eoさんの旅ノート イグアス・ナスカ・マチュピチュ
居室のベランダから見たイグアスの滝
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 自分の年齢を気にするようになると、自分が生きているうちに "イグアスの滝" というものを一度見てみたい、と思うようになった。

 イグアスの滝は南米。ブラジルとアルゼンチンとの国境にあり、主としてスペイン語とポルトガル語とが使われる所らしいので、 それらがチンプンカンプンの私達には個人旅行は無理だから、ツアーのパンフレットをいくつか開いてみた。が、どのツアーも、 マチュピチュ等他の観光もセットになっている。実は、何故か、私は南米が苦手だった。だからイグアスの滝だけで良かったのだ。 しかし、イグアスの滝だけのツアーは皆無。遠いところなので仕方ないか。イグアスの滝を見る日数が長い阪急交通社主催のツアー「優雅な南米周遊12日間」を選んだ。イグアスの滝・ナスカ・マチュピチュ等を訪れる予定。私達は2019年10月21日から11月1日までのコースで行った。参加者は17名。

 イグアスの滝とマチュピチュは冠付きの超有名な観光地だし、ナスカも冠付きではないかもしれないが、やはり有名観光地だ。今更、私がこれら 有名観光地の旅行記など書いてもしょうがないだろう。だから、ここでは、私が感じたことだけを書いてみた。これは、あなたがここへ行くための案内記ではありません。ご了承下さい。

イ グ ア ス

 10月21日 伊丹発、成田、アメリカのロスアンジェルス経由でペルーのリマへ。リマで1泊。翌朝、航空機でアルゼンチンのブエノスアイレスへ。ブエノスアイレス泊でタンゴショー他の幾つかの市内観光。翌朝、また航空機で、今度はイグアスへ。国境地域だが、ここも一応アルゼンチン。夕刻にはホテル着。 Hotel Melia Iguazu メリア・イグアス・ホテル。部屋の正面に滝が見えて、素晴らしい。

 

 部屋のトイレ スミマセン(-_-;) からも見えた滝。

  トイレの向こうにはガラス窓を挟んで居室があり、
  更に、その向こうにベランダがある。
  ベランダの椅子の向こうには透明のプラスチック板。

  見えている滝は
    「悪魔ののど笛」 
 ほぼ3日間かけてイグアスの滝を見た。

 滝の各所を説明するのは面倒なので、イグアスの滝をスライドショーにしました。

          (写真14枚)

 
イグアスの滝

 
 「pity Niagra !(可哀そうなナイアガラ!)」と、アメリカのルーズベルト大統領夫人が言ったそうだが、そう言った気持ちがよく分かる。本当に大きな、すごい滝だ。
 端から端まで、めぼしいトレイルは全て歩いて疲れた。! 多分、もう二度と来れないだろうが、満足。

ナ ス カ

 10月27日には、セスナ機に乗ってナスカの地上絵を見た。
 説明の紙にあった地上絵の大半はそれらしい絵が見えた。プロの写真家が撮るようにはきれいには撮れなかったが、そこそこの写真は撮った。

   例えば、これはそのうちの1枚。

   蜘蛛らしい絵があるのはまあいい。
   間違いなく、ここに住んでいた人々が描いたものだ。
   そんな絵はここに沢山描かれている。

   それより私が不思議に思ったのは、直線なのだ。
   どのようにして直線が描かれたのか。
   この地面に、何を基にして直線を描いたのか。

   宇宙人うんぬんの話があるが、
   なんとなく、信じたくなる。そんな気がする。
   人間の世界って不思議だからね。
   宇宙人って、いるかも。


マ チ ュ ピ チ ュ

 マチュピチュに行くには先ず列車で。列車は3種類あり、最も高価なのは「ハイラム・ビンガム」で、往復乗ると9万円近くかかるそうだ。あと2種類。「ビスタドーム」と「エクスペディション」。これらとは別に普通列車もあるそうだ。私達クループは2番目の「ビスタドーム」。天井にも窓があるビスタカーであり、窓からの眺望はいい。景色はなかなかのものだった。サービスはドリンクとスナックが配られる程度だが、これで結構。

 マチュピチュのホテル Sumaq Machu Picchu には夕刻着いた。翌朝、バスで遺跡に出発。遺跡へは30分はかかる。



 遺跡の中にトイレはない。入口だけにある有料のトイレにずらりと並んで、済ませておく。
 入場券は午前券、午後券と別。午前はガイド付きが必須、午後はガイド無しでも可。

 いずれにしても、マチュピチュ遺跡の景観は壮観だ。

 段々畑も美しい。

 この村が現役だった頃の、
 人々が生き生きと仕事したであろう様子が想像される。


 遺跡の中心をなす岩作りの建造物の、その岩壁の美しさは素晴らしい。岩どうしが綺麗に積み重なっている。岩と岩との間にカミソリの刃も入らないというほどぴったりと。
 機械のない時代にどうしたかというと、岩と岩を人間の手で擦り合わせ、削り、重ねた。そういう専門の職人がいたそうだ。専門の職人がいたということは、少なくとも奴隷制の世界ではなかったということでもある。
 それにしても、高い技術だ。古代・中世のヨーロッパでのセメント発明もこれには及ばないほどの、高度な技術だ。すごい!

 マチュピチュは遺跡としての管理も、きっちりされている。
 遺跡の中にある岩にはできるだけ触るな。自撮り棒はダメ。勿論、遺跡の中での飲食はダメ、などなど。監視人がしっかり見ているので、こちらも真面目にならざるを得ない。監視人にわからないようにうまくやってと言う、ふざけたガイドもいるけれど、だめですよ (>_<) 
 監視人に白人はいない、全部、現地の人。また、観光客に交じって、掃除人がまめに掃除しているので、ごみが全くない。

 見ていてなんとなく思った。こんな遺跡はあまり見たことない。この遺跡を保存するための、現地の人々(ペルー)の並々ならぬ決意を見る思いがした。

 それにしても、階段が多い。写真を見ても分かると思うが、階段ばかりだ。私は疲れた!!

 ツレアイだけ午後券で再度入って、インカ道の太陽の門へ行き、また遺跡内を一周した(元気だね)。人が少なくて、よかったと。また、夕刻に近いので、光の陰影がはっきりしていて綺麗だったと。

  午前中は陰に引っ込んでいたリャマが
  遺跡の中に出ていたりして、

  午前より良かったそうだ。


 翌日、クスコへ。標高3400m。数日前に短時間ここに寄った時、遅れないようにちょっと走っただけで気分が少し悪くなったので、今度は走らないように気を付けた。

 人の容貌のことだが、こんな話をしたら驚くかもしれないが、ペルー人の、殊にクスコの、男性にはイケメンが多い。男性といっても、現地人に限るのだが。色は少し黒いが、優さ男。優さ男のイケメンだ。男性の半分近くがそうである。半分、と言えば、大半である。つまり、イケメンがめっちゃ多い。
 一方、女性は、一般的に、いかつい。女性の半分とは言えないが、しかし、いわゆる清楚な美人というのは見ない。男性が、優さ男のイケメンが多いので、それに比べると、いかつい。
 若いアベックが歩いているとする。大抵は、男はイケメン、女はいかつい。それでも、なんとなく、微笑ましい感じ。

 イケメンの話はこれ位にして、クスコの話をしよう。
 かってクスコがインカ帝国の都であった頃、黄金に包まれていたという。当時、クスコは黄金の都であった。
 クスコは黄金に満ちていたが、しかし、いわゆる、その金満さを誇っていたのではない。私達は勘違いしてはいけない。 私達は黄金とか金の、その金銭的な価値を知っている。しかし、インカ人はその”金銭的な価値”を知らなかったのだ。
 インカ人も確かに黄金の価値を知っていたが、その価値は、しかし、私達が知る価値とはまるで違っていた。  金に光が当たると、キラキラと輝く。彼等インカ人にとって、それは、神である太陽の降臨。なんと神々しい!!
 彼等にとって金の価値とはまさにそれだった。金色の輝き、彼らにとって、それこそが金の価値だった。

    クスコの街並み

    嘗ては黄金だったが、今は茶色一色。

    「黄金の都」なぞ、昔のはなし


 征服者スペインにとって金とは金銭的に大変高価、そのものであり、それを手に入れることは彼等の目的だ。
 彼等征服者は、貼られた金を全て剥ぎ取って本国に持ち帰り、そして、そのインカでは、人々を奴隷として使った。

 今、人種問題も世界の大きな問題の一つだ。
 人種問題って何だろう。人間の文化って何だろう。そもそも、人間って何だろう。

   クスコ観光を少しした後、航空機で、リマ、ロスアンゼルスと経由して、帰国した。

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