン大学でドナルドソン教授の授業を受けた経験は、今となっては大きな財産です。

 ドナルドソン教授は、大学では「ドク」と呼ばれていました。ドクは養殖の分野ではまさに神様のような存在、多くの業績で世界的に知られていました。その一つが、ドナルドソントラウトという大型のニジマスで、日本でもよく知られています。実は私も若い頃、富士山のふもとにある民間の養殖場で、このドナルドソントラウトを3年余り養殖した経験がありました。現場で毎日、力仕事をしていたんですね。私にとってドクは、この頃からあこがれの存在でした。

 そしてもう一つ、ドクの有名な業績に、「サーモン回帰プロジェクト」というのがあります。大学のサケ産卵池に毎年1000匹前後のキングサーモンやコホサーモンが戻ってくるのです。その光景は圧巻で、とても言葉では表現できません。学生として、その産卵育成事業に従事した日々が、今も脳裏に焼き付いています。

 大学の孵化場から旅立った体長わずか2センチ、丸顔の可愛い稚魚たち。それが3〜4年後には、1メートルほどに成長して戻ってくるんです。太平洋から、自分が生まれた大学の孵化場まで。迷路のように入り組んだ内湾を通って、まるで頭の中にカーナビでも内蔵しているかのように、道なき道をピンポイントで戻ってくるのです。まさに奇跡の能力ですよ。

 採卵の時は、一匹ずつ手に取り、熟度を鑑別した後、まず延髄を切って魚の動きを止めます。同時に血を放出します。その後、腹を切り開いて熟した卵をかき出します。それを、等張液で洗浄し、精子で受精させます。一連の作業をしながら、私は心の中で語り掛けるのです。「よくぞ帰って来た、立派になったな」――その勇ましい姿に、私は学生の成長というか、教育のあるべき姿を重ね合わせていたのです。

 

MC: 先生は、教育哲学?も修められていますが、今の時代、教育に何が求められているとお考えでしょうか。

 

杉浦: 

 はい、大変重要な質問ですね。教育の軸がゆらぐと、人も国もおかしくなってしまう。なのに、教育については、誰もが好き勝手なことを言っている。本当に正反対なことを真顔で言い合っている状態です。これほど奇妙なことはないでしょう。私は理系の人間だから、このような状態に物凄く違和感を感じます。正反対ということは、「こうしなければならないのに、それと逆のことをする」、ということです。理屈からして、とんでもないことです。

 一体、誰が正しくて、誰が間違っているのか?――それをハッキリさせたくて私は教育哲学を学びました。教育哲学の世界では、人類史上最高の頭脳たちが真剣に教育論を交わしています。彼らの考えは、世界中で何百年、何千年もの時空を超えて支持されてきた普遍的なものです。一凡人の体験や思い込み、あるいは素人集団の多数決よりも、よほど信用できる。そうした思いから私は教育哲学を学び、やがてそのことを強く確信するようになったのです。

 もちろん一つの教育論で、全ての生徒に対応できるはずがありません。最終的には個別対応が必要です。そうは言っても、全体的な教育論が決まらなければ、教育方針も政策も立てることができない。だから8割の子どもに通用する「正しい教育論」が必要なのです。それが教育を前に進めるための土台となるのです。個別対応は末端、8割の教育論は中枢です。

 さて本題に戻ります。今の教育の一番の欠点は何か? それは、子供を可愛がり過ぎている点です。もちろん可愛がること自体は悪いことではない。でも、それは幼少期だけで十分です。それ以後は厳しさが必要です。その厳しさを愛情というのです。「可愛い子には旅をさせよ」とはそういう意味です。

 ワシントン大学のサケがなぜ1メートルを超え、精悍な顔つきになって帰って来るのか? それは弱肉強食の野生で、多くの試練、苦労、失敗を経験してきたからです。人も同じです。ラクな環境に守られているだけでは、強くなれません。試練を乗り越えてこそ、成長できるんです。

 ところが今の教育は、家でも学校でも母性が強すぎる。保護者も先生も子供を守りすぎている。だから、子供はなかなか自立できない。保護者の使命は、子を保護することではなく、自立させることです。自立させるためには、保護の手を離さなければいけません。これは人間でも動物でも鳥でも同じですよ。

 でも今の時代、学校での失敗は許されない。まず保護者がそれを許さない。子ども自身も失敗をひどく嫌う。だから先生は保護の手を放すわけにはいかないんです。先回りして、「転ばぬ先の杖」を出し続けるしかないのです。皮肉なことに、そのように手厚く守るほど、先生と生徒の信頼関係はかえって強くなり、保護者や学校からの評価も高くなります。

 でもね、失敗がないということは、同時に、失敗から考え、学ぶ機会も奪ってしまう。失敗に耐える力も育たない。そして何より、失敗を乗り越えたときに得られる達成感、自信、喜びの経験まですべて失ってしまう。その結果、失敗を恐れて挑戦できない臆病な人間になってしまうのです。

 臆病は、各人が持っている才能や、一世一代のチャンスまでも奪ってしまう。まるで、そんなもの最初から無かったかのようにね……。本人が決して気づくことなく、奪ってしまうのです。臆病というのは、人生を蝕む難病なんです。

 つまり、失敗を許さない今の教育環境・教育方針が、学校から真の教育機能を奪っているのです。失敗だけでなく、学校で起きる様々な逆境こそが、重要な教育的役割を果たしています。これらの価値を当事者である生徒と保護者が認識しない限り、学校は教育機関などではなく、ただの知識を詰め込む「知育機関」でしかなくなる。このAIの時代に、知育が役に立つのは、せいぜい受験やクイズ番組ぐらいでしょう。

 学校は本来、総合的な教育の場であり、社会の縮図です。子どもたちが様々な体験を通して、考え、悩み、学ぶ場所です。その機能を果たすには、失敗を認めること、むしろ小さな失敗は歓迎するぐらいでいい。もちろん、命に係わるような大失敗はダメです。小さな失敗なら、それは最高の教育材料になる。子どもは失敗を克服して、成功体験を積み重ねていく。その繰り返しの中で、精神的に少しずつ強くなって、やがて自立できるようになるのです。

 

MC: ありがとうございました。四週にわたり、貴重な体験、研究成果、教育について伺ってきました。最後に、研究者を目指す若者にメッセージをお願いします。

 

杉浦: 

 まず大事なのは、好きなこと・楽しいことを全力でやるということ。これは分野を超えた成功の法則です。本当に好きなら自然と能動的、主体的になれるでしょ。しかも好きなことは効率よく覚えられる。いくらやっても疲れない。ストレスにもならない。これって最強の武器ですよ。全力で走っているのに疲れないって、凄いことじゃないですか。

 その一方で、好きなこと、やりたいことが「分からない」「何もない〜」、という人もかなりいる。大丈夫、そういう時は重要なことをやればいいんです。衣食住や医療に関すること、これは間違いなく重要です。実存哲学のニーチェもこう言っています。「人は自分の仕事が重要だと信じられない限り、その仕事を続けることはまず出来ない」

 確かに、若い時は、「楽しい」「面白い」「好き」といった感覚で自分の将来の夢を描きがちです。もちろんそれは悪いことではない。でもね、人は人生のどこかで、「自分のやっていることって、本当に重要なことなのか?」ということを意識するようになる。なぜなら、重要なことをしている人こそ、重要な人、価値のある人だからです。

 だから、研究をするに当たって、好奇心などなくてもいいんです。大切なのは、重要なことに使命感や情熱もって取り組むこと。そうすることで、自己肯定感は自ずと高まる。研究にも自分にも誇りを持てるようになる。さらに言えば、その重要なことの中で、自分にしかできないことをやる。その感覚が未来を切り拓く研究者に必要だと思います。

 

MC: 今回のお客様は、滋賀県立大学環境科学部 教授 杉浦省三さんでした。

 

 

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