マチュピチュに行くには先ず列車で。列車は3種類あり、最も高価なのは「ハイラム・ビンガム」で、往復乗ると9万円近くかかるそうだ。あと2種類。「ビスタドーム」と「エクスペディション」。これらとは別に普通列車もあるそうだ。私達クループは2番目の「ビスタドーム」。天井にも窓があるビスタカーであり、窓からの眺望はいい。景色はなかなかのものだった。サービスはドリンクとスナックが配られる程度だが、これで結構。
マチュピチュのホテル Sumaq Machu Picchu には夕刻着いた。翌朝、バスで遺跡に出発。遺跡へは30分はかかる。

遺跡の中にトイレはない。入口だけにある有料のトイレにずらりと並んで、済ませておく。
入場券は午前券、午後券と別。午前はガイド付きが必須、午後はガイド無しでも可。
いずれにしても、マチュピチュ遺跡の景観は壮観だ。

段々畑も美しい。
この村が現役だった頃の、
人々が生き生きと仕事したであろう様子が想像される。

遺跡の中心をなす岩作りの建造物の、その岩壁の美しさは素晴らしい。岩どうしが綺麗に積み重なっている。岩と岩との間にカミソリの刃も入らないというほどぴったりと。
機械のない時代にどうしたかというと、岩と岩を人間の手で擦り合わせ、削り、重ねた。そういう専門の職人がいたそうだ。専門の職人がいたということは、少なくとも奴隷制の世界ではなかったということでもある。
それにしても、高い技術だ。古代・中世のヨーロッパでのセメント発明もこれには及ばないほどの、高度な技術だ。すごい!
マチュピチュは遺跡としての管理も、きっちりされている。
遺跡の中にある岩にはできるだけ触るな。自撮り棒はダメ。勿論、遺跡の中での飲食はダメ、などなど。監視人がしっかり見ているので、こちらも真面目にならざるを得ない。監視人にわからないようにうまくやってと言う、ふざけたガイドもいるけれど、だめですよ (>_<)
監視人に白人はいない、全部、現地の人。また、観光客に交じって、掃除人がまめに掃除しているので、ごみが全くない。
見ていてなんとなく思った。こんな遺跡はあまり見たことない。この遺跡を保存するための、現地の人々(ペルー)の並々ならぬ決意を見る思いがした。
それにしても、階段が多い。写真を見ても分かると思うが、階段ばかりだ。私は疲れた!!
ツレアイだけ午後券で再度入って、インカ道の太陽の門へ行き、また遺跡内を一周した(元気だね)。人が少なくて、よかったと。また、夕刻に近いので、光の陰影がはっきりしていて綺麗だったと。

午前中は陰に引っ込んでいたリャマが
遺跡の中に出ていたりして、
午前より良かったそうだ。
翌日、クスコへ。標高3400m。数日前に短時間ここに寄った時、遅れないようにちょっと走っただけで気分が少し悪くなったので、今度は走らないように気を付けた。
人の容貌のことだが、こんな話をしたら驚くかもしれないが、ペルー人の、殊にクスコの、男性にはイケメンが多い。男性といっても、現地人に限るのだが。色は少し黒いが、優さ男。優さ男のイケメンだ。男性の半分近くがそうである。半分、と言えば、大半である。つまり、イケメンがめっちゃ多い。
一方、女性は、一般的に、いかつい。女性の半分とは言えないが、しかし、いわゆる清楚な美人というのは見ない。男性が、優さ男のイケメンが多いので、それに比べると、いかつい。
若いアベックが歩いているとする。大抵は、男はイケメン、女はいかつい。それでも、なんとなく、微笑ましい感じ。
イケメンの話はこれ位にして、クスコの話をしよう。
かってクスコがインカ帝国の都であった頃、黄金に包まれていたという。当時、クスコは黄金の都であった。
クスコは黄金に満ちていたが、しかし、いわゆる、その金満さを誇っていたのではない。私達は勘違いしてはいけない。
私達は黄金とか金の、その金銭的な価値を知っている。しかし、インカ人はその”金銭的な価値”を知らなかったのだ。
インカ人も確かに黄金の価値を知っていたが、その価値は、しかし、私達が知る価値とはまるで違っていた。
金に光が当たると、キラキラと輝く。彼等インカ人にとって、それは、神である太陽の降臨。なんと神々しい!!
彼等にとって金の価値とはまさにそれだった。金色の輝き、彼らにとって、それこそが金の価値だった。

クスコの街並み
嘗ては黄金だったが、今は茶色一色。
「黄金の都」なぞ、昔のはなし
征服者スペインにとって金とは金銭的に大変高価、そのものであり、それを手に入れることは彼等の目的だ。
彼等征服者は、貼られた金を全て剥ぎ取って本国に持ち帰り、そして、そのインカでは、人々を奴隷として使った。
今、人種問題も世界の大きな問題の一つだ。
人種問題って何だろう。人間の文化って何だろう。そもそも、人間って何だろう。
クスコ観光を少しした後、航空機で、リマ、ロスアンゼルスと経由して、帰国した。