TICKET   (未完成ですが順次UPしていきます) <HOME>

 コンサートのチケットが面白くなくなったのはいつごろからでしょう?
コンピューターのプリンターから出力されただけの最近のそれは確かに
「入場券」ではありますが、僕らが思う「TICKET」ではありません。
当時 一枚のTICKETを手に入れるために大阪堂島あたりの音楽事務所に行列して、
そのチケットを宝物のように何度もチェックして、コンサート当日までワクワクさせてくれる。
そんな思い入れがあって、コンサートが終わっても捨てることができず、いまだに
机の引き出しに入っている。(映画 「あの頃ペニーレインと」の1シーンみたいですね)
皆さんはどうでしょう?

ここでは そんな思いをこめて今まで行ったコンサートにTICKETと共に
ご案内します。
(年代は若干前後しますが大体年代順に並べてあります。)
大体は大阪近辺のコンサートホールや野外会場で開かれたものがほとんどです。

year date artist place ticket review
1975 10.23 eric clapton 大阪フェスティバルH これが初めて行った外タレコンサートです。
それがクラプトンだったというのは後の音楽的
指向性(嗜好性?)にかなりの影響があったと思われます。
このときのクラプトンは461の後の犬のジャケットの
LPを出した直後でドラッグからは立ち直ったものの
今度はアルコールが心身を蝕んでいた頃。
バンドはカールレイドル(故人)がベースのアメリカンバンド。
使用ギターは70年代の白のテレキャス1本と
アコギで通していました。
最近のようなギター博物館状態では無かったです。
アンプはMUSICMANでしたね。
そうそう前座が久保田麻琴と夕焼け楽団だったのです。 鍵盤は国府輝幸さん。何とこの頃高校生。
1976 12.9 blackmore's rainbow 伝説となったレインボウのコンサート。
この年札幌で観客が1人死んでしまい、このあたりから警備が異常に厳しくなりました。
ドラムはコージーパウエル(故人)
ドラムソロの最後にマグネシウムがドカン!
それは別として好きなドラマーでした。
この時クラスメイトは壊れたストラトのかけらや
ちぎれたシールドを持って帰って来ました。
彼は今でも持ってるんやろうか?
1976 8.7
8.8
8.8ROCKDAY 万博お祭り広場 これもその後の自分の音楽性を大きく左右することに
なった野外コンサート。
関西アマチュアの登竜門的な性格のイベントでしたが
実は今年ゲストで出ているバンドは昨年度の優秀バンドだったりで、コンテストに出ているバンドがあまりにもハイレベルであったのも特徴。
大上留利子さんや小林エミさんなどの女性VOCAL
を多く輩出し清水興さんが和歌山からでていったのもここ。ツイストやハウンドドッグに後に入った松浦さん
はアイドルワイルドサウスでオールマンの完コピを
やってました。
飛んで飛んでで売れる前の円さんはZOOMというバンドでフリーのポールロジャースになりきってました。
大フィル フェスティバルH この当時友人に誘われて実はクラッシックのコンサートにも行ってました。友人の父親からコネで入手できたフェスのBOXシート。なんて贅沢!
ほとんどが大フィルでまだ朝比奈さんが元気でバリバリだった頃。
フルオーケストラの音というのはやっぱり現場にいてこそ体感できるものだと思います。
あのダイナミクスはやっぱりトリハダ立ちますよね。
1976 2.3 EAGLES フェスティバルH イーグルスは2回大阪に来てまして、運良く両方生で見れました。この時は「呪われた夜」の出た後。
メンバーとしては、バニーリードンが抜けてジョーウォルシュが入った直後。ランディマイズナーはまだいた頃。 なんとこの時は当日に行って立ち見席で入れたというよき時代。フェスの1階の最後部から入って中盤から客席が総立ちになった瞬間に最前列近くまで突進して、結局D列ぐらいのところでアンコールまでいられた時代。よき時代だ!今なら確実に警備に押し戻されてしまっていることでしょう。
コンサートの内容としてもイーグルスもドゥービーと並んでのライブで叩き上げてきたメンバー揃いで、実は強力なライブバンドだったということを証明するのに十分でした。 よかったですよ!この夜のイーグルス。 
1977 4.30
5.1
扇町プール
特設ステージ
チケット紛失
出演 ダウンタウンブギウギバンド
    内田裕也 クリエイション
    金子マリ&バックスバーニー
    矢野顕子  桑名正博
    憂歌団  りりい  ほか
屋外で有名どころを集めたコンサート
でした。チケットを失ってしまっている
ので、詳細を忘れていましたが、最近
雑誌資料の詳しいものが発行されたので記憶がよみがえったと・・・

1977 8.20
8.21
大阪南港
フロンティアランド
「ザ祭り」と銘打たれたギターインスト中心のイベント 確かVANジャケットが協賛していました。このときはなんと言っても大村憲司。
あとは山岸森園和田アキラチャー高中ナドナド一同に会して野外で
やったと。ギターワークショップの動きが出てくるのはこの後ですから、このイベントの楽屋でどんな会話がされていたかを想像するのも
楽しい。
1977 12.7 SANTANA 厚生年金
大ホール
このころのサンタナはSUPERNATURALな
サンタナではなくてロータスの伝説のサンタナです。 うーん いい席で見てるなあ。
でも厚生年金はオケピットの分ステージまで距離があるんよなあ。かぶりつきという感じにならないのです。その点フェスはもうかぶりつき!
1977 11.20 STUFF 厚生年金
大ホール
STUFFはこの前年に初来日しているのですが、大阪にきたのはこの年が最初。今考えるとあのFUSIONという言葉は何だったのでしょう?
まあそのブームのおかげで最高のプレイヤーを目の前で見れたのは事実です。
いまとなってはリチャードティーもエリックゲイルも故人です。
1978 11.14 STUFF フェスティバルH 次の年は気合を入れてチケットをとったら何とA列のど真ん中が取れてしまった。
始まってびびったのは目の前にゴードンエドワーズの巨体があったこと。ベースがギターみたいに見えます。よくよくみたらリチャードティーもエリックゲイルもコーネルデュプリーもみんなイカツイんです。
ガッドも飛んでしまってイッテる目してるし。
怖ー。恐ー。
BB KING

ALBERT
KING
BBとアルバートの2人が同時にステージに立つのは本国アメリカでも少なかったらしく、音源もあまり残っていません。 日本のプロモーターならではの2枚看板が実現したわけです。(アリ対猪木の異種格闘技なんてものもありましたね)。
どちらにしてもアルバートを生で見たのはこのときが最初で最後。 この日強烈な印象を受けたのもアルバートでした。大きな巨体にパイプをくわえて、煙がモクモクと。 そしてギターは特注のフライングV型の黒。そして強烈な歌とギター。この夜の自分にとっての存在感はBB以上でした。もっともっと評価されていいアルバート。良かったデえ。
1979 1.14 ハーブエリス
バーニー
ケッセル
ローリンド
アルメイダ
渡辺香津美
千里中央
LUX HALL
ギター4本  巨匠ぞろい。
文句ありません。 渋かったです。
1979 5.16 THE 
BROTHERS 
JOHNSON
サンケイホール ステージ上で破壊された楽器の一部を持っていると宝物になるのは上にも書きました。
ワタシが唯一持っているのは、ルイスジョンソンがぶちきった弦の一部です。
この当時は一世風靡だったのですが最近どうしてるんでしょうか?この兄弟は。(そいや!)
スラップベースといえば(昔風に言うとチョッパーベース)ラリーグラハムは結構元気にライブ活動もやってるようなんですが
見た目とは裏腹に出音はスタジオミュージシャンらしいカチッとしたものでした。決して荒っぽくはない。
10.27 渡辺貞夫
ジェントル
ソウツ
このあたりはFUSIONブーム大全盛。
なんとTVミュージックフェアーでナベサダがジェントルソウツをバックにつけてたり五輪真弓さんの後ろでラリーカールトンがギターを弾いてたりしました。
この時はリズム隊ですね。ハービーメイスンとアンソニージャクソン。あはははは と笑ってしまうぐらい強力でした。
11.5 LARRY
CARLTON
FES
1978 11.29 厚生年金
大ホール
ジェフベックです
このときはトリオ。白のストラトでした。例のシェクターアッセンブリー
のやつです。
7.17 TOM SCOTT FES このときもチャックレイニーは急遽
来日中止。このときのトラはアンソニー
だったか?
1978 3.10 フェスティバルH これまたフュージョンブームに乗って来日したベンソン。
もちろんCTIはじめJAZZフィールドではそれはもう有名な人
だったのですが、普通一般に知られるようになったのは
もちろん「ブリージン」の大ヒット以降。
いつもコンサートではバックバンドをじっくり見てしまうクセが
あるのですが、このバンドではなんといってもベースとピアノでしょう。
ベースを弾きながら足でタンバリンを操るトニーバンクスや「泣き」のピアノを弾くホルへダルトに釘付けでした。
もちろんベンソンは余裕の顔で超絶ギターを弾ききっていますコピーでは「メロウ」なんていわれていましたが、ギターだけ
取り上げて聞いたら、「どこがめろーやねん!まるでハードバップやんけ!」と関西弁で叫んでしまいそうなフレーズ。
ライブでは結構ベンソン  アウトフレーズも弾いちゃいます。いやあ このライブではプロはすごいとつくづく思いました。  
1978 10.28 PETER
FRAMPTON
FES SHOW ME THE WAYの大ヒットで
天国と地獄を見てしまったピーター。
実は素晴らしいライブパフォーマーで
あって、ただのアイドルではなかった
という証明でした。最近雑誌に出ていましたが、髪がすっかり・・・・
1978 11.30 厚生年金
大ホール
個人的にはFUSIONブームとプログレブームとアメリカンロックブームとJAZZブームが同時進行していたこの頃。
結局は何でも聞くし何でも大好きというスタンス。
プログレ系も良く行きました。
で  ジェネシス。
このときのジェネシスは後期の黄金時代といってよい面子。
ドラムはチェスタートンプソンとフィルコリンズのツインドラム。
これがまた強力! 変拍子の嵐のような曲を笑いながら
合わせてしまいます。客の僕らも曲を覚えていて・・・・
近頃のパットメセニーのコンサートでも変拍子の曲で手拍子
打つのがあるようなんですが、あんまりカッコよくないように思うのです・・・・。
変拍子の曲は大きくリズムを取りながら聴いて演奏者のスリルを感じるほうが自然だと思うのです。
なんか客が必死に拍数数えながら手拍子打ってる姿は
どうもイケテないように感じますがどうでしょう?
ギターはもちろん無限サスティ−ンの
この人エレハモのBIGMAFFをダブルでかけてるとかの
情報が当時あって、バイオリンみたいにいつまでも伸びる
フレーズが多かったです。
当時僕は生まれて初めて買ったエフェクターである
76年製ぐらいのBIGMAFFを持ってました。
    フリークである友人に貸し出したところ2度と帰ってきませんでした。20年以上たってるのでもう返還は要求できないのですが、北方領土並みに実は返して欲しい物のひとつ。
だって今同じもの買うとプレミアがついて38000円ぐらい
するんですもん。買った時は1万ぐらいだったかな?
そういった話はジェネシスとは関係ないですが、この時代の
ジェネシスがいわば見納めでこのあとフィルコリンズのソロ活動とともにジェネシス自体は事実上活動中止となってしまいます。  このライブはライティングを含めかっこよかった!
1979 1.17 厚生年金
大ホール
1979 2.6 JEAN LUIC
PONTY
御堂会館
1979 9.22 万博お祭り広場 EAGLESのコンサートは2回目。しかも今回はHOTELCALIFORNIAの大ヒットの後。
会場は万博お祭り広場の東側の広大な芝生の上。
聴衆は2万人でしょうか3万人でしょうか?わかりません。
で 良かったかって?  うーんそれがね・・・・・
自分にとっては初来日の前回のほうが強烈な印象なんですよ
ステージとの距離感もフェスのほうが近かったし。
このコンサートは本当にお祭りという感じでなんか大騒ぎして
終わりという印象しか残っていないです。
11.28 DANCING!
DANCING!
SPARKING!
阪急ファイブ
オレンジルーム
コレはVOICE結成直前のライブ。
まだグループ名が決まっていなかった。
3.27 THE VOICE&
RHYTHM
阪急ファイブ
オレンジルーム
このときはVOICE全開モード!
マリちゃんも参加。
THE VOICE&
RHYTHM
京都サーカス
サーカス
このときは解散直前。
サーカスの2Fから見たヴォイスの
ラストステージ。
1980 7.26
7.27
JAMJAM
ROCK FES
万博 
 東の広場
この頃から大阪の野外FESも変質して
いったというのが私の感想。
このとき一番印象強かったのが
27日のRCサクセションでした。
1981 6.2 WETHER
REPORT
FES ジャコを生で見れた唯一のステージ。
でも彼はすでに・・・・・
後のワードオブマウスのときは見れなかったのが残念。
1982 3.17 CHAKA
KHAN
梅田 
ザ バラード
PA悪く チャカの声はほとんど生声。
でも強力やったなあ。
S57 11.2 STEVIE WONDER FES スティービーは何回も見に行ってるのに
チケットが残っているのが2枚ぐらい
なぜだろう?
1982 5.10 TOTO 大阪府立
体育館
今はなき、プロレスの殿堂、府立体育館
で、TOTOを見ました。
翌日学校へ行く途中四条大橋の上で
スティーブルカサーとジェフポーカロの
ダブルデート現場に遭遇。(女優のようなブロンド美女同伴)
2人と握手できたのは忘れられない思い出。
11.4 上田正樹
有山淳司
関学 第4別館 前半有山さんとのDUO
後半PUSH&PULLをバックにつけた
コンサート ギターは当然松原正樹。
1983 10.27 毎日ホール オーティスクレイ この人の存在はワタシにとって特別なものです。 確かこの毎日ホールの前には京都磔磔で見ましたがこのときの印象が強烈過ぎたために、なぜかこの日の
オーティスは元気がないように感じました。
結構悪くない状態だったのかもしれませんが、人の記憶というものは、そんなちょっとした印象でどうにでも変わってしまうようです。元気にやってますよ!2002年の夏にも大阪ナンバ
ハッチでバリバリ歌ってました。
LOVE&HAPPINESSだけで20分ぐらい引っ張ってましたよ!
4.29 京都大学
西部講堂
1982 2.12 フェスティバルH フェスでのマンハッタントランスファーは伝説のコンサートであったと「アニキ」はしきりに力説します。
アンコールも終わって客電も点灯した客席に残って帰ろうとしない数十名の観客のためだけにシャワーを浴びた後のガウン
姿でマイク無しでアカペラを聞かせてくれたと・・・・・・
多分 同じ日だと思うのです。それ。
ただ、終わってさっさと帰った組だった
ワタシはその伝説に立ち会うことが
できなかった。
とにかくこの頃のマントラ 完全にブームでした。
ジェイグレイドンのプロデュ−スで「」を大ヒットさせた後。
普段あまりボーカル物を聞かない人でも聞いていたような
1982 8.1 JAMJAM
ROCK FES
大阪南港
フェリー前広場
PINK CLOUD  柳ジョージ
山岸のMYX  BORO  J-WALK
THE VOICE&RHYTHM
とチケットにはありますが、台風接近で
途中中止になった記憶が・・・
1984 1.20 HINO
TERUMASA
厚生年金 大H
1984 6.27 大阪城ホール ロバータフラックといっても炉端焼きのオバちゃんではありません。あの「ネスカフェ」のロバータであり「やさしく殺して」の
ロバータであり、「あなたはワタシの天国よ」のロバータです。
この時の彼女は決して悪くはないのです。バンドもめちゃくちゃ良いのです。エリックゲイルにガッドですもん。
しかし 会場が悪かった! 大阪城ホール。
音がグルグル回ることで有名なこのホール。ドラムの音が
0.3秒ぐらいズレて3ヶ所ぐらいから聞こえてきます。
ディレイを複数で掛けたみたいな気持ち悪さ。
大阪城ホールのコンサートにはもう絶対行くまいと決めたのもこのとき。
但し2002年12月15日に綾戸智絵さんのソロコンサートに
行った時は音響は良かった。響きもホールリバーブみたいに
響いて。 やはりピアノと歌だけというのが良かったのでしょうか。 とにかくここでドラムが入るとだめです。
1989 10.23 ZAPPというバンドが脚光を浴びると同時にスポットが当たった
女性歌手がいます。それがシャーリーマードック。
明らかにゴスペルの影響を感じさせる豪快な歌。
姉御!という感じのルックスは迫力十分でした。
ZAPPはロジャートラウトマンをはじめとする兄弟バンドが
母体となっているのですが、もうひとつこのロジャーが演奏する楽器もまた注目された。というかリバイバルしたのです。
それが 「ボコーダー」です。ローランド製のこのちゃちな
キーボードはそれでも70年代後半から80年代を代表する
楽器のひとつでしょう。 何しろYMOの「トキオ」もこいつです。
ボコーダーでロジャーが歌う「BABYBABY」はよかったなあ。
しかし、ロジャーは近年亡くなってしまいました。
何でも殺されてしまったとか。 残念です
88.89.90
毎年 夏は万博でライブアンダーザスカイ   
1990 7.19 THE
JAMAICA
BOYS
厚生年金 大H マーカスのプロジェクトで結構好きだったのがこのジャマイカボーイズでした。なんとドラムはレニーホワイト。
TWENNYNINE以来のFUNKドラムが生で見れるとあって、厚生年金へ走りました。ロビーには清水興さんもバスケ選手みたいなスタイルで来てました。
いやーすごいですわこの人のドラム。マーカスも良かったけど、この夜はレニーに釘づけでした。

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