恒例の有田会が今年は彦根で開催されました 2006.11.18〜19
恒例となっている大学のOB会である『有田会』が今年は彦根(宿泊は米原・宴会は彦根)で開催されました。
5時半からの講義では、「海外旅行の泊まり方、乗り方、行き方」と題して、11回卒業の加藤さんから、海外旅行26回の経験からくる四方山話を楽しく聞かせていただきました。
7時からは宴会。場所は彦根の『伊勢磯』(100年以上続いている料理旅館)。10時まで、ワイワイ話ながらの宴会でした。
宿泊は米原に出来ている、会員制のリゾートホテル「イクシブ米原」。ゆったりした部屋のつくりで、高級感あふれたホテルでした。
翌朝、9時に一旦は解散となって、有志で湖東三山と永源寺の紅葉を見て回りました。地元・彦根の山口さんのご好意で車を出していただいて、4名で回りました。ちょうど、紅葉が見ごろで、大変きれいでした。
ゆったりした2日間でした。
(写真は、ヨーロッパの地図を広げる加藤さんと
西明寺の三重の塔)
第16回大阪地方自治研究集会に参加しました 2006.11.11
11月11日(土)の午後から、第16回大阪地方自治研究集会の全体集会が開催され、参加しました。
今年のテーマは『「格差社会」における自治体の役割を問うー憲法を生かし、地域に連帯を共同をー』。
5年間にわたる小泉内閣の「構造改革」のキーワードは「小さな政府」「官から民へ」「強い政府」の3つだった。安倍内閣はそれを国の形として完成させようとしている。
そうした「構造改革」を許さない対抗軸は「憲法を暮らしに生かす」ことだ。公共サービスは「必要充足」「応能負担」の原則があってこそ存在意義がある。こんな趣旨の基調報告がありました。
特別報告の1は、「北九州市生活保護行政の現場から」福岡自治労連の藤薮さんの報告でした。
全国的に大きく報道されている「北九州市・餓死事件」にかかる現場からの報告です。
事件の概要は以下のとおり。
今年5月23日に北九州市門司区の市営団地で57歳の男性が死亡しているのが近所の人によって発見されました。死因は栄養失調による餓死でした。一人暮らしで右ひざの小児麻痺があって身体障害者手帳4級を所持していました。
男性は前年の8月に失職。ライフラインが止められて次男が差し入れるパンと水で命をつないでいました。9月28日、市の職員が衰弱した男性を発見して、保健婦とケースワーカーが現地を訪問しました。その時生活保護を受けたい旨訴えたが、ケースワーカーは来庁指導を行いました。
同日、次男と一緒に来庁して面接、保護を訴えたが「親族でよく話し合いなさい」と申請を受理しませんでした。保健婦さんが週に一回訪問するということだったが男性は病院へ行くための医療費が必要でした。
12月6日再び生活保護申請に来庁。食料を差し入れていた次男が12月でコンビニのアルバイト収入からの援助ができなくなるというものでした。それでも面接主査は「長男に援助してもらったらどうか」と申請を受理せずに二人を追い返しました。その結果、二度と福祉事務所を訪れることなく、餓死の状態で発見されたのです。
3回に渡って本人と接触したケースワーカーが法律違犯を犯したのではないか、が問われています。
報告した藤薮さんは、北九州市の生活保護費予算の伸びが政令指定都市の中で群を抜いて低いことを示しました。生活保護「新適正化」によって生活保護申請が相次いで申請拒否にあい悲劇が繰り返されている数値の裏づけです。北九州市の場合、母子家庭へは極端にハードルが高くなり、政令市の10分の1しかありません。しかし、それは北九州市の当局者にとっては、他所には出来ないことであり「誇り」なのです。
現地からの生の報告はやっぱりショックでした。特にケースワーカー経験者として、今の北九州市の担当者の心情を率直に表現した報告でした。北九州市は組織的なしくみが作られていて、1963年に始まっているとのこと。歴代課長として厚生省の天下り官僚を受け入れてきた適正化のモデル都市であって、国は北九州市を利用して、種々の通達などを全国に発している(ヤミの北九州方式と呼ばれている)。
福祉の仕事に燃えてケースワーカーになったわけではなく、3年異動の一つの職場であって、職場で示される<>数値目標<
>を達成する職員が「優秀な」職員である。安定した職を求めて高い競争率を突破して入った役所で簡単に「落ちこぼれ」になりたくない、と上を向く姿勢が強い。この人事システムによって、ケースワーカーの意識の中に、市民を見下す意識があり、人権意識が希薄になっていることが問題だと報告されました。
ちょっと長くなりましたので、他の報告は第二弾として、次回報告します。
天の橋立と経ガ岬灯台、伊根町の船屋を観光 2006.7.8〜9
8・9日、京都府宮津市を訪れる機会があり、天の橋立と経ガ岬灯台、それに伊根町の船屋を観光しました。
朝、5時15分に起床して、宿から文殊堂へ出て、天の橋立の松林を対岸まで散歩しました。全長1里(3.8`)くらいを往復しました。松はよく整備されていて、病気の松は1本もありませんでした。夏には海水浴で賑わうだろう砂浜がずっと続いていました。(写真は、早朝静まり返っている文殊堂前)
午前中は、友人の車に乗せてもらって経が岬灯台へドライブ。丹後半島の東側を最北端まで進むと、真っ白な灯台が見えてきました。400mのアプローチ道が険しいことで、到着感がありました。近畿最北端からみる日本海は穏やかでした。「テポドン2号」で揺れる北朝鮮がはるか彼方にはあるはずです。(写真は、経が岬の灯台)
その後、伊根町まで引き返して、船屋群がよく見える高台で昼食を取りました。和船が大きくなって、収納することは今は無理ということですが、歴史的景観として、大変優れている気がしました。船屋の一軒から、いしだあゆみがひょっこりと現われたらいいな、と思いました(「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」)。
(写真は、高台から見た船屋群)
帰りの途中には友人の自宅に立ち寄って、冷たいお茶と和菓子、お土産までいただきました。
今回の集まりの幹事役を引き受けていただいた友人夫妻に感謝、感謝です。
2006.2.21 奥伊吹スキー場へ日帰りスキーに行ってきました
義理の妹さん夫婦と3名で、奥伊吹スキー場へ日帰りスキーに行ってきました。
快晴の天候に恵まれて、ちょっと重たいけれど2メートル以上の雪があって、楽しく滑ることができました。平日ということで、リフト待ちもなしでした。
家の出発は5時半。日産エルグランドの新車が我が家まで迎えに来てくれました。名神高速で米原インターチェンジまで「通勤割引」で900円也。ETCカード割引です。道路に雪はなく、スキー場へは7時半に到着。2時間の行程でした。
一日券4,000円を購入して、あとは8時よりリフトが動き始めます。圧雪車がゲレンデを整備してくれているため、非常に滑りやすく、快適です。
奥伊吹スキー場は何回も来ているため、全てのゲレンデが分かっています。今年は、チャンピオンゲレンデのリフトが一人乗りからトリプルリフトに替わっていました。
このチャンピオンゲレンデは、トリノオリンピックの女子モーグルに出場した伊藤みき選手(滋賀・近江兄弟社高校)がホームグラウンドと言っていたゲレンデです。頂上から下までコブが無数にあって、小さなジャンプ台も作ってありました。最大斜度35度、平均30度の難コースです。ショートスキーで滑ってみましたが、コブのないリフトの下だったらショートスキーでも滑走可能でした。
3人ともショートスキーを楽しんでいます。ストックなしで自由滑走しています。お客さんは、6割くらいがボーダー、スキーが2割、ショートスキーが2割といったところでしょうか。
午後2時半過ぎまで遊んで、早めに帰り支度をして、3時過ぎに出発しました。帰りは草津の「極楽湯」によって疲れを取りました。楽しい一日でした。
2006.1.1 今年の目標を立てました。
@映画鑑賞 100本(レンタルDVD含む)
A読書 50冊を読了する
Bソフトボール 20試合を完投する(勝率5割をめざす)
Cゴルフ アベレージで95を切る(パット数は38以内)
D家庭菜園 年間60種類の野菜(裏作含む)
Eジョギング 5`換算で年50回(無理せず、継続すること)
Fブログ更新記事 年間365回
(2006.1.1現在 45,000アクセス 349記事)
今年の目標では、ブログが新しく加わっています。HPと違って新しく記事を加えることが命ですので、365回の更新を目標としました。
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