志は心のいのち――サケの生きる力―

 

杉浦省三

滋賀県立大学 環境科学部・環境科学研究科 2012年年報掲載(一部修正)

 

 

サケ(鮭)の仲間は、山間の生まれ故郷で一生を終える。しかし、その生涯の大半を、遠く遠く離れた大海原で過ごす。

 

時は晩秋。毎年この時期になると、太平洋から二〜三千尾ものキングサーモン、コーホサーモン、ソックアイサーモンなどが、産卵のため生まれた場所に戻ってくる。たとえそこが学生数四万人を超えるワシントン大学の構内であっても……。

1949年、水産学部のドナルドソン教授は、大学の実験場からキングサーモンの稚魚2万3千尾を試験的に放流した。4年後、そのうちの23尾が、大きく成長して戻ってきたのが始まりだ。慌てて魚道や産卵池を作り、帰ってきた「わが子」を迎え入れた。以来、毎年、人工産卵と稚魚の放流が継続されてきた。

作業の大半は、大学の授業(実習)として行われた。地元の小学生が毎回その様子を見学するなど、地域の環境教育としても機能してきた。教育面だけでなく、サケの産卵回遊(とくに回帰率を高めるための技術)に関して多くの研究成果もあげてきた。当初0.1%だった回帰率も、1.6%を超えるまでに向上した。しかし……、60年余り続いたこの由緒ある事業も、予算削減や研究分野の変遷などの理由で、間もなく幕が下ろされる……。歴史の終わりに心が鬱ぐ。

20年近く前、私は学生としてこの授業を受けた(受講生10人程度)。毎週、池に入って網を曳き、親魚の熟度鑑別と採卵を行なった。当時はまだドナルドソン教授(通称ドク、92歳)も健在で、実習にも立ち会っていた。

大学から旅立った「か弱い」稚魚が、3〜4年後、巨大な姿に変身(成長)して戻ってくる様は、筆舌に尽くし難いほど圧巻であり、感動的だ。巨大なキングサーモンを手に、私は、この魚たちに「学生の成長」(教育のあり方)を重ね合わせていた。

 

 実は、これより遡ること78年前、私は日本の民間養殖場で、ドナルドソン・トラウト(有名なニジマスの大型品種)を、現場技師として3年余り養殖した経験があった。世界的に有名なドナルドソン教授の偉業についても、“一般常識”として知っていた。

 果たして、サケが母川を目指して遥かなる産卵回帰をするように、私は、いつしかドナルドソン教授のもとに回遊していたのである。「私はドナルドソン教授のサインをもらうために、この大学にやって来た」と、入学直後のオリエンテーション(自己紹介)で豪語していたことが思い出される。

 

キングサーモンは、日本のサケよりも一回りも二回りも大きい。しかし面白いことに、同じ親から生まれた魚でも、海に下って大きく成長する者と、生まれた川(母川という)に留まって、あまり成長しない者(通称ジャック)がいる。キングサーモンなのに、ジャックは30センチ弱にしかならない。なぜジャックと言うのか? 多分……、キングより小さいから(トランプ)。

サケが過ごす外洋は、外敵が多い一方で、エサとなる生物も多い。海に出た者は、幾多のリスク(試練)と戦いながら、豊富なエサを得てグングン成長する。そして3〜4年後には巨大魚へと変身する。一方、慎重者(臆病者?)のジャックは、外敵は少ないが、エサも少ない生まれ故郷の川(母川)で、成長よりも、生残のために生きているようだ。

 

私は、よく学生に海外体験をするよう勧めている。若いときの海外体験が、その後の人生において大きな糧になると確信しているからだ。中東シリアと米国各地――海外生活15年の私は、海外体験の重要性を学生に伝える「ある種の使命感」を持っている。残念ながら、このような使命感は、学生にとっては「いい迷惑」のようで、興味をもって質問や相談に来る学生など1人もいない……。私のような「流れ者」にならないよう、用心しているのだろう。

せっかく留学しても、帰国後に留年したり、就職活動に不利(遅れをとる、十分評価されない)とあっては、「日本引きこもり志向」(内向き)になるのは当然かもしれない。非日本的な考えに染まったり、日本社会の(人生の!?)レールから脱線するのを恐れている。グローバルな時代だが、海外経験ゼロでも、日本では普通に出世・成功(?)する。学生も保護者も現実主義――だから「留学はやめとけ」ということになる。

そもそも、自ら体験とか苦労などしなくても、世界中の知識・情報を、書籍やネットから簡単に得られる時代だ。それを、アタマの中で要領よく編集し発言・発信するのが“賢者の方法”だろう。所詮、留学や海外経験など、ハイリスクで、割に合わない選択なのか?

 

たしかに、人はローリスクを好む。それは、人の心が「安」を求めるからだ。安は、安定、安全、安心、平安など、心の平穏(やすらぎ)。ローリスク(ノーリスク)は安である。また、安は「安楽」と言うように、ラクでもある。就職難と新卒一括採用のご時世、安の選択は当然の心理だろう。

リスクなき環境、「安の淵」(よどみ)に隠居″する若者たち……。望み通り、安と楽を手に入れ、落ち着いている。しかし、それと引き換えに、何か大切なものを失ってはいないか?

 

ハイリスク――それは試練。自分を鍛えるための修行。その危機感・緊張感が大切ではないのか。特に、のび太や私のような軟弱・怠惰な輩には必要だろう(ただし、ドラえもんがいたら、何にもならない)。

人は誰でも、何らかの才能(潜在能力)を秘めている――(ドロールレポートの)「Treasure within」(秘められた宝)をもっている。この才能を掘り起こす方法の一つが、海外体験である。どこに何が埋もれているのか――自分のことなのに――分からない。この未知の才能を発掘するために、試練と努力が必要なのだ。

自分を教育するのは、結局のところ(親でも先生でもなく)自分自身をおいて他にない。荒海での試練の数々、失敗もすれば挫折もする。しかし、それら全てが自分の経験値、すなわち成長の階段を上がる底力となる。自身の「生きる力」となる。リスク(試練)なき所、このような成長もない。ローリスクすなわち「安」の環境は、堕落の温床になりかねない。

 

ハイリスクは真剣勝負。油断や甘えは命とり。その武者修行の旅に唯一必要なもの、それは「志」に他ならない。

   「志定まれば、気盛んなり」(孔子)

   「志は気の帥(すい)なり」(孟子)

志は「心指す」と書くように、ある方向を目指す自発的な気持ちのこと。すなわち、志は全ての気(本気、勇気、やる気、元気など)の大元である。高く強い志をもって、どんな試練をも一所懸命に乗り越える――背水の陣で臨む――そうやって、ハイリスクをローリスク・ノーリスクに変え、成長というハイリターンを得る。そして、その自信と実力が、次なる試練に挑む「勇気」となる。

   「志なき者の一生が面白うないは道理」(平清盛?

   「志なき者は、魂なき虫に同じ」(橋本佐内)

高く強い志をもつことが、何より重要である。

 

ところが、昨今の大学生は、志どころか、「やりたいことがない」という。「志って必要なんですか?」と真顔で聞く……。困ったねえ。そんな人こそ海外に目を向けるべきだろう。若いときの海外体験が重要な理由、それは、志を立てる(見つける)ためでもある。

   「志を立てて、もって万事の源となす」(吉田松陰)

世界には、いかに多くの生き様(人生の重要な選択肢・別の価値観や人生観)があるか――それを身を以て知るために、世界を体験するのである。とくに発展途上国など、日本とできるだけ違う世界、過酷な環境がよい(もちろん国内でも、被災地など惨苦の中で学ぶことは多い)。

たしかに、言葉も文化も常識も違う海外での生活は、不安でいっぱいだ。しかし、これしきの不安から逃げてはならない。不安とは、先に述べた「安」の反対、すなわち、前進・成長のベクトルなのだから。

 

一方で、欧米などの先進国でしか出来ないような研究・経験も多い。日本と研究環境が異なるためだ。昨年、ノーベル賞を受賞した山中教授をはじめ、多くのノーベル科学者が、海外における研究修行の重要性を指摘している。私ごときの言葉には塵の重みも感じないだろうが、ノーベル科学者の言葉には、千鈞の重みがある。

しかし、そのような一流の研究や研究者に憧れるほど、研究にのめり込んでいる学生が見当たらない。米国など海外の大学院に進み、自分の可能性にチャレンジしようという「Uncontrollableな志」が沸き起こらないのか? それとも、自分の今の生き様に満足しているのか? 若朽しているのか? ん〜何とも、残念だ。

 

最初は誰もが、ひ弱で頼りない子――わずか2センチ、丸顔の可愛い稚魚。それが、勇猛果敢にも大海に出る! 厳しい野生、戦国の世を、各々の才能で生きる。ある者は、大海原でのハイリスクに呑まれ、命を落とす。ある者は、たくましいキングサーモンに成長する。

しかし、一体、何のために成長するのか・成長しなければならないのか? そもそも、何のために生きているのか・生きなければならないのか?

外洋から何千kmもの道のり。滝や急流を遡上し、満身創痍の身で、上流の生まれ故郷に帰還するため。そして産卵という難行苦行の任務を遂行するために成長するのだ。産卵期のサケは、物凄い形相をしている。決死の気迫が、その顔にも表れている。

しかし、なぜそこまでして、任務を遂行するのか? その気概の元は何か? なぜ、もっとラクに――クラゲのように――生きないのか?

 

サケの卵は魚類の中でも、際立って大きい。産卵を終え、灰の如く燃え尽きて一生を終えるサケ。成長した自分の体を、全て卵に変えているのだ。子どもたちは、親からもらったその栄養(愛)を吸収しながら、孵化までの2ヶ月間、ゆりかご”の中でゆっくりと育つ。決して生き会うことのない親と子――生まれながらにして風樹の嘆――孝行すること叶わず、悲しみの深淵に沈む思いだろう。いや、この悲しみこそが、サケの志を不撓不屈のものにしているのかもしれない。

心を受けると書いて「愛」。親から受けた愛を糧に、大きく成長すること、そしてその愛を次の世代にしっかり伝承すること。それが、サケ流の孝行なのだろう。そこには、世代を超えた「不死の志」が生きている。だから――誰に教えられた訳でもないのに――自分の生まれた場所に遠路遥々帰ってくる、そして、穴を掘って産卵して埋める、などの神業ができるのだろう。不死の志が、サケの波乱に満ちた生涯を貫いているに違いない。なんと力強い、サケの生き様よ。

志あるところ道あり・志あるところ我あり――学生よ――大志を抱け。

 

 ワシントン大学のサケ産卵池で親魚の選別をする(1995年当時)Photo(C)Sugiura

 

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