プロローグ

 

 初々しかった高校生活も、やっと落ち着きを取り戻した七月の中旬。新学校ということもあり、我が峯野高校の一生徒としては夏休み前に迫った期末テストの準備に取り掛かろうという時期であった。夏の空気は蒸し暑く、やる気メーターを著しく低下させてしまうようなだるさに苛まれながら、それでも赤点だけは取るまいと目前に迫った夏休みに希望を抱いていた。赤点をとれば、夏休みに補習が課せられるのだ。
 まあ、なせばなるさ。
 適度に勉強して、適度に遊びつつ、適度に寝て、高校という青春のページを埋めていこうと、さしたる感慨もなく三月は学園生活をエンジョイしていくつもりだった。
 そんなときに――

「お前、死ぬぞ。助からん。諦めろ」

 とんでもないことを言われた。
「・・・・で、なんの理由もなしにそんな脈絡のないことを言うはずないよな?」
「当たり前だ」
 と無精髭の獣じみた男が愉しげに言った。
 かなりの長身に好戦的な顔立ち、オールバックにした髪はこんな白衣を着ているよりも迷彩服を着ているほうがよっぽど似合うであろう人物だ。
 恐ろしいことに、この男は医者であった。名を久々津信哉(くぐつ のぶや)と言う。
「まあ詳しいことは面倒だから省くが、とりあえず結果だけ言う。大体、一年がお前の寿命だ」
 センチメンタルの欠片もなくただ合理的だけを追求した嘲るような声音で宣告する。
 否。
 ようなじゃなく、この男は確かに愉しんでいた。これで医者なのだというと疑問もわくが、その前に「闇」とか「藪」がつくのだから仕方がない。金さえもらえば、たとえ悪魔であろうと治すのが久々津信哉という人物である。
「あんたもうちょっと労わるって言葉を知らないのか」
 まあおかげで死に対する恐怖よりこの男に対する憎悪のほうが上回って取り乱さないですんでいるわけだが。
 拳の一発でも入ればいいが、あの筋肉の鎧にいかほどのダメージが期待できるだろう。むしろ、返り討ちにあって一年しかない寿命をさらに縮めかねないのでそれもできない。
 力とは、支配の象徴である。
 三月は、はあ、と息を吐き出して煮えたぎった精神を落ち着かせた。
「どうやっても無理なのか?」
「ああ、少なくとも俺には無理だ。治したきゃ他あたんな」
 ということは。
 他の誰にも無理なのだろう。むかつく奴だし医師免許も持たないような人間だが、その腕だけはまさに人外の化け物。医術の窮地に達した男といっても過言ではない名医なのだから。
 この男にとって治療とは技術ではなく「能力」である。
 現代科学なんて足元にも及ばない魔力を扱う稀代の魔法使い、というのがこの久々津信哉の正体であった。魔法でなせないようなものを今の科学の力で治せるはずがない。それほど、魔法とは恐るべき力なのだから。
 そもそも。
 自分のかかっている病気が、そんな物質的な病気ではなく精神的な――つまりは魂が侵食されている病なのだということは大分前から知っている事実だった。
「まあ、ヴァンパイアの感染に関しては、お前ら人狼は抵抗力があるからな。勝つか負けるかどっちもつかずだったが、まあやっぱお前には才能がなかったって事だな。ヴァンパイアの感染は魂への感染。そして肉体への変質に繋がる。ここで魂の感染を防ぐには、単純な魔力の量と質が物を言う。
 吸血鬼になる可能性も考えたが、まあ無理だろうな。前例がこの二十世紀でたったの一人。まあ、雲隠れしてるやつらがいないとはいいきれないが・・・・お前とは器が違う。狂乱したあげくに苦しみながら死ぬのが落ちだろう。今のうちに決めとけ。兆しが出れば安楽死するか、それとも最後まで足掻くか。先延ばしすればするほど、甘えが出ることは眼に見えてる。それと、知ってると思うが足掻くのはあまりおすすめしねぇな。体の中で寄生虫が暴れてまわっているような痛痒を味わいといと言うなら別だが?」
 たんたんとそう告げる久々津の顔に、思いやりという言葉ない。
 ただ厳然たる事実を述べただけ。
 彼にとって医療はビジネスであって、感慨に浸るものではないからだ。患者だろうがなんだろうが「想い」だけで助けられるなら医者はいらん、という久々津の理論にもっともだと同意した三月に反論は許されなかった。
 言葉を発したからにはそれなりの責任があるし、今でもあれこれと喚いたところで何も変わらないと分かっているのだ。
「安楽死をお願いします」
 三月は、絞り出すようにそう言った。