何を研究するか?

 

研究をしていると、「未だ分かってないことが多い」ということがわかる。研究すればするほど、必然的にそうなる。学生や若い研究者の多くは、「分かっていないから研究する意義がある」、あるいは「誰かが研究しなければならない」と、研究の“必要性”を主張する。

 

分かっていないこと(誰も研究したことのないこと)を世界で初めて調べる訳だから、その結果は当然「新しい知見」となる。どのような結果であろうと、全て“発見”という言い方ができる。しかし、この発見、何か「価値」があるのか? 

 

分かっていないこと(研究されていないこと)は至る所に存在している。なぜ今まで誰も研究しなかったのか? それには何か理由があるのではないか? 「分析機器や技術(方法)が無かったから,研究したくても出来なかった」という理由も当然あるだろう。しかし、おそらく最も多い理由、それは、「分からないままでよかったから」ではないか。

 

分からないことの中で、重要でないこと(社会的、学術的意義の低いもの)が、これまで誰も研究することなく、分からないまま現在まで放置されているのではないか。すなわち、分からないことの中でも、研究の優先度に大きな違いがあるのではないか。

 

限られた研究予算、人員、時間などの制約の中で、先人たちは「どれが重要で、どれが重要でないか」を常に意識しながら、重要な研究を優先させ、それらを選択的に行ってきたのだろう。さらに、重要な研究を行うことが、研究者の使命すなわち社会的責任であり、そして何よりも「研究者としての誇り:プライド」だったのではないか。

 

したがって、未だに分かっていないこと――それは、先人たちが「重要でない」と判断した可能性が高い、ということをまず疑うべきだろう。もし、「分かっていないから調べる」という道理で研究をするなら、分からないことばかりのこの世界で、研究費はもちろんのこと、研究員も時間も困苦欠乏となるのは必至である。

 

一方、重要でない研究を、「興味があるから」「面白いから」という理由で行なうのは、趣味や道楽と同じである。そのような「無益な研究」を時々学会などで見かける。特に、近年多く見られるようになった。その百倍も千倍も重要な「やるべき研究」が山積みなのに……。「重要な研究とは何か?」――それを検知する敏感なアンテナを持つこと、それは研究者として大切な能力だから、ぜひ身につけてほしい。

 

重要な研究、重要な仕事、重要な役職など、重要な]]に従事する人は、「重要な人」である。

重要な人のうち、代替できない人を、「必要な人」という。研究者は、必要な人でありたいものである。

 

  未利用資源の飼料化に関する研究

 

 

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