☆平成14年12月8日☆
熱田神宮〜笠寺観音〜鳴海宿〜池鯉鮒宿
東海道五十三次ウォークも2年目に入った。
距離が延びるにしたがって、自宅からのアプローチが長くなる。つまり行きかえりの時間と交通費が増えてゆくわけである。
今回は自宅を6時に出発、東名阪・名四国道を走って、7時40分に熱田神宮に到着。今日は知立までの20キロのロングコースなのである。
熱田神宮から宮の渡しへ向かわずに、伝馬町の商店街を通り呼続へと向かう。飲み屋の赤ちょうちんの下で二宮金次郎が呼びこみをしている。さすが働き者の街名古屋、二宮金次郎も学校からアルバイトをしてるんだ。
大都会名古屋といえどもこの道は旧東海道、随所に設置された立派な”東海道”の標識をたどりながら、今までの街道歩きと変らない雰囲気の中を歩いてゆく。お寺でトイレをお借りするのもいつもと同じ。標識の前で記念撮影するのもいつもと同じ。ただ、何度も歩道橋を渡ったり、高架をくぐったりするのはいつもとちょっと違う。やっぱりここは都会なのかな?
呼続を過ぎるとまもなく笠寺観音に着く。お寺好きの我が家はここで小休止。お参りをして、お菓子を食べて。願掛け地蔵に水を掛けて…。
子供達は何を願ったのだろう?
笠寺一里塚を越えて、鳴海宿へ向かう。
橋を渡り、交差点をいくつも渡ってようやく旧街道の趣を残す道に入る。
カラー舗装された細い道に入る、歩き始めて2時間、ようやく鳴海宿である。
鳴海
鳴海宿に入るとそれまでの喧騒から一転、静かな街道歩きを楽しめる。
カラー舗装されたせまい道、わずかに残る古い町並み。
どこにでもあるような旧東海道の風景が大都会名古屋にある。どこかホッとする。
しかし、遠くを見ると高層マンションが…
平部の常夜灯で一休みし、有松へと向かう我々の後ろから自転車に乗った女性のかたから声をかけられる。
「はじめまして、遠いところからよくいらっしゃいましたね。」
鳴海在住のインターネットの山友達のKさんだった。

メールやチャットでは親しくさせていただいているけれど、ライブでお会いするのははじめて、
ちょっとだけ緊張しながら、しゃべりながら街道歩きを楽しむ。
デジタルなインターネットの世界で知り合った人との現実での会話。
しかも旧東海道、歩きと自転車。なんとも奇妙な取り合わせである。
Kさんと離れ、有松に入る。ここは見事に旧街道の風情を残している。
絞り会館で、伝統工芸の絞りを見学。さすが伝統工芸、高い!
町並みの中にある蕎麦屋で昼食。
娘はは迷わず”味噌煮込みきしめん”を注文!
「名古屋に来たらこれを食べなきゃ!」
(なんてミーハーな奴らなんだ!)
結局、オヤジ以外は全員きしめん、オヤジだけが蕎麦を注文!
おいしかった。(次回は絶対きしめんを食ってやる!)
有松の町並みを過ぎ、東海道は国道1号線に沿って名古屋市から豊明市に入る。右手には中京競馬場が見える。有馬記念にはまだ早い、今日はやめとこう!左手には桶狭間古戦場が見える。
織田信長VS今川義元の決戦があった場所である。

再び旧街道へ入り、左右一対に残っている阿野一里塚を過ぎ、再び一号線に合流。三河・尾張の国境を流れる境川にかかる境橋を渡る。この橋を渡ると三河の国。京都から歩いた距離も150キロを越えている。
境橋から今川町・今岡町と旧街道を歩き、逢妻川を渡るといよいよ知立市。今回のゴールである。知立神社の多宝塔を左に見て、いくつか了運寺の前を右に折れ、名鉄知立駅に向かう。歩いた距離は21キロ、さすがに全員寡黙である。根性だけが最後の武器である。午後2時40分名鉄知立駅に着く。鳴海のKさんに電話を入れる。「お疲れ様でした、気をつけて帰ってね。」

知立から名鉄で熱田神宮に戻り、今度は宮の渡しへ立ち寄る。予約しておけば桑名まで船で渡れるようだ。楽しみが、また増えた。
1年ぶりに歩く東海道。北岳以来4カ月ぶりの家族でのハイキング。
心地よい疲労感を感じながら名四国道を西に走り自宅へ戻る。
池鯉鮒
☆平成14年12月22日☆
知立宿〜安城〜岡崎城〜岡崎宿
今日の予定は岡崎宿までの17キロ。
今回のスタートは名鉄知立駅、家からは国道1号線&伊勢湾岸道路を飛ばす事2時間。
知立駅前から歩く事15分、1号線を渡ると、並木八丁と呼ばれる松並木へと東海道は進んで行く。京都を出発して述べ11日目にして初めてお目にかかる本格的な松並木である。車道の脇を縫うように松並木に沿って歩いて行ける。途中に馬の像と馬市を描いた広重の絵の案内が立つ。知立はかつて馬の産地であったのだろう。
馬といえば今日は有馬記念!昨日買った馬券は当たるだろうか?

来迎寺一里塚を過ぎ、東海道は安城の市街地に入る。街道沿いの永安寺という寺の境内に雲竜の松と呼ばれる樹齢300年を越すといわれる松の巨木があった。でかい!永安寺を過ぎ、安城市尾崎町で東海道は再び1号線と合流。午前11時、道路沿いのラーメン屋で早めの昼食。今日もきしめんは賞味できずである。
1号線と合流した東海道は宇頭町で岡崎市に入る。矢作町を過ぎ、矢作橋のたもとに”出会いの像”と呼ばれる像が立っている。日吉丸(後の豊臣秀吉)と蜂須賀小六の像である。この橋の袂で両者が出会ったという伝説の場所だそうである。
像の前で休憩し、足をほぐしいよいよ岡崎城下に入る。(ここからは観光旅行なのだ!)
岡崎城下に入るとまずは八丁味噌の郷へと向かう。”八丁味噌の郷”は岡崎名産の八丁味噌の工場見学や試食をさせていただいた。しっかり奥様はお買い物モードに入っている。
岡崎
続いては岡崎城の見学である。徳川家康生誕の地岡崎、
三河武士発祥の地岡崎。
坂本竜馬や高杉晋作が大好きな私としては、あまり足が進まないのではあるが、天守閣まで登る事にする。展示品や天守閣からの展望に子供たちは大喜びである。再び城下に戻り、今度は”岡崎二十七曲がりを歩く。が、しかし、どこでどう曲がっていいのかさっぱり分からない。ガイドブックには”容易に辿る事が出来ると書いてあるが、どこを歩いているのかさっぱり分からない。まるでオリエンテーリングである。ウロウロしている間にも時間は無常に過ぎてゆく。
しかたなく、名鉄東岡崎駅まで戻り。帰路に着く。
☆平成15年1月4日☆
岡崎宿〜藤川宿〜赤坂宿
平成15年の初歩きは岡崎五万石、年末に迷った二十七曲がりから始まる。二十七曲がりは、曲がり角にある標識を辿って行けば容易にたどれるらしい。が、標識が見つけにくく、その上に持っている地図が分かりづらい。さらにひとつ曲がり角を間違えるとどこにいるのか分からない。開始早々、”徳川幕府の罠”にはまってしまってしまった。ようやく確認できた現在地が二十七曲がりのはじまり。京から下っている我々にとっては二十七曲がりの終点であった。今日は赤坂宿までの長丁場、のんびりしている時間はない。あくまでも我々の目的は、歩く事、先を急ごう!
二十七曲がりをあきらめ、東へ進む。国道1号線と合流し、東名高速の岡崎ICを過ぎると太平一里塚、さらに西大平陣屋跡に着く。この陣屋は、名奉行大岡越前守忠相が構えた陣屋だそうである。ここで一休み。天気は快晴ではあるが、強風、寒い。陣屋をあとに、再び国道1号線を歩く、神馬崎で京に向かう街道ウォーカーにご挨拶。神奈川にお住まいの御夫婦である。
藤川
神馬崎を過ぎると、1号線と離れ東海道は進んでゆく。いきなり見事な松並木である。ここからが藤川宿のはじまりである。松並木を過ぎると藤川小学校前に西の棒鼻跡、さらに、本陣跡、高札場跡を過ぎ東の棒鼻手前に駐車場兼休憩所があった。”歴史街道ルネッサンス”なんだかよく分からんネーミングではあるが、それなりに旧街道に力を注いでおられるのはどの宿場でも同様のようである。しかし、東の棒鼻は見事に往時の姿が復元されており、地元の人の気合いを感じた。
藤川宿を過ぎ、東海道は再び1号線に合流、舞木町で山中という集落に入る。その名の通り、山の中で何もないのどかな田舎道の集落を過ぎ、本宿へと歩いて行く。本宿で昼食をとり、法蔵寺という寺を過ぎるとゆるやかな坂道を登り国道1号線に合流する。ここにも”歴史街道ルネッサンス”の碑が建っている。
国道1号線と合流した東海道は、しばらくゆるやかな上り坂が続く、本当に何もない山沿いを歩いてゆくこととなる。坂を登りきると音羽町へと入る。
赤坂
音羽町に入っても、東海道はのどかな田舎道である。どこにでもあるようなお寺、どこにでもあるような小学校。どこにでもあるような田舎の風景である。
街道から離れた1号線沿いに、”えびせんべい共和国”というお店を発見!
前回の八丁味噌に続いて、見学&お買い物タイムに入ってしまった。
歩きつかれた体にえびせんべいの塩味が美味しい。
20分ほど歩くとようやく赤坂宿の核心部へと入る。
休憩施設を兼ねた資料館を過ぎると、右手に”宮路山”という案内が見える。
宮路山!ファミリーハイキングのメーリングリストで時々話題になる山である。
「これが噂の宮路山か」と案内を眺める。
高札場跡を過ぎると、いろんなガイドブック、いろんなホームページに必ず出てくる”旅篭大橋屋”である。この旅篭の建物はなんと江戸時代に建てられ、現在も営業中だそうである。
大橋屋の向かいには民芸品を売っている”尾崎屋”がある。尾崎屋さんも街道筋の面影を残す数少ない建物である。
尾崎屋前の交差点を左に折れ名電赤坂駅に向かう。
名電赤坂駅、この駅には急行が止まらない!通過電車を何度も見送り、待つ事30分ようやく東岡崎行きの各駅停車が到着!
「御油まで歩けたな!」完全に計画ミスだった。
まぁいいか、次回は御油・吉田・二川。
2年目の東海道はけっこう早いペースで進んでいる。
☆平成15年2月1日☆
赤坂宿〜御油宿〜吉田宿〜二川宿
三河路の東海道も真ん中あたり、京都からの距離も200キロを越えようとしている。
今日は赤坂〜二川までの気合いの22キロだ。
しかし、岡崎市内の国道1号線は大渋滞!計画よりも1時間遅れの9時50分、ようやく赤坂宿を出発する。
寒いけど天気は快晴、10分ほど歩くと、御油の松並木に入る。
いろんなサイトやガイドブックで紹介されている”御油の松並木”
みごとな松並木が続いている。
松並木に感動しながら歩いて行く我々を見つめる1台の車が…止まった!
「こんにちわー!Fieldさんですかぁ?」
ファミハイのペーさん御一家がわざわざ掛けつけて下さった。街道ウォーク2度目のネット友達との御対面!メールで連絡をいれていたが、渋滞で出遅れたのでまさかお会いできるとは思ってなかった。余計に感激である。
渋滞で出遅れた分、かなり待たせてしまったようで申し訳ない。
御油
ゆっくりお話をしたいところであるが、松並木の終点で記念撮影をして、ペーさん御一家とひとまずお別れとなる。今度お会いできるのはどこかの山で宴会といきたいものである。
"歴史的対面”を終え、一気に加速する。旧街道の趣きを残す御油宿をやや急ぎ足で通りすぎて行く。「松並木資料館」「こくや」立ち止まる余裕もなく、ひたすら先を急ぐ!なにしろ今日は二川までの22キロの長ーい行程、頑張って歩かなきゃ!
でっかい鯉が泳ぐ旧御油橋を渡り、御油宿をあとにする。国府から先は、ほぼ一直線の退屈な住宅街を歩いて行く。ひたすら歩くのみである。小坂井で昼食をとり、しばらく歩くと豊川放水路にかかる”高橋”を渡る。橋を渡りきるととようやく豊橋市に入る。
吉田
二川
新居
白須賀
舞坂
高橋を渡り、豊橋市の魚市場付近を歩いて行く。わずかに旧街道の趣きを残す下五井町、下地町をやっぱり急ぎ足で歩いて行く。街道を離れ、豊川沿いを歩いてみる。川面を渡る風はきつく、そして冷たい。
吹き飛ばされそうな風の中、豊橋を渡り、豊橋市の中心部へと向かう。
豊橋の市街地に入り、湊町公園で休憩をとり、うなぎ屋の前の本陣跡を過ぎちくわの老舗”ヤマサ”本店に立ち寄る。さすがに創業170年、敷居が高い!あてにしていた試食ができない。歩きながら食べるのにちょうどよいサイズの”豆ちくわ”をザックに入れ、二川宿に向かってラストスパートだ!
豊橋の市街を過ぎると、変化のない国道沿いが延々と歩く事になる。全員が足に疲れを感じている様だ。去年は真っ先に「帰ろう!」って泣きかけてた娘が、「痛いけど歩くで!最後まで絶対歩くぞ!」と気合いが入っている。殿田橋でようやく1号線と離れ住宅街の中の道となる。薬局でバンテリンを仕入れ、足にぬって、もうひと踏ん張りだ。
二軒茶屋から岩屋山の山裾を回りこんだ東海道は日も陰り、寒い。時刻は午後4時を過ぎている。火打坂は頂上まではゆるやかに登り、二川まで一気に下りきる事となる。アスファルトの道の下り。ヘトヘトだ!午後4時30分、なんとかJR二川駅に到着。豊橋行きの電車に飛び乗り。名鉄で本宿までもどり、車で3時間。ほんとに遠くまで来たものである。
☆平成15年2月22日☆
二川宿〜白須賀宿〜新居宿〜舞坂宿
東海道も愛知県東部を歩いている。遠くなるアプローチ。高くなる交通費。今回は”青空フリーきっぷ”を利用してのアプローチだ!名古屋エリア1日乗り放題2030円。普通に買うより半額以下なのである。
交通費もおいしいが、運転しなくてもいいのがうれしい!JR亀山駅から関西線・東海道線を乗り継いで、午前8時15分二川駅に着き、歩き始める。10分ほどで二川宿本陣につく。
しかし、資料館の開門は午前9時30分。がーん!見れない。扉を叩いて「ご開門!」というわけにも、塀を乗り越えて忍び込むわけにも行かない。
あきらめて先を急ぐ。JRのガードをくぐり、東海道は1号線に合流、ここから白須賀までは退屈な国道歩きになりそうだ。
1号線に沿っての退屈な歩きを覚悟をしていたが、国道沿いにはキャベツ畑が広がっている。このあたりはキャベツの産地なんだろう。
でっかいキャベツ、スタイルのいいキャベツ。一面のキャベツの海。ちょっと感動!
退屈なはずの国道歩きが、キャベツウォッチングのウォーキングとなってしまった。豊橋のはずれの東海道は静岡県境まで”ベジタブルな道が続く。
ベジタブルな道を過ぎ、さらに1号線を歩いてゆく。潮見バイパスの交差点を左に進むと、境川と呼ぶにはあまりにも小さな小川を渡る。ついに静岡県に入った!京都・滋賀の逢坂山、滋賀・三重の鈴鹿峠、三重・愛知の長良川ほどの大きなインパクトはない。
しかし、”静岡県”の看板を見ると、今まで以上の感激が胸に迫る。
県境に入るとまもなく白須賀宿がはじまる。街道に面した家々には旧屋号の名札がかけてあり、道は途中で「曲尺手(かねんて)」と呼ばれる鉤の手に曲がる道を通り、潮見坂展望台へとゆるやかに続いている。
潮見坂を下る手前が潮見坂展望所となっている。展望所からは遠州灘が見える。
五十三次ウォークはじめてお目にかかる”海”・”潮の香り”である。
潮見坂上のおんやど白須賀という資料館兼休憩施設で休憩を取り、潮見坂を下る。
京から東上して行く場合、急坂と呼ばれる坂道は今のところはすべて下り坂である。
坂下宿の鈴鹿峠、四日市宿の杖突坂、二川宿の火打坂、そしてこの潮見坂。おそらく登れば結構な急坂なのだろうが、今回も息切れする事もなく、体力の衰えを感じる事もなく下りきる。
坂を下り、直角に左に曲がると道は平坦になり新居宿まで続いている。火鎮神社の境内で軽めの休憩。右手に遠州灘を見ながら松並木を歩いてゆく。
浜松
松並木を30分ほど歩き、大きく左に曲がると新居宿につく。
関所近くにある、”紀ノ国屋”と書かれた看板につられ中に入る。食事が取れる店とおもいきやここは旅篭を改造した資料館である。旅篭の天井が低い理由や、名物のうなぎのこと、かまどの事、懇切ていねいにおじさんが説明してくれる。
紀ノ国屋からさらに10分、新居の関所跡に到着!
ここは現存する唯一の関所の建物だそうで、中には往時の状況を再現した人形が展示してあった。
勘亭流の書体の看板が目立つ町を抜け、その昔は渡し舟であったであろう新居町駅から弁天島まではJRで移動し、雨の中舞坂宿を目指す!


浜名湖に浮かぶ弁天島の大鳥居
(実は神社の鳥居ではなくて、観光用のモニュメントだそうである)を見ながら、舞坂宿に入る。
残念ながら雨は本降り!しかし、潮の香りと宿場の風情。二川宿からは相当の距離を歩いて来た足はまだまだ快調に進む!
渡し場の跡である北雁木跡を過ぎ、舞坂宿の核心部へと入る。


舞坂宿の核心部に舞坂脇本陣が残されている。
本陣を見学させて頂く。本日4つ目の見学なのである。
はっきり行ってどこも似たような感じであるが、場所場所で記帳をするたびに、
「遠いところからようこそ」とか
「土山宿を知ってますよ」とか言われる事がなんだかうれしい。
夏のアルプスに向けての体力維持が最大の目的だったはず。
けれど、いつのまにか東海道五十三次土山宿の代表として歩いているような
そんな錯覚を覚えながら東海道を歩いている。


舞坂名産のしらすを買って、舞坂の松並木を歩いてゆく。
波小僧の像を過ぎると舞阪駅も近い。
今日もよく歩いた。
☆平成15年3月22日☆
JR舞阪駅〜JR浜松駅
二年目の東海道ウォークも今日で最終日である。
4月からは夏の穂高に向かっての山登りの再開だ!
冬から春へ…
新しい季節へ
娘も4月からは中学生!
そんなわけで、2ndステージ最終回は、小学校卒業記念の
”浜松まで歩いてうなぎを食べに行く”12キロの簡単ウォーキングとなりました。
舞阪駅から退屈な道を浜松に向かって歩いて行く
JR高塚駅付近で国道1号線と合流した東海道は二つ御堂で右に曲がり、浜松の中心部へと向かって行く、舞阪から2時間弱、今日はかなり快調だ!
JRと新幹線のガードを越えると浜松宿につく。
ゆるやかな登り坂を登り、浜松城へと向かう。
「家康の出世城」として知られる浜松城を見学し、ふたたび東海道を浜松駅に向かう。
今日の最大の楽しみは「本場浜松のうなぎ」である。
本場でも行列のできる店を探そうと、駅前をうろうろする事30分、
浜松駅南口の八百徳という店に入る。

普段の街道歩きではこんな豪華な昼食はないのであるが
今日は最終回!そして卒業記念の街道ウォーク。
しかも場所は浜松。

名物うなぎ茶漬け2300円也を全員が頂く!
めちゃくちゃ美味い。

東海道はまだまだ半分以上を残している。
けれど、先を急ぐわけでもない。
また次の冬、ここ浜松から3rdステージが始まるのだ!