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 どうしても気になる事があった。

「尼崎連続変死事件」

 2013年、NHKで放映された再現ドラマに釘付けになった。主犯 角田美代子を演じるのは烏丸(からすま)せつこ。その鬼気迫る迫真の演技に背筋が凍りついた。俗に言う尼崎事件とは何か。

 兵庫県尼崎市に端を発する連続殺人事件である。しかし、その特異性は血縁・地縁に関わらず、関係家族を次々と離散に追い込み、虐待、殺害に至らしめていることにある。警察が捜査対象としている事案でも五家族が崩壊、八人の死亡、三人の行方不明者を出している。

 角田美代子は2011年11月、監禁していた大江香愛への傷害容疑で逮捕された。同月、尼崎市の貸倉庫で、香愛の母・大江和子さんの遺体がドラム缶にコンクリート詰めにされた状態で発見され、事件が発覚する。

 2012年10月、尼崎市にある民家の床下から谷本隆さん、安藤みつえさん、仲島茉莉子さんの三遺体が発見され、さらに同月、岡山県の漁港でドラム缶にコンクリート詰めにされた橋本次郎さんの遺体が見付かったことから、連続殺人事件であることが判明した。

 この一連の事件で、美代子と同居する角田ファミリー集団が逮捕され、これまでの犯行が次々と明らかになる最中の2012年12月、美代子は身柄を置かれていた兵庫県警本部の留置施設で自殺した。以降、事件に加担した者の公判は続いているものの、美代子の死亡により真相は闇に葬られた形となっている。



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出典 産経WEST



 この事件で腑に落ちないのは、それまで仲良く平穏に暮らしていた家族が、突如として現れた美代子なる一女性に悉く崩壊に追い込まれ、金品財産、土地家屋まで根こそぎ奪われてしまっていることにある。

 ある遠縁に当たる家族は、身内の葬儀の段取りの不手際につけ込まれ、また別の遠縁一家は、借金の肩代わりという弱みを握られ崩壊させられている。乗っ取られた家族の中には、財産を奪われまだ足りないと、近隣に住む親戚宅へ辱め目的で丸裸のまま金銭の無心に行かされた者もいる。他方、大手鉄道会社に勤務する鉄道マンは、偶然にして関わってしまった業務上のクレーム処理を逆手に取られ、会社を退職させられた挙げ句、退職金の数千万円も奪われ、妻も風俗での仕事を命じられその収入を巻き上げられていたという。

 捜査関係者は、些細なトラブルを皮切りに他の家族に侵入し「家族会議」を通じて支配、時には被害者の食事や睡眠時間を奪い正常な判断ができないよう支配力の行使を強めていったとみている。

 こうした事実は実際に発生した事件とはいえ、ここまで他の家族内に介入でき得るものかと理解し難い。情報万能時代のツールであるネットを繰ると、美代子は獣か魔物か人の心を操る洗脳の達人とまで真しやかに噂されている。また、自らのテリトリー内では、夜な夜な獲物を物色して徘徊するという眼光鋭いハイエナであったとも評されている。

 一体どのような人物であったのだろうか。地元では「角田のおばはん」として知られた存在であったという。その人物像に迫ってみたい。



 美代子の生活基盤となった地は兵庫県尼崎市。此処で生まれ育ち、一時期は横浜で暮らすも二十余年前から地元に舞い戻って来たという。生活圏でよく目撃されていたのは市内杭瀬地区。神崎川を隔てて大阪と兵庫の県境の街である。

 先ずは居を構えていた分譲マンションを訪ねてみる。

 物件名 アービング尼崎長洲公園。阪神電鉄 杭瀬駅より徒歩10分。駅前の喧噪から離れた静かな住宅街の中に八階建てがそびえ立つ。この最上階 801号室に美代子率いる疑似家族 角田ファミリー八名が寝食を共にしていた。

 八名の構成として美代子の内縁の夫 鄭頼太郎(逮捕)、戸籍上の妹 三枝子(逮捕)、戸籍上の子 優太郎(美枝子の実子。逮捕)とその妻 瑠衣(高松市 離散に追い込まれた谷本家の次女。のちに美代子に気に入られ優太郎と婚姻。逮捕)、美代子の弟、叔父、そして暴力装置として恐れられていた遠縁の李正則(逮捕)である。その他、チンピラ風の若者も頻繁に出入りしていたとも言われている。皆一様に定職に就いている様子もなく、パチンコ三昧の生活だったようだ。

 事件当時、幾度となくメディアに映し出された外壁色が未だ生々しい。事件後、競売にかけられていたのを大阪の金融業者が落札、内装をリフォームし3LDK 76平米を1,480万円で売りに出していた。

 こんな閑静な場所で…と思われるほど落ち着きのある地域だ。マンション自体、オートロック式でセキュリティ面からみても安心感が漂う。外観からは資産価値の高いマンションのように窺える。

 
マンション前の団地の住民であろうか、掃き掃除をしている女性に聞き込んでみる。

「角田事件をご存じでしょうか」

 すると意外な答えが返ってきた。

「いえ…。当時テレビで見ただけでなぁ…、あんな事件が目の前であったなんて知りもしませんでした。美代子なんて一度も見たこともありませんし」

 マンションに出入りする学生風の住人にも尋ねてみる。

「知らないですねぇ。この界隈で事件の話をしたらいけない訳でもありませんし、話題にも上りません」

 都市部の無関心が為せる技なのか、あまりにも拍子抜け感が拭えない。

 さらに住人に聞き込む。

「あの鬼瓦みたいな顔したおばちゃんでっしゃろ! 二、三度、ごっつい男を引き連れているのを見たことあるけど、そのくらいかなぁ。あんまり近隣とは接触なかったようやで」

 このマンションに居住して長いという男性はこう語った。

 エントランスの801号室の郵便受けは投函広告ではち切れんばかりである。やはり買い手はついていないためか。折り重なった広告を探ってみると、マンションの所有権者であったとされる「角田美枝子()」宛のチラシが出てきた。

 ―美枝子。(戸籍上の)妹で有りながら姉 美代子に人生を翻弄された被害者の一人とも言える。

 美代子の父は左官の親方であり、その家に出入りしていた職人であった父の縁で美代子と知り合う。やがて父は美代子宅を間借りし、五歳年上の美代子と姉、妹同然の関係に陥っていく。「お姉ちゃんのためだったら何でもできる」幼少の時期にはこう言わしめる間柄であったといわれる。三枝子は若い頃、長年に渡ってソープランドで働き生活費を残した手取りの全てを美代子に捧げていたという。余談ではあるが、美枝子の夫は多額の生命保険金を掛けられ沖縄で不審死(転落死)しており、夫の弟(橋本次郎さん)も岡山でドラム缶にコンクリート詰めされ海中投棄されている。



 同じマンションに住んでいた住民から美代子像は見えづらい。エレベーターに乗り合わせだけで「挨拶は無しか」などと因縁をふっかけてくる虚像は浮かび上がってこない。次なる活動拠点とされていた杭瀬商店街に場所を移してみる。

 マンションとは目と鼻の先にある商店街は、杭瀬駅から国道二号線を隔て東西・南北総延長500m程にわたり伸びている。日用雑貨から立ち呑みまで、ありとあらゆる店が軒を連ねている。シャッターが下りている店も多いが、老人も多く住んでいるであろう下町の台所として未だ活気を呈している。

「通称、角田のおばはんをご存じでしょうか。金髪デブ軍団を引き連れ、我が物顔で闊歩していたと聞きますが」

「いえ、知りませんなぁ。事件当時はテレビの人やら新聞記者がよく尋ねに来られたんやけど、私ら全くテレビのニュースでの出来事ですねん」

 こう話すのは商店街の老舗タバコ店だ。金髪デブ軍団とは美代子率いるチンピラ集団で、商店街を肩で風を切るように歩いていたと噂される者たちだ。

 お好み焼き店の主が店先で一服している。

「知りませんなぁ。けど、ほらっ、たこ焼き屋やったらあそこにあったんやけどなぁ」

 美代子はたこ焼きが好物であったという。その行きつけのたこ焼き店が「くいせのひろせ」であったが、「店舗引き払って二、三年前に出て行きよりました」とのことである。ひろせのマスターは当時、美代子に自宅まで招かれ、新たなビジネスの話などを持ち掛けられるなど、ちょっとした標的になったようだが直前で逃れている。取材陣が殺到していたという饒舌なマスターの行方は、たこ焼き店跡の隣の米穀店主も知らされていなかった。

 商店街の端に位置するスナック。仕込み中のママがいる。

「私たちも此処に住んで古いけど、全然噂も何も聞いたことがありませんよ。当時はびっくりしましたよ」

 ママと常連らしき客も口を揃えて「ピンと来ない」と首を傾げる。

 しばらく片っ端から聞き込みを進めてみると「あそこの喫茶店は取材陣がよう来よったで」と耳に飛び込んでくる。すでに店は営業を終えていたが、夕刻からは隣の店舗で持ち帰り弁当店を併設していた。

「そういえば、何回かは見たかなぁ。息子夫婦と孫を連れて来よりました。接客もしましたけど普通の人でしたよ」

 息子夫婦とは優太郎と瑠衣、そしてその子供のことなのか。店主夫婦に訪ねても「名前……忘れたもうた」と定かではない。喫茶店経営は親密な常連で成り立っていると聞くがここでも残像を結べない。金属バットを肩に抱えた金髪デブ軍団にガードされた美代子が街を流す、そのような姿は出てこない。



 夜、五色横丁にネオンが灯る。この横丁というのは杭瀬駅前にある昭和の香りが充満するスナック街である。中には売春でも行われていたのではないかという佇まいの飲み屋もある。美代子本人はあまり酒を飲まなかったようだがスナック経営をしていたこともあり、酒の席が好きなのか五色横町でも知られた存在であったという。杭瀬で最後の美代子のテリトリーだ。

 ひと一人が通れる位の東西百メートルほどの筋に約三十軒の飲み屋がひしめき合っている。そのうち明かりが灯っているのは五軒ほど。かつてこの一帯が工場で栄えた時代、労働者の一日の疲れを癒す場として盛況を呈していたようであるが、今ではくすんだガラスに朽ちた扉が目立つ。

 閑散とした通りを千鳥足で歩く酔客、手持ち無沙汰に客待ちをするママに聞き込んでも相変わらずニュースの中の出来事である。この界隈の情報通であろう酒屋の配達人も「自宅はあっちの方と聞いた」とマンションの方向を指す程度である。

 洒落た小料理屋の女将にも尋ねてみる。

「私は見たことはないんですがね、当時は馴染みさんたちが言っていましたよ。物静かな感じと言うんでしょうか、あまりベラベラ喋るタイプじゃないと。だから人との交流も少なかったんじゃないでしょうかね」

 またも予想外の人物評である。

「知らないなぁ。見たこともないし、聞いたこともない」

 しかし…と続けたのは初老のお好み焼き屋の主だ。

「向こうの方は事件があった場所だけどね」

 指差す方向は監禁され、遂には床下に遺棄された遺体が発見された借家があった場所らしい。「沿線から東方面の直ぐ近く」を頼りに歩いて行く。駅直近であるが古い佇まいの長屋も多く、新しい一戸建てと相まって新旧交える町並みが見受けられる。買い物帰りであろう婦人に話を聞いてみる。

「ああ、事件があった場所はそこですよ」

 目線の先に現在は車一台分が駐車出来るような更地がある。当時は長屋であったものの、いまでは一軒分をぶった切って砂利を敷き詰めてある。

 ―皆吉ノリさん宅。不幸にも美代子に乗っ取られた家族の三遺体が長屋の地中から発見された現場だ。

 五十年ほど前、鹿児島から出てきた皆吉ノリさんは夫婦と子供四人で平穏に暮らしていた。ノリさんは事件当時八十歳台であったものの、六十歳を超えた息子の再婚相手の連れ子が通称マサこと李正則で、その縁で巻き添えになるはめになったとされる。なお、ノリさんは角田ファミリーらよる暴行や虐待の末に2003年、高松に遺棄されている。

 長屋と隣接する民家の女性にも接触してみる。

「マサは連れ子で中学までは普通の子供でしたけどねぇ。よく公園で野球をして遊んであげましたよ。野球留学で尼を出てからおかしくなったみたいなんですけどね。瑠衣(行方不明となっていたノリさんの孫を名乗り、借家の地代を払い込みに来ていたとされる)も普通の子に見えたんだけどねぇ。これ以上は家族関係も複雑過ぎで私もわかりません」



 取材人数延べ三十人超を尽くしても、角田美代子の闇を捉えることはできなかった。しかし、彼女の影は踏んだような気がする。

 加えて、裁判記録を手掛かりに事実を紐解いてみたい。

 ―美代子は総じて怒りやすく、暴力的で、残虐行為にも躊躇がなかった。ファミリーはこのような下で、その怒りを買って虐待の対象とならないよう、美代子の意向に従って行動していた。

 高圧的で相手に有無を言わせない語り口で屈服させる。同時に、暴力団が背後に存在すると信じ込ませる。そして、親族同士で互いに暴力を振るわせるなどして家族関係を崩壊させた。子の目の前で父母を虐待する事により、子は父母に対して幻滅し、美代子に従うように仕向ける。子はファミリーという閉鎖的集団で生活するようになる。ファミリー内では美代子の日常的な残虐行為を目にしたり、それによって人が死亡する場面に接するうち、次第に親しい者同士の暴力を肯定する美代子の価値観を受け入れ、残虐行為や人の死に抵抗感を抱かないという異常な価値判断や感覚を否応なしに身に付けていったものと考えられる。

 美代子はファミリーにおいて絶対的な権力を持ち、同居人に対して自分に対する忠誠を要求し、逆らう者には容赦なく制裁を加える一方で、しばしば皆を観光旅行や外食に連れて行ったりもしていた。皆は美代子を恐れ服従していたが、中には耐えかねてファミリーから逃げようとする者もいた。しかし執拗な捜索により発見されて連れ戻され、再びファミリーで生活する事を余儀なくされる事も何度かあった。

 ファミリー内でも意に添う者には浪費や贅沢な生活をさせ、逆に刃向かい標的となった者には働かせ、その収入を巻き上げた。最終的に保険金詐欺の対象となり、沖縄の断崖から自殺と見せかけ飛び降りさせられた者もいる。贅沢による逼迫した家計を維持するため、逆らう者は死を以て餌食にするという一挙両得の策である。

 アメとムチの使い分けを充分心得ていた。特に反抗する者への仕打ちは凄まじかった。殴る蹴る(素手、サンダルの底、タイヤブラシ、タバコの火など)の暴行、姿勢や動作の強制(正座強制、立ったまま、足踏みを続けさせる)、飲食制限(一日一食カップ麺など、2、3日食事を与えない事もあった)、睡眠の制限(三〜五時間など)、不衛生な環境に放置(入浴なし、排泄は与えたバケツへ強制)、寒冷期の薄着強制(半袖シャツと薄手のズボン)など。これらにより多臓器不全で死に至る者も多数出た―



 報道にあるように、彼女は罪の重さそのものを問われるより、裁判が進むにつれてファミリーが自分に不利な証言をしていくことに強いショックを受けていたという。

 職人の父は家に寄りつかず家庭崩壊同然であった少女時代。家庭の温もりを感じたいと同級生の弁当をくすねて食べたとも言われる。成人してからも結婚、離婚を繰り返し幸福とは程遠い女性であったという。

 愛情に渇望した人生を送っていた彼女は、何時しかか弱い素の自分に幾重もの衣を纏い強い愛情を要求する悪の権化と化した。地元では牙を隠しながらひっそりと暮らすも、一旦圏外に出るや研ぎ澄まされた爪で獲物を仕留める。

 人知れず静かに進行した残酷無比な事件は、一家の財産を総汲み上げするのが第一目的ではなく、愛情への強い執着が成した結果とも見て取れる。か弱い少女は疑似家族を構成させ、取り巻きを満足させるために金品を奪取する以外なかったのではないだろうか。

 支配のテクニックなど存在しない、純粋な気持ちが邪悪な方向に曲がった少女が起こした単純たる切望だったと思えてならない。


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