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◆ 日本の民踊に付いては、その故事来歴は多くの書籍も出ていますので、今はさておき、近来の民踊愛好者の動向について、述べたいと思います。 それぞれの踊りはその生まれ育った土地の、伝統の文化であることには誰も異論は無いと思います。 しかしです、テレビや舞台での公演で見る民踊はその土地のものとはまるで異なる踊りをされている、何々会とか、流とかの御連中を見ていると、 その人たちの楽しみの為や利益のために、その踊りが生まれ育った土地の伝統文化、文化遺産を壊し踏みつけにして良いのだろうかとの思いがしますがどうでしょうか? 当然全部がそうではありませんが。 民謡や民踊に流派があること自体が不思議に思えますが。 唄や踊りが生まれ育ってきた現地のものを大切にし、私たちは、其れを唄い、 踊りを楽しめば、そしてそれをお聞き、御覧頂けばと。 如何でしょうか? 本物を大切にと言うことです。 ←私たちまどか会が民舞踊の稽古に使わせて頂いている 篠山市民センターです |
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◆歌謡舞踊に付いては、新舞踊=歌謡舞踊と
混同されている様ですが、本来の新舞踊とは
大正の中頃、勘右衛門派藤間流と袂を別った
藤蔭靜枝や花柳流からの五条珠実たちが、
当事の或意味での、古典舞踊にあきたらなく
なった人(坪内逍遙)たちと共に、新しい感覚
で創りあげた日本舞踊の名称です。 昨今の歌謡舞踊ブームはなるべくしてなったのでしょうが、少し考えさせられる事も ありますね? 弟子、門弟が多くなればすぐ、家元を名乗る方を見かけ何か侘びしい 思がします。色々な面で家元としては考えられない方が?。如何なものでしょうか? 公演ともなれば、派手な衣装でごまかし、踊りは二の次、なんて少し寂しすぎませんか。 本当に立派なお家元も多く居られるだけに、これはねー?と言いたい流派が出来すぎ ました。かっては踊りの良さを第一に考えていたのですが。 すこし、言葉が過ぎました。悪しからず。御意見お聞かせ下さい。 |
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◆ここでは、舞踊家と言われる方にだけでは無く、日舞の愛好者、お稽古され
て居られる方々のためにもと思い書かせて頂きました。 日本舞踊は広義に解釈すれば、日本の舞踊『舞楽、能、狂言、歌舞伎舞踊、 地唄舞(京舞も含めて)民俗芸能、民踊、歌謡舞踊』の分野のなかで歌舞伎舞踊、地唄舞を一般的に日本舞踊とよばれています。 その発生の過程や今日に至る、変革の推移等については、多くの著書があり、参考にされたい。 東京在住の花柳滝蔵氏の「日本舞踊とその周辺」という本で短く纏め上げて居られるので、要一読と思います。 此等の事を、知っているのと知らないのとでは、先々大きな差が出ると思います。 |
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◆最近の事ですが、関西の有名舞踊家方々の舞踊会で感じたことですが、皆さん大変お上手に舞い踊られていました。 しかし、ただその時美しく上手に踊られただけの方と、後々心に残る、良い踊りをされた方との相違はどうなのでしょうか。 私流に考えてみますと、舞踊生活に於けるその人の生きざま、品性、感性(曲の理解度も含め)、豊かな心、 それが身体の動きで表現する舞踊に、温かい血を通わせ、見る人の心に焼き付くのではないかと思いますが? 私は後者が好きです。 |
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◆日本舞踊はお金がかかると、よく言われますが、それなりの金銭のかかるのは仕方の無いことですが、
少なくする方法も無きにしも非ず、です。 それは それぞれの先生方の考え方に依ることですから、何とも言いようの無い事だとは言えますが、 決して右肩上がりでない日舞の世界、お稽古人や愛好者を増やす為にも、それ相当の努力があって然る べきではないでしょうか? それは双方に経営学的には矛盾の有ることは承知の上です。 日舞≠歌舞伎俳優の歌舞伎舞踊ですから。日舞(創作舞踊は除いて)は素踊りが基本だと思いますが如何なものでしょうか。 |