仲間のなかで広がったHくんの育ち  (実践レポート)

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仲間のなかで広がったHくんの育ち

つくし保育園の概要

つくし保育園は昭和40年大津市瀬田地域の保育要求から共同保育所として設立されました。42年には60名定員の認可保育園となり、4490名定員、46年からは現在の120名定員の保育園となっています。「保護者とともに考える」を基本におき、産休あけ保育、長時間保育、障害児保育を実施してきました。

つくし保育園の保育目標

@   ああでもない、こうでもないと自分の頭で考え、行動できる子ども。

A   ああしてほしい、こうしてほしいと自分の要求がはっきり言え、他人の要求をも聞ける子ども。

B   思いやりの発揮できる子ども。

C   なんでもワシワシ食べる健康な子ども。

入園までのHくんの育ち

生後2ヶ月うつ伏せ寝中に呼吸停止をおこし、その結果低酸素脳症となりました。

診断名:ニアミスSIDS後遺症(精神運動発達遅滞・点頭てんかん・皮質盲・対マヒ)

約2年間守山県立療育センターに通園、平成10年度は彦根県立盲学校にも通っています。

保育園入園直前の1月末、両下肢の変形矯正手術、装具なしでの歩行ができるようになって保育園に入園しています。(家庭で一定時間装用)

4ヶ月―頸定・寝返り 10ヶ月―坐位 2歳11ヶ月―独歩

平成11年2月27日1歳半の節

(皮質盲について=視覚伝路の終路である皮質視中枢が障害されその他の視路や視覚器が正常で視覚を消失していること。対光反応があることが多く、本児の場合も暗いところでの光は見えており、明暗で判別できるような大きな像は識別できるようだ。)

Hくんの保育を支える関係機関との連携

年2回の大津市発達相談員による巡回相談による発達診断、保育指導が基本。しかし、いままでの療育、盲学校との関わりも大事にするため、彦根県立盲学校幼稚部に週1回(金)、守山県立療育センターに月2回程度通い、作業療法、心理相談、言語訓練、理学療法を行っています。盲学校との連携は6月初め、盲学校での担当の先生が保育園での保育の様子を見学、話し合いを持ちました。また、療育センターとは4月保育園の担当がセンター訪問、Hくんの療育の様子を見学、その後6月にセンターから担当だった保育士が園訪問、保育見学の後、話し合いを持っています。以後の連携は主に母親を通じて行っています。

らいおんぐみの仲間たち

らいおんぐみ(4歳児)は27名の集団(男児16名女児11名)でそのなかにHくん(1名保育士がつく)、発達遅滞のNくん(1名保育士がつく)、ダウン症のTくん、ウイリアムス症候群のTAくんを含んだ集団です。障害児が4人いるため保育士も4人+6時間パート1人と大所帯になってしまい、障害児を4人含む27人の集団での保育をやりやすくするため4・5月は午前中2グループに分けた保育をしてきました。1つはHくんを含む12人の集団を2名で、もう一方はN、T、TAを含む15人の集団を2人+パート保育者でというやりかたです。

4月(保育園での生活に安定と見通しをー担当固定)

入園後、2日区切りのサイクルで昼食前まで、昼食後、午睡後、と徐々に保育時間をのばしていきました。中旬からは9:3016:00の一日保育です。担当は当分固定し、Hくんの様子を見ながらローテーションの可能性を探っていくこととしました。しばらくは母との別れ際泣いていましたがそれが長く引き続くということはなく、散歩や砂いじりといった好きな活動で立ち直って、いったん立ち直ると機嫌良い一日を過ごすことができました。帰宅してからも「楽しかった?」との問いかけに「アーイ」と応えたり、長く母子分離したときに起こりがちだった帰宅後泣く、下痢気味になるなどのことがなく、快く疲れている状態で家庭での育児がやりやすくなったとのことでした。

4月当初Hくんの保育で大事にしてきたことは次のことです。

@   母との連絡を密にし、本児の快・不快・要求のサインを細かく知らせてもらう。また、言葉かけ(座ろう=オッチントンして等)も細かく知らせてもらいできるだけ母の働きかけに統一する。

A   デイリープログラムを一定させ、また、好きな遊びを繰り返し楽しむことで見通しを持ちやすくする。

B   母との別れはあいまいにせず、泣いていても「お母さん帰らはるしバイバイしよな」と分離の意識を持たせていく。同様に活動の切り替えにもわからなくても、ていねいに「何々するよ」と言葉かけしていく。

C   無理に集団に入れることをせず、本児が快の状態の時に他児とのかかわりをはかっていく。

D   段差、障害物を本児の分かりやすい言葉で知らせていく。(本来、視覚障害児の療育では自分のからだで(四肢で)環境を確かめていくことを大事にしていく必要があるのだが保育園の環境になれるまでは)

保育園の生活のなかで好きな遊びを見つけ(散歩・ブランコ・シーソー・トランポリン・砂いじり・太鼓たたき・保育者とのふれあい遊び)朝の別れで泣くことはあっても母が行ってしまうとすぐに泣きやみ「何々して遊ぼうか」との保育者の声に耳を傾け活動への期待感が見えるようになってきました。4月中旬の弁当の日には皆と一緒に路線バスで遠足に出かけるという初めての経験もできました。4月末には好きな仲間もできて(同グループの女の子3人)食事を一緒に待てたり、食後布団の上でくすぐってもらってキャッキャと声を上げて笑ったりする場面も見られるようになってきました。

保育計画

4月のHくんの姿から保育計画を立てました。5月/6月/7,8月/9,101112月/1,2,3,月の区切りです。年間計画は入園1年目のため立てていません。5月終わりころに6月、6月終わりには担当として保育の見通しが持てるようになってきたので7,8月と少しまとめての計画をたてています。(資料の保育計画参照)

5・6月(自然とともに仲間とともに)

4月大きく体調を崩すこともなく保育園になれてきたHくん。担当保育者との信頼関係もついてきたようでした。5月半ばには朝の別れでも泣くことがなくなっていきました。

生活

 生活リズム、デイリープログラムを一定させ、見通しを持ちやすくする、と言うことを基本にしてきました。また、保育者の言葉を添えて自分の行動を認識しやすくするということも大事にしてきました。排泄は定時にトイレへつれていくと必ず出て、失敗はあまりありません。尿意は知らせませんが、大便は「ウンウン」と知らせることもあります。食事については魚、炊き込みご飯など嫌いなものもありますが手づかみとスプーン、フォークでの介助(フォークに突き刺しておいて自分で探って持って食べる、スプーンも同様。しかしスプーンは口まで行く間でこぼしてしまうことも多い)だいたい皆と同量食べきることができます。ただ、食事途中でふざけてわざと食物をポイポイ放ってしまい、あわてる保育者のリアクションを楽しむことが起こってきました。しかし、食物を投げたりひっくり返したりがあってもしかったりせず知らん顔をして、あんまりひどいと「お腹いっぱいなんやごちそうさましーや」と切り上げさせてしまうと1週間ほどでおさまりました。 

 Hくんは水が好きで手洗いをしたら切り上げられず、びしょぬれになってしまうことがありました。しかし、「もうごはんやし、おしまい」と見通しの言葉かけで切り上げさせると泣きが引き続くことはなくなってきました。

あそび

 遊びでは近い所への散歩を繰り返すことで何々公園でブランコ、何々公園ではシーソーと見通しを持ちながら仲間と楽しむようにしてきました。Hくんは、目はほとんど見えなくとも(いつも通る道の感じ、階段があってそっちにすべり台があってこっちにぶらんこあって、)という経験が場所の認識につながりしかも定着していくという力があります。保育者も、Hくんには言葉はないが、経験を定着させる力があるということは割合早い時期に解りましたので、この公園ではまずブランコ、というふうに決め、それを言葉で知らせていくようにしてきました。4月は散歩は楽しいものの皆がそろうまで待つということができずに一足先にでかけ、途中で合流という方法が多かったのですが、見通しが持てるようになってきたことと、仲間との交流が少しづつ楽しくなってきたことで、待てるようになってきて一緒に出かけられるようになりました。散歩の方法も保育者との手つなぎでしたが、保育者にたより過ぎずより自分の足の感覚を高め、自分で探索しながら歩けるようにと、輪にした小さいロープを保育者ともつ「ロープ支持」による歩行にきりかえました。その後少しでも見えるようにとサングラスをかけての散歩もするようになりました。

 その他の遊びではどろんこにさわることができるようになったのが大きな事です。保育園に入るまでは感触遊びが苦手でさわらせようとするとすぐ手をひっこめてしまい、無理にさせようとすると泣いてしまうことがあったようですが、保育園では砂は第1日目から自然にさわれました。それは、土の上に直に座るということがあまりなかったのが、座ってみれば自然に土に手が届き、握ってこぼしてみればその感触が新鮮でもっとやりたいということにつながったからでしょう。つくしでは6月頃の遊びとして毎年どろだんごづくりに取り組んでいます。Hくんは砂はさわれるもののぬるぬるしたどろにはやっぱり手を引っ込めてしまっていました。しかし、無理強いすることなく、裸足で園庭を歩く、座って砂いじりをしているところへそっと水を流すなどの繰り返しのなかで自然にどろんこにさわり、仲間と足に砂やどろをかけ、うずめっこして遊ぶなどのことが楽しめるようになりました。同時に小麦粉粘土(粉からあそぶ)絵の具をさわってそれを紙にぬたくる遊びもしています。少しでも見えるようにと小麦粉は黒いシートのうえで、絵の具遊びは黒い紙なら白、白い紙なら赤、と工夫してきました。

仲間のなかで

 おはよう(朝のあつまり)にはできるだけ参加し、どうしても参加しにくい設定のときには「Hくん、目が見えへんしはさみはでけへんの。公園で遊んでくるわな」とできない事を知らせてからでかけたりしてHくんもらいおん組の仲間ということをアピールするようにしていきました。一緒に遊び、生活する時間が増えると自然にHくんと他児の関わりが増えていきます。4月当初は「ナンデゴハンコンナイッパイコボスノヨ」とか、「ヘンナ目。ドコミテルネン」等言う子もあり、しかもHくんは声をかける人に寄っていき確かめるために喉仏をさわったりぎゅっとつかんだりすることがあるので泣いてしまう子もいました。そんななかでも、食後気分良くなっているHくんをくすぐるととっても楽しそうに笑ってくれたとかシーソーをHくんとやっておもしろかったとかの声も増えていきました。手をつないでぴょんぴょんトランポリンのように跳んだり「にほんばしこちょこちょ」等の遊びも喜んでしてもらうのでどんどん距離は縮まっていきました。6月より当番活動が始まりましたがHくんも当番の順番のなかに入れてもらい保育者の支えで1種類は配り、あとは同グループの子にたのんでやってもらうなどの方法をとりました。そんななかで同グループの女の子から「Hクンッテカワイイデ」の言葉が広まっていき、食後食事室にしている遊戯室から仲間に手をつないでもらって部屋に帰り、歯磨きもしてもらえるような関係になっていきました。ただ、Hくんの場合悪気がなくともぎゅっとつかんだり髪を引っ張ってしまうことがあるのでいつも保育者がついていてそういうことをしそうだったらさりげなく防止するようにはしていました。それにいったん気持ちが落ち込むと大声で泣きつづけることがあるので「快」の状態のときに仲間とふれあう機会をもっていくようにしました。 

7・8月(水のなかで心も体も解放し、ローテーションへ)

2人でのローテーション

 すっかり保育園になれ、仲間との関わりも増えてきたHくん。担当保育者が休みでも他の保育者と泣かずに一日過ごせるようになってきました。そこで、大好きな水に関わった保育が中心になる7月から担当保育者をローテーションすることにしました。今まで担当だった松村と比較的付き合いの多かった溝口保が1週間ずつ交替でするやりかたです。クラス会議のなかでHくんの育ちを報告してきたことやローテーションするにあたって細かく打ち合わせていたのでHくんの混乱もほとんどなく、どちらの保育者とでも安定していられました。ただ、食事でもうやらなくなっていたふざけが再び見られ出しました。ふざけが起こったときのやりかたをできるだけ統一していくことで対処しましたがすっかりなくなるということはなく時々やっています。

大好きな水遊び

 Hくんは水が好きで蛇口から流れる感触、音を楽しんでいました。しかし、プールということになると冷たさがいやで触れると足を引っ込めて泣くこともありました。そこで乳児用プールに少しの水をいれ太陽で生ぬるくしてから入り、ホースで少しずつ水量を増やす方法にしてみました。ホースから出る水の流れが面白く歯でホースを噛んで流れの変化を楽しんだりするうち水量が増えて顔を水につける、水面を手で叩くなどの遊びがひろがっていきました。しかし、大プールはなかなか好きになってくれません。水面に反射する太陽のまぶしさでほとんど目をあけていられないのと他児の声が反響して怖かったようです。このことには木陰ができてまぶしくない場所を選び保育者がしっかり手をつないではいり徐々に怖さをなくしていくようにしました。そうすると他児の声も気にならなくなり仲間とのふれあいが水中でもできるようになっていきました。「裸のつきあい」といいますが、水の中で戯れるということは人間の距離をぐっと近づけてくれるのを感じます。 

9・10月(仲間とともにお泊まり、運動会)

 9月2,3日お泊まり保育がありました。母はかなり心配されていましたが私たち保育者はHくんにとってきっと楽しいお泊まりになると思っていました。複数の保育者、仲間との関係がしっかりつき、保育園生活が楽しいHくんになっていたからです。銭湯での仲間との入浴は最も楽しいことだったようです。大好きなお湯がたっぷりあって仲間が声をかけてくれたり手をつないでくれたり心ゆくまでお風呂を楽しみました。暗い中での花火も喜びましたが特にキャンプファイヤーは初めての経験でとてもうれしそうでした。夜空立ちのぼる炎はHくんにもはっきり見えて、皆が歌う歌、踊りのリズムに体をゆすり、声を上げながら炎に手をのばす姿がみられました。

 運動会でのらいおん組の取り組みの中心ははんとう棒。Hくんにはとてもむずかしいことです。そこで継続的にやってきた階段の昇降を一歩進めて梯子段での昇降に取り組むことにしました。これはあまり無理のない目標で、梯子の上につるされたタンバリンをたたくというめあてに支えられて楽しんでできました。タンバリンには魔法の粉の瓶が描かれています。はんとう棒の取り組み方としてらいおん組皆でイメージを統一させていく方法としてお泊まり以前から楽しんできた「ピーターパン」のお話になぞらえ、海賊船のマストに登って「魔法の粉」を取り返すというつもりを入れての取り組みでしたので「Hモ魔法ノ粉ガトレタ」と他児にとっても皆でやり遂げたという達成感につながりました。

 その他は徒競走の取り組みとして、散歩でも保育者とだけでなく、仲間とも手をつないで歩けるようになってきた姿を見てもらいたいと好きな仲間に手をつないでもらっての歩行を見てもらうつもりでした。しかし機嫌が悪くなってしまい、残念ながら保育者との手つなぎにきりかえました。原因は運動会につきものの、ひっきりなしの音楽とすり鉢状になったグランドでのいろんな声のひびきです。目がほとんど見えないHくんにとって「何が起こってるのかわからない」状態だったのでしょう。それに気づいてはんとう棒のところでは音楽をごく弱くしてもらうようにして、なんとか梯子登りを見せることはできましたが。保育者として見通しの弱さを感じました。

1112月(要求を育て伝えようとする力を育てたい、担当全体でローテーション)

 すっかり体力もつき、長い散歩も自力で歩ききれるようになってきたHくん。(長いときで片道1時間位)保育園内であれば足先で安全を確かめつつ歩く、乳児室などあまり経験のない場所でも体全体をつかって形状を確かめつつ探索を楽しむ姿が見られるようになってきました。体を使うということでは達成感が得られるのですが、手指を使った活動ではなかなか達成感のある活動ができず、美術展にむけてどうしたらいいのか悩む日々が続きました。他児の美術展に向けての取り組みは描画の他に信楽粘土での動物づくり、木工活動で釘打ちのパチンコ台づくり、針を使っての数珠玉ののれんづくりでした。どれかひとつでもHくんなりの作品をつくりあげたかったのです。幸い、信楽粘土は6月のどろんこ遊びの経験もあり、さわれるものではありました。しかし、さわるだけでは作品は生まれません。自分の働きかけがものの形状を変えることを確かめられてこそ自分で作ったという認識になるのですから。そこで粘土をさわるHくんの動きにあわせて保育者が音を付け加えてみることにしました。粘土を引っ張ってちぎるとき「ブーチッ!」と言葉をかけてみたのです。このことで自分の手指の操作に意味を感じることができ、「もっとやりたい」につなげていくことができました。ちぎり紙遊びも同様で破るときの音が楽しさにつながり繰り返し遊べるようになりました。

 いろんな遊びが楽しめ仲間とのかかわりも楽しいものになってきたHくんにとってどうしてもほしいのは「言葉」です。4月から、仲良くなるために「マンマ、イーヤ、マハハハー」と同じパターンの喃語を投げかけ、相手が返してくれることで安心していたHくん。「もう一つほしいの?」「アーイ」「ちょうだいは?」「オーアイ」「おいしい?」「オーシー」「先生って言ってごらん」「セッセ」と言うくらいのことはできていました。しかし、これでは言葉というよりは模倣です。こちらの言うことはかなり理解できているという感触はありましたので要求や否定を何とか言葉にしてほしいと思いました。そのことと進級をひかえ障害児が4人いる集団で担任がどの子のこともしっかりわかりたいということもあって12月から4人の担任でローテーションすることにしました。半週ずつ2週で4人が関わっていく方法です。ところがローテーションしてすぐ再び朝の別れで泣くようになり、今まで楽しんでいた保育者の手を離れて独歩し探索することなどもできなくなってきました。ローテーションを広げるにあたって伝えあいをしたのですが不十分だったのでしょうか。家でも不安そうに母のあとを追いかけるようになったと指摘されました。そんな悩みを抱えたまま新年を迎えることになってしまいました。

1・2月(仲間とともに発表会)

 年末ほど不安そうな様子はなくなってきましたが、朝の別れでの泣きは引き続いていました。そんな時、保育者がとても反省する出来事がありました。4人でのローテーションが始まってから、一番つき合いのあった松村の時でも朝泣いてしまっていたのですが、2月初め、なかなか泣きやめないでいるHくんを大好きな散歩に連れ出したけどやっぱり泣く。散歩で泣きやまないのは初めて。大好きな遊びをしてみてもだめ。熱をはかっても平熱、顔色もいい。違うのは少しおしっこの量が少ないこととつま先立ちで歩くことくらい。午睡もすぐに起きてしまいました。帰宅してやっぱりおかしいと母が病院につれて行ったところ、軽い膀胱炎になっていたということがわかりました。機嫌のわるいのは体の具合がよくなかったから。じっくり様子を観察すればもっと早く異常に気がついたのにローテーションで自信をなくしていたのでそのことがわからなかったのでしょう。

 そんななかで発表会に向けた取り組みが始まってきました。らいおん組は歌と劇ごっこ「にんじん畑のぱぴぷぺぽ」です。Hくんはトランポリンが好きでトランポリンがなくてもピョンピョン跳ぶのが大好き。そのころ、プレイルームにエアートランポリンが用意できるようになり、それで楽しく遊べるようになっていました。それでHくんはこぶた役で縄跳びをするこぶたに混じり、縄跳びしてるつもりを他児に表現してもらいながら「うさぎがピョンピヨン」の歌とリズムにあわせて両足とびすることにしました。発表会前1週間は担当交代をやめ、当日担当をする溝口保育者に固定することにしました。同じ遊びを同じ保育者と続けることによって安定していったHくんです。当日は風邪ひきで体調が悪いのに皆と一緒にいつも通りに劇のなかで両足跳びをすることができました。

 

終わりに

 4月から2月の10ヶ月間を見てみると予想よりも早く保育園生活に慣れていったHくんの姿がありました。まずは担当を固定し信頼関係をつける中で他の保育者へ、また保育者を介して仲間関係を豊かに広げ、様々な経験をし楽しみを見つけていったと思います。入園前に比べて大きく何々ができるようになったということはありませんが確かに世界が広がり豊かになったのを感じます。大きく体調を崩すこともなく安定した保育園生活が送れたのは母親の力も大きいと思います。視覚障害、しかも重度の重複障害があるということでは専門機関との連携が重要になってきます。当初の交流はありましたがそれだけでは不十分で、母親が保育園の生活、遊びを知り、盲学校等に報告する、その逆での報告もしてくれ、それをもとに担当との話し合いも度々ありました。それがとても的確だったのです。反省点としては、2人でのローテーションで起こらなかった泣き、不安という問題が4人のローテーションで起こったということがあります。このことは詳しく検証し来年度に向けて話しあって行かねばなりませんが、マイナス面ばかりを見るのでなく、人間関係を広げていくことが次へのステップにつながることは信じていきたいと思っています。

                             つくし保育園 著者しるす

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