御本尊の中に・・・
当寺は何度も焼失、復興を重ね室町時代・寶徳二年(一四五〇)一蓮社光日良公上人が法然上人ご旧跡として法性山宝樹院一運寺(現在は金龍山寶珠院一運寺)と命名し浄土宗の寺として再建された。それまでは天台宗の寺院だったようである。浄土宗一運寺になって現在第24世である。
紙本墨書一運寺縁起によると寛永九年(一六三二)当時の宝物として聖徳太子作の七寸五分(約二十三センチ)の阿弥陀像「御腹籠之御尊像」が本尊とされているが元禄十四年(一七〇一)の摂陽群談には「浄土宗知恩院末 開基宝徳二年良公上人造立 定朝手作りの弥陀(座像二尺九寸)本尊とす」こちらが現在の本尊阿弥陀像である。わずか六十八年の間に御本尊が代わっているのである。「御腹籠之御尊像」とあるようにもしかしたら現在の本尊の中に聖徳太子作の小さい阿弥陀様が入っているのかもと思うとロマンを感じずにはいられません。
元々山門は
一運寺の山門は元々住吉細井川の近くにあった明治天皇の側室のお屋敷の門であった。その後その屋敷を大阪出身の作家、藤沢桓夫氏が買い取り住んでおりましたが新築する事になり門もろとも潰されることになりました。その工事を請け負った大工が寺の総代で当時寺は地震倒壊で山門が無い状態でした。そこでその家の門を譲り受け山門となりました。昭和三十年ごろの話でございます。